魔術公国の龍殺し 8 はじめての希望


炸裂音のたびに派手に飛び散る赤茶けた塊。
その中をサラフィーは機敏に駆け抜ける。
それは銃弾の雨の中をかいくぐるのに似ていた。
しかし彼女はフィールドを掌握しており、本来なら敵に背を向ける必要などあるはずもない。

“本来”___これが並の相手ならば。

サラフィーには追ってくる者を振り返る必要すらなかった。
人の存在を超える“魔”。
圧倒的な暴力の中心。
捕食者。
背中に目があったとしても、こんなにはっきりとは捉えられなかったろう。

魔術師の非力さゆえ、一撃でもまともにくらえば致命傷になりかねない。
自分の攻撃も盾さえも数秒のタイムラグを生じさせる程度の効果しかないのは実証済みだ。
今はただひたすらこのハーピアを引きつけ、逃げるしか出来ない。
___しかし必ず隙を作り、彼女を下す。

「女王様ぁ。」

その発言は実に唐突だった。
ぴたりと攻撃が止む。
「あたし、本当は獲物をいたぶって喜ぶ趣味はないのよねっ。
ほら、あたしってば可憐で付き合いもいいから?ちょおっとだけノってみたけどぉ。
一概に言うとねん、あたし……飽きちゃったのぉっ。」

だら、とハーピアの両腕が垂らされる。それが合図となり、周囲からハーピアの群れが現れた。
一様にサラフィーに殺気を向ける。
「……そんな…。」
今までもっていたのは、相手が一匹だったからだ。
避けた先に攻撃されたらどうしようもない。

それでも。

「………ここで私が戦わなくては。」
両肩にかかったものを捨てられない。





「作戦開始っ!」

マルコの号令はすごいギャップにも、子供の遊びを思い出させた。
こんな時にそんな事を思い起こせる自分に驚き、同時に安心する。レイは体の無駄な力みが抜けるのを感じた。

右に俺、左にコニスティンさん。
動かないリィナ達の前には、騎士御用達の盾を構えてガーランドが陣取る。
即座にコニスティンの呪言構成が編み上がった。
無数の風の刃が放たれる。
「な、レイ。手数が多いと潰しが効くだろう?」
「……まあ。」
いくら手数が多くとも、立ち止まらないと行使できないのは十分まずいと思う。

明解な答えは控え、前方へ走り込んだ。
後ろから自分を追い越したコニスティンの斬撃は、小気味よいくらいの勢いでヒュドラの首をどんどん切り落とす。

効かないのは知っている。
ただ、始めに再生するのが中央の首なのも知っている。

「ちょっと大人しくしてろ!」
中央の首が再生した瞬間、その口内へ横殴りに叩き込む!
刃は龍の牙に挟まれ、その口を塞いだ。
「…不覚!」
くぐもった言葉は眼前で発される。

再生中はあまり大きな動きはしない、その前提しか自分を守るものはないのだ。
自らが盾となり後衛を守る。
それが前衛の……剣士の、俺の役目だ。
それは冒険者学校では実感しえなかった事。

龍に考える暇を与えず、魔法が発動する。
「“防壁吹雪(ブリザード)”!
そのままキープだ。
日頃の筋トレの成果が試されるぞ!」
的確に角を狙うガーランドの吹雪。
角は周囲の雨ごと凍り付いた。
……凍り付いただけだ。現段階では。

「ふ。
やはり越ええぬ壁か。力弱き者共よ。」
くかか、と龍は笑い、加えていた俺の剣を吐き出した。
その眼が俺を捉える。
レイは目をそらさないまま後退した。それでも逃げるには近すぎる。
しかしこの数歩はその為のものではない。

すでに策は通っている。

ガーランドが脇に一歩だけずれた。
現れたリィナは、すでに詠唱を終了している。
「あんたの敗因は、その余裕しゃくしゃくの態度よ!
喰らいなさい…“柱火”」
眼前で熱気が弾けた。
巨大な炎の円柱が龍を包む。

「ぬうっ!
されども効か………ぬ?」

ピシッ。

硬質なものが割れる音。
皆の視線が集まる。
ヒュドラの角に亀裂が走っていた。

「温度差、ってね、時にはとーっても硬いものでも壊しちゃうんだよ?」
マルコは龍に挑戦的な視線を送る。怯えはない。
か弱き人の子の少年と、古の力そのものである龍と。
その間に有るべき力関係は見えない。
「僕らが非力なのは仕方ないよね。でも無力だとは思わないよ。
切り抜ける方法を見抜いてやるからさ。」

ばきん、と一際大きな音が鳴る。

「___オ、ォオオオォオ!!」
大気が絶叫した。





ぼろぼろの壁の向こうから、穿つ音がまた響く。
一刻も速くサラフィー様の所へ。
しかし無惨に破壊された城が迷路のように自分の前に立ちふさがっていた。

「くっ……また!?」
道があるはずの所に道はなく、道のないはずの所に道がある。
その崩落、通路を埋め立てる瓦礫、人為的な大穴などが戦いの激しさを物語っている。
アッシュには道をふさぐ瓦礫を取り除く時間も余力もあるはずがない。
「今度こそ強行突破するんだ…!」
根性と気合いでよじ登ろうとするが、またも崩れる煉瓦に巻き込まれる。どうやら自分の根性にはガーランドの言うような効果は無いようだった。

もう手は一つしかない。
騎士が自分の仕える城を意図的に破壊するなど言語道断。
しかしそんな決まりに縛られていては、守りたい者を守れるはずがなかった。

「“波動衝撃”!」

自分の能力を鑿と鎚にして掘り進んでいくにつれ、甲高い鳴き声がはっきり聞こえるようになっていく。
衝撃によるダメージ、水による劣化、サラフィーの能力による薄弱化。
おそらくその全てが味方して、道は開けた。

