魔術公国の龍殺し 1 初めてのパーティ


町の外で星空を見るのはいつぶりだろう。炎の揺らめきに照らされて佇む静かな夜は心地よい。青年は身体を丸めるようにして夜空を仰いでいた。
「レイ。」
「…はい!?」
ぼうっとしていた彼が自分の名を呼ぶ声に反応するには暫く間が要った。振り向いた先には口髭の男。緊張した青年の返答に彼は頭を掻いて笑う。

コニスティンさん。
心中で相手の名前を確認する。腰に斧を下げたままの彼は紛れもなく冒険者なのだ。俺みたいな駆け出しではなく。
「そう畏まるなよ。おっちゃん恐縮しちゃう。」
「いや、そんな、とんでもない!」
カップを両手に寄って来たコニスティンは、慌てるレイに片方を渡す。レイの唇は無意識の内に声をたてず動いていた。
…温かい。

「星見るのが好きなの?
それとも町が懐かしくなってるのかい?」
町、というのはレイが冒険者の卵として過ごした町のことだろう。彼はコニスティン達の冒険者パーティに加入し、そこを今朝旅立った。冒険者はそんなに長く一つの町に止まらない。絶好のチャンスである募集を知っての即決。それはたったの二日前の事だった。
「…いえ。」
郷愁に襲われるには早すぎる。微笑んで答えた脳裏にちらりと、旅立ち際の同級生の少女の泣き顔が浮かんだ。彼女は何かを言おうとして止め、精一杯といった動作で手を振った。彼女は何を伝えようとしたのか。
…いや、今はそれよりも。レイは一瞬飛躍した思考を打ち消す。

「これからのことを考えてたんです。」
「そいつは頼もしい!」
にこにこと彼は笑った。随分フレンドリーな笑顔である。なんとなく頼れる気がする。
だがそのままコニスティンは黙った。妙な雰囲気が流れる。これは今朝からずっと断続的に続いていた。その為レイには彼が次に何を話出すのか予想はついている。

「…いいのかい?まだ引き返せるんだよ。」
「何度言われても変わりません。俺は絶対に冒険者になる。覚悟はあります。
そもそも仲間が欲しくて募集したんじゃないんですか。」
苛立ちからかぶっきらぼうな口調になった自分に動揺する。何度も何度も言わせないでくれ。そんなにすぐ揺らぐ決心じゃない。

「こんな子供が来るとは思わなかったんだよ。」
ほっとけない子供に対するような心配気な視線。冒険者学校もちゃんと卒業した。俺はそこまでガキじゃない。
「俺よりもあの人らの方が子供じゃないですか!」
彼以外のこのパーティのメンバーは皆俺より年下、少なくとも同じくらいに思える。納得できない。
「そういう意味じゃないんだよ…。」
言葉を濁すコニスティンに詰め寄る。冒険者として以外にあの町に戻る気はない。もう心中に持て余すこの衝動を燻らせ続けるのは嫌だ。
「じゃあどういう意味なんですか!」
「…うーん。」

暫く彼は考えるが、明確な答えはなく言い淀んだ。言葉を選んでいたのかもしれない。
「…わかった。おっちゃんは君を一人前として扱おう。
だから代りに、もう駄目だと思ったら脱退するって無理せずに正直に言うんだよ。約束だ。」
変な約束。脱退がどうこうって今までの子供扱いと変わらないんじゃないのか。だがこれでも彼なりの妥協点のようであり、断って話がこじれるのは望ましくない。取りあえず承諾した。自分の事はこれからの冒険の中で分かって貰えばいい。
「はい。」
彼は困ったように笑った。



どこだここ。
起きたはいいが地面にぺったりと座り込んだまま茫然とする。くるまっていた布を払いのけ考えた。紛れもない朝だ。でもいつもの寝床の中ではない。…外? さやさやと風が木を揺する。
「ほらレイ!水!」
「ううっ…分かったよ。」

起き抜けに鍋を投げられる。反射的に掴んだがこれで水を汲んで来いと言うことか。見上げた先には紅髪の少女。わりと前から起きていたのか、すでにおさげ髪は結われている。裾の短い魔導師服を来た彼女は、ふんと笑い指を突き付けてきた。
「これから毎朝水を汲んで来るのがレイの仕事だから。」
「わかった。えと……リィナ。」
レイ、レイと連呼され、なんとなく相手の名前を繰り返し頷いた。すると彼女は随分意外そうな顔をする。
「どうしたんだ?」
「なんにも。ご飯の時間が遅くなるじゃない。早く行って来て。」

ぐずぐずしていると手に持った薪を投げ付けられそうだ。ここまで来るのに地図を持っていたのは自分だったため辺りの地形は分かっていた。パシリとも思える仕事だが、これくらいなら別に気にならない。
朝の光に照らされる水面は随分綺麗だろう。だが水辺は危険だ。水を飲みに来ているのが自分だけとは限らない。どんなモンスターと遭遇するかわからないのだ。

授業で習った事を思いだし、身近に置いてあった武器を拾う。それに目をやったリィナは尋ねた。
「…あんたって二刀流なの?」
「まあ、そうなるね。」



旅に持って行くのに邪魔にならないような軽量の鍋でも水を一杯に満たすとわりと重い。微妙な重量はへばる程ではないが、毎朝早起きしてこれを運ぶと考えると気が滅入る。キャンプに戻ると他のメンバーは既に起き出していた。
「レイ、ご苦労さん。そこに置いて。リィナ、出番だ。」
コニスティンに指示された場所に鍋をおく。お玉を持った彼の采配に従っておけば良さそうだ。
そのとき悲しそうな声が聞こえた。

