曇天、虹色地平線 緑の公国 4 力と味方



緑の木漏れ日が踊る部屋。王の私室は宮殿の上部にあった。
ひとり窓辺に佇むマクスマレーン王は旅から帰った甥を待っているのだった。
彼の心中に浮かぶものは誰にも知るよしはない。

扉を叩く音に王は顔をあげる。
「ラシューム。よく戻った。」
入って来たのは緑の髪に緑の長衣を身に着けた少年だ。いや、旅立った時とは違い、青年という年齢にもうすぐ達しようとしている。

「只今帰りました。
叔父様も健やかなようで何よりです。」
「少し見ない内に立派になったな。」
「いえ、そんな。変わらぬ若輩者でございます。」
王は、帰還の知らせを受けてすぐ呼んだにもかかわらず隙の無い甥に心中舌を巻いた。

「旅はどうであった?」
「そうですね、ナレークやブールなどを巡って参りました。
そちらの王家の方にもご挨拶に伺ったのですが、どちらも非常にお優しい方でしたよ。」

「王家の方にか。」
王が繰り返したのは聞き取れなかったからではない。
他王家とのパイプを作ったと宣言したに等しい台詞を、あくまで穏やかに告げる甥の真意を計りかねたからだ。
「はい。」
純粋な子供そのものの微笑みで頷く甥。だが王は王家の血族間の信頼など紛い物だと身に染みて知っていた。

「今日はゆっくり休みなさい。」
微笑んでみせるが、自分の目が笑っていないのは王自身よく分かっている。

“自分を慕う”この甥ですら彼は信用していなかった。

一撃で自分にとどめをさす事が出来る短刀を持っているのは、この甥ひとりなのだ。
しかし甥はその短刀の使い方を知らない___王はまだそう考えていた。



叔父さんの元を下がり緊張が解けると同時に、悲しみや苦しみの織り混ざったものが競り上がって来る。

やっぱり嫌だ。

あの頃の叔父さんの面影が何度も今の叔父さんに重なってしまう。その度に心が折れそうになった。
“緑の民”も“王の位”も一体何になるって言うんだ。
リドミに帰って街を一望した途端に泣きそうになった。

僕の居場所はこの国なのだ。

ずっと足りなかった自分のパーツが埋まった気がした。
全身が叫ぶ。風までもが告げる。
ウェーマレイの風は僕の失ったフィーコメヴィに似過ぎている。
ずっと僕はそれに気付きたく、知りたくなかった。
目の前に立ちふさがる、王家の血塗られた運命を自覚したくなかった。

でもその呪いさえ叔父さんと二人なら変えられる気がする。そう、叔父さんさえ僕を見てくれれば___。
今までなら淡い希望だった。
しかし“魔法”を手に入れた今なら出来るかもしれない。叔父さんを振り向かせるだけの力を僕は得たのだ。

今度こそ逃げない。
どうするかは僕次第だ。



私とレイさんはクーヴァさんに勧められるまま椅子に腰掛け接待を受けていた。
ラシュームさんが行ってしまうと、レイさんと二人きり。何だか気まずい…と思っていたので有り難い。

リドミの名物など当たり障りのない話を終えた頃、クーヴァさんはしみじみ言った。
「ラシューム様が私を側に置かずに御話になるなど、滅多に無い事であります。
あの御方は私にすら心を許さぬ節があられる。
貴方様方に本当に打ち解けていらっしゃる御様子。」
レイさんは出してもらったお茶菓子を摘みながらクーヴァさんを見返す。
「まぁ、“仲間”だからな。
敬語はいらん。俺達はただの旅人だぞ?楽に喋ってくれ。」
「ラシューム様が御世話になった方々にとてもそんな事は出来ません。」
彼は驚いて手を左右にブンブン振る。

これだけ言ってくれる人に、どうしてラシュームさんは“演じる”のだろう。
「あの方は優しくて穏やかな方でありましょう?だからこそ“血脈の証(みどり)”が現れなさったのです。
私はあの方のためなら、この命捧げても構いませぬ。」
クーヴァさんは本気で言ったようだった。

「…なるほどな。
余計な御世話かと思うが…俺はあんたがあいつの側にはいない方がいいと思うが。」
「うっ!?過保護ですか?自分。」
「そういう意味じゃない。」
「ならばどういった…!?」

私にはレイさんの言った言葉の意味が分かった。
クーヴァさんが信じているのは“緑の民”のラシュームさんなんだ。
ラシュームさんは偽りの土台に作った信頼ゆえに、本当の自分を打ち明けてこの関係が壊れるのが怖いんだ。
おそらく彼自身もそんな自分を知っている。
知りながらも“演じざるを得ない”というのはどんなものなのだろう。

誰も味方の筈が味方じゃない。“本当の彼”の味方なんていないんだ。
時が経てば経つほど“演じた自分(みどりのたみ)”に縛られるのは苦しいだろう。

「あいつは民意という緩やかな強制に従うのを絶体にしている。そこまではラシューの自由、俺には関係ない話だ。
だが終いには、それが自分を否定する寸前にまで追い詰めてる。さすがによろしくねーな。」

きっぱり言い切ってから、レイさんはブツブツ付け加えた。
「嫌になるほどお節介だな、俺。王家の問題なんぞに首突っ込むつもりはねーのに…」
思わず微笑んでしまった。
確かにお節介かもしれない。でも私はレイさんのそういう所が好きだ。
知ったからには最後まで見守って受け止めてくれる。その彼が、今回口を出したのは珍しいと言えた。

ラシュームさんがリドミで生きるのに“演じざるを得ない”なら選択なんてできっこない。なのに彼に“賢者”役を押し付けるのは勝手すぎる。
クーヴァさんもその民意としてラシュームさんに絶えず“緑の民”を思い出させる要因でしかないのだ。

自分も同じではなかったか?

