曇天、虹色地平線 緑の公国 19 受け継がれる思い



「そろそろお呼びがかかる頃だと思っておりました。」
扉の先の執務室では、机に向かっていた少年が顔を上げる。どんな表情をすればいいのか分からなかったので、いつものポーカーフェイスを決め込んだ。
彼は私を認めると書類を投げ出す。
「うん。話は全部クーヴァから聞いた。
待ってたよ、キーヴァ。」

お呼びがかかった時から覚悟していた。
処刑か。
自分の処分を決めたのだろう。

逃げるつもりは無い。逃げられるはずも無い。
シーフレドの人間である私には、ここ以外にいるべき場所などないのだから。

神はリドミ王家でなく私を滅ぼした。
しかし賭に負けた事で、優しいあの御方が不当な者だという証明が下らなかった事に安堵している自分もいる。
緑の民の王権を否定する事は、あの御方の王たる証すら否定する事だ。

唯一気に掛かるのは弟の事。
ラシューム様は、謀反人じぶんの弟だという理由ではクーヴァに危害を加えたりする方ではない。その確信___信頼と言っていいかもしれない___があった。

……しかしクーヴァは私を嫌いになっただろうな。
言い訳の余地もない。
この気持ちにどんな表情をすればよいか分からない。ただあれから自分はクーヴァを避けていた。
その気持ちを正面から告げられるのが怖くて、一度も会っていない。
出来るならば最後まで顔を合わせないままで___。
それは今までの望みと比べて、ほんのささやかな願いだった。

ラシューム様は椅子に腰掛けたままで口をひらく。
審判は下された。

「これからのことなんだけど、君に今まで通り補佐を任せたいんだ。いいかな!!?」
「…………はい?」

想定とは180度は違う台詞。
聞きまちがいならば、なんと場違いな。
自分の耳は空気が読めないようだった。

「これからは僕の補佐をしてくれないかな、ってこと。」

私の反応が思わしくなかったからか、ラシューム様はもう一度言い直した。
その台詞で確信する。
その言葉は、聞こえた通りの意味に発されたのだ。
不問だというのか?

何故。

突発的な衝動に机へ拳を叩き付けていた。
拳が強い痛みを知覚する。でも自分はもっと強い感情を抱えていた。
怒りに近い。
憎んで欲しいのに憎んで貰えない。
自分は貴方を切り捨てたのに。

激昂に抗しもせず、勢いのままに責め立てていた。
「情けですか?それとも打算?
私はマクスマレーン様を貴方様と争うように焚き付けたのですよ?
それどころか王家に反旗を翻した重罪人です。
どうして、そんな話」
「でもどうしても君を責める気になれないんだ。
あの時叔父さんを助けようとしてくれた、あれだけで僕は十分だよ。」

あっさりした返答に力が抜ける。
本気か。
ならば…馬鹿なのか。
いや、こんな事をあっさり許すなど、どんな馬鹿者にも出来はしない。
ならばその逆、“賢者”だからか。

「………私には、御立派な方の考える事は分かりません。」
刺々しさも隠さずに言い放つ。

激するかと思った少年は自嘲的に小さく微笑んだ。
子供らしくない、深い苦悶。
彼のこんな顔、見た事が無い。

「僕は“賢者”なんていいものじゃないよ。
自分の気持ちをぶつけるだけで、大事な人の一人も守れなかった……ただの子供だ。」

相手は、がばりと前のめりになる。萎れた夜色の若葉の髪は、たちまち鮮やかな力を取り戻した。
自然と鼻面を付き合わせる事になる。

「でもさ。」

気迫で負けてはいけない。
だが私は既に、その表情を目にした時にはたじろいでしまっていた。

「叔父さんが守ろうとした民を守りたい。
時紡ぎの交代を迎えて歪む世界から、皆を守る。魔と人の溝すら埋めて見せる。
それができたら君に王位を譲るよ。
だから、僕と一緒に戦ってくれないかな。」

一途な強い光が宿った瞳。
強い願いに、確たる意志。
理由の無い確信が生まれていた。
彼になら、委ねられる。
やり切れなさに近しい怒りも、もはや何処かに消え去っていた。

