虹色番外 花香る庭で



サラフィー(三話「魔術公国の鷹」、番外1「魔術公国の龍殺し」)とフローラ(五話「緑の公国」)の過去話。






ブールは春の気配に満ちていて、深呼吸するたびに夢心地になる。離宮の庭園に咲き乱れる花々の間に置かれた椅子に腰かけ、サラフィーは静かに本を読んでいた。
「サラフィー姉さま。ここにいらっしゃったのですね。」
桜色の衣を纏った娘が駆けてくる。視線を上げたナレーク女王の娘は微笑んで、本に押し花の栞を挟んで閉じた。

「フローラ。もう御用は済んだの?」
「はい。それにブール国王様がお話があるのは、お父様とお兄様にですもの。私ってばお姉さまに会いたくて、御挨拶がすんだらすぐに駆けて参りましたの。」
舌を出してはにかんだ青い髪の娘はサラフィーの隣に腰かけた。二人とももう二十の齢に達しようとしてはいるが、まだ年頃と呼んでいい娘たちである。少女めいたくすくす笑いを交わし合った。
本日はブール国王に招かれて、近隣諸国の王族がこのブールの離宮に集まっている。ブール国王の時期後継者となる少年の顔見せのためにだ。サラフィーはナレークの女王である母に、フローラとその兄はリドミの国王である父に連れられてここを訪れていた。このような集いがあるたびに幼いころから顔を合わせていた二人は、年が近いこともあり自然と姉妹のような関係を結んでいた。

「何の御本をお読みになっていらっしゃるの?……うわぁ。」
サラフィーの前に積まれている数冊の本の題名だけを目で追って、フローラは淑女らしからぬ声を漏らす。
「そう嫌そうな顔をしないの。いずれ貴女にも必要なものなのですから。」
こんな所にまでサラフィーが持参し、学んでいたのは俗にいう帝王学の分野の本である。女系の公国の王女であるサラフィーはナレークの次期女王であり、実質既に一部の執務を引き継がれている。未だ執務の勉強に励んでいるとはいえ、国内では既に女王位が引き継がれるのもそれほど遠くないだろうと言われている。
「むー。私はお兄様が分かっていらっしゃるからいいかなって。」
「こらこら。」
サラフィーは笑い声をあげながら妹分を諌めた。リドミの王位継承には複雑なものがあるようだが、七つも年が上の兄が王位を継承すると半ば決まっているようだし、フローラがそう思うってしまうのも無理はないだろう。

会話が途切れる。フローラはじっとサラフィーの柔らかな銀髪に目をやり、尋ねた。
「そんなことより姉さまは、旦那様を放っておいてもいいのですか?」
「ええ。あの方は私のことを良く分っていてくださっているから。」
‘あの方’と口にした時、僅かに温かいものが胸の中に湧き上がって、サラフィーは胸元にそっと手をやる。
つい先日、サラフィーは婿を娶った。ナレークでは王女と才長けた魔術師を夫婦にし、それを国家の礎として即位を行う風習がある。

返事の意味に理解が及ばなかったフローラは困り顔で首をかしげる。そんな彼女のためにサラフィーが続けた言葉は、相手との時間が自分にとって特別だという意図で発された思いやりだった。
「優しい方なのです。私が何を一番に考えようとしているかをよく御存じだからこそ、私が“ただの私”でいられる貴女との時間を邪魔したくないと思ってくださっているようですよ。」
しかし、それを耳にしたフローラの表情は目に見えて曇る。それに気づきながらもかける言葉を見失って、サラフィーは困ってしまった。

「姉さま。私は、私は――ねえ、姉さまは姉さまの旦那様のことを、どうお思いになっていらっしゃるの? 他意は、ありません。参考までにお聞きしたいのです。」
無理に娘は笑顔を作ったが、取り繕っても切羽詰った雰囲気はぬぐえない。ナレークの王女は誠意をもって答えようとする。
「あの方が私を奪ったのではなく、私があの方の人生を奪ってしまった。そう知りながら共に歩もうと誓ってくれた。優しい人。
ただ一人の、私の協力者。半身です。」
一人の女であるという自分を捨てて、一番に国民のことを考える王になる。それにはとてつもない苦難が待っているだろう。でも、彼となら乗り越えられる。
「時に私が彼の杖となり、時に彼が私の肩を支える。こんな人は、もう二度と、ない。…これで答えになっていますか。」

黙してそれを聞いたリドミの王女は、口を閉ざしたまま俯いた。
「何か悩みでもあるのですか? 相談してごらんなさい。きっと力になりますよ。」
「…………私は、姉さまになりたかった。それはやはり無理なことで、不出来な自分が自分を苦しめるのです。」
妹分の眼差しは酷く思い詰めている。相手の聡明さを知っているからこそ、安い慰めが本当にその安らぎになるのか分からず、サラフィーは言葉に窮した。
「貴女は不出来などでは…ありません。」

「好きな人がいるんです。姉さま――きっと私は、悪い娘になりますわ。」
普通の娘が言う時と王家の娘が言う時では、全く意味合いが違ってくるその言葉。

「許されない相手なのですか?」
「ええ。」
「なんとか、ならないのですか。」
それは相手を国王に認めさせようという意味なのか、慕情を諦めろという意味なのか。分からないままに滑り出た言葉に、フローラは微笑みで返す。
「姉さまも御存じでしょう?
私が結ばれる相手は、私には与り知らぬところで決められます。従弟のリューシでしょうか、年は離れてはいますが叔父のコーラルでしょうか。それどころか、今日お会いしたブール国王様の御子息かもしれません。でも、どなたにお父様のお気持ちが傾こうが、私にとっては同じことです。

……彼以外が一番の私など、存在しないのですから。」
言ってはいけないことだった。だからこそフローラは、サラフィーと同じように自分もこの時間を特別だと感じていると、行動で示したことになった。

「私は、捧げられるよりも捧げたいのです。傷ついて眠るあの人の寝床になってあげたい。彼とあの子たちとの優しい時間を守りたい。それが私の願い。」
「それは。」
「民と彼を並べられたら、私は彼を選んでしまう。私はきっと、捨てますわ。リドミの王家を。緑の民の血脈の者であるという先祖代々の誇りである地位を。
いざそうなれば、彼は自分を責めます。そういう人なんです。私はもう、どうすればいいのか分かりません。」
それは決意めいた予感だった。

フローラを引き寄せて、サラフィーはその肩を抱く。怯える子供を嵐から守るように。青ざめた表情からは、その内に燃え上がる炎が窺えた。
咲いた花なら、自由に咲かせてやっていいのではないか。そう言葉をかけられない理由を、サラフィー自身も持っている。
気の利いた慰めも、有効な打開策も見つからないまま、銀の娘はただ青の娘の身を案じた。燃える様に鮮やかに咲き乱れるがため、己自身も燃やし尽くしてしまうのではないかと。


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