魔術公国の龍殺し 4 初めての新米仲間


雷の網は、全てのモンスターを焼き尽くすかと思えた。
その時一筋の疾風が網を破り、地表を抉って水路を断たなければそうなっていたろう。

『包みなさい___天空の衣。』

声の先を見上げた目が捉えたのは。
満面の笑顔の、あのハーピアの姿だった。
「そう上手くは行かないのよぅ?
あたしが来ちゃったから♪」

ハーピアの軍団を携えた金色のハーピアはしなを作って、にっこりと微笑む。甘いお菓子を目の前にしたような笑顔とでも言うのか。
そのままこちらに向かい、わざとらしく腕を構える。
鼠を捕らえた猫が、それをいたぶるがごとく。

初めて会った時とは全く違う緊張感。それだけで分かった。
あの時こいつは俺達を殺す気なんて無かったんだって事を。

だというのに俺はあの時、斬りかかる事すら出来なかった___しなかったんだ。
それが悔しくてしょうがなくて。
後先考えずに叫んでいた。
俺はここに立ってる。ここは“外側”なんだ。

「今度こそ俺が相手だ!」

俺を認めるなり、ハーピアは喜色満面で頬に手を当てた。
「あーら、あーら、まぁまぁまぁっ!
御指名?あたしを?
こんな所で再会なんて、運命感じちゃうわぁ。」
「………別に運命は感じない。」
追いかけてきたも同然だからだ。

「まあ。冷たいわっ。」
そう言いながらも満更では無さそうである。

しかしレイは気付いていた。肝心なのは、この挙動の下に隠された本当の反応だ。彼女としては俺達がここに現れて好都合なのか、違うのか、それとも何とも思っていないのか___。

「下手っぴには下手っぴのやり方があるのねっ。あたし、ほだされちゃいそう。
これからの成長に、あたし…この豊かな胸を期待で膨らませちゃう。」
金色のハーピアは悩ましげな溜め息をつき、蠱惑的なポーズを取る。
いわゆるセクシーポーズ。
リィナの視線が痛いのに気が付いて、慌てて視線をそらす。その視線だけで刺殺されそうである。
違うから。そーいうつもりじゃないから。

そしてハーピアは俺の注意が自分から逸れたのが御不満の様だった。
「他の娘を気にしてる場合じゃないのっ。
女の子がどーでもいいコトを話してくるのは、アタシを口説いて♪って意味なんだから。
勘の悪い子はモテないわよぅ。」
リィナの方を見ると、同じ女の子である彼女はわりとナチュラルに左右に首を振った。

所詮は戯言。
そして俺達はまた、ハーピアの戦意をそぐ事に成功したようである。
そう思った瞬間。

「お喋りは大好き。でもね。」
風圧の衝撃による圧倒的な暴力が、自分達のすぐ左側に続く城壁を上にいた人間達ごと砕き壊した。

「扱いやすい女と思われるのは困るの。」

「_____っ!」
声も出ない。
彼女の気紛れひとつで、今やられたのは俺達であったかもしれない。
そして彼女の頭の中は既に別の事に切り替わっているのだった。

「今日は貴方のダンスの相手はしてあげられないのよぅ。強引にっていうなら満更でもないけど。
ホストはお客様よりも先に会場に着かないとねん。」
「…どうするつもりだ。」
彼女ほどのハーピアが“客”と呼ぶ新手。想像するのも恐ろしい。
ウインクと共に返って来た言葉は、この先の展開を想像させるに十分だった。

「アヴェラルドってさぁ、とぉってもステキよね。
既婚者なのが勿体ないわ。」

つい、と優雅に空を泳ぐ。
翼が無い俺には止める術もない。ノーマークで城壁を越える。

「行かせない!」
先程の風でひっくり返っていたマルコがいち早く態勢を立て直した。
赤い塊が真直ぐハーピアの背に打ち込まれる。煉瓦の欠片だ。
しかしそれは容易く弾かれた。

風の衣。
これがこの雨の中、ハーピア達が羽を濡らさずにいられる理由。

「レイっ…。」
アッシュが指差す先には、続々と侵入してくるクラーケン達。
かくして泥まみれの戦いの火蓋が落とされた。

街の中になだれ込んだクラーケン達は、迷う事なく思い思いに突き進む。
目指している先ははっきりしていた。
城だ。
それを認めるなり、アッシュは城壁の上から飛び降りた。

衝撃波動オーラインパクト!」

呪言の発動光が酷く明るく見える。
光が強まると闇が濃くなる。
だから呪言が発動した今になっても、その術の実体を目で捉えられない。

見えない何かが通ったように飛び散らかされる雨。
それだけがその軌道を教える。

それは家々を軒並み数軒薙ぎ倒して、確かにクラーケンの一団を足止めした。
「おま……!?」
「大丈夫!住民は避難済みだ!」
「そーいう問題か!?
どう考えても責任問題だろうが!」

追いかけ飛び降りた俺に、“しーっ”とアッシュは人差し指を口の前に立ててウインクする。
このどさくさで、今のをはっきり目にしたのは俺くらいだろう。
つまり俺が黙ってりゃ分かんないってか?

