魔術公国の龍殺し 11 若竹 


青天井は黒く塗りつぶされ、大粒の雨が叩きつけるように降り注ぐ。
上空から戦場を一望できるハーピアの指示か、タートルは重点的に城壁の弱化した所を狙ってきている。雨に視界を阻まれた俺達は、いつしか連携を失い始めていた。
世界から切り取られ、孤立したようにすら思えるこの空間。一方ハーピア達はこの雨だというのに健在らしい。タートル達の攻撃が乱れない。
とはいえ、ハーピアの群れとしての攻撃は弱まっていた。

誰かの叫びが聞こえる。
不明瞭で内容も判別できない。雨の音も、匂いも、色すら知覚を乱す。

「……ああ、これはもう。」
幾度目か打ち込んだ刃が甲羅に弾かれて、ついに欠けた。
だというのに俺は酷く無感動で、なんら心に動くものがない。

疲れた。
___もう、いいんじゃないのか。

命の危機に触れるたび、刃を振るうたび、怯えていた筈の心が、今となってはもう震えもしない。
ただ鈍痛だけがある。
それは何故だか、それまでよりも辛くて。
生きる為に振るっていたはずの刃が鈍る。
打ち倒すたびに生まれる絶望の連鎖に、絶対に言わなかった言葉が浮かんだ。
こんな苦痛をもう繰り返さなくてもいいんじゃないのか。

それでも未だ戦い続けていられるのは、皆の希望がまだ尽きていないらしかったからだ。
声が聞こえる。雨のベールを潜り抜けても確かに。
名も知らぬ誰かがもがいている。

どうにかタートルを下し、一息ついて視界を拭う。
かなり城の近くまで押し込まれてしまっていた。

「……。」

規則正しい雨音とは確実に異質の、水を跳ね上げる乱暴な音。陸上を素早く移動するに慣れない者の立てる音だ。
それが複数、一定の方向から迫って来た。

人では、ない。

奴らがやってくる方向は城壁が生きていたため、他の地点に比べて配置できた人間が少なかったはずだ。
「……防衛線が破られた?」

背後は城だ。
血の気が引く。

他の奴らは?
周囲には何人かいる。俺と同じ音を聞いて動き始めた。
だが、足りない。
この雨だ。叫ぶにしても届くかどうか。……助けを求めるすべがない。

「やるしかない。」
かじかんだ指先を欠けた剣のグリップに滑らせる。
この先を通してはならない。
彼らの希望の源が、この背後にあるからだ。

しかしその選択は、冒険者になりたてのひよっこには、いささか荷が重すぎた。



勢いよく踏み込んだ一撃は、甲羅の付け根の身を狙うがあっさりとかわされる。
いい音を立てて跳ね返った。

軽い斬撃を繰り返す剣士という特性上、クラーケンよりもタートルの方が組し難い。
自分の動きが鈍ってきた。他の仲間も疲れが見え始める。

その時、城の方から一人の騎士が戦線に飛び込んだ。

「アッシュ!?」
文字通り上から飛び込んできた彼は、着地間際にタートルを弾き退ける。
しかしその足が、雨に僅かに滑ったのを、レイの目は見逃さなかった。

「戻れ!ここは俺らが抑えておくから、援軍を!」
実力が十分に発揮できない場所で無理に戦う事はない。
城の中に新たな防衛線を築いた方が効果的だ。
「戻る必要はないんだ。」
槍を構え、笑顔を向けてくる。その笑顔は疲れ切っており装備はボロボロだ。彼の潜り抜けてきた戦場も、また熾烈だったと物語っている。

「その内に来るよ。あの方がお行きになられたから。」
“あの方”というのが誰か、というのは簡単な問いだ。
この国の二大トップ、その一人が今や死んでしまったこの状況では。

「追いかけなくていいのか!?一人になっちまうんじゃ…!」
彼女がやられでもしたら、この国は崩壊する。
アッシュは俺の方を見もしない。ただ敵だけを見据えている。
「あの方は、ここを守るように仰ったんだ。そして僕もそうすべきだと思った。
一人でも多く、死なせない。」

絶句した。
優先順位が分かってないんじゃないのか。
「おま…見殺しだとか、そんなのはいいんだよ。俺らだけでも何とかなる……多分。」

だから、戻れ。

「それは出来ない。あの方の為に命をかけて戦う事が私の使命なんだ。」
初めての好敵手は、俺のしたこともない瞳で断言した。
風雪にも屈さない、しなやかな若竹のような希望を宿して。



絶え間ない雨と違って、人の命は有限だ。
ただつらつらと消費されていくのみの鬱々とした現状。
均衡戦の泥戦。

それは、一つの知らせにより打ち破られた。

「ブールの援軍だ!」

長く連なった兵列が道を来る。ブールの国旗が誇らしげに掲げられている。

決定打の魔術を封じられたナレークに対し、ブールはシンプルに鈍器でタートルを屠っていく。
力量差は明白だ。

誰もが戦いの終わりを予知し、喜びに震えた。

「ははぁ、本当に何とかなっちゃったなあ。」
リィナとマルコは微笑みを交わす。
空が晴れ始めた。

「さて、うちのルーキーは何処まで行ったのかな?」
「さぁ?勢いで駆けて行っちゃうところが困りものだわ。
探しに行きましょうか。」
「コニスティンさんは大丈夫だろーしね。」

援軍がモンスターを駆逐する。絶望の象徴と思えた黄金色のハーピアの姿は、もはや空にはなかった。
ゆるゆると消耗した防衛線が入れ替わる。
希望が絶望に打ち勝った。

迅速な隣国ブールの援軍派遣により、ナレークは崩壊を免れる。


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