魔術公国の龍殺し 2 初めての実戦


天気は快晴。
暑くもなく寒くもない、いい季節である。
森を抜け丘を抜ける緑の山々は初夏と言うにはまだ早い。その間を縫うようにしてレンガの街道が続いているのだ。
そんなこともあって、道程は予定以上に進んでいた。

歩くのは楽しい。風景は少しずつだが確かに変わっていく。とうとう自分はあの町の外壁を越えたのだと実感できて。
共に歩くコニスティンに歩幅を合わせ、声を掛ける。

「今回の依頼はナレーク絡みなんですね。ナレークってやっぱり魔術師とかが多いんですか?」
教科書の中でしか見た事のない国についに行けるのだ。
しかもあの魔術公国である。心が弾まない方がおかしい。

「うーん。おっちゃん、そういう説明は苦手なんだよな。
通称“魔術公国”と呼ばれていて、多くの魔術師を産出している………というのは知ってるか。」
困ったように髭を触っていたコニスティンはレイを一瞥するが、明らかに期待に満ちた瞳に目を逸らす。
しばらく考えて続けた。
「それから魔具の一級生産加工地だな。
今回の冒険者学校の依頼だって、この武器をナレークで呪文加工しなおしてもらうんだ。」
「…加工…。」

コニスティンは纏めた武器をふた束ほど背負っていた。おそらく呪言の実技授業の武器の一部だ。
呪文加工とは、この場合はびっしりと強化呪文を刃に彫り込む事で武器を呪言の使用に耐えうるようにするものだ。
しかし始めから呪文剣として作られたのではないから、使ううちに磨り減ってしまう。
そのために定期的に研ぎに出すのが必要になってくる。

ぽん、とコニスティンは手を叩いた。
「そうだ、おっちゃんなんかよりリィナに聞くといい。彼女の出身地だ。」

聞き耳をたてていたのか、返事は俺が彼女の方を向くよりも早かった。
「あたしが?
行くんだから自分の目で確認すればいいじゃない。」
髪と同じ紅の眉を吊り上げた魔術師の少女は、冷たく言い放つ。

「そーだけどさ…。」
「ふつーの街よ。あんたが期待してるようなのじゃないわ。
今回はダンジョン探検とかモンスターとの戦闘とかは無いの。
地味でがっかりかしら?」
これはこのパーティに参加してからずっとなのだが、俺の旅の目的および心構えから何まで、彼女には確実に誤解を受けている。
言葉で分かってもらえるものでもない。自分の行動で示すしかないのだ。

「いや。依頼をこなすのも冒険のうちだからな!」
断言した。
方便ではない。本当の気持ちだ。
軽い気持ちじゃないからこそ焦るつもりもない。

「へえ。
あたしはあんたにド派手な魔術を見せてやれないのが残念だわ。」
不満げに顎をあげて言い捨てるリィナ。
どういう意味だ。
嫌味を言い返そうと思ったが。

「確かに…それは残念かも。」
魔術見たかった。
「納得するな。」
リィナは唇を尖らせて不満げだ。そこでやれやれとコニスティンが制止する。
「二人とも喧嘩はよしてくれよ。なっ、マルコ。
………マルコ?」

そこにいると思っていた少年はいつの間にやら立ち止まっていた。
眼前にはのどかな丘陵地帯が広がっている。
そのある一点___今いる道の先から僅かに離れたところ___を少年は凝視していた。

見開いた瞳に宿るのは明らかな驚愕。

コニスティンへの答えもなく駆け出す。道を外れて丘を滑り降りた。
しかしほんの数十メートル進んだぐらいで立ち止まってしまったので、追い付くのに苦労は無かった。

「どーした?」
後ろから見れば、ちびっこの肩は何故か小刻みに震えているような気がする。
普通でない。その隣に立ち、その感じているものと同じものを自分も見てみよう。そう誰もが思った。

しかし僅か一歩弱踏み込んだ途端、耳を打った音のあまりのギャップに皆が凍り付く。
悲鳴。
鳥とも人ともとれない絶叫。
頬を打たれたように、のどかな心持ちが引いて去って冷たい緊張が満ちる。

