曇天、虹色地平線 剣と筆と2 番人


ロープの長さギリギリの所で足は地面に着いた。およそ8メートルか。最後の方は緩やかにカーブしている。道理で上から底が見えなかったはずだ。かなり深い穴だが、穴の真下の部分の地面は蔦が絡んでクッションみたいになっている。落下したにしても怪我はしなかったろう。
「イリス!聞こえるか?」
少なくとも見える場所には誰もいない。叫んだ。声で敵を呼び寄せかねないが気にしてる場合じゃない。
自分の声は反響しながら消えてゆく。返事はない。先に進んだのか?

蔦のクッションはこの辺りだけで、先は山道と同じ石造りの洞窟らしい。クッションとしては十分だが歩くには向いてない。何とか這い出て石畳にたどり着く。そこに降り立った途端、通路に灯がともった。仕掛けによりともった明かりは誘うように辺りを照らす。
「・・・!楽しめそうじゃないか。」
所々崩れているとはいえ綺麗に四角になっている通路は、随分横に広い。ただ真っ直ぐに続いている。
その手近な所で、一匹の小鹿の死体が地面に挟まっていた。落とし穴だろう。隙間から見ればだいぶ深いようだ。迷い込んだ獲物の体重が軽すぎてきちんと作動しなかったのだろう。こんな光景をどこかで見たことがあった。
(レイ。ダンジョンにおいて進みやすい通路なんて無いんだ。これこそ典型的な罠通路さ。)
蘇ってきた声はあの時と同じように耳元で囁く。同時にまやかしであることも分かっていた。逆に自分は一人なのだと実感する。
溜め息を零した。誰もいなかろうが、あの時と同じく自分に出来ることをしなくてはならない。
当面の問題は・・・俺には罠発見が出来ない。

この通路に罠がわんさか仕掛けられているのが分かっていても、見つけられなきゃ意味が無い。落とし穴とか踏んだら生き埋めだろう。
(罠の見つけ方?お前みたいなのには無理だよ。
どうしてもって言うんなら、これは気休めだけど・・・)
俺は地面に膝をつき、斑に生えた苔を調べる。案の定、そこには踏まれてひしゃげた跡があった。不自然にくねって進む足跡だ。
誰かが通った跡の上を進む。少なくともそこは大丈夫。単純だが確実だ。跡自体が罠という可能性もあるのだが、こんなダンジョンなら考えなくていいだろう。この跡がイリスであろうと、もしかしてさらった奴であろうと、その場所まで案内してくれる。
いや、さらった奴の方であってくれ。無知は時に人の命を奪う。この足跡が無暗に進んだイリスのものであったら・・・既に罠に掛かってしまっているかもしれない。
無事でいてくれ。



・・・やっちゃった。
レイさんの忠告を無視して行動したから、自分はこんな所を一人で歩いてるんだ。
時々曲がりくねる通路は不気味で簡素である。何が出て来ても不思議じゃない雰囲気だ。ここで骸骨なんて出て来たら一歩も歩けなくなっちゃう。竦んだ足をなんとか進めながら、俯くのを耐えられなかった。
兎が来たあそこで、それが無理でも落ちた蔦の所でレイさんを待つべきだったんだ。落ちた穴は登れないと諦めた後、レイさんはこの場所を知らないから目印をつけなくちゃとか、風の匂いが違うから外が近いとか変な理由をつけて移動するんじゃなかった。レイさんとの一つ目の約束。
自分でもわかってると思ってたのに。勢いだけの自分に後悔したのは初めてじゃないのに。
地面のなんだか色の違うか所を避けて歩を進める。小鹿が死んじゃってた所も色が違った。何か危険なものがあるに違いない。
でも今さら引き返せなかった。風の匂いは目に見えて変わり外が近いのを示している。出ることさえできれば、きっとレイさんと合流出来る。祈りをこめてまた進む。

「心細いよ・・・。」
山に入った時と一緒だ。一人になってより一層感じる。自分が人の生きる場所から切り離されている感覚。こうしていると、今まで自分は人間社会という大きな生き物の一部だったのではないかと思う。そのブクブクと太った醜悪な生物に愛着を感じることがあるなんて。
右の次に左。分かれ道もない単調な通路はまたくねり、急に開けた。
「外気が!」
突然現れた通路の終わりの向こうには広い空間がある。自然の光に満ちているのが分かる。
出口だ!

逸る気持ちと共に飛び込んだ先に見えたのは、天井の隙間から覗く空。しかしそれは随分と高い場所にあった。落ちた穴など問題でないくらい遥か頭上__おそらく豪邸をみつつ積んでも足りないだろう__の天井。作られた当時は穴など開いていなかったに違いない。
青い石が嵌め込まれ空を表現している。そこを走る亀裂が結果的に本物の青天井を覗かせていた。
通路に起伏は無かった。おそらく通路は真直ぐ山の中心へと走っていたのだろう。結果、山の盛り上がりに比例して地上との距離も遠ざかった訳だ。
それは同時に、自分が随分と始めいた場所から離れてしまっていることを示していた。
「どうしよう・・・。」
外と繋がっている場所にたどり着けば何とかなるなど甘い考えにすぎなかった。
この空間は通路と違い細工された石壁で飾られ、広間といった雰囲気だ。大体立方体の形になっている馬鹿みたいに広い広間に、一人ぽつんと立ったイリスは途方に暮れた。登れるような段差もどこかへ続く扉も見当たらない。
ただ、丁度イリスの正面をずっと行った広間の端っこに、無造作に積まれた石の祭壇の様なものがあった。
なんかコレも・・・変。
感覚が示しているとしか思えない。暫くイリスはそのままそれを眺めていた。別に何も特別ことはない。むしろそれは只の石積みだと言うべきで、どうして祭壇なんて思ったのか不思議だった。イリスはそっとそれに近付く。もっと近くで見て違和感の原因を突き止めたい。



