学園・曇天、虹色地平線



放課後の美術教室。そこで一心に絵を描いている少女の後ろ姿に見惚れて、俺はずっと黙って眺めていた。
描きかけの絵を一目見てわかった。彼女こそがあの絵を描いた人物なのだと。

筆がキャンバスを撫でる単調な動きから生まれる生き生きとした世界。本当に世界はこんなにも美しいのだと信じてしまいたい気持ちになる。
使い古された表現であるが、まるで…魔法みたいだ。
夕暮れの光に照らされて彼女がキャンバスを片付け始めて我に返る。ひとりまたひとりと美術部員が帰っていく中、気がつけば教室は俺と彼女だけになっていた。

彼女はこちらへ背を向けたままだ。おそらく話し掛ける機会は今しかない。
「ちょっといいかな?」
よう顔貸せ、なんて口調ではなかったはずだが。俺が言った途端びくりと彼女の肩が揺れる。俺に気がついていたようだった。

確実に警戒して彼女は振り返る。顔を見たのは初めてだった。制服の襟のマークから二年なことが知れる。一個下なのな。
「…何ですか?」
やはり少女の表情は強張っていた。それと同時に浮かぶ表情は疑問。なるたけ平和的に話しかけたつもりだったのだが。怯えさせる気はなかった。
やはり話しかけるのは止めた方が良かったか…?

まぁそもそも俺には何もしないと信用してもらえるような要素がない訳だが。俺のつんつんと立てた髪や着崩した制服が周囲にどんな印象を与えるかは知っている。だから初対面なのにあんまりだろうとは思わなかった。

「君は入巣(イレス)濯子か?」
俺の問い掛けを聞いた途端、彼女は今の今まで描いていた絵に目をやる。まだ描きかけなので当然署名は入れていなかった。
「どこでそれを。」
見るからに怯えている。普通そうだわな。俺みたいなのと夕暮れの教室で二人きり、しかも急に名前を当てられる。フォローしようと慌てて話を続けた。

「こないだの学園祭で君の絵を見たんだ。右端に並べてあったろ?言ったら何だが、それでここへ転校しようと思ったんだぜ。
どんな人かと思ってたんだけど、会えて光栄だ。」
「…いえ、そんな。」
遠慮がちな言葉は嬉しそうだが、彼女の顔から警戒が消えた訳ではない。それでも喜びと好奇心が勝ったようだった。

「あの…私の絵、どう思いましたか。」
「へ…」
まあ、学内のちっちぇー美術部員的には、部員じゃないファンの意見を聞きたいというのはもっともだろう。しかしあいにく俺には絵を語れるような知識なんてゼロだ。美術の時間をフケずにちゃんと話を聞いときゃよかった。
流れる冷たい汗。じっと俺を見ている彼女。どんな強敵に対する喧嘩でもこんな気持ちになったことないぞ。格好悪ぃ所は見せられない。
思い出すんだ、俺は今まで彼女の絵を見て何を考えてたんだ?
何とか発せたのはたった一言。

「何を追いかけてんの?」

「…」
彼女は苦笑した。
…笑われた。内心ヘコむ。いつもなら啖呵をきるところだが、覇気が湧かない。何故か彼女に対してはそんな気持ちにならなかった。

「そっちで座ってお話しませんか?」
彼女は黙ったままの俺に言った。
「お名前は?」
「玲。武尾玲。」
「玲さん。私は入巣(イリス)濯子です。」
…名前を読み間違えていたらしい。本格的に格好悪りいな、俺。

「いつから転校して来られたんですか?」
「…一週間前。」
彼女の質問の意図が分からない。ぶすっと答えていた。だが彼女は全く物怖じせず、むしろ楽しそうに微笑む。

「分からないことがあったら、いつでも聞いてくださいね!」

次回、中等部の外国の王家の血をひく少年、楽洲務(らしゅう・つとむ) 登場。学園生活大波乱の予感!


2009.10月まで。一代目。

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