曇天、虹色地平線 冒険者の町 5 真実



コニスティンさんは弓に怯えたように距離をとる。私は座り込んだままのレイさんに走り寄った。ラシュームさんも続く。
腹部をやられているのだ。酷い流血。力なく投げ出された足。虚ろな瞳。でも辛うじて息はしているのがわかった。服に血が付くのも構わずしがみついて叫ぶ。
「しっかり!しっかりしてください!」
「…うぁ…イリス…?」
呟きに近い返答には呼吸の音が混じる。ほんの少し力を取り戻した彼の瞳が私を捕らえる。あろうことか彼は微笑んだ。いつものどこか頼りなさげな笑いとは違う。自分の行く場所を知っているような___。このまま彼が失われるなんて事があっていいのだろうか?
私は無力だ。自分の腕の中で流れ出ようとしている命すら守る事が出来ない。夢中だった。沸き上がる慟哭は言葉として形を得た。
「レイさん、私レイさんと一緒に旅がしたいです!」
「…だな。」
「え?」
「…したいな、旅。」
暫く間を置いた返答は驚くほど力強かった。彼の瞳は私でなくどこか遠くを見つめて狭められている。いや、彼が見ているのはコニスティンさんを牽制し私達を守ろうとするラシュームさんの後ろ姿だ。

「逃げんの?」
「伝説とはいえ人の抜け殻と緑の民では、こちらが弱い。」
コニスティンさんが芝居染みた仕草で両手を広げた時、彼がバッサリと切られていたらしいのに気付いた。レイさんがやったのだろう。だが彼はピンピンしていて、血もほとんど出ていないようだ。そう言う割にある一定範囲以上離れようともしない。口に出す台詞は話を長くしようとしているとしか考えられない。
「奴さん時間を稼ぐつもりだ。レイの奴…呼吸が深い。案外ヤバいぞ!!」
ラシュームさんは振り返って言った。狙いはコニスティンさんに定めたままだが。声の主を見あげる。目が合った。アマンダさんのように覗き込んで来る事なく逸らされる。恥じているのだ。___緑の髪を?人ならざる自分を?
そういえば、と思い出す程度の私は、恐れなど全く感じなかった。コニスティンさんからのような何か渦巻く悪意のようなものを感じなかったからだろう。

「だったらどうするんだい?」
「悪いけど!!そんなの許可出来ない!!」
吠えると共に射る。小気味良い音を立て斧に払い落とされた。だが確実に敵は避けられなくなってきた。それが自分でも分かっているのだろう。コニスティンさんはヒラヒラ手を振って、時間稼ぎとしか思えない口を利く。
「当たりそうだ。危ないじゃないか?レイが悲しむよ。」



俺を確認しやがった。
形だけ腕を組んだ師匠は俺の目を見た。正気でいるか確認したのだ。嫌な予感がする。
「ならあんた自身の行動が一番レイを悲しませていると知るべきだな!!」
ラシュームが叫ぶ。どうしてこいつはこんなに怒ってるんだ?そう考えてから苦笑した。顔を下げる必要なく、いまでは血の海が視界の端に見えた。
「俺ではなく…この肉体が失われたならだよ。」
コニスティンからもったいぶって発された言葉。察しの悪い弟子に新たなヒントを与えるようなそれはまるで…。
ラシュームの肩が震える。顔は見えない。ま、さ、か、と微かな悲鳴が聞こえた。

「レイ。感動の対面だな。
これは紛れもないお前の師匠の肉体だ。魂はとうに失われてはいるが。」

「嘘だ!」
冷たい汗が流れる。魂を失った身体が動くはずないのに。
「おっちゃんが嘘をつくように見えるかい?」
「だってあんたの動きは…!」
「死後も肉体はある程度の記憶を残している。繰り返された習慣とかね。」
何度も繰り返した稽古。俺だって物事を知らない子供じゃない。だが真っ白になった頭の中は言葉の意味を理解することを拒む。
「なんて罰当たりな…!!」
一瞬の硬直から一番に蘇ったラシュームが呻く。イリスからの反応はない。わなわなと震えているのが伝わって来るくらいだ。それは恐怖なのか怒りなのか。

肉体が師匠のものであるなら、少なくとも奴は師匠なのだ。出て行けと叫びたかった。師匠を、彼の残したものを、涜すな。
「レイ。もっと感謝してくれてもいいくらいじゃないか。俺がこいつを拾って来なければ朽ち果ててしまって、二度とお前達とは出会えなかったんだぞ?」
「言うな___師匠の声で!」
まるで彼をモノみたいに。いや、収めるべき魂を永久に失った肉体にどんな意味があるだろう。認めたくないだけで答えは知っていた。奴は師匠じゃない。師匠は死んだ。

「レイ。」
また奴は俺の名を呼ぶ。忘れられない者の声で。奴は俺に揺さぶりをかけているのだ。そんなことすら気付けないくらい幼ければ楽に死ねたかもしれない。師匠の弟子である以上それは有り得ないのだが。
俺の目が光りを失わないのを見て、師匠の姿をした者は頭をかく。
「おっちゃんの技術が凄いと言っても、残念ながら復元しきれない所もあった。そんな所はグレードアップしたんだ。ほら、こんな風に。」
瞳を隠す白い布に指を掛け、一息に引き下ろす。そこにあったのは醜い、一文字に顔を抉るような傷跡。俺は目を背けざるを得ないそれは知っていた。そして。
「!!!」