「やるじゃん。」
敵に向かい走り出すと同時に抜刀する。
これは新米仲間どころか、侮れない好敵手かもしれない。




「かはっ___げほっ、げほっ。」
塔の窓枠を掴むその指は病的に白い。
苦しそうに身体をくの字にして咳き込む愛する人によりそい、サラフィーはその背を撫でた。

「無理しないでください。」
こんな事を続けたら、身体の弱い彼は死んでしまう。
しかし彼の力なくしてナレークが持ち堪えられるとは思えない。
ナレークの王として、彼女には“もうやめて”など言えるはずがなかった。
彼もそれを知っている。

強すぎる力は術者を蝕む。
精霊に愛されたがゆえに、その寿命は削られていく。

いつの間にかこんな考えを禁じ得なかった。
彼が今生きていてくれる事が既に奇跡なのではないか。
自分は天にいるべき存在を憂世に繋ぎ止めているのではないか。

ただ声もなく頬をよせ合う。
全てを捨てて共に生きたい。
言葉にはしない。二人とも分かっていた。
逃げられる場所などありはしない。

“ずっと側にいる。”
約束はまだ、果たされ続けている。




魔術師や後衛は城壁の上で、前衛になりうる者は街路で。
言わずとも生まれていた役割分担の効き目は絶大で、敵の侵入を拒む事が出来なくなろうとも城壁の加護は大きかった。
だというのに術者達が絶対的有利に立てない理由。
それはあの金色のハーピアの置土産。
一群のハーピアだ。

そいつらは上空から術者達を襲い、クラーケン退治に集中するのを妨げる。
そして降りやまぬ雨もじりじりと体温を奪って来る。
地の利はあっても場の利は向こうに向いていた。

呪文詠唱には一定の時間が必要なのに、それが叶わない。
それでも赤毛の少女は一際高らかに詠唱を開始した。連発にもかかわらず呂律ははっきりと詠唱速度も落ちない。

「荒ぶる光、猛火の___きゃっ!」

ハーピアの爪撃。
想定の範囲内。
いつもの調子なら避けれたろう。
詠唱を中断せずステップだけで躱しは出来た。ただ着地地点の足場が。
崩れた。

城壁自体の耐久度も既にいかばくもない。
抗い切れず少女は空中に投げ出される。
背中から___もしくは頭から___着地するには高すぎる。
来るべき衝撃に目を強く瞑った。

「よっと!」
しかしその身体が地面と衝突する前に、少年の腕がそれを受け止める。

「レイ。」
「ちょっと休んどけ。」
ぽかん、とリィナはレイを見上げた。彼に対してはいつも吊り上げられていた眉も今は険悪さを失い、この年代の少女らしい愛らしさまである。
本人はそれを自覚しないまま、ただ自分と相手の関係を思い出して瞳を逸らした。
彼もまた少女の予想外の軽さに戸惑っていた。

「あんたって本当に……。」
「ん?」
「変わり者よね。」
少女が口まで出かけていた台詞を言えないうちに、言葉は不意に封じられる。

迸る魔法の発動光。
なんだ…あれ。

城のてっぺん辺りで強い光が紋を描く。
……転移魔法。

誰が行ったかなど考えるまでもない。
「“お客様”の御来場ってか…!」

風が低い唸り声をあげている。
圧倒的なプレッシャー。
一体何が現れる?

光円中に水からあがるように出現した大きな影。
はっきりした姿は、光に目が眩んで分からない。

魔法が施行完了され暗闇が戻る。だが目が暗さに慣れる前に___。
その体重は城の許容量を軽く超えていたようだ。
嫌な音を立てて床が抜けたのが見えた。しかし城の半ばくらいで崩壊は止まったようだった。

壊れた壁の向こうに見える鱗に覆われた長い首。
ドラゴンの眷属。
「すっげー…。」
状況も忘れて感嘆を漏らしていた。

人間には把握出来ない程の莫大な知識の生ける辞典にして、人の身では推し量る事も適わない魔力を備える美しい魔。
モンスターの中でも一線をきした存在。

それが、あれなのか。

轟く鳴き声が地表を震わせる。
怖いかも…しれない。
今更になって初めて、そう思った。

「………こんな事。」
震えたナレーク語の声。
振り返る間もなく、脇を誰かが駆け抜けた。
アッシュだ。
器用に眼前のクラーケンに持っていた穂先を引っ掛け、僅かな隙間を作った。そこに滑り込み、手前のクラーケン達を突破してしまう。
目指す先は真直ぐ___城。
すぐにぱらぱらと騎士達も城への道を塞ぐクラーケンを片付け始める。

城に向う奴等と、この場で城壁の穴を塞ぐ奴等。
皆は二手に分かれる。
「レイ。俺達はここで踏ん張るか。」
「そうですね。」
コニスティンさんに答えた。

口内に渇きを感じる。
みっともない事したら、新米仲間のお前に合わせる顔がない。
じゃあな、アッシュ。
俺は俺、お前はお前の場所で踏ん張る。
それが俺達の絆だ。

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