曇天、虹色地平線 剣と筆と1 in the wonder world


イアデ村から南へ上った先にあるリガント山は、険しい山脈を越え盆地から抜けられる二ヶ所の内の一所だ。
農道を抜け、村から登山口までは歩いて半日とかからない。ここは昔は旅人とか隊商とかで賑わったらしいが、今となっては誰も手入れをしなくなって久しい石造りの街道のみが名残だ。イアデ村が他の村より大きいのはそんな理由もあったのだろう。
そんな訳で、夜明け前には村を出られた俺達は、午前中の内にそこに着けたのだった。
苔むした道標がここから登山道であることを示している。辺りは草茫々で、これがないと獣道と見分けが付かないくらいだ。

「ここ・・・上るんですね。」
「道は大丈夫だ。俺はこっちへ来る時一度通ったからな。」
不安げな呟きに安心させようと答えるが、だからって警戒心が薄れるのもまずい。俺はこういうのは苦手なのだが渋い顔を作って付け加えた。
「その時は俺は一人だったから、君がまずい行動をしなかったらだが。」
一気に彼女の表情が強張った。逆効果だったかもしれない・・・。ベストとは言えない状況で、俺達は緑の中に踏み込むこととなった。
暫く上ると分かれ道がある。一つは道、もう一つは獣道だ。まあ一般人には見ただけでは分からないかもしれない。丁度分かれ目に生えた低木の枝に手を掛け、持っている地図を広げる。
「こういう所には印を付けて置くんだ。似たような所と間違えないように。」
向こう側で買っていたこの山の地図を広げ、現在地にマークする。木の根元の結び易そうになっている部分に茂った草をかき分けた。そのおかげで見覚えのある古びたテープが現れる。俺は思わず短く声をあげた。遥か昔の亡霊が自分の前に現れたような気分だ。
「どうしたんですか?」
「あー、これ、随分古くてもう使われてないみたいだから、外していいかな。」
本当なら他人の付けた目印を外したりはしない。テープは随分あっさりと外れて、握り締めた俺の拳の中で乾いた音を立てた。

誰かと旅をするのは久し振りだ。話題もなく黙々と進むうちに時計の針は正午を指してしまう。
話したいことがないわけじゃない。むしろ逆だ。でも美術論に疎い俺では個人的なことに踏み込むだけな気がして切り出せない。だから黙ってただ足元の草を掻き分けて、後続の彼女に道を歩きやすくする作業に没頭しているふりをしていた。

「疲れた?俺、歩くの速い?ここいらで休憩しようか。もう昼だし。」
この雰囲気に早くも気疲れしてきていた俺は内心話題ができてホッとする。
「私は大丈夫です。もうそんな時間なんですか・・・。」
確実に疲れ切った表情で、それでも虚勢をはったまま彼女は頷いた。足に絡み付いた雑草を取り払い、手近な石に腰掛ける。俺も傍らに背負った荷物を下ろして中から鍋を取り出す。
彼女は俺が気がつくまで歩く速さが速すぎても弱音を吐かず、荷物を持つよと言っても頑として首を縦に振らず、青い顔をしながらもがっちり俺の後を付いて着ていた。根性はあるらしい。歩くのが速いぐらい言って欲しかったが。

ほつれた長い髪を髪飾りで止め直し、俺の手元に目をやった彼女の動きが止まる。
「・・・珍しい時計ですね?魔術動源じゃないんですね。」
「これ?」
俺は軽く右手を動かす。時計自体が珍しいここいらで、そんな指摘をされるなんて思わなかった。
「ずいぶん昔に機械帝国で貰ったんだ。機械仕掛けなんだってさ。」
魔導式と違って呪文の効果が弱まり、かけ直して貰う手間がない分重宝している。壊れたら直しようがないのも確かだが。
「私も時計欲しいな・・・」
「向こうで買えばいいさ。金があるなら。」
「・・・ですよね。」
勿論そんな金ある筈がない彼女は寂しい笑みを浮かべる。冒険の始まりはいつもそうだ。俺もそうだった。金も実力もなく、新しいアイテムや武器など欲しい物だらけだった。それを日々を積み重ねると共に少しずつ集めていったものだ。懐かしいが、もう返らない日々。その時はいつも側に___

「レイさん?」
「水、汲んで来る。そっち入った所に川があるんだ。」
掛けられた声に我に返り、笑ってみせる。彼女が頷くか頷かない内に背を向ける。もう忘れられたと思ったのに。気を抜いた途端蘇って来る光景を、頭から追い払うことが出来ない。あのテープのせいだと分かっていた。振り返りもせず早足で水辺までやってきた俺は鍋を投げ出し座り込んだ。




レイさんはどうしたんだろう。ころころ変わる表情の中に辛そうなものが混じったのは気のせいか。
膝に抱えていた私のナップサックを下ろし伸びをする。正直疲れた。でも私がお願いしたことなんだから弱音は吐けない。
それに自分がやりたかったことが思いの他難しいことに気がついた。彼がいないとここまですら来れなかったに違いない。
もう山も中腹を過ぎ、このペースなら山中で一泊もすれば向こうに着けるだろう。予定通りだが私は正直もっと速く進みたかった。・・・山で夜を明かすのは怖い。この辺りのモンスターは火を怖がるとレイさんは言っていたけど、その気持ちは山に踏み入ってからさらに顕著になった。空気が異質なのだ。
今だって、レイさんが近くにいると分かっていても怖い。たまに姿を見せるモンスターは村で沢山の人と一緒にいても恐ろしかったのだ。
ガサッ
近くの茂みから音がする。私は飛び退いて腰に下げた短剣に震える手を伸ばす。いざと言う時悲鳴を聞いて駆け付けるまでの時間を稼ぐようにとレイさんが貸してくれた武器だ。
蠢く茂みから目を離さず、短剣を構える。いつだって声も出せる。一際大きく揺れた草むらから飛び出して来たのは・・・。
「兎?」

