『虹色凩』


「明後日にはリドミに入れると思うよ。」
 旅立ってすぐ、ラシューはそう言った。
「ま、そんなもんだろうな。」
 俺は一言つぶやいてイリスを見る。少し驚いたような様子を見ると、現在地を把握してはいないようだ。
「とにかく今日は早めに寝ようよ。明日も一日歩くんだろうし。」
「ああ、そうだな。」
「はい。」
 三人で手早く野宿の支度をする。すっかり慣れてしまったこのやりとりも…そこまで考えて頭を振った。
 日が暮れて辺りが暗くなったころ、丁度焚火もよい感じになってきた。
 焚火の上に乗せられた鍋が音を立て始めた時、不意に人の気配を感じた。
「…?」
 不思議そうにするイリスとラシューに目で黙っていろと告げ、そっと立ちあがる。
 この感じは、おそらく人間だ。
 しかしそれにしてはあまり音がしない。よほど山の中を歩きなれているのか。
 そう時間が経たないうちに、かさりと茂みが揺れて、人影が現れた。
 剣を構えた俺を見、現れた男の目つきが鋭くなる。
「…何か用か?」
 とりあえずそう言ってみる。後ろでイリスがほっとしたような顔をしているが、まだ油断はできない。
「いきなり剣を構えて挨拶とは、物騒な方ですね。」
「そうか?こんなもんだろ。」
 少し考えて、青い髪のその男は静かに答えた。
「私は『木の葉』。滅びた里の守護者です。」
 コノハ?それが名前だというのだろうか?
「貴方がたは?」
「冒険者と依頼者とオマケだ。」
「ちょっとレイ!おまけって誰の事さ!?」
「お前以外いないだろ。」
「その言いざまはひどいよー!」
 わめき始めたラシューを見て、コノハはちょっと笑った。
「どうやら本当のようですね。実は私たちもこの辺りで一泊しようと思っていたのです。ご一緒しても?」
 私たち、か。
「連れがいるのか?」
「ええ。」
 どうする?とイリスの方をみる。イリスはあっさりと答えた。
「いいんじゃないですか?多い方が楽しいですし。」
「ありがとうございます。」
 コノハは一礼して、茂みを振りかえった。
「聞こえていましたか?」
「当然でしょう。それにしても、相手のお名前も伺わずにあのような申し出は失礼だと思わなかったのですか?」
 あ、と呟いてコノハはだらだらと汗を流す。どうやら連れの方がコノハより身分は上らしい。
「えっと…お名前は…」
「俺はレイ。あっちがイリス。で、おまけがラシュー。」
「ム!ラシューム!だからね、レイ!おまけじゃないし!」
 ラシューの抗議を無視してもう一人を確認しようとそちらに注意を向ける。
 コノハの奥から現れたのは、一人の女性だった。
 短い赤みを帯びた茶色の髪に同じ色の瞳。あまり見たことのない衣装を着たその女性は静かに微笑んだ。
「はじめまして。コノハが失礼な真似をいたしました。私は『唄巫女』。今夜一晩、よろしくおねがいします。」
 また妙な響きの名前だが…この辺だと普通なのか?
「へー、コノハさんとウタミコさんか。変わった名前だねー。」
 ラシューの感想で、普通じゃない事がわかる。二人は曖昧に笑った。
「見たところこれから夕食の御様子。私たちも丁度食料を仕入れたところでした。よかったらご一緒にどうです?」
 そういってコノハが差し出したのは、様々な木の実や野草。よくもまあ、これだけ集めたもんだ。
「あ、そうだ!そろそろお鍋が…あつっ!」
「ちょ、イリスちゃん慌て過ぎ!ほら、レイ!手伝って!」
 慌てて料理の準備に戻った二人を見て、俺は軽くため息をついてから言った。
「ま、その辺座ってちょっと待ってろ。」
 コノハとウタミコは礼を言って、自分達も食料を広げ始めた。


