曇天、虹色地平線 緑の公国 5 ありがとう



叔父さんに僕の真意を、選択を明かす。それは酷く恐ろしいよう思える。
萎えそうになる勇気を繋ぎ止めるのは“時紡ぎ”の少女のあのまなざしだった。
あれが嫌、これが嫌___貫くべき志を持たなければ、僕の望みなんてただのわがままにすぎない。
そう分かってるし、その志すら僕は既に得ているはずなのだ。

そこが同じように“戦う”と決めた、リドミを出たあの時との大きな違いだった。
何と戦うべきなのか分からなかったから、取りあえず自分に架せられた運命(やくがら)と戦うことにして、国を出た。
リドミをたったのは現状を帰る一つの手段のつもりだったのかもしれない。でもそれは問題を後回しにしてるだけだと薄々勘づいてた。

僕は強くなった筈だ。あの日々を引きずらないくらい。

「おう、ラシュー。どうだった?」
「あ、御帰りなさい。」
応接室へ帰ってきた途端、レイとイリスちゃんが笑顔で出迎えた。二人と旅をしている間、何度も繰り返したやり取りだ。
このまま二人と旅立ってしまえるならどんなに素敵だろう。
でも自分自身がそれを良しとしないのは分かっていた。

道は分かれた。
言葉に出していないだけで、皆がそう知っている。

「僕、二人にずっと思ってた事があるんだ。」
今打ち明けられなければ一生口にする事はないだろう。
それに必ずしも打ち明けなくてはならないような事ではない。勇気ばかりが必要で、一生口外しなくてもいいような事だ。

でも___僕はただイゴス様の加護を確認したかった。

「僕は僕自身が望もうと望まかろうと“人”じゃなく“緑の民”___“魔”であり“化け物”だ。
別の生き物なんだよ。
だから二人が僕を受け入れてくれればくれる程、二人が怖かった。
受け入れられたと思ってるのは僕だけで、僕はいつだって外側、“居場所”なんて本当は存在しないんじゃないかって。」

二人の顔をとても見れない。その表情を、感情を、知りたくなかった。
「でもそれを二人に告げるのはもっと怖かった。
僕が人間(ふたりとも)を怖いと言ったら怒るよね。」

時間が経てば経つほど打ち明ける勇気は大きなものが必要になる。
僕は民衆にも二人にも、真意とは違う自分を“演じて”いたのだ。
この時おそらく僕が欲しかったのは二人の返答でもあり、加えて打ち明けたと言う事実そのものだった。

「やっぱり強いな、お前は。
別に怒らん。
打ち明けてくれたろう?」
それは今回だけについて述べられた台詞ではない。
笑いを堪えたような声に目をやると視線が合う。レイはニヤリと嬉しそうに笑った。

対照的にイリスちゃんは僕をじっと見つめて、
「そりゃあ怒りますよ。」
拗ねたような目で続ける。
「仲間にそうやって壁を作られるのって寂しいんですよ?
ラシュームさんはラシュームさんなんだから、自分の感じ方に自信を持ってください。」

彼女は所帯なげに服の裾をいじくっていた僕の手を取り、言った。ぱっと花が咲いたような笑顔だ。
「いつだって友達だと思ってますから。」

鼻の奥がつんとする。
失いたくない記憶が、増えた。
そっと彼女の手から僕の手を放す。母に掴まり立った子が次にその手を放してみるように。

「…そうだね。
僕、一緒に行けない。」
口に出したらこの関係が壊れてしまいそうで、今まで言えなかった言葉だ。
でももう恐れない。
それくらいで壊れてしまう関係ではないと分かったから。

やはり___加護だった。
「二人とも。
ありがと。」
僕は僕の原点を貫く。
“大切な者との未来を守る”為に戦う。
この願いを叶えられる未来を選ぶ。



執務室。
マクスマレーン王は上告の書類を捌いていた。手際がよい。就任したてには書類の扱いにも四苦八苦したものだが、いまでは慣れたものだ。
遠慮がちなノックの後、現れたのはクーヴァだった。書類を運んで来たのだ。

処理済みの書類を運ぶ手を休め、クーヴァは王へ耳打ちする。
「ラシューム様より御話があるそうですが。」
「ふむ。
では明日にでも会おう。スケジュールはいつ空いているかね?」

何でもない風を装っていたが咄嗟に覚悟した。内心今か今かと待っていたのだ。
王位の話だろう。
あれが国外に出たのは“魔法”を手に入れるためだ。戻って来たなら何らかの結論を引っ提げてに違いない。

魔法を手に入れたのか、それとも。
王位を自ら継ぐつもりなのか、それとも。

相手のカードが全く知れない。
だが百戦錬磨の王には、甥がどんな結果を出そうと自分に望ましくないなら、この手で押し潰せると考えていた。
「あやつはどうするつもりだろうな。
クーヴァ、お前はどう考える?」

