2011バレンタイン企画小説


これは「曇天、虹色地平線」の第三話、野望の王国編の登場人物が主役の短編です。



“マッティオラの晩”。
最近あちこちで小耳に挟む言葉だ。
…一体何のことなんだろうね?
現在はこのブールに腰を落ち着けているとはいえ、ハールは流れの冒険者である。この辺りの風習には疎い。
何らかのイベント___祭りのようなもの___であるのは確かなのだろうが。
しかしそれはいかにも“公然の秘密”であり、他のイベントとは違う雰囲気を持っていた。
まことしとやかに語られているのに、その実態が掴めない。

気にならないと言えば嘘になる。

皆が当然知っていることを自分だけ知らない、などなんだか癪だ。
しかし大々的に、知らなかった、というのも憚られる。そんな雰囲気があった。
皆、一生懸命なのだ。

だから感謝祭を明後日にひかえたある日、その女冒険者に話しかけたのは、楽しそうにマッティオラの花を携えた彼女には、そういった気負いが薄かったからかもしれない。
「ねぇ、聞きたいことがあるんだけど。」
「どうしました?」

知った娘だった。癒やし手の魔術師である。
「それはマッティオラの晩に使うんだろ?どうするんだい?」
「これは贈り物に添えてですね…。」

「贈り物をあげるのかい?誰に?」
そういえば明後日は感謝祭である。感謝祭の晩がマッティオラの晩なのか。
ふむ。分かってきたよ。
「はい。そうですよー。
私は、えっと…彼に。」

さすが人に直接尋ねるのは違う。ハールはそう痛感した。
あれだけ不思議だった謎が、どんどん解けていく。

「男に?一人だけに?あげるの?」
彼女の頬が真っ赤に染まる。
その理由は、ハールには皆目見当もつかなかったが。
「そういうものなんですよ!
確かに一人で何人にもあげる人もいますけど…。
女の子が男の子にあげる日なんです。」
「ふうん?」
祖国にも男の子の祭り、女の子の祭りがあった。そういう類の物なのか?

「で、何故あげるんだい?感謝祭とは別にだろ?」
「むしろマッティオラの晩の方が乙女には本番なんです。
何故って、それは……日頃の感謝とか…ごにょごにょ……とかを込めて…。」
「ごにょごにょ?」
「それは、あ…い………。
…もうっ!からかわないでください!
色々あるじゃないですか。要するに特別な気持ちを込めてですね…。」

ふむふむ、と腕を組んで一通り頷いたハール。
つまり、感謝祭の晩に“特に”お世話になった人に感謝を伝える、それがマッティオラの晩。
言わば真の感謝祭なんだね!

「そうか。勉強になったよ。このお礼はそのうちするからね!」
呼び止める間もなくハールは走り去る。
「あ、あの……ぇ?」
何かがおかしい気がする、と感づきながらも、その場に取り残された彼女にそれを正す機会はなかった。




城の外郭の一角、見張り台は城下を見渡せるように作られている。
見張りのシフトを把握しているハールは、探し人がここにいると知っていた。
まだ陽が高いこの時間、人通りは少ない。
その筈だというのに、近づくにつれて聞こえて来る断続的な声。

「つぁー、まじ寒い。
独りでこんなとこで見張りっつう現状が寒い。なんで当番がよりにもよって今日なんだっつの。
見張り終わったら直帰して飯食って寝るか。独りで。寒いし。
話せども話せども返事はなし。………さーむいー。心が。俺のガラスハートがアイスバーン!」
声の主は、探し人本人だったようだった。

ザッカ。自分の片腕であり、一部隊を任せている冒険者だ。
長々と呟いていたのは独り言だったらしい。

……聞いてはいけないものを聞いたかもしれないね…。

彼は道行く人々に目をやっている。心なしか背中が煤けて見えた。
「……ねぇ、ザッカ?」
「……………おっ?ハールさんじゃないっすか。」
帰ってきた返事は至極いつも通りの調子である。

「頼みたいことがあるんだ。
皆を集めてほしいのさ。」
「わーったっす。
なんかするんすか?」

えへん、と胸を張る。
「今夜はマッティオラの晩だろ。
皆でロディ様に感謝の思いを伝えるってのも、洒落てると思ってね。」
「マッティオラの…晩……に………みんなで…?」
「あっ、皆にも祝う相手がいると思うし、その時だけだよ!?自由参加だし!」

