曇天、虹色地平線 冒険者の町2 龍殺し


ブローチのように胸元に止まったままの宝石に、レイは今日何度目かの溜め息をついた。
「いいかげん離れろ!お前は止まってたら宝石に見えるんだから、俺がブローチつけてるみたいに見えるだろ!」
『ならばおぬしの回りを飛び回った方がよいか?』
「それはそれで何か蠅にたかられてるみたいで嫌だ。」
今朝からずっとこんな調子なのだ。柄じゃないうえにこっ恥かしい。だから適当な理由をつけて外出したのだが。
『これ以上冒険者の知り合いを作るつもりはない。おぬしらはいつか必ずわしを売り飛ばす!』
疑念に凝り固まった宝石を諭すのはやめておいた。果てしなく面倒くさい。
「…はいはい。じゃあイリスにくっっいとけよ。」
『小娘とはいえ…年頃の娘の胸元に止まるじゃなんて…。』
「じゃあ肩にでも止まっときゃいいだろ!」

「こんなもの受け取れねぇ!お前さん食い逃げか!?」
「違っ!この町ではこの硬貨が使えないのを知らなかっただけで…。」
「で、払ってくれんのか聞いてんだ!」
食事所の亭主の怒声と戸惑った男の声が通りに響く。おろおろしている若い男はここらでは見ない型の裾の長いひらひらした服を身に着けていた。
知識だけで西方の魔導師服だと分かった。手に持っているのはたしかにメギオン硬貨だ。

「そこの方!黄色い髪の貴方!」
彼は行き交う人に声を掛けているようだ。その人が気前よく貸してくれるのを願うよ。人事なので、そう心中で呟くだけ呟くと、その場を行き過ぎようとした。
「あぁあっ行かないで!!!赤いブローチつけてる貴方!」
さらに高まる男の縋る声。まさかあんたが声を掛けてるのは…
俺か?

「あぁ、気付いてくれた…すいませんが30Gほど立て替えていただけませんか!?」
声どおり若い男で、整った顔立ちに今は必死の形相を浮かべる瞳は大きい。
ここは西と東の境界の町、同時に関所の町でもあるが、王国側の金しか使えない。それを知らず両替に行かず町へ繰り出してしまう旅人は案外いる。こいつもそうなのなら、しょっぴかれて鞭打ちは可哀相かもしれない。
「西方のメギオン硬貨に西方訛り…んでその服か。
信用しよう。ほらよ。」
「ありがとうございますっ!!正義を極めようと旅する者が食い逃げだなど罪を犯すわけにはいかなかった…はっっ!さては貴方は善神イゴス様のお使いか!?」
誰だそれ。善神ってのがうさんくさいぞ。ちょっと助けたことを後悔した。発するべき言葉も見つからず、取りあえず首を振る。
「ほらよっ店主!!あんたとこの店が悪魔イワコから守られますように!!!」
店主は金を受け取り、同情した目で俺を見ると店内へ去った。
「じゃあ両替所へ案内するから。」
男は大きく頷く。返す気はあるようだった。このあとすぐ両替して貸した分返してもらえば、この疲れる奴ともおさらばだ。会って数言でそう思った。
だがその予定は大幅に狂ってしまう。アマンダの所で見た若い冒険者が走って来たからだ。

「レイさん、大変、大変です!」
彼の話は驚くべきものだった。
「イリスとアマンダが連れ去られた!?」
アマンダは大丈夫だ。彼女の実力は知っている。それより…なんだあいつ。さらわれ癖がついたのか!?
「めっぽう強くて…どこの誰だか分からないんです。」
「心当たりはないのか?どっちへ去ってった?」
「全然。って、追いかけるおつもりなんですか?奴等やたら強いんです。十人はいた俺らが男一人に全く敵わなかったんですよ!」

「俺を誰だと思ってる?」

目に見えて怯え喚き散らす男は、たった一言で静かになった。
この名は望んで得たものではないし、今となっては否応なしに昔を思い出させるものでしかない。それでもこんな時には異様に役立つ。
「そうですよね…レイさんなら大丈夫ですよね。
すいませんした!どうも旧市街の方へ行ったらしいです。」
彼は俺への信頼という形で冷静さを取り戻した。旧市街は家々が入り組み並び立つ最も冒険者の町らしい場所だ。それは同時に素性のはっきりしない奴等の溜まり場とも言える。
「すまんがこいつと一緒に両替所へ行ってやってくれ!」
彼に魔術師風の男は任せ、自分は一刻も早く助けに行かなくてはならない。柄じゃないとか言ってる場合じゃない。止まったままブローチのフリを続けている宝石も身動ぎしたよう感じた。

「僕も連れてってくれ!!」
「…は?」
「今から囚われの女性達を助けに行くのだろう!?正義の二文字を志す者として見逃せない!!
僕はラシューム。君達も戦力は多い方がいいだろ?」
「遊びじゃないんだ。…ついて来ても30Gチャラにはしないからな。」
「分かってるよ!!!」



旧市街の一角のある建物。古びたそれは無人で、今は誰も住んでいないのだろう。その一部屋にイリスとアマンダは縛られ転がされていた。
「魔術使いましたよね?あの人!」
口は封じられていないうえ見張りもいない。イリスは興奮気味に呟いた。
「違うわ。あれは呪言。あの娘はおそらく…冒険者学校の卒業生よ。」
「そうなんですか!?」

