曇天、虹色地平線 魔術公国の鷹 1 王の血族



なぜ憎むことがあろうか。
なぜ恨むことがあろうか。
あの方の役に立つことが我が全て。
唯一悲しむべきことは、あの方のお役にもう立てないことのみ。



冒険者の町から魔術公国まで行くのはわりと楽だ。舗装された道は途切れることはないし、国境を越えるのも王国で取得できる身分証が使える。そして隣り同士の親交国だからこそその出方を神経質に気に合っている側面もあった。
所々に宿があり野宿をすることもなく特にハプニングも起こらない。不気味なほど順調に、ものの三日かからず目的地に到着してしまった。
魔術公国は魔具の研究が盛んで魔術師の育成にも力を入れている。魔具があれば魔術師の才能に恵まれなかった者でも魔術に近い力が使える。絶対的な数の少なさと圧倒的な能力で敬遠されがちな魔術師にとって過ごしやすい国なのだという。
そしてあいつ、リィナの出身地でもあった。俺が“龍殺し”に加入した時、めったにお目にかかれない魔術師がメンバーにいて随分誇らしかったのを覚えている。
「冒険者の町も大きかったですけど、ここはもっと大きいですね…!」
「そりゃあ首都だもんね!!あっちに見えるのが王城だよ!!」

ローブを着た人間の数が増えたぶんラシュームの服装はかなり目立たなくなっていたが、やはり型が違う。それでもパッと見なら同じに見えるくらいだが。違う国の型なのだろうが、ここより西に詳しくない俺にはよくわからない。同行の二人の会話を何となく聞きながら俺は漠然と辺りを見ていた。
大通りをまた急いだ様子で武装した兵士が走り去った。鎧にこの国の守護獣である銀色の鷹の紋章がついている。おそらく正式兵だろう。抜け目ない冒険者の目でレイは眺めた。
兵士が多い。モンスター対策なら兵は街を囲む城壁部分に集中するはずだ。だがこれではまるで城の中の何かを守っているようだ。なんだか嫌な予感がした。
「おっきい…。これ、本当に入れて貰えるんですか?」
城下町ツュジは城を丸く囲む城壁の中にあり、結果的にツュジの中心にその城はあるのだった。赤い煉瓦の城の立派な門は来訪者を拒むように閉ざされている。
「綺麗な赤ですね…。」
イっちゃった目でふらふら寄って行き城の壁を撫でるイリス。絵の具をつくるとか言って採取しそうで怖い。服の襟を引っ張り引き戻した。抗議は聞き流す。お前に常識は求めないから大人しくしといてくれ。

騒ぎを聞き付け武装した門番が駆け寄って来た。
「お前達、ここを何処だと思っている。あっちへ行け!」
横柄な態度である。どう見ても俺らは不審者にしか見えないのでしょうがなくはあるが。お願いして国宝を見せて貰えるような雰囲気ではない。一体どうするつもりなんだ?

ラシュームは背筋を伸ばし、丁寧で爽やかな口調と友好的な笑顔で答えた。
「僕はリドミの使節です。殿下にお目にかかりたいのですが。」
同時に懐から何かを取り出し見せる。するとたちまち門番の顔色が変わった。
「…少々お待ち願えますか。」
効果は抜群だ。敬礼して城内に走る兵士は蒼白だった。


戻って来た彼は俺達を城内に案内する。目に見えて萎縮していた。
「まともな口調で話せんならずっとそうしてりゃいいのに。」
「ちょ…レイ、どーゆー意味!!?」
慌てて聞き返すラシュームには答えない。そのまんまの意味だ。
「で、…お前何を見せたんだ?」
「ちょっと僕の立場を示す物をね。一種の身分証といえば的確かな!!」
尋ねても彼ははぐらかすだけだ。仕返しのつもりか?

「私達ついて来てよかったんでしょうか…?」
「俺も門前で別れておけばよかったんじゃないかと思ってた所だ。」
みたこともない細工物、有り得ないくらいフカフカの絨毯、窓から絵画のように見える町並み。とにかく落ち着かない。何か汚したり壊したりしてしまいそうだ。だからって今更引返せるはずもない。まったく、こういう所には何度来ても慣れないな。
長い廊下を越えて辿り着いた先の扉は半分開かれており、案内の兵士はその傍らで立ちどまって我々を促した。来客室のようだ。
中には見るからに権力者とわかる男性が待っていた。礼儀正しく俺たちに椅子を勧める。
透かし彫りのテーブルに用意してあるのは陶器のポットとティーセットだ。白い陶磁器は珍しく、さらにそれらは同じシリーズのセットのようだった。お目にかかったことのないほどの高級品である。

「遠くからご苦労様です。どうぞごゆっくりしてください。」
彼は我々全てに紅茶が行き渡ったのを待ちつつ労う。失礼にならないように自制してはいるが、明らかに急いで切り上げようとしていた。
「それで…どういったご用件ですか?」
「…私はサラフィー陛下に直接お話したいのですが。宰相閣下?」
仕立てのいい服を着た男性、魔術公国宰相はラシュームの発したたった一言に凍り付いた。普段の騒々しさからは想像もできない堂々とした物言いだ。本番に強いんだな、お前。
「陛下はお忙しいので、僭越ながら私が承ります。」
「そうですか。残念です。
では…僕は目録リストを拝見したいのです。」
宰相はすぐに笑顔を取り繕うが無駄だった。ここにいたのが誰か別の人間だったとしても、一瞬走った悪夢を見るような目を見逃した奴はいなかっただろう。