自分の理想をラシュームさんに押し付けた。彼の事情を知りもせず。あの場であんな事を言っても追い詰めるのにしかならないのに。
それがレイさんと私の“お節介”の違いだ。
私は随分酷い事を言ったかもしれない。
あの後急いで着替えて叔父さんの所まで行ってしまったラシュームさんに思いを馳せる。
大丈夫かな…。

「それは…ラシューム様が御無理をなさっておられるという事でありますか?」
クーヴァさんは考え考えといった様子で言った。レイさんの言葉の意味を推し量る事が出来ず、見るからに混乱している。
「そういうこった。」
レイさんは一言答えると、背もたれに身を任せた。これ以上この話はしない、いやこれ以上お節介をしないという彼自身の決心の表れかもしれなかった。

当然なおも聞こうとするクーヴァさんは不意の音に我に返る。
ノックの音。

「失礼します。」
相手はこちらの返事を待ってから扉を開ける。
キーヴァさんだ。
彼は部屋の中にいる弟を見るなり、怪訝そうに顔をしかめた。
クーヴァさんを見据えたキーヴァさんの唇が「お前、まさかお客人に御無礼な事をしてるんじゃないだろうな?」と声を出さずに動く。クーヴァさんは蛇に睨まれた蛙のような顔をして首を左右に振った。

「…ちょっと用事を思い出しましたので…失礼します。」
弟は青い顔のまま、こちらへ礼をし、そそくさと立ち去ってしまう。扉を通る時もその前に立っている兄とは目を合わさない。キーヴァさんもこの場では呼び止めはしなかった。

「御ゆっくりなさってください。何かございましたら御申付けを。」
弟が去った方向を見届けてから、キーヴァさんはこちらへ誠実な笑顔を向ける。きっちり礼を済ましてから弟の向かった方へと去って行った。
「あれは捕まるな。」
「ですね。」



部屋を後にした弟は足速に仕事場に向かおうとする。そこまで行けば何かしら一つぐらい仕事があるに違いなかった。
しかし先に宮殿に来た分、兄の方が地理には詳しい。中庭を通り別の棟へ近道しようとした所で捕まってしまった。

「おい、クーヴァ。
どうして逃げるんだ。」
別の道を抜けて来た兄は、中庭の中頃で弟を待っていたのだ。

「ひっ!?兄さん!
ちょっと用事を思い出しただけで…。
兄さんはお客人をほっといていいのか?」

ここは宮殿の他の場所とは趣を異としていた。言うなれば洞だ。上部には瓢箪の穴を内部から見上げたごとき空が臨める。
さほど広いとは思えないその空間の中に多くの樹々が茂っている。その中でも中心に立つ広葉樹は、この季節にも拘らず紅葉もせず碧々とした葉を備えていた。
リドミ王家の紋章“常茂の樹”だ。

戯けた事を言うなとばかり溜め息をつき、兄は弟を諭す。
「ラシューム様のお客人と我らが御話するなど変な話だろう。
そんな権限は与えられていない。お前はその自覚が甘い。」

「最近自覚自覚ってうるさいけどさ、俺だってちゃんと仕事してる。」
心外だとばかりに抗議する弟に、兄はやれやれと首を振った。

「いや、お前にはシーフレド家の一員だという自覚がなさすぎる。
“緑の守”の一族の家命は“王家の補佐”だ。ラシューム様一人の部下ではない。
一人の王族に入れ込みすぎるな。」

昔々、民間から選ばれたとある一族は“緑の民”の一族を補佐する役目を課された。それがシーフレド家の前身である。
「兄さん、俺はラシューム様が王族だから仕えてるんじゃない。家命なんて知らないさ。」
あろうことかそう弟は答えた。
「知らないでは済まされない。お前は私の弟、シーフレド家の___」
「兄さんには出来ても俺みたいなのにはできない。
ラシューム様は王の器だ!」

叫ぶなり走り去ってしまった弟を兄は追いかけない。
ただ一回、空を仰いで嗤ったのみ。
しかしそれは弟の一途さを嘲笑したのではない。何の疑問も持たず“緑の民”を王と仰ぐ弟の純粋さが僅かでも自分にあれば楽だったのに、と自らを憐れんだのだ。

「偽りの神が治めるこの国に、本物の神はいらっしゃるのか…試す時が来たのだろうな。」
兄が呟いた台詞は誰にも聞かれる事は無かった。


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