魔術公国の龍殺し 10 ナレークは滅びない


戦う相手が二人になったのと、制空権を奪い返されたのは重大な事実だった。
さらに数匹をアッシュがはたき落とし、サラフィーが攻撃する隙を作る。
と。

「そうよ、そうこなくちゃねぇん。
一方的な闘いなんて、退屈しのぎにもならないのよぅ。」
黄金色のハーピアが動いた。

大気の流れが乱れる。

『風の衣よ……解き放つのよん。』
四方八方に広がる強烈な風の流れ。
乱気流が生じる。
それは風の衣を閃かせ、全てを薙ぎ倒すかのようだ。

防御に出たサラフィーの顔色が変わる。
「魔力、切れ…!」
「サラフィー様っ!」
アッシュは体を投げ出して女王を庇うが、魔法の風はそんなものでは妨げるはずがない。
声もなく跳ね飛ばされた二人に突っ込まれ、脆い壁が崩落する。
「まだ生きてるわよねぇ?」
そう言うユーカリッサの声は明るい。
ぺろり、と長い舌が覗く。

「お嬢さん、お楽しみの所、宜しいかな?」

先程から唯一羽、動かないハーピアがいた。黄金色したハーピアの後ろに鞄持ちのように佇んでいて、表情も声もない。
その口から発された声は、どう聞いても男のもの。

「……なぁに?お楽しみって分かってるなら邪魔しないで欲しいわぁ。」
動きを止めて黄金色のハーピアが答える。途端に生じた苛立ちを隠せない様子だ。

「おやおや。我輩は君の機嫌を損ないたい訳ではないのだよ。
“意志有る沼”の御大尽が殺られたようだ。」
発された声は不思議な調子を持っていた。まるで耳元で囁かれた言葉を、そのままオウム返しにしているかのようだ。
話すのはおそらく、この場にいない“誰か”の言葉。

しばし黄金色のハーピアは黙って魔力を感知する。
「ヒュドラが?………あらぁ、ほんとねぇ。」
その反応には“気付かなかった事を指摘されたことに対しての純粋な感心”しか含まれない。
怒りも恐怖すらない。
それは、たとえ魔にとっても驚嘆に値するべきことだった。
「ユーカリッサ、君は本当に動じない。そういう点が好まれる所以か…なに、私は嫌いだがね?」
「あたしも、はっきりしない男は嫌いよ。あんたみたいなねぇん?」

やれやれ、というジェスチャーを受信器のハーピアは作る。
「我輩はそれで構わないが。
そんなことよりも君には、外で軍を立て直して貰いたいのだよ。」
「嫌よぅ。」
即答だった。

しかし男の声は彼女の無碍な返事に慣れきっているらしく、なんら感情を示さず続けた。
「御方からのお達しだ。もはや指揮権は我々に移ったのだよ。
君の行動は自由だが、その責任は君が持ちたまえよ?」
むぅっ、とユーカリッサと呼ばれた彼女は顔をしかめる。こんな状況でもなければ、思わず相好を緩めてしまいそうな、非常に愛らしい動作だった。

「でもでもっ、あたしのノルマがまだ__」
食い下がるユーカリッサを切り捨てる思わせぶりな言葉。
「彼女らはいいのだ。
……いいのだよ、まだ。」

「………ふんっ!」
ユーカリッサは宙をつい、と動き、崩壊した壁の裂け目へと向かう。これ以上話を続けるつもりはないという明確な意思表示だ。

「よしよし。それでは、君に立ちふさがる試練が悉く氷塊のように溶け去るよう。お嬢さん?」
それきり受信器のハーピアは口を閉ざした。
別れの祈りの言葉だったようだ。
「ホント大っきらい!」
捨て台詞を残し、黄金色のハーピアが飛び去る。
ハーピア達がそれに続く。

「助かった…?」
砕けた煉瓦の中に取り残され、唖然とアッシュは呟く。
我々を生かしておくことに何の意味がある?
二人ともその意味を計り知ることはできなかったが、助かったという事実だけは確かだった。

アッシュは自らの心中に去来した、ほっと気の抜けた心持ちが恐ろしかった。
あのままだと殺られていただろう。自分はサラフィー様を守れなかったのだ。
それなのに、どうして私は悔しさに震えるよりも先に安心して体に力が入らないのか。

