魔術公国の龍殺し 7 はじめての複合魔術


人の暮らす見慣れた空間に龍がとぐろを巻く。それは、とんでもない違和感をもたらすはずだ。
しかし今は、“異物”は俺らの方だった。

生唾を飲み込む。

俺はただ心を殺して、イメージを慣れ親しんだ冒険者学校の授業と重ねようと必死だった。
これは試合と何ら変わらない。そうだろ?
はやる心を、もしくは萎えようとする心を押さえ込む。
いつも通り戦えばいいんだ。

力むレイの背中を、元気づけるようにコニスティンが軽く叩く。リーダーである彼には、こんな状況でも周囲に気を配れるだけの勝負強さがあった。

今にも切り込もうとする前衛二人に、マルコは小声で注意する。
「ストップ。
あいつの足元、あれは毒の沼だよ。触れたら終わりだと思った方がいーね。」

「なら遠くからぶつけりゃあいいだけだ。」
レイは間髪入れずに答えた。
うねる七本の首。的は大きい。外す、なんて心配するだけ無駄だ。
呪言を詠唱するにつれ、ぐっ、と刃が重くなる。
まだ駄目だ。もう少し。
普段のエネルギーの数倍をこの一撃に乗せる。

「なにくそ___!」
叫びと共に振り切った。放つは銀の斬撃。

ばつん。

「…!?」

やけにあっさりと狙った首が切り落とされる。落ちた先、沼から飛沫が上がった。
こんなに簡単に?
とてつもない違和感と不安感。
思い出すんだ。あのヒュドラの伝説サーガに何が記されていたのかを。

音もなく___粘土でもこねるように首が再生する。
「それが汝が牙か。
効かぬ。効かぬな。」

これが古の力と呼ばれる由縁。
それは、とてつもない再生能力。

「惚けてる暇は無いぞ!レイ!」
再生したての頭部をコニスティンの風の呪言が斬り崩す。しかしそれもすぐに治ってしまった。
そこを、にわかに勢いを取り戻した猛火が舐める。
「奴はクラーケン達の親玉なんでしょ?ならきっと、あたしの炎が…。」
「とはいっても、見ろよあの鱗!」
ヒュドラは火花から嫌そうに顔を背けたが、体表を覆う鱗が完全にそれを防いだ。雨が炎をかき消してゆく。

「さて、どうしたものかな。」
コニスティンの呟きに、俺達は心から頷いた。

ヒュドラは、赤ん坊を見るような眼差しから、暖かみというものをごっそりと欠いたような瞳を俺達に向けていた。自分の意志一つで俺達なぞどうにでもなる、とでも言うように。
攻撃が通らなけりゃ手の打ちようがない。
罠に嵌めるか?どうやって?

「リィナ姉ちゃんの、わりといいアイデアかも。」
一人沈黙していたマルコが呟いた。
「炎で首を切り落とした断面を焼くのさ。再生する細胞を殺せば生えてこなくなるじゃん。」
「なるほど。
でもあの雨で消されちまうぞ?」
「問題はそーなんだよね。」

ちびっ子はやれやれと手をあげ、首を傾げた。それはとても自然な所作で。
驚くべきことに、彼らはこの状況に慣れ始めている。
敏感な判断、時には順応。そこから生まれる臨機応変さが冒険者。
レイは唇を引き結んで、ただ感嘆した。
俺もこうなれるんだろうか。いつか。


低い笑い声がこの場を占めた。空気どころか空間をも揺らす、災厄のような重低音。
ドラゴン
その存在は自然そのもの。
その前において、人の存在はかくも脆い。

「汝等の希望を断つ…我、世の節理を説かん。」

龍は嗤う。人の非力さを。
くちゃり、音を立てるように開かれたあぎとの奥が、燐光を放った。

「下がれ!」
「ポイズンブレスだよ!」
渦巻く瘴気。
コニスティンさんとマルコの警鐘のごとき叫びもむなしく、その効果範囲は……広すぎる。

「っ………“柱火”!!」

紅髪の少女が飛び出した。
揺らめき立ち上がったのは幾本もの炎柱。たちまち炎の壁が築かれる。
しかし龍の吐息と衝突する前に結果は見えていた。

命を刈る霧が、濡れた轟音とともに吹き付けられる。
直前、広げられる少女の腕。
無意味と知りながらも立ちふさがり俺達を守ろうというのだ。
華奢なその体躯で。

しかし自分は彼女の背中を眺めたまま、身じろぎひとつ出来なかった。
全てを投げ出してみっともない姿を晒さなかったのは、晒さなかったからじゃない。出来なかったからにすぎなかった。
これじゃあ何のためだったのか分からない。
冒険者学校のあの日々が、一体、全体、何のために。

「我らが鷹の旗のもと、我が敵をなぎ倒せ。拳にかけて告ぐ。
我を下すこと何人たりとも能わず。“防壁吹雪ブリザード”!」

ひゅうっ、と軽快に鳴りながら、足下を吹き抜ける涼風。
たちまち具現化したのは包んだものを凍り付かせる風。
龍の吐息はキラキラ輝く氷晶となり風に散る。

「誰なの!?」
リィナには自身が魔術を使うがゆえ、なおさらその特異が分かるのだろう。

複合魔術。
魔術の才ある人間に、神が与えた能力は一種類である。しかしごくまれに、二種の属性を同時に行使できる術者がいる。
それは自らの魔術を使うと同時に、重ねて新たな属性の魔術を行使できなくてはならない。重ねた側の魔術の分類は正確には呪言になるのだが、精霊に愛された人間が唱えれば魔術の力を帯びる。
しかし紛い物でありながらも人の手に余る力を同時に行使するなど___。

