曇天、虹色地平線 冒険者の町 小休止



「一緒に連れてってくれない?」
ラシュームに拝まれる。髪は今は元に戻っており、フードの下に収まっている。
「駄目だ。」
「即答!!?せめて理由を聞くぐらいしてから言ってよ!!」

俺がこれみよがしにベッドに転がり枕に顔を埋めてみせてもラシュームの懇願は止む気配はない。
「俺としては金を返してもらった以上、一刻も早くお前と縁が切りたい。理由を聞く暇も惜しい。」
「わーん!!」
大っぴらに泣き出される。周囲を味方に付ける演技でも、哀れさをさそう演技でもないようだ。こいつ、本気で泣いてやがる。ベッドサイドの騒音に俺は辟易した。
「ここは病院だ。即刻帰れ。」
「慰めの言葉もないの!!?」
「…」
「無視するなぁ!!」
「傷に響くから止めろ。ここ以外でやれ。他の患者の迷惑だ。」
個室をあてがわれ扉も閉められているとはいえ、壁一枚隔てたそこは他の病室だ。むしろその壁が俺を閉じ込め、こいつから逃げられなくしている様な気すらしてきた。
「だって…退院した時イコール旅立ちだろ!!?確実に会えるのって今だけじゃないか!!」
こいつ何で知ってやがる。アマンダにもまだ言ってないんだぞ。知るのはたった一人、彼女が言ったとしか考えられなかった。

「何騒いでるんですか?」
その当人はおっとりと現れる。
「イリスちゃんー!!レイが、レイがぁー!!わーん!!」
「ああ、はい。どうしたんですか?」
適当に頷かれてラシュームは尻尾を振って(比喩表現だ)イリスに駆け寄る。イリスが端っこから見舞い用の椅子を引きずって来るのをウルウルした目で見ていた。イリスの奴扱い方を覚えてるし。

「何だお前ら…仲良しだな。」
「そうなんだよ!!」
「そうでもないですよ。」
勢い込んだラシュームの台詞は同時に発されたイリスの言葉に撃沈する。
「…いいもん。…僕は嫌われ者なんだもん。」
端っこでいじけ始めた彼をほっぽいてイリスはこっちへ向き直った。
「ラシュームさんも行く方向が同じなんですよ。そうだったらご一緒したいって。」
「ほー。ナレーク魔術公国だっけか。」
「はい。」
俺が病院で目覚めたという知らせが行ってすぐ、一番にイリスはやってきた。顔色は蒼白。俺じゃなくてこいつを病院に入れるべきじゃないのかと心配したが、彼女の話では“見えた”らしい。次の行き先を示す赤い線が夜空を走るのが。指し示していたのはオア魔術公国方面。地平に消えてしまったその先は今はまだ分からない。そしてその空の道標は夜にしか見えないのだという。宝石はあの守護をやってみせてからうんともすんとも言わないから推測に過ぎないとも言っていた。
だがそれはどうでもいい。イリス自身の伝説は自分自身の主観に基づくようだから。彼女がそう感じたら“そう”なんだろう。問題なのはそれより“偶然”だ。

「んで、なにを企んでる?」
「そんなことないよ!!僕が目的地を言ったらたまたま同じだったんだって!!」
「俺は伝説の言う事は信じないことにしてるんだ。」
緑の民など伝説上でしかお目にかかったことがない。これだけ巧妙に人間の振りをしていれば当然でもあるが。何かを言おうと口をぱくぱくさせるが失敗し、俯いた彼はぽつりぽつりと呟く。
「行き先が一緒なのは本当なんだ…。
ただ、それから…時紡ぎ様のお手伝いがしたい…。」
「お前、アレの戯言を信じるのか?」
アレ…あの一つ目は、その場にこいつがいるのにペラペラと時紡ぎの事を話してしまったのだ。何とか平静を装って聞く。こいつは敵か味方か?モンスターが時紡ぎ(イリス)を狙っている以上、こいつは危険じゃないか?