そこに張り付けられた大きな一つの目。血走り見開かれたそれは人間のものとは比べ物にならないほど大きい。
じっと見ていられず瞳が揺らぐ。ぎょろりと動く人外の目を持つ者はそれを満足気に眺めた。
「遺体を操り死者を冒涜する者!!僕はお前らを知ってるぞ。善神イゴス様のみ名の元に滅べ!!」
緑の矢は今度こそ一つ目を貫くかと思えた。相手の身体の動きは遅く、鋭い一撃を避けられない。だがそれは有り得ない動きで宙を滑り矢は届かなかった。宙に浮いた目玉に身体が人形のようにぶら下げられているみたいだ。
「奴の正体はモンスターだ!!」
「“化け物モンスター”とは酷いね。君もそうじゃないのか?」
緑の髪、ラシュームは黙る。俺を諦め彼を引き抜こうとしているのだ。
「!」
「違うとは言わせない。自分の姿を見てご覧。君はこちらの仲間だ。」
「…いいや。そんな気にはなれない。人と過ごした時間が長すぎて。」
「残念だ。」

彼の返答に苦笑したのか鼻で笑ったのか、大きな目は一度瞬く。開いた途端そこに光りが集束した。低い地鳴りをあげ莫大なエネルギー球が生成される。
魔法。こんなもの食らったら消し飛んでしまう。
「避けろ!!
…って、レイ!」
ここは室内とはいえ机も椅子も、俺らの戦いで壊れて出来た瓦礫もある。適当な場所に身を隠そうとしていたラシュームは、動けない俺を思い出し悲鳴をあげた。手を掛けて引き起こそうとするが不可能だ。やつがもう少し体格が良ければ別だったかもしれない。協力しようにも四肢に力が入らない。
間に合わない。
「…お前らだけでも逃げろ!」
諦めたのではない。だが、これでは全員が…。

軽い耳鳴りと共に深みを帯びた声は轟いた。いや、耳鳴りで初めて声の存在に気付いた。
『そなたの武器はそなたの領域にこそ発祥する。分るのな?そなたが継ぎしもの__』



小娘は小さく頷く。血の気を失った頬と身体にこびりついた血は、まるで彼女が負傷しているかのように錯覚させる。
『そなたは記録者の器を持つのじゃな。時を紡ぎ時を記録する力。』
イリスが構えたのは彼女がずっと絵を描くのに使ってきた筆だ。何の変哲もないただの古びた絵筆。しかし見るべき者が見れば分かる。
記録者の筆。この娘は既に自分の力の形を知っておった。
辺りは暗い。陽が暮れたのではなく強さを増す光が闇を濃くしたのだ。一つ目は輝きを溜め、瞳だけが浮き上がって見える。高エネルギー体としての光は攻撃の準備と共に防御の役割も果たしていた。並の力では吸収されてしまう。

しかし、時紡ぎの瞳は全てを見通す。この世界に重なり在る本質の世界を見る。使い方を知らないイリスが始まりの洞窟の罠を全て見切ったように。
『時空の守護者は時空を司る___「描け、真実の姿を。」』
声を合わせ、唱えた。歌のメロディを幼子に教えるように。字の手本をなぞらせるように。



不思議と精神が落ち着く。何をすればいいかなんて分からなかったが、何をするように促されているかは分かる。
目を射す光に抗って前を睨み付ける。視界は真っ白で相手の姿は見えない。それはまるで純白のキャンパスに向かっているようだった。
いつものように筆を入れる。宙をきっているはずなのに妙な手応えがあった。筆が紙に触れる慣れ親しんだ感触。
「おやお嬢さん。逃げないの?」
「私は怒ってるんです!」
自分はコニスティンさんのことを直接知らない。それでも一度地に帰った者の眠りを妨げ、残された人を苦しませるこの行為を一種の手段だと考えているこの存在には我慢ならない。おそらくこれを知ったとしたら一番に悲しむのはコニスティンさん自身だろう。その彼自身に大切な人間すら襲わせるのだ。

筆によりすらすらと宙に描かれたのは象形文字か、何らかの記号か。描いたこともなかった。それでも私は知っている。これは炎。火の要素など全く見えないが確たる猛火なのだ。
どこの国の言語とも似ないその“文字”は完成した刹那、力を持った。炎の飾り文字と化したそれは直ぐにとぐろを巻く。ちろちろと炎の舌が蠢いた。
唐突に解った。炎の本質は炎自身であり、本質を見る目は時に本質を“描く”力をも伴わせる。絵は絵である事を止め実体を手に入れるのだ。

レイさんについているラシュームさんの狼狽した声は後ろから届いた。私はこの二人の前に立っている。いつも守られてばかりな私には、後がない、なんて初めてだった。
炎の大蛇は鎌口を擡げ目玉へぶつかってゆく。火飛沫が宙を舞い、大気が焼ける。炎も光を放っている筈なのに、光球の輝きを遮って生まれた影に視力が戻った。
蛇のあぎとは光球を飲み込むにはやや小さい。莫大なエネルギーを持つそれらは間髪入れず触れ合って…空気が膨張した。
「爆発…!」
心中の不安がそのまま吐露されたような後方の呟きを聞きながらもイリスは目を逸らさなかった。やらなくてはならない事が分かっているのに、どうして揺らぐことがあろうか。あろうことか炎は易々と光球を喰らい成長した。悲鳴をあげる暇も与えずコニスティンさんに絡み付く。

炎は全てを灰に帰す。灰は宙に溶け土に帰る。本物のコニスティンさんの元へ。
仰向けに押し倒されたコニスティンさんは助けを求めるように左手を突き上げた。それだけだった。炎は渦となり獲物を貪欲に蝕む。肉の焼ける匂いをほとんどさせる事なく“彼”は灰と化した。
「魔法!?イリスちゃん…君は!!?」
開いた口がふさがらない風情のラシュームさんを黙らせたのは唐突な嘲笑だった。


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