身を起こしたのはサラフィーの方が早い。
「こうしては居られません。早く外へ!」
アッシュは痛々しい生傷だらけのサラフィーを見て自覚する。
敵は移動したにすぎない。
危機は移動したにすぎない。
好転したことは何もないのだ、と。

「サラフィー様!」
「…!放しなさい!」
その肩を掴んで止める。ひどく華奢だった。

「貴女様は避難区へお向かいください。」
せっかく失わずに済んだこの方の命を、なぜ再び危険にさらすなどできようか。
「できません。」
「どうしてですか!」
サラフィーの瞳に迷うところは何もない。
「私一人安全な所にいては、あの人に顔向け出来ませんから。」

あの人…アヴェラルド様。
その名を聞くと、心が奮い立つ。
憧れの英雄。
どうやら彼の存在は、私の身の内のどこか深いところと密接に繋がって離れないらしい。

「では、サラフィー様は魔力が回復してからいらっしゃってください。
私が今すぐに向かいますから。」
「……ええ。」
躊躇の末、サラフィーは頷く。
彼女に牙向く魔は私が下そう。
アヴェラルド様がこの方の傍らへ戻られるまで。




ぴくりとマルコが動きを止め、視線をさまよわせた。城壁の向こうの一点を指す。
「レイ、見えるだろ?」
「ああ。新手か。」
高台にいるマルコが示したものは、下にいる俺にも城壁の割れ目からよく見えた。

モンスターどもの新手だ。

「分かったぞ。あちらには泉がある。
化け物共は地下水脈を伝って我らに迫っていたのだ。」
ガーランドの言葉に皆が頷いた。
それが分かったからといって、何かが変わる訳でもない。
それでも原因不明だった今までよりは俺達の不安が軽くなった。

ハーピアの妨害で長引いていた、城壁内のクラーケンの掃除はあらかためどが立っていた。
…しかし。
「……多くないか。」
「でも水棲でしょう?あたしの前では取るに足らないわ。」
ふあっ、とリィナのローブが舞う。身振りを加えた呪文詠唱。

にこ、とリィナは俺を見て笑った。

「……っ!?」
反射的に目を逸らす。そんな自分の行動に慌てた。馬鹿じゃねぇのか俺は、と口内で呟くが、彼女には聞こえなかったらしい。
生き生きした目はもう俺の方を向いていなくて、それが__ほんの少し、勘違いするな僅かだけだぞ__残念に思える。

その時、影が俺達の頭上を通過した。
ハーピアの群れ。
その先頭で陽に映える髪をなびかせているのは。
「あのハーピアだ。」
「この戦い、長くなりそうだね。」
奴らはマルコのパチンコが届くより僅かに高い位置を、滑るように移動する。勿論、さらに射程の狭いリィナや他の奴らは言うに及ばない。

新手の一団がジワジワと包囲を狭め始めた。クラーケンの時と同じだ。
しかし彼らはクラーケンではなく、遠目で判別しづらいが甲羅を持っている。
そして俺達の頭上を襲ったのは。
「……………雨。」
タイミングさえ違えば恵みの筈のそれは、今は絶望を振りまくものでしかない。

奴ら、払った筈の雨雲を再び連れてきやがった。

ヒュドラがもう一匹?
それとも他の何かなのか?
それがどうだったとしても、この絶望は拭い去るべくもない。
城からの援軍は望めない。あのハーピアが無傷で出てきたのは、そういうことだ。
先ほどよりも戦力も体力も減った今、俺達は__。

確かな意志の宿った声が、俺達の心中の暗幕を払った。
「我々が戦わずして、誰が皆を護るのか。」
ガーランドは抜き身の剣を空に掲げる。雨粒が柄を伝い、甲冑もしとどに濡れて輝きが落ちていた。濡れ鼠だ。

それでも……何故だろう。
その所作は、ちっともみすぼらしく無かったんだ。

「我らは武器を持つ事を選択した。
守り抜く覚悟もなく、何者をも斬るな。
この覚悟が尽きない限り、ナレークは滅びない!」

わぁっ、と歓声があがった。
アヴェラルドの時と比べるなら、それは声においても元気においても数段落ちる。
しかし、我々にもたらしたものは同じだった。

希望の炎は未だ潰えない。


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