「真に申し訳ございませんが、それに私の権限は及びませんで…。」
国宝を勝手に見せびらかす権限を宰相が持っていない場合もあるだろう。だとすればその権限を持っているのは? 当然、国王本人である。
「ならばやはり陛下にお会いしたい。」
「…へ、陛下はお体の調子が優れないので、お会いできません。」
再び黙り込んだ宰相がやっとのことで言えたのはこれだけの言葉だ。
「さっきと言ってる事が違いますよ?」
「いや、あの、その…」
そこへのイリスの突っ込みは容赦無かった。まぁ確かに相手の行動はおかしい。妙な予感を感じさせるくらいに。言い募ろうと無駄な努力を宰相が続けるのは不可能だった。ラシュームがいきなり立ち上がったからだ。
さっき兵士に見せていたもの___翡翠のような石?___を突き付け、おもむろにフードを取り払う。室内で見ても明らかに明るい緑の髪に、宰相の動揺は今度こそ隠せなかった。

「リドミの王族が来ているのです。殿下にお目通り願いたい。」
「はぁ!?」
緑の民の青年に答えたのは宰相ではない。俺は思わず阿呆面で呟いてしまっていた。イリスなんてぽかんと口開けて固まっている。
「お前…王子だったのか!?」
柄じゃなさすぎる。
「そうなるね。正確にはリドミ公国の次期即位者だよ。
宰相閣下もご存じの通り公爵家の血族から緑の民の血が色濃く出た者が位を継ぐ…」
宰相も分かって対応していたのではないらしい。記憶を探り探りという様子で尋ねる。
「…しっ、しかし現在の国王は…」
「私の名はラシューム・ギテァナ・リドミリェーラス。彼は私の叔父です。」
リドミリェーラス家のリドミ公国は、この魔術公国と古くから親交がある。部外者の俺にもわかった。ここでラシュームを追い返すのは国家問題だ。両国間の関係を悪化させたくないなら受けるしかない。

宰相の瞳がおちつかなさげに揺れた。ラシュームは相変わらず真摯で済ましきった口調で続ける。
「僕が見たところ、この国は重大な危機に貧しているのではないのですか?ならばリドミは同盟国として手は惜しみません。」
「そんな…そんなことは全くございません。本当に申し訳ないのですが…」
帰ってください、とは立場上言えないのだろう。再び言った言葉はこちらの発言を促すものだ。だがラシュームは黙って座ったまま相手を見つめている。その時、おずおずと奥にあった扉が外から開いた。



「隠さずともよいではないですか。既に我が国で対処できる事態を越えてしまっているのですから。」
「ウィンディーネ様!」
若いながらも凛とした若い女性が、ゆっくりと扉を開けて現れる。
ラシュームさんがレイさんに耳打ちするのが聞こえた。彼女は魔術公国現国王様のただ一人のお子様…それってつまり王女様!?女の子なら王女様に憧れたことのない娘はいないだろう。

ゆったりした長いローブに見事な銀髪の彼女は品よく微笑む。こんな女性をモデルに絵を描けたらどんなにいいだろう。
「お話の途中でお邪魔するなどと失礼なことをいたしまして…ごめんなさい。」
「いいえ、お気になさらず。」
水の精霊と同じ名の女性はラシュームさんの礼儀正しい返答に安心したのか、しずしずとこちらへ歩み寄る。
「私達もリドミからのお客様をおもてなししたいのです。それができないのは…」
彼女は言い淀み、髪と同じ闇夜に輝く月の色した瞳を伏せる。再びこちらへ向けられた銀細工のような瞳には覚悟の色が見てとれた。

「私の母、国王サラフィーがさらわれてしまったからなのです。」



暗い室内。ここがどこかははっきりとはわからない。しかし城からそれほど離れているわけではないだろう。自身魔術師である彼女には移動魔術の分析などお手のものだ。たとえ現在、魔術を封じる枷をつけられ逃げられないようになっているとしても。
黙々と装備を整えていた青年がこちらを向いた。
「陛下。しばしの間おまちください。すぐに準備が整います。」
「なぜ…」
かすれた声で何度目になるのかわからない問いを発する。彼、親子ほど年齢の離れた青年は再び微苦笑した。
「分かっています。幾度もそれを尋ね、私の気持ちを試そうとしておられる事は。知っておられるくせに…愛しています、我が君。貴女が私を愛してくださっている以上に。」

「正気に戻りなさい!。私は貴方など愛していません。」
鋭く叱責を飛ばす。しかし相手はそんなもの聞こえなかったのかのように、跪き呟く。
「二人の愛の為に…貴女の公国を、壊します。」
会話が通じない。何度このやり取りを繰り返したろう。…狂っている!王の名において断じてそんなことをさせる訳にはいかない。
「そんなこと望んでいない。いますぐにこんなこと止めて私を城へ帰しなさい。」

「貴女は美しい。貴女の立場は分かっています。しかし私の前では自分を偽らないでください。すぐに貴女と私の仲を認めてもらえるようになります。その為には…玉座を我が手に。」
一体何が起こっているのか全くわからない。彼は私と彼が身分を越えた愛で結ばれていると思い込んでいるようだ。未亡人で国王である私と婚姻するには自分の身分をあげることが必要らしい。その為にずっと私が守り成長させてきた国を奪うというのだ。
思い込みの理由もわからない上、そもそももう四十に手が届くかという自分に彼がどうしてそんな思いを抱いたのかがわからない。
「参ります。武運をお祈りください。」
かつての自分の守護騎士の後ろ姿を、サラフィーは絶望的な気持ちで見送った。


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