相手は一瞬理解不能な顔をした。
一気に不安になる。
あたし、なんかやっちまったのか?
計画を説明すると、すぐに彼は何かを理解したように頷き、満面の笑顔になる。

「…そういう事か!
いいっすね。じゃあ俺は皆に話通しとくんで、ハールさんは必要な道具を集めといてくれんっすか?」
「もちろんだよ!」

「そうっすね。
………マッティオラの晩は、大切な人に感謝の気持ちを伝えるイベントっすもんね?」
「お…おう!あたしだってそれくらい知ってるよ!」
大きく頷いたハールの後ろ姿を見送り、ザッカは一人ごちる。
やれやれと溜め息をつき、笑みを浮かべた。
「何かまた間違いなく勘違いしてんのな。
面白いから、いいけど。」






「何だというのだ。
ハールめ、俺様を呼びだしておいて自分はいないなど。」
「まぁまぁ、ロディ様。
そう仰らずに。」
吠えた王を、傍らの老従者が宥める。

執務を終え、指示された塔の一室にやって来たのだが、そこで彼らを待っていた者は居なかった。時間ばかりが過ぎていく。
さらに塔の最上部であるこの部屋は、確実に人が来るように用意された気配がなかった。
有り体に言えば、もの凄く寒いのである。
そんな王に対する気遣いの無さがハールらしいのではあるのだが。

「ハールの奴…!来たら問いつめてやる…!」
そう呟きながらも帰る気配のない王を、コラトは微笑ましい瞳で見つめる。夕陽が射し込んでいた。
「一体何の用事なのですかな。
わざわざ別室に招待されるとは。」
「俺様に分かるはずがないだろう。
今日は何かこそこそしていたようだが。」

ばん、と鼓膜を打った音に振り返れば、息を切らせたハールだ。
紅潮した頬が彼女にしては珍しい。
「遅い!」
ロディの叱責など意に解せず、つかつかと部屋を横切る。
彼女が窓に手を掛けると、冷たい風が室内に吹き込んだ。気勢を削がれる。

振り返った彼女は、背に風を受けながら叫んだ。
「ロディ様!コラト爺さん!」
「お、おう…!?」
「わしもですかな?」
にこ、とハールが笑う。

「いつもありがとう!
これは、あたしと皆からの気持ちだよ!」

窓が開け放たれる。
その光景に、思わず息をのんだ。
いつもの灰色な石造りの街並み。
その中、夕陽を受けて赤く光っている帯状の連なり。
弧を描いて城を囲むそれは、マッティオラの花のように見えた。

「これは……!」

帯を作っているのは一人一人人間だ。
磨き抜かれた鎧や武具は、夕焼けを反射し美しく染まる。
皆が手を振っていた。
鎧を身に付け武具を携える。戦いと同じ姿だ。
しかし皆が笑い合い、手を取り合い、リラックスして今日という日を楽しんでいる。
どうやら鍋などを被っている者もいるようで、参加者は確実に軍人や冒険者だけではないようだった。

ロディには、すでにハールに対する苛立ちなど綺麗さっぱり失われていた。
それどころか。

唇を噛み締めて言葉を探す。そうしていなければ、不用意な一言を漏らしてしまいそうだったからだ。

ぐちゃぐちゃに入り混じった気持ちは、言葉にするのは難しい。しかし不快なものではなかった。
「皆、俺様は___」

「間に合って良かったよ。
今日はマッティオラの晩だからね。」
「………?」
意味が分からずロディの思考が停止する。
首を傾げた彼に答えて、ハールも首を傾げた。

そっとコラトが告げる。
「ハール殿。
マッティオラの晩とは、娘が意中の男性に贈り物をし、思いを伝える行事ですぞ。」
「!?……なっ!?」
ハールは驚愕に立ちすくんだ。その表情は見る間に、青くなったり赤くなったりする。

「ち…ちが、知らな…!!」
あまりに慌てふためくものだから、何だか馬鹿らしくなって、溜め息と笑いが漏れる。
ロディは首を左右に振って見せた。
「だろうな。」
「うわー!!!!!」
耳を押さえてハールが絶叫する。
拍手と完成が城下から聞こえた。

ハールがコラトに慰められているのを尻目に、窓から身を乗り出してみる。
口を開くと、白い息が漏れた。
「…ありがとう。」
小さな呟きは誰にも聞かれることはなく。
しかし、ロディの胸には静かな幸福が残った。
自然と頬が緩む。

自分が守るべき民はここにいる。



翌日、面白半分に「実はロディ様に惚れていたハールさんが、ついに告白するから皆力を貸してくれ!!」とハールの計画を説明していたザッカが、ハールに全力で絞められる姿が目撃された。




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