戦いの…もしかすると虐殺の音は、今まで聞こえもしなかったのが信じられない程に近い場所のものだと思われる。
空気が痛い。まるで別の世界にでも迷い込んだようだ。
硬直を解いた決定打はコニスティンの大声だった。

「防音結界の中に入ったんだ!
皆気をつけろ、周囲に魔族がいるぞ!」
外部に音を伝えない結界の境目。それをたった今俺達は越えたのか。

「あっち。
きっと不可視魔法だ!」
ちびっこが再び走り出す。そちらには何も特筆すべきものは窺えないが、皆がそれを追いかけていく。
ああ、もう!
心の準備をする暇もない。
そしてまた、他の何のことのない一歩と区別できない一歩を経て、視界が一変する。

「………なんて量だ。」

空を埋め尽くす勢いで飛んでいる有翼の怪物、その名はあまりにも有名だった。
怪鳥ハーピア
腰から上までは美しい女人の姿をしているのだが、そこから下は人間の身体バランスを無視して、鋭い鉤爪を持つ猛禽類の下半身を備えている。腕のある場所には、そのかわりに大きな翼が生えていた。

それがこちらなど気にも止めず、獲物を狙う鴉のように群がっている先には___馬車。
よく見えないが無残にも車体はひしゃげ、すでに取って食われたか馬の姿はない。
おそらく街道から掴み持ち上げられ、ここに移動させられ…もとい投げ捨てられたのだろう。
それに未だハーピアが群がっているというのは。

「中に人がいるかもしれん。」
「おっけ。下がって。」
進み出たリィナは足幅を広げ地面を踏み締める。
彼女が投げ捨てたものはマッチの燃えカスのようだった。
そんなものを使わずとも元素を具現できるのに、そうしない理由。
それはそのための魔力すら攻撃に注ぎ込むため。

「荒ぶる光、猛火の主。精霊我に従い、紅燃ゆる契約は施行されたし。
“朱花乱麗”」

視界を奪う光と爆音が炸裂する。
宙を舞うハーピアの半数以上が生きたまま焼かれ地へ落下した。
大気が熱を帯びる。焚き火の何倍の熱量だろうか。
「……確かにド派手だ……。」

リィナの活躍で敵の絶対数が減ったために、馬車の中が覗けるようになった。
人がいる。
内部から扉に手を掛けているようだ。外から開けられないように押さえているのか、脱出しようとしているのに扉がひしゃげて開かないのか。
とにかく動いているからには生きている。
そしてハーピアたちはなおも馬車を襲っていた。
ならば、すべき事は一つだ。

「龍牙斬!」
すうっ、と刃が銀の輝きを帯びる。銀の剣撃が一気に三羽程を葬り去った。

訓練通り、確かな手応え。
ただ違うのは、耳をつんざく悲鳴と血潮。
気付いた時にはもう一瞬とはいえ刃の動きは止まってしまっていた。

ハーピアの反撃を剣を渡らせて防ぐ。
心臓の鼓動が速い。
___俺は何を動揺しているんだ。

防いだと思った鉤爪は今や剣をがっちりと固定しており、眼前で赤い口から鋭い牙が現れた。
「…っ!」
小気味良い破裂音を立て、今にも自分に襲いかかろうとしていた顔がのけ反る。不意をつかれた鉤爪が緩んだ。
その隙に斬り伏せる。

「安心していーよ。
援護するからね。」
マルコがパチンコで打ち込んだのだ。
俺が額の汗を拭う傍ら、コニスティンはその斧を軽いフットワークで振り、確実に翼を切り落としていく。

対処と方法。

翼を持つ相手なら、まず空を封じる。冒険者学校で習った常識だ。
随分自分は平静を失っていたのか。
落ち込む暇はないとはいえ、希望に満ちていた駆け出しの彼に暗くなるなと言う方が酷だろう。

あれよという間にハーピアはその多くが散り散りになっていった。
「上手く不意をつけば、あちらにこっちが実際以上に強いと思わせる事ができる。さらに弱点をついたから余計だろうね。」
コニスティンが微笑む。こちらには会話する余裕すら生まれていた。
倒す必要はない。追い払うので十分。その臨機応変さが冒険者だ。