紛れもなくその小動物は白毛の兎だ。レイがいれば捕らえて鍋に入れようと考えるだろうが、イリスには愛らしい動作でひょこひょこと近付いて来る無害な生き物としか思えなかった。
「ああ・・・びっくりした。何もあげられるものはないよ。向こうへお行き。」
お腹を減らしてでてきたのだろう。惨いようだが、ここで勝手に食料を減らすことは出来ない。
白いモコモコは私のナップサックの匂いを嗅いでいる。
「中身は絵の具とか画材だよ、食べれないよー。」
何となく話しかけたその時。
「・・・!?あっ!?」
兎は器用にナップサックの紐を引っ掛け、飛ぶように走り去る。
「駄目!待って・・・!」
中に入っている絵の具はいい。惜しいけど変わりがきく。
「筆は、筆は返して!」
堪らず叫んで追いかける。兎は速い。でもナップサックを引きずっている分スピードが落ちている。きっと追いつける。この場を離れるのは不味いけど、レイさんを待っていては見失ってしまう。私は草を掻き分け走り始めた。

兎には追いつけそうで追いつけない。進むのを邪魔する草木を乗り越えてはいい所まで迫るが、その度にまた何かしらに足を取られてしまう。
そして今、張り出した木々の隙間を潜り抜け何度目かのチャレンジに望もうとしていた。やっと手が届きそうだ。
・・・あれ。
精一杯伸した手が荷物に届きそうな時、視界になんだか違和感を感じた。兎が今走り去り、もう次の瞬間には自分が足を置こうとしている地面。
・・・何だか色が違う?
深く考える時間もなく、足がそこを踏み締める。手が荷物に届いた。
瞬間視界が反転する。転んだ?違う。足下が何か変だったんだ。バランスを崩した私は丁度横にあった木の洞の中にすっぽり入り込んだ。私に引っ張られ引き寄せられる筈の兎が、宙にかき消えるのが見える。
妖精?モンスター?こんな小さな兎が荷物を引っ張り凄い速さで走り出した時に気付くべきだったのだ。普通じゃないと。
短く悲鳴をあげ、私は洞の中に落ちていった。




「なっ!?」
悲鳴だ。何か叫ぶ声。水を入れかけていた鍋を再び放り投げ、慌てて俺はイリスと別れた場所へ急ぐ。
「くそっ、いない!」
特に争った後は見られない。どこに行ったのか、連れ去られたのか?
「勝手に移動するなと言ったのに!」
短い呻きを発し、手掛かりを少しでも見つけようと見回す。その時、緑の影に彼女の後ろ姿が消えて行ったのが見えた。何かに巻き込まれたのか?走り出しながら腰の長剣を抜いた。追いかけるしかない。
随分距離を離されているようで、道から外れて山中に踏み入ってしまうと彼女の姿を捕らえることはできなかった。でも強引に草むらを進んだ跡があるので追いかけるのは難しくない。
「うわ、見失った?」
それがぱったりと途絶えるまでは。

顔を引きつらせ辺りを見回す。ここから移動したならどこかに跡があるはずで、ないなら近くに何かがあるのは間違いない。早く彼女を見つけなければ。
モンスターにさらわれたのならもちろん、そうでないにしても一人の時モンスターに見つかってしまえば助けられない。使い方も知らない剣を持たせた所で気休めにもならないのだ。
すると目をやった木の根元辺りに鈍く光るものがある。
・・・まずすぎる状況だ。
それはイリスに渡した筈の短剣だった。

調べて見れば木の根元には罠が仕掛けられていた。作動済みだ。足下をすくうくらいの効果しかないが・・・。俺は側の木の洞の中を覗き込んだ。
これは洞のようにカモフラージュされ隠されているが、人為的なダンジョンの入口である。階段などは無く、大人がすっぽり入れるぐらいの大きさの垂直の穴だ。ここに落ちたんじゃないだろうな。何度か呼び掛けてみるが返事は無い。
信じたくないことほど真実だ。暫く辺りを探し直したが、結論としてここに落ちたと考えざるを得なかった。
どうしようか。
下で何が待っているかなんて分からない。こんな得体のしれない穴に入り助けに行くなんて考えず、彼女の事は忘れるのが賢い対応なのだろう。金も貰ってないんだし。さらに俺のミスじゃない。
「自業自得か・・・。」
下を覗きながら自分を納得させるように呟く。落ちたのは素人なんだ。下で合流出来たとしても彼女を守るハンデ付きで出口を探さなきゃならないんだぞ。あるのかすら分からない出口を。

「あー・・・。俺って長生き出来ないタイプ。」
じゃなかったら冒険者なんてやってないか。
戻って荷物を拾うと、中からロープを取り出す。状況は最悪だが、未知のダンジョンを前にわくわくする気持ちは押さえられない。
絶対見つけ出してやるから。レイは不敵に笑った。


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