曇天、虹色地平線 冒険者の町 6 旅立ち



焼けきったと思ったコニスティンさんの身体の灰から、こぶし大のものが飛び出して来たのだ。宙を滑り止まったそれ、一つの眼球は発声器官はないはずなのに男とも女ともつかない声でがなりたてる。紛れもなくコニスティンさんの顔に埋め込まれていたものだ。
「想定外の邪魔が多すぎるから、今回は出直してあげるよ。守りは“伝説”レイだけじゃなかったんだねぇ。流石“時紡ぎ”なだけはある。褒めてあげよう、イリスちゃん!」
「黙れ!!」
低く風をきり飛んだ緑の矢が見事にそれを刺し貫いた。だがそれは落下する気配も見せない。

「忘れるな。僕は君の周囲の者を傷つけていくよ。君が僕の手に入る時が楽しみだ。」
では今までの悪夢は私を狙った…もとい私のせいだったのか?事の大きさに返せる言葉を持たない。
悲鳴のような耳障りな音と共に眼球は蕩けて灰に戻る。ラシュームさんの矢が落ちて転がったのを見届けて、振り返った私は凍り付いた。
「レイさん!あの…。」

彼の呆然とした顔。青ざめやや目の焦点がぼやけているのは傷のせいもあるだろう。それでも探し人を見失った子供のような脱力がそこにはあった。
私がしたことはこの場での最良の行動だったろう。だがレイさんにとってはどうだったろう。私は彼の大切な人間をこの手で…。
「…ごめんなさい…。」
謝ってすむ問題じゃない。何とか搾り出せた言葉がそれだけだったことに自分でも憤りを感じた。今更ながら体に震えが走る。私がしたことは実際はなんだったのか。

「いや。いい。
イリス、ラシューム。二人とも…有り難う。」
話すのも大儀そうにレイさんは答えた。口調は素っ気無い。でも誰もその後に言葉を続けられなかった。私は随分不安げな表情をしていたのだろう。彼は私に笑いかける。その空っぽな笑みが酷く印象的だった。
そのままレイさんはがくりとうなだれる。血でドロドロな両手で、涙を隠すかのように顔を覆う。ラシュームさんは優しくその肩を抱いた。



「レイ!」
「なんだ?」
「もう旅立つの?傷は大丈夫?」
「全快ではないが、あとは唾つけときゃ治るさ。」
「あのラシュームって子も一緒に行くんですってね。」
「方向が同じなんだと。」

追いついて来て横に並んだアマンダに微笑む。心配かけたな、とはあえて言わなかった。町の中を流れる川のほとりを並んで歩く。町のざわめきがやや遠くに感じた。まるで学生時代に戻ったみたいだ。決定的な違いを知りながらそう思う。
俺がイリスと旅立つと言っても特にアマンダは俺を責めなかった。(そう。帰って来たらまた寄ってね。)そう言っただけで。
「結局一度も一緒に冒険出来なかったわね。」
「そりゃあタイプが同じだからな。」
俺は卒業後すぐに“龍殺し”__もっとも当時は何処にでもあるただのパーティだったが__に参加してしまい、彼女とは組まずじまいだった。俺達は同じ“剣士”。相手により多彩な攻撃を必要とする冒険では、そんなバランスの悪い組み方はしない。
だが___。

「一緒に来ないか?」
「私が?」
「弓使い一人、魔法一人。そこにだったら剣士が二人でも何とかならないか?」
「…駄目。行けない。」
ぽつりと呟かれた言葉は震えを堪えているようで、俺は一瞬黙った。よく考えれば彼女は新しい冒険者学校を作ろうとしているわけで来れるはずがなかった。考えなしで無神経で思い付きだったかもしれない。怒らせたか?

おそるおそる横目で様子を伺うと目が合った。彼女は笑っていた。こんな笑顔が見れたなら、この発言をしてみてよかった。
「じゃあ、またね。」
「ああ。またな。」
次にこの町に生きて戻れるのだろうか。分かっていながら俺達は再会を前提にした別れの言葉を交わす。彼女が雑踏に消えるまでは手は振らなかった。


ぶらぶらとそのまま川辺を歩く。レンガで作られた街路はかっちりして乾いていて、水の涼しげな揺らめきと相反している。どこか寂しげなのは街路樹の葉がもうあらかた落ちてしまっているからだろう。
「もう…秋も終わりなのか。」
この町に戻って来たのはいつだったろう。俺が現実味を失っている間にも季節は移っていっていた。