「僕の仕事がない…。」
目にかかるくらいの髪の細面の少年はしおしおと呟く。コニスティン、リィナ、ときたメンバーの最後の一人だ。
「水汲みは新入りの仕事だって言ってたじゃない。」
「でも僕だけ仲間外れ…。」
リィナに頭を撫でられ頬を膨らませる。俺、子供の仕事を取っちまったのか?どうやら俺のせいでご機嫌ななめらしい。甘え上手というのか、言ってる事はわがまま丸出しなのに子供特有の愛らしさを感じさせる。実質働いたのに悪い事したような気持ちになった。
「マッピングも僕の仕事だったのに…」

「ごめんな、…えと、マルコくん。水汲みは…」
「いーや、お前にやってもらう。
それからマルコさんって呼ぶの!ボクは先輩なんだから!」
言いかけた言葉を遮って少年は指を突き付けて叫んだ。
訂正。可愛げのないガキだ。
年上の実力というものを見せてやろうかと思ったが、腰に手をやったポーズで偉ぶる子供相手に大人気ない。入ってすぐのパーティーでゴタゴタをおこすのも本意ではない。自制だ自制!

「ほらほらお前たち。喧嘩しないの。
リィナ、いつもの頼むよ。」
保護者以外の何者でもないコニスティンの台詞に、むくれた子供は走り去る。コニスティンの後ろに隠れた。まるでお母さんと子供だな。
それを溜め息をついて見送り、魔術師の少女は両手を構えた。

「荒ぶる光、猛火の主。暗闇に決別せし太古の光は揺らめく影を生み出す。
“柱火”」

呪言とは明らかに違う。唱える言葉に呼応して大気がざわめく。これが呪文。呪文の前唱は威力を高めたり魔力の消費を抑えたりする効果があるらしいが、この場合前者のようだった。
薪と薪の間にゆらりと立ち上がった赤い炎は、静かにしかし猛然と燃え始めた。呪言では物に属性を付加する事はできても、こう容易く元素を具現することはできない。
「今日は曇ってるからこんなものね。」
この辺りにいる炎の精霊の数が少ないのだろう。つまりはいつもの炎はもっと凄いってことか?

これで十分凄いと思うが。感嘆の息をつき眺める。すると薪に燃え移った火の上にコニスティンが鍋をセットした。
「始めは強火、指示したら中火にするんだぞ!」

…マッチの代わりなのか!?

使える人材が滅多にいない非常に強大な能力を惜しげもなく使った朝食…カルチャーショックにどう反応していいのか分からず硬直するレイに、コニスティンは照れたように笑いかける。
「いつもこんなことをしてるんじゃないんだぞ?今日は湿気で薪が良くなかったから。」
いや、飯に使うという発想自体に戸惑っているんだが。だが笑顔に牽制され突っ込めない。

「落ち着け…自分…そーだそーゆーもんなんだ…その方が便利だもんな、多分…」
「全部漏れてるんだけど。」
「ちびっ子は黙って!気が散る!」
有無を言わさぬ口調、しっしっと振られる手。理不尽な返答にマルコはやれやれとばかりに両手をあげた。
「まあまあ。皆ご飯にしよう。」
「はいっ!」
コニスティンの仲裁には素直に返事するレイ。リィナは呆れたように言った。

「レイ、あんたって多重人格よね。」



食後、北大陸地図を広げる。北大陸地図は、盆地と川に分断された大陸の下半分の地図だ。
コニスティンがなぞるにつれ赤い線が街道を示す線上に引かれた。これは赤鉛筆を持ったコニスティンだけでなく、このパーティーでの習慣らしい。
「ここから街道に入る。街道を辿ればおそらく二日かからず魔術公国領に入れるはずだ。目指すは首都ツュジ。」
ナレーク魔術公国首都。有名な場所だ。モンスターとの戦いの歴史を学べば頻繁に出て来る。実際に行った事はもちろん無かった。

あちこちを縦横無尽に走る赤線は、地図上に網羅的に引かれているようだ。おそらくそれらすべてを歩いて来たのだろう。
しかしその赤線は明らかにある一部分を意図的に避けていた。大陸の西端、雪を被った高い峰のあるあたりだ。

「…沈黙の峰?」
手書きで山の一角に書き加えられた文字。地理の授業では、沈黙の…なんて聞いたことが無かった。
「山脈の一部なんだけど、おっそろしい所だよ。あれは強大な魔族がいるね。僕らみたいな中級冒険者がおいそれと挑戦できる場所じゃない。」

呟いた疑問に答えたのは傍らに座っていたマルコだ。ちびっ子、お前思ってたより親切なんだな。
じっと眺めたマルコごしにリィナと目が合う。露骨に逸らされた。

「よし、出発するぞ!」
コニスティンは地図をレイに渡す。マッピングはそれほど得意じゃないんだが仕方ない。どうもこのパーティ、ちゃんとマッピングできるメンバーがいなかったらしい。授業でやったとうっかり言ったら俺の仕事にされてしまった。
そんなこと、まあいい。ここから俺の冒険が始まるんだ。

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