 夕食が終わり、暖かい炎を見つめていると、不意にウタミコさんが呟いた。
「イリスさん。あちらに温泉があることを御存じですか?」
「え?温泉ですか?」
 ぱっとイリスちゃんの表情が明るくなる。時紡ぎだなんだ言うけど、今はやっぱり女の子だし、嬉しいみたいだ。
「行ってきたら?僕たちはここにいるし、ねえ、レイ。」
「ああ。」
 レイがぶっきらぼうに答える。まあ、のぞきに行くようなキャラじゃないしね。
「木の葉。留守を頼みます。」
「はい。唄巫女様。」
 唄巫女さんがイリスちゃんを先導して、二人の姿が見えなくなる。
 なんとなく気まずい雰囲気になった。これからリドミに行ったらこういう雰囲気も多いのかもしれないけど…嫌だなあ。
「アンタ、里が滅びた、とか言ってたよな。」
 沈黙が辛かったのか、単なる気まぐれか、レイがコノハさんに話を振る。
「ええ。もうずいぶんと昔の話になりますが。」
「あのウタミコとか言う奴もアンタと同じ出なのか?」
「はい。唄巫女様と私は同じ里から、ある使命を持って生れ出た者です。」
 かん、とコノハさんが持っていた剣が音を立てる。
「聞いてもいいか。その、里の話。」
 レイがこんな話を自分からするのは珍しい気もした。滅びる、という言葉が気になったのかもしれないと、炎を見ながらそう感じた。
 コノハさんの答えは、意外なものだった。
「ここから先は、リドミの王家にも少し関わって来る話です。冒険者は、そのような話は避けると聞いていますが。」
 どきん、と心臓が高鳴った。
 確かに冒険者であるレイには興味のない話だろうけど、僕はリドミ王家の…一応、次期即位者だ。
 そんな前置きをされたら、何が何でも聞いてみたい。
 僕の様子を察したのか、レイがコノハさんを促した。
「最近はよく王家のごたごたに巻き込まれるし、これから行く国の情報は多い方がいいだろ。告げ口はしないから話してくれ。」
 コノハさんがちらりと僕を見る。僕も小さく頷いた。確かに、告げ口はしないね。
「…そうですか。」
 ぱちぱちと炎がはぜる。コノハさんは静かに語り始めた。
「私の名を聞いて、妙だと思いましたか?」
「ああ。そうだな。」
「うん、変わってるよね。」
 僕とレイは正直に肯定する。コノハさんは笑って答えた。
「『木の葉』というのは、役職名の様なものです。」
「役職?」
「ええ。リドミにひそかに生きる、守り人達のことです。」
 そういえばそんなおとぎ話を聞いた事が有るような気がする。昔すぎてちょっと思い出せないけど。
「十年ほど前になるでしょうか…リドミの山奥にあった小さな里『ドイロカーボ』が、滅びの時を迎えました。」
 ドイロカーボ。昔話で聞いた事がある。
「滅びの理由は?」
 短く聞いたレイに、コノハさんも短く答えた。
「リドミ王家の方々が風神ドウィン様の怒りを買ったからだ、と聞かされました。」
 驚くと同時に納得もした。それがさっき言っていた王家の話か。
「王家の者が怒りを買うって、どういうことだ?」
 レイがさりげなさを装って聞いてくれる。コノハさんは迷ってから、答えた。
「私もまだ幼い頃でしたからよくはわかっていませんが…ドウィン様の怒りの時期と、とある事件が起こった時期が、重なるようです。」
 すみません、とコノハさんが首を振る。これ以上は言えない、ということだろう。
「ふーん…大変だったんだね。」
 僕の一言にほっとしたように頷き、コノハさんは話を続けた。
「その時、里から生き延びた『唄巫女』様達と『剣』を守りぬく事。それが、我々『木の葉』に与えられた最後の使命でした。」
「『木の葉』は一人じゃないってことか。」
「具体的な人数は教えられませんが…『剣』と『唄巫女』、そして『木の葉』は各地に散り、そして、刻を待っていた。」
 ときをまつ。
「なんの時なんだ?」
「風神ドウィン様を再びこのリドミの地にお招きする。その刻です。」
「…それが、もうすぐだってのか?」
「具体的な刻は私にはわからない。ですが、唄巫女様にはわかっているのでしょう。」
 そのまま話は続いていく。でも僕は、別の事を考えていた。
「唄巫女ってのは、なんだ?」
「風を読み舞い唄う事で神からの啓示を得る者のことで…昔の里にはその能力を持つ者が何人もいた。今はもう…数えるばかり。」
 彼は確かに『風神ドウィン様を再びお招きする』と言った。
「あの女はその一人ってことか。」
「そう。そして、私のただ一人の主。」 
 ということは、風神ドウィンはリドミにいて、そして今はどこかに行ってしまったと言う事。そんなの…初耳だ。
「主、か。冒険者にはないもんだな。」
「…ええ。唄巫女様は、この先の道が見えている。それは辛い道…ですがどれほどに辛い未来を見ようと、ただ信ずる道を歩こうとする。唄巫女様を支え、唄巫女様が見据えた未来を歩く。それが私の役目。」
 この人たちは、次期後継者の僕も知らないリドミを、知っているのかもしれない。そう思うと無性に胸が疼く。
「…なんつーか、すげえな。ただの使命でそれだけ命懸けれんのか。」
「勿論。…今はただの主従に近い契約関係です。でもいつか。我々の使命が終わったら。」
 この感覚は、何なのだろう。
 ふと顔を上げる。コノハさんの表情が、炎に照らされる。
「いつか、私の名を知っていただきたい。それが私の、唯一の願いです。その為にも私は、唄巫女様の為に、この身全てを捧げます。」
 その表情は、時々レイが見せるものに似ている気がした。