「ふん。死に損ないか。」
「貴様には残念だが、私はまだ死ねん。日頃の鍛練が違うからな!」

吐き捨てた龍の台詞に答えたのは、乾きひび割れた声。
すぐ後方の瓦礫の中。
半ば崩れた煉瓦に埋もれるようにして、一人の魔術公国騎士がいた。

再びヒュドラのあぎとが開かれる。
しかしブレスは届かない。
並外れた精神力と技術力、その全てが行う離れ技が眼前で発動する!
「“防壁吹雪ブリザード”…っ!」
レイにはただ、右手と左手で違う印を結んでいる事だけしか理解することは出来なかった。
氷混じりの風がヒュドラのブレスを阻む。

おおう、と嵐のようなヒュドラの怒声が響いた。
「なんと小賢しい…!」
「小賢しい?誉め言葉か。」
ふん、と騎士は笑ったが、その白い顔色は粉塵だけのせいのはずがない。

彼は身を起こしすらしなかった。

それに考えが至ったとき、レイは間髪も入れず叫んでいた。
「“竜撃斬”!」
瞬時に生じた斬撃は、手近なヒュドラの首を切り落とす。

彼を助け起こす時間を稼ぐ!

「ブレスが効かずとも、幾らでも術あり。」
「おっちゃんの前ではさせられないな!」
別の首の一撃をコニスティンさんが斬り飛ばす。
マルコとリィナは二人がかりで彼を引っ張り出そうとするが、なかなか果たせない。
交互に首を切り落とすが、それが本当の時間稼ぎにしかならないのは承知の上だ。

事態は極まっていた。長くは保たない。
力尽きてこの抵抗を終えてしまえば、一撃必殺にて全てが終わってしまうだろう。

しかしじきに、騎士はふらつきながらもマルコに縋って立ち上がる。彼はアッシュにガーランドと呼ばれていた騎士だった。
その瞳はどこかうつろではあったが、ハッキリと焦点を龍に合わせている。

数歩下がって彼らと合流する。
この状態、一人下手にバラけるのは得策ではない。
ぽっりと、ガーランドの言葉が零された。

「……アヴェラルド様は?」
「間に合わなかった。どうなったかは……分からない。しかし、」

分からないけど分かる。

「あんたらは負けたんだ。」
それは疑問の言葉を口にしたとはいえガーランド自身にも明白な事実だ。だから同然、彼の瞳は絶望に染まっているに違いないと、確信にも近く俺は思った。

でも、違った。

彼は白くなるほどに拳を握りしめながらも言った。
「まだ負けてはいない。負けたのは全てが息絶えた時だ。
私は生きている。おそらく他も。
あとは、一刻もはやく奴を下す事だ。だろう?」

死んでしまった仲間と、まだ生きて助かりうる仲間と。
希望の炎は未だ潰えない。彼らの闘士それそのものがナレークの守護なのだから。

_____そして、俺達の希望も。

「ねーねー、騎士さん。
何でアヴェラルド様は負けたのさ?」
ねぇねぇ、なんて言っておきながら、マルコはがっちりとガーランドの肩をホールドして自分の方へ向かせる。
「だから負けていないと…!」

「ヒュドラの属性は水だろ。アヴェラルド様の雷とは相性が悪いはずでしょ。
なのに一方的すぎる。」

はっとした様子でガーランドは頷く。
マルコが知りたいのは、その希望を大きくするための情報だ。
その見透かすような瞳は俺の知らないものを有している。

「今は自らの周囲の短い範囲に降らせている雨、あれを私達全てに及ぼしたのだ。
雷撃はヒュドラを焼くだろうが、同時に水を伝って我らを殺す。それをあの方は分かってしまわれた。」
憎悪なのか自責なのか、彼は歯を食いしばり、何かに堪えている風情だった。

「だから“あえて”の水なのか。」

アヴェラルドの名は有名である。それこそ魔にも人にも。
雷のアヴェラルドに対して、普通に考えればこの当て駒はとてつもない失敗に思える。
人という存在を知るがゆえの“あえて”。
その配斉は感服どころか、恐怖すら抱かせるに十分だった。
己を知って敵を知らば百戦危うからず、ってか。

ブールに潜む魔の事を、この時レイはまだ知らない。

「このままじゃジリ貧だぞ?
雨さえ、止めば。」
斬っても斬っても一本ずつ再生していくヒュドラの首に果ては見えない。
コニスティンが髭を撫でながら呟く。
あの雨は奴の防護壁であり、攻撃の手段でもあるのだ。それを断ちさえ出来れば希望も見えるかもしれない。

「きっといけるさ。僕に策がある。」
皆の視線がマルコに集中する。

「あの角を壊せばいいんだよ。」
いたずらを思いついた子供のような笑みが、彼の幼い頬に浮かんだ。

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