「魔法なんて見せられたら信じるしかないよ!!」
勢い込みながらも小声でラシュームは叫ぶ。俺達の聞き返した声はそろった。
「魔法?」
「分かんないの!!?イリスちゃんがドーカンってやったやつ!!」
「珍しいのは知ってるが。魔術とどう違うんだ?」
「え、魔術師と魔法使いって違うんですか?」
彼は目に見えて脱力した。おい、ズレたフードから緑色が見えてるぞ。
「呪言と精霊と二つの力が揃って初めて魔術が使えるのは知ってるよね!!?それが魔術師。」
「私それ魔法使いだと思ってました。」
「……くっ」
ラシュームは額の汗を拭いながら呻く。イリス、そう追い詰めてやるなよ。
「魔法は古の力。人が存在する前の、より元素に近いエネルギーなんだ。
つまり___人間には100%使えない。」
「!」
それは___

「人は魔法を模し魔術を作った。それは微弱な紛い物にすぎない。そもそも魔法の莫大なエネルギーに人間の身体は耐えられないんだ。
時紡ぎは、神だ。」

「待ってください。私は人間ですよ!」
「うん。だから分かんなかった。つまりは、引継ぎはまだなんだね?
迂闊だった。サーガにも書いてあったのに。最近のモンスターの増加。」
それは宝石も言っていたことだ。俺達は顔を見合わせる。重大な知識が欠如していた。
「時紡ぎって…何だ?」

「知らないの!!?うわぁ、時紡ぎに知識を授けるとか、賢者イラエ様みたいだ!!」
無邪気にはしゃぐラシュームだが、俺はまだこいつを信用したわけじゃない。イリスは心を許している様だが、少なくとも宝石の意見も聞きたかった。
「長い神話は旅しながら教えてくってのはどうだろう!!」
さり気なく旅の同行を促すラシュームを軽くいなす。奴はいつも以上にハイテンションだ。かと思えば声を潜めて話してみせる。何かを隠そうとしているのが一目瞭然だ。
「洗脳されそうで嫌だ。それよりも聞かせろ。
お前の旅の目的を。」
「……!!」
瞬間相手の表情が強張る。彼は力の抜けた笑いを浮かべ、フードに手を掛けた。
「流石だね。レイ。
時紡ぎ様を疑うとかは有り得ないけど、レイも信用する。他言無用だよ。なにせ国家の重要事なんだ。」

「僕は、魔術公国の国宝“目録リスト”を見せて貰う為に旅をしている。」
「国宝!?」
俺は聞き返した。“目録”のことは聞いた事がある。古代から伝わる一種の預言の書だ。そこには世界の誕生から終末までの魔法を使える者の名が記されているらしい。全ての生物の内から記されているというのに、一冊の本に纏まってしまう事も、魔法の稀少さを示している。
「信じられないな。国宝なんて一介の旅人が見せて貰えるようなものじゃないぞ。」
「僕は公式の使者だから。」
彼は無造作にフードを引き揚げる。零れた緑の豊かな髪が現れたが、それは人の色に慣れた俺には部分的でアンバランスに見えた。彼が本物の緑の民なのは間違いない。たしかにこの話は緑の民(でんせつ)がこんな所をうろついている理由には十分なのかもしれない。どう判断していいのか分からなくて、取りあえず奴の話が真実だと仮定する。
「とにかく力になりたいんだ。あのモンスターはまたイリスちゃんを狙って来るよ!!レイがこんな状態なら、少なくとも僕なら他のどんな人間より役に立てる!!」
それは確実に“自分は人間の中で一番役に立つ”という意味ではなかった。

俺は視線をイリスに向ける。それは俺が決めるべきことじゃない。イリスが決める事だ。それは今までの依頼者と引受人の関係と似ている様で全く違う何か。それが何なのか分からなくて首を傾げた。
「いいですよ。ラシュームさん、よろしくお願いしますね。」
さして考えた素振りも見せずイリスは頷く。
「わーい!!」
無邪気な歓声と動作は子供そのものだ。彼は両手をあげて万歳しては、イリスの手を掴んで上下に振っている。やや過剰な感謝の表現にイリスは確実に困惑している。
「ん、まぁ宜しく頼むよ。話が終わった所で休ませてくれないかな?」
「わかった!!お邪魔しました。ゆっくり治してよ!!」
一応俺が怪我人という意識はあるのか、気遣わしげに大きく頷いたラシュームは扉に向う。
「イーリースちゃん!!レイの邪魔だから速く行かないと!!」
椅子を片付けるイリスに声を掛ける。俺の記憶では邪魔をしていたのはお前のはずだが。

一人になりたかったのは心中に浮かび自己主張する考えを持て余した為。確かな事はラシュームは人外モンスターであることだ。モンスターは人間を喰らう。人の領域を侵す。生きる為に退治すべき___敵。今までに例外は無かった。
だが彼はどうなんだ?人の姿に近く、意思の疎通ができる。
モンスターだから退治しなくてはならなかったのではない。奴等が人を襲うからだ。わからなくなってきた。奴等はモンスターだから人を襲うのか、人を襲うからモンスターなのか。


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