「ぅっ!?」
城内をハーピアが飛んでいる!?
奴らが揃って狙っているのは一人の女性___サラフィー様だ。
無事でおられた。
直ちに加勢せねば。あの方を守らねば。

しかしアッシュとサラフィーの間には大きな穴が口を開いていた。これはサラフィーの術によるものなのだが、アッシュにそれを知るすべはない。
これを越えなければ近寄れない。
「どうすればいいんだ…。」

ハーピア達はまだ私に気がついていない。
私にもハーピア達のように翼があればよかったのに。
ふと気がついた。
翼は、ないが。





「………ここまで、なのですか。」
空中に円を描いて自分を取り巻くハーピア達に、サラフィーは絶望をひしひしと肌で感じていた。
上階までぶち抜かれた天井近くを舞う、美しい魔達を睨み付ける。
魔力は尽きつつある。
しかし、まだ諦めたくない。
それでも私に許可も得ず現実は決されるのだ。

“待っている”と言ったのに。
私は“私個人”ではなく“王”として死のうとしている。
必死で印を結んででもいなければ腕の震えはおさまらない。
私は、王で、王であって、王なのに、まだ、死にたくな___

瞬間、いきなり自分に投げかけられた柔らかい影。
ふわりと吹き下ろしたそれに反射的にまぶたをおろす。なぜか夏の木陰を吹く涼風が思い起こされた。

「サラフィー様、遅くなりました。これからは私が貴女様の盾になります。」
目を開ければ眼前には、自分を守るように立つ公国騎士の鎧を着た青年。
「あなたは…。」
どこから現れたのだろう。
彼の肩越しで、面白がるように黄金のハーピアは瞳を細めた。





無理な跳躍の支えに用いた槍は折れた様子はない。多少曲がったのかもしれないが。
アッシュはその丈夫さに安堵する。
思い付きとはいえ、自分の全体重を槍一本に委ねるのには不安があった。
よくぞ穴を飛び越えて、かつサラフィー様の頭上のハーピアを叩き落とすだけのことができたと思う。

だが頭と思われるハーピアは、仲間をやられたはずなのに慌てる様子も見せない。
「あらあらあらぁ〜?
こういう事があるから、人間って面白いのよねぇ。」
アッシュは美しすぎる魔と対峙し、自分の頭が冷えていくのを感じた。
ほんの数分前の自分ではこうはならなかったろう。

「もう少し楽しめそうねぇん。
あたしを楽しませてくれるんでしょぉ?そうよねん?」
一世一代の賭け。
アヴェラルド様の命(めい)を守るために。
携えた槍を使って、彼は翔んだのだ。
これが後の“闇駆ける鷹”“退魔騎士アッシュ”の始まりの一歩だった。

そのハーピアを前に不思議と恐怖は無かった。
「次は。」
「あらぁん?」
はっきりと言葉を発する。
「私が相手だ。」
あの方がこの方を、最後に私に託したから。
託してくださったから。

「なりません!」

制止したのは、驚くべきことに背後の女王。
「貴方を……私の部下を、もう無駄に死なせることはできません。」
「な…」
何を言っているのかアッシュには理解できなかった。
そんな彼にサラフィーは後方を指差す。
奇しくもそれは彼女が一生の伴侶と定めた男が、僅かな時間前に行ったのと同じ行為だった。

「あなたは避難地区を守ってください。」
「どうしてですか!」
アッシュは噛みつくように叫ぶ。
貴女もアヴェラルド様と同じ事を言うのか。

「うーふふっ。一気に来てもいいのよぅ?
パーティーに飛び入りはつきものなんですものぉっ。」
水を差す声は異様に楽しげだ。
余裕綽々なハーピアと視線が交差する。

笑ってやがる。
待つつもりだ。
何故?
心なしか、僕を見る瞳が獣を思わせる輝きを湛えている気がする。
心臓が縮まるような心地がした。

ハーピアから目を逸らさないまま、一言一言刻むように言う。
「貴女様をおいては行けません。このままでは、貴女様は__」
言いながら、それが理由ではないと知っていた。
今のサラフィー様も、あの時のアヴェラルド様も状況は同じだ。
自分が引きたくないのは、自分は庇われて守られて戦いもしなかった、と後から引け目を感じたくないからにすぎない。

これはサラフィー様の為ではない。ちっぽけで卑屈な自尊心のために命をかけようとしているだけだ。
心の中で言葉にして初めて、その卑小さに吐き気がする。
なんという自己嫌悪。

沈んだアッシュを、自分のせいだと思ったのか、サラフィーはその肩に手を触れ、穏やかに口を開いた。
その瞳に、たおやかでありながら譲らない輝きが灯る。

「あそこにはウンディーネが、私の娘がいます。私はあの子を守りたい。
しかし、他の者も同じなのです。
皆が皆、あそこに大切な存在を守っている。
私はあの子を失えば血を吐くほど苦しむでしょう。
そしてそれは私に限ったことではない。
その気持ちがおもんぱかれるからこそ、誰も失いたくないのです。」

その言葉は“母”の感情論。

「そして逆も然り。私が死ねば、あの子も悲しむでしょう。
だから一人でも多くの者に死んでもらいたくない。

それなのにこの惨事を防げなかったのは私が至らないからです。」

長年の疑問が氷解したようだった。

王だから守るんじゃない。
王の器だから守るんだ。

不躾と知りながらサラフィー様から瞳が離せない。
この方のおっしゃることを、もっと側で沢山聞きたい。

聖母の加護にこの国は抱かれている。

これは優しい微笑みを浮かべる彼女への、恋なのかもしれなかった。

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