知識樹の奏<天の書> 第二章 任命式


緊張の為か<文化大使集会>では眠くなってしまった。目を開けたまま寝てしまっていたらしい。
頬の違和感に意識が戻ってくる。目を射す光に目をこすった。

「うっ…!?あれ?」
「お目覚め?それともまだ薄紅色の吹雪の中にたゆたっていたいか?」
「それは春のうららかさの表現?それか血が出るまで叩き起こすって意味?」
もう朝なのか?会議は夜明け前に行われたはずだったんだが。

私を小突き起こしたフリックは呆れた目で見てくる。他の人達はめいめい思い思いの場所で会話だの何だのしているようだ。こっくりこっくりやってたのは私だけだったらしい。
「緊張感がないね。<祭>のプログラムの最終確認中に夢の世界にアウェイできるなんて。
どこ変わったか分かってる?」
「…教えてくれる?」
舌打ちされた。
「君はライバルに頼られまくる僕の虚しさを考えた事があるのか?」
そう言いながらも教えてくれる。

「これで<奏>の才能は確かなんだからなー…」
何事かぼやいているが上手く聞き取れない。
「何か言った?」
「べーつーに。」
別にって顔して無いよな?

むっつりしたフリックは、向こうからやってきた人を見るなり見違えるように笑顔になる。
「やぁっ、フリック!シャルアン。」
「ウィレさん!」
「二人とも調子はどう?
緊張してるんじゃないかい?」

やってきたウィレさんはフィロダージには珍しく髪を短く切っている。
ウィレさんはがっしとフリックの手を握った。凄い勢いに一瞬フリックが怯えたのをどう考えたか知らないが、熱く元気づけ出す。…目が輝いてる。
「緊張しているかと心配して来てみたが、思った通りだったね。
君は、熱いものを心に持っている!青春はいつだって回り道さ。昔のボクを見てるようだ。
とにかく頑張れ!頑張るんだ!」
「は、はいっ!」
「声が小さい!」
「はい!」
そんなやり取りを何度か繰り返す。

今まで<主祭者>をやっていらしたこの人は…なんというか熱い人なのだ。
新しい<文化大使>は、その時<文化大使>である人が見込んだ新人に<文化大使>を譲ることで生まれる。このウィレさんにフリックは<文化大使>を譲って頂いた。
若いフィロティエンから<文化大使>に選ばれたのは私とフリックのみである。偉大な<文化大使>の方に見込まれたと考えるだけでプレッシャーだ。

フリックを解放したウィレさんは、今度は私の方を向いた。腕組みし怪訝そうに言う。
「テューダさんは何をやってるんだ。ここは励ましに来る場面だろう。慣例的に考えて。
全く、たるんどる!」
「いえ、先生もお忙しいでしょうから。」
「いーや、指導者の不備も結果に影響するんだぞ。」

私に<文化大使>を譲ってくださったテューダ先生の役職は<学者>だが、<教師>を兼任していた頃に私とフリックを教えてくれた恩師である。思えばあの頃からフリックは私をライバル視して来たんだよな。
「ボクは君を指導して来たのではないから的確な事は言えないかもしれないが____シャルアン。」
「は、…はい!」
「君の持つ可能性の蕾がどう花開くかは君自身にかかっている。青春に迷いを感じた時は、夕日に向かって走る事をお勧めするぞ!頑張れ!」
「はい!」
「頑張るんだ!」
「…は、はい!」
三度くらい繰り返した。フリックより数回少ないのは、一応先生に気を使っておられるかららしい。

「じゃ、式でな。」
目一杯応援するだけするとウィレさんは満面の笑顔で手を振って去って行った。有り難いけどちょっと重い。



<任命式>は祭りの中盤にある。それまで私に出番は無いから自由にしていていいのだが、ぼんやり喧騒を眺めているうちに過ぎてしまった。
先任者として同じ舞台に上がるはずのテューダ先生の姿はまだない。
舞台袖でスタンバイする。舞台上では先任者同士と後任者同士で組にされてしまうので、先生と会話するチャンスはもうないと思えた。
同じくスタンバイしていたフリックは私にしか聞こえないように耳打ちする。

「<奏者>に選ばれるのは僕だからな!」

振り向けば自信満々の笑顔があった。
「そうは言っても二人とも<奏者>に選ばれるかもしれない。前例がない訳ではないよ。」
「それは…僕らの音楽センスから考えれば当然だけど…
とにかく君には負けないから!」
相手は形良い唇を結び真剣な面持ちになる。その姿に、ウィレさんのお陰で何処かへ行っていた緊張が帰って来た。
ホテイさんは反対側の舞台袖でフィロダージの面々とスタンバイしているのだろうか。
リハーサルと同じだ。もうあと僅かで舞台に上がらねばならない。その緊張の中、後ろから誰かが私の名前を呼ぶ。

「シャルアン。」
「先生!」
ウィレさんの横から手を振る細身の人影。呼び返すと、先生はほっとしたように柔らかく笑った。
「楽しんでおいで。」
初めて正式な<文化大使>として皆の前に立つこの式を。