「行きます!」
率先して馬車に向かう。早急に中の人を助け出し、この場を離れなくては。
しかしその救助の手は引っ込めざるを得なかった。

頭上での羽音。
舞い落ちる羽毛より降下速度の方が速い。舞い降りたハーピアの集団が行く末を阻んだのだ。
「…いきなり統率を取り戻した?」
その時、ハーピアの群れの向こうに、横転した馬車の上に腰掛ける毛色の違う存在が目に入った。
群れの皆が殺意を顕にしている中で、一匹だけ微笑みを湛えている。

「見つかっちゃったのぉ?
駄目じゃない。
こんなにやられちゃって、はしたないわねぇ。」

きらきらと光を反射し太陽色に煌めく髪。
豊満な肉体に、紅をさしたような唇。磁器のような肌は野薔薇のように赤みを帯びている。
妖艶な美女という表現がぴったりだ。
勿論その身体は翼と鉤爪を持っていたが。

彼女はこちらに目をやると、コニスティンに向けて流し目を送った。
「いやん、いい男。
ねーぇ。あたしと遊ばない?」
艶やかな姿態。
自分の見せ方を知っている女の瞳だ。
誰よりも美しく妖艶に自らをプロデュースする事ができる、したたかさ。
だからなのかこんな様子をされても甘さは微塵も感じられない。隙がないのだ。

「ごめんだよ。
遊びで殺し合う趣味はないんだ。」
コニスティンの返しに、金色のハーピアは羽根で口元を覆い笑い声を漏らした。袖口でそうするがごとく。

「女の誘いを断るとろくな事がないのよぅ?別にいいんだけどねん。
それにしても女の子に少年に。可愛いものが目白押しじゃない。今日は何て運のいい日なのかしらっ。
特にそこの初心そうなアナタ。抜群に可愛いわぁ♪」
それは俺の事か?
その言われ方は、リィナとマルコは警戒して武器を構えたままだったが、俺は想定外の事に呆気にとられていたからかもしれない。

「喋るのか。」
「歌う仲間もいるんだから、それくらい出来てもおかしくないんじゃなぁい?」
「……成程。」
「いやん。あたしに興味があるのぉ!?
困っちゃうわぁ♪」
彼女はきゃらきゃらと笑う。
その所作は普通の娘と何ら変わらないが、薄ら寒さしか感じない。

そして長々と彼女とこんな会話をしているのは、打ち込む隙がないからに他ならなかった。しかも彼女からは何か底知れないものを感じる気がする。
御手並み拝見という事だろうか。彼女は俺達を見据えたまま仕掛けても来ない。
そこがまた攻め辛いのだ。

その均衡を破ったのは、あちらの方だった。
心底退屈そうな溜め息。
「飽きちゃった。
煮え切らない子達の相手をずぅっとしてあげれるぐらい、アタシはイイ女じゃないのよぉ?次会う時までにもっとアプローチの練習をして来てねん♪」
馬車を蹴り、その場を垂直に舞い上がる。

「パーティーは楽しいけど、ホストって面倒くさいのよねぇ。
そのオモチャ、プレゼントするわぁ。」
どうやら馬車の事らしい。
空から降りしきる、この光と同じ色した髪をなびかせて、美しく獰猛な魔が去って行く。
呼び止める者は誰も無かった。

「……見逃されたか。」
「見損なわれたのかな。
冒険者としては正解だったと思うけどさ。」
しかし一時の緊張から解き放たれても、これで終わりではないと皆気付いている。

「パーティー…。
不味いな。おそらくどこかが襲われている。」
考え込むコニスティン。
あの金色のハーピアは逃げ去ったハーピア達が呼んで来たのだろう。
翼があるとはいえ、この短時間。限界がある。
この近くの大きな街といえば。
………嫌な予感がする。

「ナレークだわ。
急ぐわよ!」
馬車から助け出したぐったりした男性が握り締めている書類には、紛れもないナレーク王家の紋章が印されていた。

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