「どうしたんだ?」
あそこの路地から出て来て誰かを探している様子なのはイリスだ。
「ちょっとレイさんに用事があって…。」
「よく追いついたな。」
「アマンダさんが教えてくれました。」
「そうか。元気そうだったろ?」
「ええ。アマンダさん、笑ってました…。」
どこか複雑そうなイリス。おちつかなげに視線が揺らいでいる。重大な事でも打ち明けるかのように息を吸い、彼女は言った。
「あの、私やっぱり___」

「イリス!」
意図的に遮り、彼女が先に言おうとした言葉を封じる。両手を広げ深呼吸した。傷のせいでめいいっぱいは吸えないが、まあいい。
「お前が行きたい所、何処だって連れてってやる。一緒に行こう!」
彼女は目を見開いた。瞬間表情に浮かんだのは遠慮と喜び。
「はい!」
すぐに笑顔にかき消されてしまうそれを俺は見逃さなかった。
師匠の遺体を操っていた奴に殺られそうになった時、俺は頑張ったからもうこれでいいと思った。皆は許してくれるだろうと。だがイリスの声で自分を取り戻した時はっきりわかった。俺はずっと死に場所を探していたのだと。あの時の皆が俺を生かしてくれたと分かっていながら。こんな俺をお前は必要としてくれている。消えかけていた意思の光が再び灯った。知らないだろうけど、俺はとてもお前に助けられているんだ。

そしてもう一つ。
レイは心中に浮かぶ一つの思いを打ち消した。
___復讐。
自分は安全な場所で師匠の骸を操っていた奴。イリスと共にいれば必ず再びまみえる事ができるだろう。その時は。自らの手が無意識に腰の剣に伸びた。



「レイ!」
目標の人物を見つけたのは水路の脇の道だった。悲劇など何も無かったかのようにその背中は学生時代のままだ。首だけ振り返り返事をされる。
「なんだ?」
「もう旅立つの?傷は大丈夫?」
「全快ではないが、あとは唾つけときゃ治るさ。」
嘘つき。そんな生半可な傷では無かったのは誰もが見て分かる。確かにここ数日で一番顔色はいいみたいだけど。
「あのラシュームって子も一緒に行くんですってね。」
「方向が同じなんだと。」
やっと追いついた。頭一つ背の高い彼は歩幅が大きくて小走りになる必要があった。速度を弱めたレイは振り返り微笑む。学生時代そのままに。この笑顔をずっと追いかけて来たのだ。絶対的に失われてしまったものの存在を身に沁みて感じた。

「…結局一度も一緒に冒険出来なかったわね。」
話題が見つからず何とか零せた言葉。理由は分かっている。ここで別れても二度と会える保障はない。だからこそ出せた本音。
「そりゃあタイプが同じだからな。」
返事は額面通りでレイらしい。けど笑うことは出来なかった。彼は私の気持ちにずっと気がつかないまま。同じタイプだから授業では隣りにいられたのに。それを幸せだと思っていられたあのころ。
ずっと思ってきた。レイと旅がしたい。隣りにいられたらどんなにいいだろう。
レイがこちらを見た。考えている事が分かるんじゃないかと赤面する時代は過ぎた。いっそ分かってしまえばいいのに。

「一緒に来ないか?」
発されたのは意外な言葉だ。ずっと夢に見て来た言葉でもある。
「私が?」
「弓使い一人、魔法一人。そこにだったら剣士が二人でも何とかならないか?」
「…駄目。行けない。」
涙を堪えてはこれだけ言うのが精一杯だった。私は行けない。新しい冒険者学校をおいて行けない。彼の戻る場所を作ると決めたのに。それに、ついて行ってはおそらく告げてしまう。黙っていた本当の気持ちを。
告げるべきだったのは、レイがひとり戻って来たあの時だったのだろう。あの時告げれば道を見失い途方に暮れていた彼は頷いたろう。だがそれは折れてしまう事に他ならない。剣が二つに折れるように、彼の“自然”をそんな事で損ないたくなかった。

好きだから。

涙が一滴でも零れてしまったなら無理だっただろう。彼にすがりついて泣くの?行かないでって?馬鹿な事を。いつものように笑って済ませる事がどうも出来ない。
見上げると彼が横目で不安げにこちらを伺っていたのと目が合った。彼の旅立ちの日、笑って送り出すことが出来なかった私を気遣ったままの表情。私がずっと見てきた彼だ。
あの時彼に思いを告げなくてよかったと思う。たとえこのまま告げられないままだとしても。
私は気がついたら微笑んでいた。同時に無性に泣きたい。でも今度こそ笑って送り出す。
「じゃあ、またね。」
「ああ。またな。」
あのころと同じように言葉を交わす。決定的に違うのは明日はもう会えないことだけだ。
レイがもう見えないと分かる所に来るまで、振り返りはしなかった。
私は私の道を進む。見ていらっしゃい、貴方が何を失っても帰って来られる場所を作ってみせるから。


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