「え?ウタミコさんって名前じゃなかったんですか?」
「ええ。役職の様なものです。」
 温泉につかりながら、ウタミコさんがそういって少し微笑んだ。『時紡ぎ』みたいなものだろうか。私だったらそんな名乗りはしないけど。
「じゃあ、お名前は?」
「…それは、言えないことになっています。」
「そうなんですか。」
 いろいろな土地にはそれぞれの文化がある。そんな文化もあるのだろうと、私はお湯の中で手足を伸ばす。暖かいお湯が疲れた体に気持ちいい。
「この温泉が枯れていなくて本当に嬉しいです。」
 そういって微笑んだウタミコさんは、右手でお湯をすくい、何かに捧げるようにお湯を手から滑らせる。
 ふと、ウタミコさんの肩に目がいった。右の肩に、紅色のアザがある。
 それはまるで、一枚の葉のような形だった。
「これが、唄巫女の証なのです。私は紅の唄巫女として、『紅葉(クレハ)』を神と祖先から預かっています。」
 私の視線に気が付いて、ウタミコさんがそう説明してくれた。
「私の役目は、舞い唄うこと。そして神からの言葉を聞き、それに従う。」
 神。それは一体なんの神なのか。聞きたいようで…怖くて聞けない。
「今の目的は、『紅葉』をとある場所に納める事です。場所は内緒ですけど。」
 私が何も言わない事を気にする事もなく、ウタミコさんは呟いた。
「里が焼け落ちた時、私が預かった紅の剣…紅葉と同じように、他の唄巫女達も剣を授かりました。私と同じように、木の葉を連れ、剣を守り、納める為にリドミの何処かに居るはずです。」
 そして私を見て、ふっと笑った。
「常葉(トキハ)を授かりし唄巫女や朽葉(クチハ)を授かりし唄巫女…もし彼女たちに会う事があったら、紅葉は元気だと、伝えてくださいね。」
 私は頷くことしかできなかった。
「あの…」
「はい。」
「辛くは、ないですか?」
 本当の名を隠し、与えられた使命の為だけに生きるなんて…
「…ええ。だって、木の葉がいますから。」
 その答えに一瞬思考回路が止まる。見上げたウタミコさんは、大人の顔をしていた。
「木の葉がいるから、私はまっすぐに私を信じられる。…いつか、木の葉に私の名前を呼んでもらいたいわ。役目の名でなく、本当の名を、ね。」
 その顔はとても幸せそうで儚げで美しい。私もこんな表情ができればいいのに。ぼんやりとそう思う。
 誰に見せたい表情なのかは、わからないフリをすることにした。


