『始まりの若葉色』


 その男は、闇の中を歩いていた。
 何も感じない闇。
 真の闇。
 ただし、五感の全てを失わせてしまったかのようなその闇は実在せず、彼の中にのみ存在した。


 目も見えている。耳も聞こえている。彼は確かに周りの人々の声に答え、動き、生きている。
 しかしそれは現実には思えず、ただ暗い闇に呑まれていた。
 その闇からどうやって出られたかは、彼にはよく分からなかった。
 ただ。
 闇の中の彼に触れたものは、芽生えたての若葉のように柔らかかった。
 闇の中の彼に薫ったものは、花舞う春風のように芳しかった。
 闇の中の彼に聞こえたものは、木々の囁きのように愛らしかった。
 闇の中の彼に見えたものは、新緑のように神々しい光だった。


 妻を失った彼を救ったのは、王家の血をひく華奢な少女だった。
 彼女は常に微笑み、ブラスヴァの二人の息子を慈しんだ。
 妻を亡くした彼が、そんな彼女に惹かれて、誰がそれを責められるだろうか。
 決して交わってはならない存在。
 しかし守るべき相手。
 決して愛されてはならない存在。
 しかし傍にいるべき相手。
 そんな相手を、なんと呼べばいいのか…。


「父さん。見て見て!」
 考え事をしていたブラスヴァは、息子の声に顔を上げた。
「どうした?キーヴァ。」
 窓の外を見ると、随分と暗い。いつの間にか夜になっていたようだ。
「これ!綺麗でしょう!?」
 息を切らせた上の息子、キーヴァが手に握っていたのは、マッティオラの花。
「母さんにあげるんだ!」
「兄さん、待ってよ!」
 後ろから下の息子、クーヴァが走ってくる。上だ下だとは言っても、二人は双子で、その容姿もそっくりである。
「クーヴァ。あまり急いでは転びますよ。」
 なかなか見分けられないこの二人をいとも簡単に見分けてしまうのが、現王の娘、フロール。
 代々王家に仕えるシーフレッド家のものとしては、お仕えすべき相手。
 そしてブラスヴァ自身からすれば…彼を闇から引き揚げた本人であり、息子たちの姉の様な存在であり…。
「仕事中にすみません。二人がどうしてもブラスヴァに見せるのだと。」
 とにかく、一言では言い表せない、大切な人だった。
「いえ、いつも申し訳ありません、フロール様。」
「いいんです。いつもお父様の補助をしてくださっているのですし…それに、この子たちには兄様を守ってもらわなければなりませんから。」
 ね、と笑うフロールに、二人の息子は満面の笑みで頷いた。
「うん!僕、メーコック様もフロール様も、マクスマレーン様もお守りするよ!」
「僕も!」
 誇らしげに言う兄弟の背中に、フロールが手を置いた。
「では二人とも。そろそろお部屋に戻ってくださいね。」
「「はーい。父さん、おやすみなさい!」」
 綺麗にそろった声で二人はお辞儀をして、そのままきゃいきゃいと騒いで走っていく。
 花はおそらく部屋に飾ってある母親の写真に供えるのであろう。今日は『マッティオラの晩』。大切な人に感謝を伝える日である。
 そして、大人にとっては女性から男性に告白できる日でもある。妻が生きていた頃には、律義に食卓に花が飾られていたものだ。
「ブラスヴァ。」
 フロールの声にブラスヴァは彼女を振りむいた。
「あの…これを。」
 彼女が差し出したのは、二本の美しいマッティオラの花。
 それの意味するところがわからず、ブラスヴァは花を受け取るのも忘れてフロールを見た。
「いつもは、奥様から頂いていたと二人に聞いたので。」
 そっと胸ポケットに花を指し、フロールはすっと彼から離れた。
「私からの気持ちも込めて。ブラスヴァ。いつもありがとう。」
 慈悲深く微笑んだその相手に湧き上がった感情が崇拝なのか、愛なのかはわからなかった。
 ただただ欠けた心を埋めたかったのかもしれない。
 木々が太陽を欲するように、彼は王の傍にいた。
 木々が水を欲するように、彼は息子たちの傍にいた。
 そして木々が小鳥や蝶に求めるように、彼は彼女に傍にいて欲しかった。
 花を抜かれた穴に、また別の花を植えるように。
 彼の心には彼女がいた。


 そして蕾がふくらむようにゆっくりと自然に、フロールはブラスヴァの恋人となった。
 彼の息子達も彼女に懐いているし、彼女は王女と言っても兄も弟もいる。
 問題とすればうっとおしい親戚くらいか。でもそれも、説得してみせる。
 そう思っていた、ある日の事。


「ブラスヴァ…。」
 そっと自分の執務室に入ってきたフロールは珍しく、深く帽子をかぶっていた。
「どうか、なさいましたか?」
 そう問いかけたブラスヴァに、フロールは何も答えず帽子を取った。
 ばさりと現れた長い髪を見て、息をのむ。


 緑。


 現在仕えている王を心より尊敬していてもなお、その瑞々しく美しい緑色は彼女以外誰にも似あわないのではないかと錯覚してしう。
 王者の色。
 心を尽くして誰かに仕えるというのは、その相手に恋をしているも同然だと、そう言ったのは誰だっただろうか?
 この姿こそ。
 私の祖先が、子孫代々仕える事を決めた、その、神々しさ。


「私は…どうすればいいのでしょう…。」
 その神々しいフロールは、震える声でそう言った。
「私が、王にならなければならないのか…兄様にも、この、『緑』が現れるのか…。」
 政治的な問題。得意分野ではあるがブラスヴァは答えに詰まった。
「それは、今はどうでもよいのです。」
 でも、と小さくフロールは続けた。
「私はもう…貴方を一番に思う事は、許されないのですね…。」
 緑の髪。それは王者の色であり…同時に、魔の証でもある。
「私は…。」
 今にも泣きそうなフロールを、ブラスヴァは立ち上がり、抱きしめた。
「貴方がされたいようになさればいい。」
 ぎゅ、と腕に力が入る。
「そんな貴方の御側にいられるのが、私の幸せです。」
 そうして空のような青い瞳をみて、笑う。
 青い瞳からは涙が溢れ、フロールはブラスヴァの胸に顔をうずめた。
「愛してるよ、フロール。」
 そっと囁いた言葉に、フロールは小さな声で何度も何度もこう言った。
 「ありがとう」と。 
 そして顔を上げた時ブラスヴァに彼女が見せた微笑みは、まるで若葉のように柔らかかった。
 緑の髪がふわりと風に舞い、輝く。
 それがあまりに美しく、ブラスヴァは一筋手に取り、口づける。
 それを見たフロールがくすぐったそうに笑う。
 その笑顔に若葉を想った。
 若葉はやがて、この王国を、そして世界を変える。
 そのことをまだ、誰も、知らない。




当サイトの二周年記念にリオンさんに頂きました!
リオンさん、ありがとうございます!
非常にいいですね。この糖度が。優しい雰囲気が。漲ってきたぜ・・・!(落ち着け)

虹色五話の悲恋カップル、ブラスヴァ&フロール。
そう考えると、虹色には悲恋が多い。むしろ悲恋じゃないのって・・・。
王族と臣下の恋と言うのが、ビンビンに悲恋フラグがたっているからなのかもしれませんが。いや、私の趣味か。

リオンさんのサイトはこちら→月草雑記帳

(2011.5.22)

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