知識樹の奏<天の書> 第一章 天の民


碧く美しい空が水面に映る。
<この地>を包む滝。この滝は地から天へと流れるのだ。滝の傍らにたゆたいながら、ひとり私は歌いはじめた。
明日からは半年に一度の<祭>。あの地の友人方フィロダージと半年ぶりに会うのだから、天の知識ある者フィロティエンの名に恥じない歌を披露しなくてはならない。

天を震わす高音、地を涙させる低音。気を緩ませず朗々と歌い上げる。
音を奏でる喜びが空を満たし、集結し、一曲が終わりを告げた途端。すぐ側から声がかかった。

「明日の練習?」
「そう。」
歌に集中していたから気がつかなかったらしい。いつの間にか美しい同族が側の雲に突っ伏しながら優雅に尾を振っていた。
「シャルアンは元々歌がうまいんだから、そんなに練習しなくてもいいんじゃないかな?」
「君が練習しなさすぎなだけじゃないか…?」

こちらを上目遣いで見上げ、ふわふわと羽をはためかせるオディア。そのすべらかな背中に斜めにかかった長い金髪が、彼が頷いた拍子に前に流れた。
「そうだった。呼びに来たのに思わず聞きほれてしまってたよ。さすが<若者>の中で一番の歌い手だね。」
そういう彼の姿は<若者>達の中で一番美しい。

「用件は?」
楽しい時間を邪魔されるらしい。ちょっとムッとしながらも尋ねる。
「<文化大使>が集められてるみたい。」
美しさにはそれなりの責任が伴う。自分が<若者>の中から<文化大使>に選ばれたのもそうだからだ。

オディアは続けた。
「なんでも<外>から<異邦者>が来たんだって。」
「<外>から!?」
思わず身を乗り出す。そんなこと滅多にない。少なくとも自分が<文化大使>に選ばれてから初めてだし、自分自身も<外>に行ったことなどない。

「今すぐ行って見て来る!」
「行ってらっしゃい。野次馬全開だね。」
「そんなんじゃ無いって!」
つい、と身体を解いて空へ滑り出す。自然と身体が急いだ。
何だか面白いことが起きそうだ。



<地上>へと舞い降りるのに時間はさほどかからなかった。<天>から<地上>にわざわざ来るのは<祭>の時でもない限り無いが、木漏れ日に包まれ<天>よりも緑の色合いが濃いこの空間はどこか懐かしくて好きだ。そして我らがゆりかご、母なる知識樹の下からの眺めは一層その存在感を強めており、懐に抱かれている自分がちっぽけに思える。
<地上>には地の友人方フィロダージ天の眷属フィロティエンもすでに集まっていた。結構大きな騒ぎになっているようだ。
輪の中に見知った顔を見つけ、人垣を飛び越え声を掛ける。

「ジュリアスさん。」
「やぁシャルアン。」
軽く手をあげて答える白銀の瞳のフィロティエンは、<文化大使>の先輩であるジュリアスさんだ。まだ正式な任命がまだな私に色々と教えてくださっている。
そしてそのジュリアスさんと二人のフィロダージの集まった大樹の太い根に寄り掛かるようにまるくなった一人の<異邦者>。どうやら眠っているようで、ゆったりとした衣の胸の辺りが規則正しく上下していた。
その<異邦者>についてはどう言えばいいだろう?<天>の我々にも<地>の方々にも似ていない。透けるような羽も流線形の尾も備えていないのだ。

しかしなんという色だろう。
優美に弧を描く頬や、寝息をたてる艶やかな唇や、細く華奢な身体は<私>達には及ばないが美を備えていると言っていい。
だが、彼は天から舞い降りた光を思わせる鮮やかな髪をしていた。こんな色した生き物見た事がない。

ジュリアスさんは私を見るなり何かを思い付いたように頷き、隣のフィロダージに話し掛ける。
「こういう時はフィロダージ、フィロティエン両方の世話役がいたほうがいいでしょう。」
そのフィロダージ、<文化大使>のクテンさんも頷いた。黒くたっぷりした毛皮に長い耳、つぶらな瞳。我々とは全くタイプが異なるが、この隣人の姿は愛らしくて結構好きだ。
「早速で悪いね。
シャルアン、君にこの<異邦者>の世話を任せていいかい?」
「…世話?ですか?」
「そうなんだ。
僕とクテン殿は<祭>の準備をしなくてはいけないからね。彼も目が覚めた時に困るだろう?」
ジュリアスさんはクテンさんを手で示す。