「そろそろ、結界を張り直していただけますか?唄巫女様。」
「ええ、そうですね。」
「え、結界?」
「そんなのあったの?」
 ぽかんとする緑の髪の少年と黒い髪の少女に、金髪の青年が聞き返す。
「なんだ、気付いてなかったのか?」
「え!?何、レイは気付いてたの?」
「まあ、なんとなく。」
「結界と言っても、精霊に頼んで気配を隠してもらう…簡単な魔術のようなものです。」
 赤みがかった茶色い髪の唄巫女はそう言って立ちあがった。
「紅葉を。」
「はい。」
 青い髪の木の葉が唄巫女に紅の剣を差し出す。
 それを受け取り、地に落ちていた紅い葉を拾い上げた。
「少しだけ、舞わせていただきます。この地に居る精霊と…風神ドウィン様の為に。」
 その言葉に、三人の旅人が頷いた。
「では。」
 右手に紅い剣を持ち、髪に紅の葉を挿した唄巫女は、静かに唄いながら舞い始める。
 そこには剣の持つ殺伐とした雰囲気もなく。
 枯れ行く葉の持つ哀れさもなく。
 ただひたすらに優雅に、儚く、神々しく。
 可憐に、愛しく、美しく。
 唄巫女は、静かに舞い唄い続けた。


「ふわぁ…」
 翌朝。
 コノハとウタミコと別れ、俺達はまた三人で歩きだした。
 眠そうなイリスを横目で見る。眠そうな原因は知ってる。
「うまく描けたのか?」
 俺の声にイリスは驚いたように俺を見る。
「なんで知ってるんですか?」
「…気付かないと思ってたのか?」
 昨晩、月の光の下で、イリスは一心に手を動かしていた。
 あのウタミコの舞いを描いているのだろうと、予想できた。
 確かにアレは芸術に疎い俺でも、感じるものがあった。イリスを刺激しても不自然ではないだろう。
「…あの二人は、とっても幸せそうに見えたんです。」
 イリスが呟く。
「自分の使命に誇りを持っていて…すごいなって思いました。」
 使命、ということは時紡ぎのことでも考えていたのだろうか。俺も「霧の守護」の事は気になっていた。そして、おそらくラシューも…。
「だから…あの二人がどんな結末にたどり着こうとも、今の姿を残しておきたいって、思ったんです。」
 ぎゅ、とイリスが胸元に抱えたスケッチブックを強く握り直す。
「どんな絵を描いたの?」
「ふぇ!?」
 ラシューの問いにイリスが一歩、俺達から離れた。そんなに不自然な問いじゃないと思うんだが…
「え、えっと…一番よくできたのは、二人にあげちゃいました。」
「え?そうなの?見たかったなー。」
 口には出さないが俺も同感だ。イリスの目から見たあの二人を、見てみたかった。
「どんなのを描いたんだ?」
「…なんでレイさんまでそんなに食いつくんですか…。」
 何故か涙目になるイリス。わけがわからない。
「ふーん…まあいいや!しょうがないから見逃してあげるよ!」
 ラシューがニコニコと笑う。さっぱりわからない。
「そのスケッチブックの絵を内諸にしてることもね!」
「ふぇっ!?ラシュームさん、いつ見たんですか?」
「ちらっと見えただけー。」
 みるみるうちにイリスの顔が赤くなる。なんだ、そんなに酷い絵なのか。
「…なあ、イリ」
「レイさんは黙っててください!ラシュームさん、絶対、ぜーったい言わないでくださいよ!?」
「うん、大丈夫大丈夫。だからほら、早く行こうよ。」
 そう茶化すように言ってからラシューがさっさと歩きだす。その後ろを着いていくイリスはまだなんだか照れているようで…
「なんなんだ…。」
 黙っていろと言われたことにちょっと傷つきながらも、俺は気を取り直して歩き始めた。
 イリスのスケッチブックに残る絵が、どんな絵なのかを知る事もなく。
 旅は終りに向かっていく。




うちの三周年にリオンさんからいただきました。
うちの子とボカロ(番凩)のコラボですよ!非常に才能を感じる完成度。
番凩の設定で小説を企画していらっしゃるようなので、そっちのほうも期待ですね。とても読みたい!


リオンさんのサイトはこちら→月草雑記帳

(2012.9.3)

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