“私より王に相応しい人はいるでしょう。”
その人は確かにいたのだ___。

緑の民しはいしゃ”としてしか眺めた事の無かった少年の知らなかった一面。
緑の髪の異母弟は、あの御方そっくりに柔らかく微笑んだ。母親譲りの新緑の髪が揺らめいた。



遠い遠い昔に、既に失われてしまっていた記憶。
知るものは誰も生きておらず、それとして蘇る事はもはや無い。

あの日。
最後にリドミであの薬が使われた日のこと。

神殿は崩壊が加速し、粉砕される度に彼の犯した同族殺しの痕跡すら隠されつつあった。部屋のそこかしこで起きる轟音は部屋中を跳ね回っているかのように思わせる。事実上そうなのだろう。
メーコックは意識を失った子供を抱え、瓦礫の影に伏せるほかなかった。戦場で流れ弾に当たらないように身を伏せ逃げ惑っているのに似ている。
自分が引き起こした事から逃げるのは、彼の王族としてのプライドを酷く傷付けた。しかし事態は彼の力の及ぶ範囲を大きく逸脱している。

不意におこった身の毛もよだつような悲鳴。
周囲はそれきり静かになる。恐る恐るメーコックは瓦礫の盾から顔を出し辺りを見渡した。

その瞳は倒れ伏す妹の姿を捉える。緑の髪が生き物のように地面に広がっていた。
「フロール!」
自らの身の危険も顧みず思わず飛び出していた。その華奢な体を抱き締める。
まだ温かい。

子供と妹と、同時に避難させるのは難しい。
しかしやるしかないのだ。
瓦礫の影に残して来た子供の所に戻らねばならない。どちらかを見捨てるなど出来るはずも無くて、メーコックはとにかく周囲を警戒した。
「奴は…」
力のない声が答える。
「息の根を止めました。」

妹に兄は向き直る。
自分の気持ちが表情に出てしまっていたのだろう。彼女は彼を見るなり苦しい息の下続けた。

「仕方が無いんです。私はリドミを守らねばならない。」
「…しかし。」
お前と彼は愛し合っていたではないか。
メーコックには負い目からかその一言が言えない。だが兄の思考など妹には御見通しだった。

「私は緑の証が現れた時、一番に彼に相談しました。
私が王になるとしても、兄様がなるとしても………もう貴方を一番に思う事は許されないのだと。
でも彼は笑って言った。
“貴方がされたい様になさればいい。そんな貴方の御側にいられるのが私の幸せです。”」

静かな空気に細い声が染み渡る。
そのささやかな幸せすら、私は壊した。

フロールの声が揺れる。
「だから私は…泣いている訳にはいかなかった。」
自分の命を懸け邪悪な魔を討ち滅ぼし、恋人を手に掛けた娘の頬を光るものが伝った。

「許してくれ。」
メーコックにはそう言う事しか出来なかった。

二人の結婚に反対する親類ももういない。慣わし通り儀式さえすめば、国民も祝福するだろう。彼女の為ならこの手など幾ら汚れようと構わない。
継承権が絡んで見失ってしまったもの。もっと早く気がつければ良かったのに。
私は妹に幸せになって欲しかったのだ。
あやまちが大きすぎて慙愧の念に震える事すら出来ない。

しかしもはや彼女にはメーコックの声など聞こえていない。
「それなのに私は浅ましいのです。
その息の根を止めた時、いつものように彼が言った様に聞こえた。
“愛してるよ”って。
魂などもう残っていない筈なのに。」
死にゆく乙女はさめざめと涙する。

兄を求めて伸ばされた手。
その温もりは確実に失われつつあった。

「お願いです。兄様。
リドミを守ってください。あの子たちが、全ての者達が幸せに暮らせるように。
お願いです。」

妹の力ない身体を抱き締め、その腕を握り、メーコックは大きく頷く。
「約束しよう。イゴス様に誓って必ずだ。
必ずこの国を良い国にして見せる。
お前が守った国だからな。」

お前が望むなら何だって私はそうしよう。
だから、最期の言葉みたいな事言わないでくれ。

祈りは届かない。
二人で作った記憶は、たった一人だけに留まるものとなる。今となってはそれすら失われてしまった。
しかし確かに、王を王たるものとしている強いこの願いは脈々と受け継がれつつある。


inserted by FC2 system