曇天、虹色地平線 冒険者の町 4 痛み



「レイはこっち!!加勢しにくよ!!」
私達を自由にするなりラシュームさんは駆け出そうとする。追いかけようとした私をアマンダさんは手を振り送る。
「私は他に出口がないか探して来るわ。」
「え…!?」
それは理の通った話ではあった。弓を抱えた後衛のラシュームさんに非戦闘員の私。身軽に捜索しようと思えば彼女が一人で別行動するのがベストなのは私にもわかるくらい明白だ。だがアマンダさんがレイさんの事が好きなら、心配でいてもたってもいられないだろう。なのに彼女はそれよりも自分の役割を重視するのだ。
「そんな…!?」
私が子供っぽく駄々をこねるだけではどうしようもないのは分かっていた。だからといってこれではあまりにも彼女が報われなさすぎる。だが私がそれ以上言うのを制して、彼女は私に笑いかけた。
「レイは仲間の死を自分のせいだと思ってるの。側にいてあげて。」
目と目が合って次の瞬間、彼女は向こうに踵を返した。後になって思えば、彼女の方がレイさんの性格をよく知っていたのだろう。その時の私には、いつもと変わらずおろおろする他なかったのだが。



「どうした?太刀筋に迷いがあるぞ。」
「黙れ___ッ」
袈裟掛けに振り下ろした刃は何度目か避けられた。そんなことは分っている。なのにどうして師匠、あんたはそんなにあの時のままなんだ。
迷った太刀筋では師匠の影にすら届かない。稽古の時と全く同じに、相手は俺の剣を払いのけ踏み込んで来る。身体は記憶のままそれを避けた。俺の動きが見切られているのも同じだ。
弟子を見る瞳の優しさも時折入れる喝も、皆覚えているそのままで、今までのことは幻で本当はいつものように稽古しているのではないかなんて思ってしまいそうだ。だが自分に向けられた底冷えするような殺気だけが、そんな甘い夢すら許さない。

死角になった所で刃を逆手に持ち替えようとした。この動きを見られれば師匠には俺の次の行動を知られてしまう。だが攻撃にはいる一瞬前に彼は体勢を整えてしまった。目が合う。
___回避しない?
前方に突き出された腕に構えた剣の先に朱い明かりが灯る。今は何も持っていない左手も伸ばしたのは癖だった。これが俺の“牙”。考えている余裕はない。歯を食いしばる。

巌貫龍囓ロッククラッシャー!」

身体ごと飛び込む斬撃は禍々しく朱い輝きの牙を持つ龍のあぎとを夢想させる。軌跡を描く朱と並んで、今は失われたもう片方の牙すら見えるようだった。
明らかにコニスティンは当惑した。瞳に巻いた布で俺の行動が見えなかったのか?まさか。今までずっと見えているとしか思えない攻撃をしてきたじゃないか。
間に合わせに彼は斧で受けようとするが、龍はそれをすり抜けると獲物の柔肌へかぶりつく。龍牙は易々と宵闇の色した鎧を噛み砕いた。
嫌な音がした。殻が潰され中身が軋んだような。
片牙では威力が足りなかった。相手を蹴り飛ばすようにして下がる。ヒット&アウェイ。鉄則だ。それも師匠に教えて貰ったのだった。

…俺は何をしてる?
刃を向けるべきでない相手を傷つけているという強烈な感覚。こんなの___嫌だ。構えた刃が定まらないくらい手が震えた。
「…冗談だと、全部冗談だと言ってくれ…」
懇願する。もう冗談ではすむ境界をこえてしまった事を知りながら。追い込まれたのは刃を打ち込まれた相手ではなくレイ自身だった。そう、かなり深手を負った筈のコニスティンが痛みを感じていないらしいことに気付けないぐらいに。

「レイさん!」
たった一声。体が軽くなる。腕の震えが収まり、視界が開けた。
「イリス!?無事か!」
「女の子が来た途端シャキッとしてー!!泣きべそかいてた癖にー!!」
「ラシューム!アマンダは?」
「大丈夫!!元気ピンピン。」
扉を壁にして見えた二人の姿に安堵した。なんで来た、逃げろといいたいのもやまやまだが、俺の後方には確かな退路がある。俺が元気なうちに合流してこの場を誤魔化し脱出するのもひとつの手だ。作戦としてはアリだ。だが俺は相手がそんなものが通用しないことを知っていた。来てしまえばそれはそれで利用するだろう事も。

「お前ら、下がれ!」
胸元で沈黙を守っていた宝石をむしり取り投げる。赤い残像は弧を描きイリスの手の中に落ちた。俺が思うに、善神イゴスの加護って言うのは…。宝石を握り締めイリスは叫ぶ。
「待ってください!レイさん、その人は偽物なんです!」
考えなかったわけじゃない。師匠はあの暗い洞窟で死んだのだ。そのはずなのだ。だが仕草、武器の傷、戦いに関する記憶すら全く同じ偽物など有り得るのか?