「呪文を唱え、精霊に力を貸して貰うものが魔術。つまり魔術の才能がないとは精霊と交信出来る力がないことなの。でも力ある言葉(じゅもん)は精霊の加護がなくとも唱えるだけで威力を発揮する。
精霊に愛されながらも呪文を唱える能力に恵まれない人は属性使い。
呪文の能力があるのに精霊と対話出来ない人は呪言使い。
なれるのはごく一握り。一学年に二人いればいいくらいだったわ。ここらではここの学校にだけその授業があった。」

めったに無い二つの力が同時存在した時のみなれる魔法使いというものは、とてつもなく希少なのだろう。
そしてそれよりも多いとはいえ、これまた希有な呪言使い。精霊に愛されも協力を仰ぐこともなく元素を操る者。
「私には才能がなかった。…それほどの使い手がどうしてこんなことを…。」
アマンダさんが静かになる。冒険者の為に活動している彼女が、その冒険者の一人にあたる人間にこんな目に合わされるなんてどんな気持ちなのだろう。

「レイ…」
アマンダさんの呟いた名に思わず身を震わせてしまう。親しみ懐かしみに満ちた不安げな声。
レイさんはもしかして彼女の特別な人なの?なら彼女にはレイさんの代わりはいない。でも、私には…?
「怖いの?大丈夫。レイは来てくれる。私と彼がいれば抜け出せるわ。」
私の沈黙をこの状況への恐怖と考えた彼女は、私を慰めて落ち着かせようと優しく語りかけて来る。
「場所、わかるんでしょうか…。」
「心配無いわ。彼は“伝説”だもの。」



汚れた革の手袋を装着する。甲に入った龍の印を見るのも久し振りだ。おそらく二度と着けることはないと思っていた。
「おい、そこの。」
いつもより三割り増しに横柄に不敵な笑みを浮かべてみる。
「この辺りで変な鎧を付けた奴等を見なかったか。」
声を掛けられた人相の悪い男達は鋭い目付きでレイを一瞥する。怯えた声を後ろにいたラシュームがあげた。
「あんた、何者だ?この辺りじゃ探し人は無理だと知らないのか?」
「それは嘘だな。住家のことは住人に聞けば分かる。厄介事に関わるのが嫌でも教えた方がいい。」
「お前…、偉そうに!たたんじまうぞ!」
「やってみな。」

平然と答えたレイの落ち着きに殺気立ちかかって来ようとするチンピラを、仲間の一人が止めた。
「あの龍の紋章…あいつレイじゃないのか!?」
「“龍殺しドラゴンキラー”の一人の!?」
「たった四人でモンスターの大軍を倒し、幾つもの村々を救ったとかいう?ゴルゴンとかですら太刀打ちできなかったらしいぞ!」
チンピラ達の顔色が変わったのを満足気に眺める。正しくはそう見えるように。自分の二つ名が持つイメージの種類は熟知していた。
「そうだ。俺は“龍牙”レイ。ご協力を仰ごうか。」
名乗りの後にいつもどおり他のメンバーの為の間を開けそうになり、慌てて締めの言葉を付け加えた。この言葉も本来は俺のものじゃない。振り向かずとも右側にいつもいた自分より背の高い影を一瞬思い出して___打ち消した。

「だが“龍殺し”は全滅したと聞いたぞ!?」
「そ、そうだ!それにレイは二刀流のはず。お前騙りだな!?」
「あんたらは目の前の伝説より噂を信じるみたいだな。
それから一本は…折れたんだ。」
流れるような動作で剣を引き抜く。ゴーレムの時とは違い残りの手は添えず片手だけで構える。
「証拠を見せよう。」



高名な伝説級冒険者。その一人がレイさんだなんて。アマンダさんの話をにわかには信じられず、私は戸惑うだけだった。
「龍と渡り合うことが出来る程の実力を持つ四人組。皆は彼らを憧れを込め“龍殺し”と呼んだわ。
初めからそう呼ばれていたのでは無く、ある冒険がきっかけで、彼らはそんな大層な名は好きじゃないと言っていたくらいなのだけど。」
心当たりは無くもない。レイさんは岩の塊であるはずのゴーレムをあっさりと切り捨てている。そうなれば疑問なのが、どうしてそんな人が冒険要素など全くないあんな盆地にいたのかだ。しかも一人で。

「ある日…彼らはあるクエストに出かけた。そして失敗したのよ。生きて帰ってきたのはレイだけだった。
冒険者学校が生きていれば別だったでしょうが、こんな町にいても新しいメンバーも仕事も見つからない。一人じゃろくな冒険なんてできないわ。
でもそんな目に会っても冒険オタクの彼はじっとしていられないと旅に出た。」
本当にただの旅だったのだろう。仲間を見つけるとかそんなものではなく。もしかすると、仲間を忘れる為の旅だったかもしれない。

じゃあやっぱりレイさんが学校より私を選ぶ要素などない。何よりも、ずっと彼の優しさに甘えて来た私に呼び止める資格はない。
私は次にレイさんに会った時に言うべきだろう。・・・もう私に付き合ってくれなくていいよ。自分の望みに忠実に生きて、って。


inserted by FC2 system