フリックが私の腕を引っ張った。
「出番だ。行くよ。」
石造りの舞台に上がる。視界が開けた。
向こうから上がって来たホテイさんが見える。どこか安心した表情を浮かべる相手に、緊張がほぐれてゆくのを感じる。
式が始まった。



フィロティエンの<長老>が厳かに告げる。私達<若者>には偏屈爺さんで有名なのだが、威厳に満ちた姿はそんなこと微塵も感じさせない。
「これより、<任命式>を始める。<祭>で<文化大使>の任から降りる者。テューダ殿、ウィレ殿、クジュ殿、シアモ殿。」
「「「「はい。」」」」
私達は<文化大使>に着く者と降りる者に分かれ、横一列に並んでいた。
四人が一歩前へ歩を進める。

フィロダージの<長老>が告げた。
「<後の奏>を。」
斜め後ろから<文化大使>として最後の<奏>に向かおうとする先任者達の表情が伺えた。緊張した面持ちの者、ゆったりした笑顔を崩さぬ者、冷静なまなざしの者、涙を堪える者と様々だ。
<文化大使>の任は<奏>に始まり<奏>に終わると言ってもいい。
始めの一音で心が震えた。誰もが自分を主張しながらも、互いに互いを高め合う。個々のレベルなど既に問題でとしない音楽がそこにあった。
名残惜しいほどすぐに<後の奏>は終わってしまった。それは役目を終える方々への名残惜しい思いにも似ていたかもしれない。

「<証>をこちらに。」
役目を終える四人が首に下げていた<証>を外す。後方へ向き直った。
舞台の後方に流れている<滝>は遥か昔から<文化大使>の式を見守って来た。<滝>の水面を流れる白花と同様に。
<証>を掲げると<滝>が左右に開き、中にある<知の棚>が姿を表す。<証>を避けて開いた<滝>は<証>が<知の棚>に置かれても閉じようとはしなかった。風に舞う飛沫が光を反射してキラキラ輝く。
<滝>に洗い流されるように<証>は今までの色を失った。

「では、<知の意志>に感謝と祈りを。そして次なる<文化大使に>祝福を。」
役目を終えた一人のフィロダージが言った。
「次なる<文化大使>シャルアン、フリック、ホテイ、エヒズ。君たちに<知の意志>の加護がありますよう。」
まっさらなページを思わせる、透明になった<証>を<地の棚>から受け取る。新たな<文化大使>の誕生を見届け<滝>はゆっくり閉じた。
「では、<先の奏>を。」

遂に来た。
リハーサルでは失敗はしなかった。だが、満足に歌えたのでもなかった。
これが<文化大使>としての私の始まり。中途半端なものにはしたくない。
フリックが一瞥を送って来る。始めの一音が、今叩かれた。

フリックの声がリハーサルより伸びている。咄嗟に張り合おうとして思いとどまった。
<先の奏>は一人で歌うものではない。それを私は<後の奏>から感じたから。

心配したよりあっさりと<先の奏>は終わりを告げた。
前には出なかった。でも今までで一番の出来だったと思う。
「では、それぞれの任を言い渡す。」
厳かに式は進む。遂に<文化大使>の<使命>が言い渡されるのだ。
数多くある<使命>の中から、ずっと<奏者>を志望して来た。多くの子らに自分の感じる<奏>を伝える事が出来る、<奏>の第一人者。<奏>を愛する者の中では大きな憧れだ。私と同じくフリックの憧れでもあった。

「フリック殿は<教師>の任に。」
…<奏者>じゃないんだ。
始めに告げられた友の任に、その実力を良く知っているからこそ動揺が走る。

「エヒズ殿は<先導者>の任に。」
夢に手が届くか届かないかといった瀬戸際では、友を気にする余裕はなかった。

「シャルアン殿、並びにホテイ殿。」
「「…はい。」」
一人ずつではない?
戸惑いながらの返事がホテイさんと被る。確かにホテイさんの演奏は素晴らしかった。
しかしどこか違和感を感じる。わきあがる不安に空気が痛い。

フィロダージは言い渡した。
「二人には<異邦者>の<世話役>の任に。」
思わず声が出る。

「<異邦者>の!?」
<奏>が関係ないとかいう以前に。
そんな任、知らない。



歓声に顔を向けると、向こうに人だかりが出来ているのが見える。高台になっている舞台上から見ると、その中心にいる<異邦者>が見えた。いつ起きたのか知らないが、状況が分からなくて戸惑っているのが良く分かる。
「丁度目が覚めたようだな。<異邦者>殿。」
<長老>の声に<異邦者>がこちらを見た。

目が合った。

紅く色付いた木の実よりなお赤い瞳。フィロティエンにもフィロダージにも無い色。
「心配なされなくともよい。貴方の体が本調子に戻るまで、この二人が貴方の世話をする。
分かるかな?」
<異邦者>はこっくりと頷いた。その時には既にその瞳は自分から逸らされていた。それなのにあの赤が頭から離れない。

見入られてしまったみたいだ。


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