「きゃあぁああ!!」
通路の向こうから確かな悲鳴が響いた。聞きまちがえようが無い。
「イリス!」
地面を追っていた顔をあげ叫ぶ。今すぐ走って行きたい。俺の声は届いてるのか?今行くから持ち堪えろ。無意識のうちに同じ冒険者の仲間に呼び掛けている様な言葉を呟いていた。



地響きをあげ積まれた岩より誕生したのは岩巨人だ。イリスを感知してバラバラの岩塊がみるみるうちに足、体、腕・・・そして頭を形作る。
「で、でっかい!」
ゴーレムに会うのは初めてである。しかし英雄の冒険話サーガでよく知っていた。時に宝物の守護者ガーディアンであり、岩の拳は凶悪な破壊力を誇る。
こんなの食らったら、それこそ熟れたトマトみたいに潰れてしまう!
本能的に数歩下がった。ゴーレムの瞳、そこに嵌められた天井と同じ青い石が鈍く光る。
「いやぁっ!!」
飛び退いた。少し遅れて巨大な拳が地面を打ち砕く。石畳が弾け飛んで大きな穴が開いた。
背中の荷物が体力を削る。なんとか着地するがよろめいた。確かにゴーレムは遅いが、崩した体勢を立て直すのを待ってくれるほどでは無い。
反射的に身を縮ませた。避けられない。受け流すことも出来るはずがない。

ギィン!

目を閉じた少女に叩き込まれようとした凶大な拳を銀の輝きが弾き飛ばす。身構えた衝撃を失ってイリスは瞳を開いた。たたらを踏んだ岩巨人の姿が、けして大柄では無いが引き締まった肩越しに見える。
「レイさんっ!」



「離れてろ!」
レイは一言吠えると、右手に引っ提げた抜き身の剣を牽制するように岩巨人へ突き付ける。しかし相手は全く動じず突っ込んで来た。
「こんなもんが通じる相手じゃないか。」
苦笑する暇も無い。もう一度剣を振り受け流す。鋼の軋む嫌な音がした。
こんなデカブツとまともにやりあってちゃ折れちまう!

低く唱えるのは力ある言葉の真似事。すぐ振るわれるもう片方の拳を避け、宙を殴ったそれを踏み台にする。
「食らえ・・・!
『我が双銀の牙の糧となれ!竜牙斬!』」
刃が白銀の輝きを帯びた。飛び付く様にして体重でえものを振り切る。とても手慣れた動きである。ゴーレムの頭が転がり落ちた。
「おっし・・・って、やっぱり!?」
「レイさん!!」
あろうことかゴーレムの頭は地面に落ちることなく浮き上がり、元の場所に戻ったではないか。二人の悲鳴は意図的でなく揃った。
魔術による人形であるゴーレムは必ず身体のどこかに術の核がある。それを砕いたり切り離せば活動を停止するのだ。逆を言えばそうでもしないと永久に再生を続ける。もちろん頭に作らなくてはならない理由もない。
「核は頭じゃなかったのか・・・!手当たり次第に行くしかないな!」
完全にあてずっぽだった。
口ではそう言ってみはするが、そんなに剣も自分の体も持つはずがない。反動を受けて痺れた腕を誤魔化し構え直す。苦痛というものは無いのか、ゴーレムは再生すると間髪を入れず殴りかかって来た。ゴーレムの一発を潜り抜け再び振りかぶる。

「やっぱり・・・違う。
右胸です!」
耳が微かに拾ったイリスの声に白刃を踊らせる。しかし叩き込んだ刃はゴーレムの右肩半ばで止まってしまった。
パキィン・・・!
他のか所と違う中が空洞のものが砕けた音が響くなり、ゴーレムは地に転がり岩と化す。ごろごろと転がり落ちる岩を避けイリスの所まで戻った。腰の鞘に剣をしまう。

「当たりか。
何で分かったんだ?」
イリスは言葉を選ぶ様に黙り込む。
「なんとなく、です。」
「なんとなく!?」
勘で当てたっていうのか?一発で?そんなことってあるのか?
だがあの時のイリスの声は確たる自信に満ちていたように思うが。
「なんというか・・・“見えた”んです。」
「ふうん・・・。」
そんな力聞いたこともない。肯定も否定もせず頷いた。彼女はクライアント。ゴーレムを倒せた、今はそれだけでいい。

崩れた岩塊へ振返ると、その向こうで開いてゆく扉が見えた。
「・・・何だあれ。」
「初めこのゴーレムが積んであった所です!」
「出口か宝の間って所だな。」
そっちへ進もうと歩き出していた俺は腕を引っ張られ、イリスに引き止められる。
「行くんですか!?」
「行かないのか?」
イリスが俺を軽く睨む。そうだよな…彼女の護衛の仕事なんだから寄り道してはいけないのは当然だ。名残惜しいが仕方ない。
「わかりました。行きましょう!」
「いいの!?」
あっさり言ったイリスに突っ込むが、彼女は心底楽しそうだ。
「分からないですが、そっちに出口があるかもしれないですし。それにレイさんが行きたいならいいですよ。」
「ん!じゃあちょっと悪いが寄り道!」
声からわくわくは隠せなかった。微笑ましいものを見るようにイリスが笑う。飾り気のない少女はかなり大人びて見えた。

ここで引き返すことが出来ていれば、おそらく俺とイリスが旅する長い日々は無かったに違いない。


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