「ふふ…それはある意味合っているし、同時に全く間違っている。」
思わぬ相手から返って来た返事。レイが見たのは、謎めいたその答えを待たず疾走するコニスティンの姿。標的は…イリスか!?
慌ててラシュームが連射するが当たらない。全て斧を持つのと逆の手の手甲に払い落とされてしまう。弓の動きが止まったのを見ると、矢が尽きたか。距離を一瞬にして詰める俊敏性、的確な攻撃すら無駄な防御力。師匠の前では後衛は無意味だ。
何とか追い縋るが並走するだけ。イリス達との間に割り込めない。距離が三メートルを切るか切らないかくらいで、師匠は両手を風に乗るように広げる。
「間に合え…!」
師匠の呪言詠唱は立ち止まる必要がない。尊敬の対象であったはずのそれは、敵に回した途端厄介以上の代物だ。だがほんの僅かなコンマ何秒というロスに、俺は滑り込むことに成功した。

「刻まれ舞え。風斬飛龍ウインドスラッシュ
師匠の死刑を宣告するような声に連動し出現する無数の風の刃。ランダムに宙を舞い獲者に襲いかかる。じきに身を守る術を持たない二人を簡単に切り伏せるだろう。誰よりも優しい師匠にそんなことさせたくない。
「くそっ…!?」



コニスティンさんとの間に割り込んだレイさんは刃で迫り来る風の龍爪を打ち砕こうとした。目なんて逸らせない。
身体が硬直したように動かない。しかし剣は凡そ半分くらい弾くと押し負けてしまう。もう一本あれば話は別だったかもしれない。
風刃の渦に彼の背中が飲まれる僅か前、彼が身体の力を抜いたように見えた。それは諦めではなく___どこかほっとしたようだったのは気のせいか?

人の死なんてこんなあっけないものなのかもしれない。自分の思考に身震いした。そんなこと、認めない。
「!?」
白光。いつの間にか祈るように組んでいた指の間から迸る。宝石が発しているのだ。純白のオーラが風刃を砕き、砂糖菓子みたいに脆く風に帰らす。光の波は途切れることなく風爪を駆逐した。
「イゴス様のご加護…?」
ラシュームさんの心底驚いたような声は、近くにいる筈なのに随分遠くにいるよう聞こえる。もっと近くから別の声がしていた。

『時は満ちたり。今こそ時紡ぎを継ぐ資格を与えん。』
だが、視界に入った別の光景が私の注意を奪った。



「レイさん!」
後方で何が起こったか想像はついた。イゴスの加護なのかノロクの加護なのかは知らんが、あの宝石でんせつが守護を発動したのだ。だから自分がどうして生きているのかに困惑することはなかった。
「あぁ……ははっ。」
虚しく笑う。焼け付く熱さは今では痛みに変わっていた。身体が動かせないから大分酷い傷なのだろう。

俺は死ぬのか。今度こそ。ずっと終わった筈の物語の続きをしている気がしていた。ここが本当の俺の旅の終わりか。
問題はそれが思いの他嫌じゃない事だった。やっと行くべき場所に行けるのだ。
自分に狙いを定め、動けない獲物を追い詰める猛獣のように近付く人影に意識を向ける余裕もない。脳裏に浮かぶのは戻れないあの過去。
あの時。暗い洞窟。巣。人姿の三姉妹。折れた剣。悲鳴。苦痛。振り返らず走る。何が起こったのか分らぬまま動けるのは俺だけになった。今でも耳に残る師匠の声。
(「レイ…生きろ。」)
「レイ、死にな。」
コニスティンはとてつもなく愛しいものに対する笑顔で呟く。いや増した銀の輝きが座り込んだレイの頭上に翳される。失った現実が戻る筈がない。いいや、現実はこっちか。



「させるか!!」
銀の斧が切り払ったのはレイさんではない。短い掛け声と共に飛来した何か。
不満げに何事か呟きながら目をやったコニスティンさんは少なからず驚く素振りを見せる。

緑の髪。人ならざる色。

凶行を止めるすべなくへたりこんでいた私は思わず息を吐いた。美しい。
山の緑、池の緑、様々な生き物達の緑。多彩な色を見て来た。その中にこれに並ぶ色と出会ったことがあったろうか?
フードを払い露になった青年の緑の髪はとんでもない存在感を放っている。フードから外に出ている二つに括られた髪は青かった筈だが、丁度隠されていた耳から上辺りから緑色が始まっていた。緑は青を浸食し、彼の髪は緑一色となる。
それどころか独りでに持ち上がったそれは捩じり上がり、堂々とした緑の弓を形成してゆくのだ。
「緑の民よ。なぜ彼を庇う?」
「知ってもらえてるなんて光栄。恩人を見殺しにするなんて善神イゴス様に顔向けできないからね!!」

みるみる内に出来上がってゆく弓は新緑の枝々で編み上げたように見える。彼の頭と繋がっているのを除いて。
それは二撃、三撃と緑色の矢を放って来た。一撃目と違い完成した弓の威力には驚くべきものがある。さらにその正確さ。いつまでも避け続けられるはずがない。
彼は連撃を避けながら口髭に手をやり溜め息をつく。
「ふむ。小賢しいことをしている場合ではないようだね?
完全に“レイ”の息の根を止めてからにしたかったのだが。」


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