腹心の部下は穏やかに微笑む。
「一番大きな問題は、民がどう思うかで御座いましょう。」
クーヴァの返答は質問の答えとはズレている。しかし一番重要な要素だった。

そうだ。
甥が“魔法”を得てしまえば尚更、彼が“本物の緑の民(おういけいしょうしゃ)”だと証明されてしまう。
甥が緑である以上、民は彼が王にならなければ納得しまい。
甥の意思、自分の意思に関わらず。

「その他につきましては、ラシューム様はマークスマレーン様の甥、リドミ王家の一員であらせられます。
心配するような事は御座いませんのでは。」
リドミ王家の血族。
王にとってそれは“不信”の代名詞に他ならない。

王の瞳が曇る。
民の不安要素は取り払わねばならん。

王は部下が部屋を出て行ったのを見届けてから呟いた。
「…許せよ、ラシューム。」
“緑の証”が現れたのがお前で無ければ良かったのに。
脳裏に浮かぶは亡き姉の姿。貴女の息子を私はもしかするとこの手で___

再び執務室にノックの音が響く。
尋常では無かった。王の執務室は宮殿を形作る大樹の上層にある。
しかし音は窓の外から届いたのだ。

王は何ら戸惑うことなく窓を開け、それを招き入れた。
ランプの明かりが外に漏れる。宵闇に来訪者の姿が浮かび上がった。
再び王家に惨劇が繰り返される、その予兆のように。



ウェーマレイを見返る。
朝の白い光を浴びてリドミの街はパステルカラーに染まっていた。
しかしこの光景も森に踏み込めば樹々の影へ隠されてしまうのだろう。

「静かですね。」
どこか物足りなさを感じて、なんとなく言った。
二人きりの旅はいつぶりだろう。僅かに季節が秋から冬に動く間だけなのに、もう一年も前のように感じられる。
そもそもレイさんと二人で旅したのはほんの数日だけなのだったっけ。

ぽつりとレイさんは言った。
「ああ…寂しいな。」
言葉にされてやっと物足りなさの正体を自覚する。

「…寂しいです。」
「大丈夫だ。」
その言葉に並んで歩く彼の横顔に目をやる。彼はどこか遠くを見つめたまま、ふっと笑顔になった。
「生きてりゃまた___会える。」

そう言ったレイさんの横顔は哀しそうなのに酷く優しい。こちらまで苦しくなるくらいに。
彼にこんな表情をさせる原因はおそらく…。
胸の痛みの理由は単純だった。

このレイさんが私の為に歪められたものだろうと無かろうと、私は目の前のレイさんを笑顔にしたい。

「私は…一緒に行く人は、他の人じゃ嫌です。
レイさんじゃないと駄目なんです。」

まだ、私がいる。

その笑顔は私だけでは支えられないんだろうか?
「だから…これからも一緒に旅してください。」

一緒に、いさせてください。

「そうだな。」
にっ、とレイさんは歯を見せて微笑んだ。
「お前が俺を必要としてる間は、放って行きゃしないさ。」

言葉で確認し合わないと壊れてしまうくらい、私達の関係は脆い。



レイさんの視線の先、雪を被った大きな山の峰。
ふと彼の瞳に様々な色が混ざる。彼はその思いを断ち切るように瞳を固く閉じ、呟いた。
「じゃあ登るか。沈黙の山脈。」

「…レイさん?」
いつものように軽く呟いてはいるが全然違う。
どんな危険にも必要とあらばヘラッと笑って突っ込みそうな人なのに、いつになく緊張しているみたいだ。

「どうしたんですか?」
「いや、な。
ここには…そりゃもう強い魔物がいるんだ。」
誤魔化された気がしてならない。
私の視線に負けた形で、レイさんは気まずそうに言葉を濁した。

人が足を踏み入れる事すら許されない山脈。その内部は沈黙に守られている___。

緊張なのかためらいなのか、妙な言動のレイさんはふと聞いた。
「ちょっとした提案なんだが。
お前の力でモンスターを協力させればいいんじゃないか?」

ちっともちょっとしてない。
魔も人も互いの考え方の為に戦っている。正義なんてどこにもないし、したがってそれぞれの考えも簡単に捩じ曲げていいものではない。
「…曲げるんですか?話し合いでもなく強引な力技で彼らの考え方を。
それじゃあ隷属させるのと同じです。」
「おそらくそれが一番安全だ。でもお前は…」

どうやったらいいか分からないとか以前に。
「嫌です。」
ブールでの戦いを踏みにじりたくなかった。

けど知っていた。
この選択は後々血を呼ぶ。
それについての割りきりは今だに出来そうにない。

「だよな。
嫌ならしなくていいさ。」
レイさんは、やれやれと言わんばかりに頭を振った。

でも一番ほっとした顔したのはレイさんだったくせに。


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