「本当は<祭>の間に<来訪者>を<国>にいれるなんて<特例>なんだ。
でも倒れていたのを助けたのも何かの縁だしね。」
<入り口>の辺りに倒れていたのを、<文化大使>として<外>に行っていたジュリアスさんとクテンさんが見つけたらしい。

「君にはこのホテイくんと協力してほしい。言わばこれも<祭>の一環、<文化大使>の仕事だよ。」
「はい!」
世話役になれば沢山<異邦者>と関わる機会があるだろう。<外>の話とかも聞けるかもしれない。断る理由はなかった。
私はもう一人のフィロダージ、ホテイさんに目を向ける。見覚えはない。初対面の相手である。
「よろしくお願いします。」
身をかがめて相手と視線を合わせた。フィロタージと組んで何かをするのも初めてだ。



もじもじしたフィロダージと視線が合う。顔をあげた拍子に長い耳が揺れる。私達とは違う小さな瞳。ミステリアスなそれは黒曜石のようだ。
じっと見ていたら吸い込まれてしまいそう。
そのまま覗き込んでいたが、相手が何も話さない事に気付く。…しまった。不躾だったかな。
「…あの。」
謝った方がいいかも。

声を掛けると、艶やかな毛並みの顔がこちらを向いた。
「はじめまして。明日<文化大使>に<任命>されるホテイと申します。お会いできて嬉しいです。」
自分達のようなきらきらしさはないが、どこか素朴で落ち着く声でホテイさんは話す。大地の音色ってやつかもしれない。思わず微笑んでしまう。
おっと、ぼへっとしてはいけない。失礼の無いようにしないと。

「はじめまして。同じく明日<文化大使>に<任命>されるシャルアンと言います。こちらこそ、お会いできて嬉しいです。」
手を差し延べるが、どうも相手はためらっているようだ。どうしたのだろう…<地>にも握手の風習はあったはず。
ホテイさんは手を腰の辺りで拭いた。<地>の方は礼儀正しいんだな。
なるほど。気をつけるべきだった。今からでも拭こうかと思ったが逆に失礼かも。考えなしに手を差し延べてしまった自分に後悔する。

それでもホテイさんは私と握手してくれるらしい。
触れた小さな手は柔らかく温かかった。



遠くで祭の音が聞こえる。今は準備中で本当の祭はまだ始まっていない事を知りながらも、どうもあの場に自分がいないのに釈然としない。
<文化大使>になって初めての祭だ。<文化大使>になったのだから、これから祭の準備なんて何度でも経験できるだろう。それでも初めての祭はたった一回きり。

不思議と惜しさは感じなかった。
今の状況みたいに<異邦者>と関わる事はこの先もう二度と無いかもしれない。
<異邦者>はほとんど身動きもせず眠り込んでいた。繊細で穏やかだが、やはり<私>達と異なる雰囲気を持つ。動の美に対する静の美。
その姿は<天>から見た太陽のプリズムのようで、目が覚めた時が想像できない。

「ホテイ!それにシャルアン殿!」
やってきたのはクテンさん。準備はあらかた終わったのだろうか。とてとて走ってきたモフモフの毛玉は言う。
「見張りをありがとう。<任命式>の予行が始まるから、<舞台>に行ってくれ。」
「「わかりました」」
二人分の声がハモる。フィロティエンの誰ともなったことのない響きは思いの外楽しい。それはこれからのわくわくする日々を想像させる。
そしてふと実感した。

予行の後には当然本番がある。<祭>では<文化大使>の任命式も行うのだ。

今さら心臓が跳ね出す。
…予行の予行をすればよかった。
「あ、ホテイ。そのまま何かやることがあったらやっておいで。僕の役目は終わったし、ジュリアス殿も来てくれるから。」
クテンさんがホテイさんと話しているが半分も頭に入ってこない。…まず気を楽にして、イメージトレーニングしてみるんだ。

「貴方もね。シャルアン殿。」
「…はい。」
クテンさんにこっちへ振られて一瞬固まった。何となく耳に残る断片から内容を推測する。
同じ立場なのに弱音一つ吐かないホテイさん。その横顔はとても頼もしい。自分もしっかりしないと。

「明日から、しっかり頼むよ。二人とも。」
「「はい!」」
ホテイさんと声が揃う。いよいよフィロティエンを代表する<文化大使>としての毎日が始まるのだ。
そんな意味にとったこの言葉は、後に思わぬ形で私に影響することになる。

知識樹の白花が揺れる。祭はもう、すぐだ。


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