曇天、虹色地平線 魔術公国の鷹 2 背徳の騎士



「なりません!同盟国とはいえ他国にこの様な事を知られるのは恥…」
「なぜですか。このままみすみす黙って滅ぼされるのが誇りですか!?万策を尽くさないことこそ恥ではないのですか。我々は国民に責任を果たすべきではないのですか。」
王女の言葉は刺すように冷たい。無力感とおそらく怒りを押さえ冷静であろうとする王族としての誇りが、彼女の心を冷やしていた。宰相を黙らせ彼女がこちらへ投げ掛けた一瞥に、ラシュームは頷き応じた。彼女は空いていた一人がけの椅子に腰掛ける。机を挟みレイさんの正面だった。彼女は誰の顔を見ることもなく話し始める。

「つい先日の事でした。突然現れた男によって城内はパニックに陥りました。彼は母を連れ去ったのです…王家に忠誠を誓う騎士でありながら!」
淡々としながらも時折激昂がまざる。彼女もまだ深い衝撃の中にいるのだ。
「目録は守り切りました。しかし今日にでもまた奪いにやって来るでしょう。それを防ぐ術は私達にはもうありません。」
「お得意の魔術はどうなんだ?」
レイさんの口調は王女に対するには相応しくない。彼女は咎めも不快そうな素振りもしない代わりにうなだれた。
「…城内は封魔術の結界が張られています。もちろん我が軍も魔術は使えません…なのにあの男は…アッシュは…。」
ずっといた盆地はこちら側とはほとんど断絶しており、私はほとんどこちら側の事を知らない。その名を聞いた途端のレイさんとラシュームさんの表情の理由が分からなかった。

「まさか“退魔騎士”アッシュか!?」
顔色を変えて叫んだレイさんは王女様に掴みかかる。
「きゃあ、レイさん!?」
「ちょっと!!?レイ!!ストップ!!」
宰相は身を呈し、ラシュームさんは後ろから取り付いて彼を止めた。
「そんな、まさか…絶対に有り得ない!奴に限って!」
噛み付かれそうな剣幕にも王女様は身じろぎもしない。
「ご存じですか。…確かに有名ですね。我が国の英雄と呼べる存在でした。」
「それが一体どうして…!」
「さあ…おそらく守護騎士を外された恨みじゃないでしょうか。」
「守護騎士をだと…?」
レイさんは脱力し、思い出したように、まだしがみついたままのラシュームさんを振り払った。王女様は続きを語ろうとしなかったので宰相が続ける。
「彼は先日、女王様の盾となる側近の任を立派に果たし負傷し、そのため任を解かれたのです。」
「回復不可能なほどの傷を負ったのか?」
「利き腕を失った…はず、なんです。…ですが。」

宰相は多くを語らなかった。あの盆地の中でもそうだったくらいだから、これだけ大きな街ならば、定期的にモンスターの襲撃を受けていてもおかしくない。死なない為には戦わなくてはならない。
それは自然と死者や負傷者を生む。それがこっちではどれくらいの規模で行われているのかは検討もつかないけど。
レイさんが眉をしかめるが、不快さではなく愁いとでも言うべきものを含んでいる。レイさんはその騎士を知っているのだ。そしてレイさんの知っている彼は、少なくともそんなことをするはずがない。
痛ましい状況を見る目でレイさんは周囲を見渡す。それはこの部屋だけではなく公国全体を見渡す動作だ。皮肉に笑った。

「どこか、ここの兵が使い物になる所に目録を移すのはどうです!!?」
「…動かせません。目録は国宝庫…大地のエネルギーを集める場所に存在しなくては機能を発揮しません。」
「一時だけでも…」
「再び配置セットできる術者がいないのです。」
「一度動かしたら白紙の本と化すってか。隠しすらできない。厄介な代物だねぇ。」
顎に手をやり溜め息をつくレイさん。ラシュームさんも難しい表情をしている。
全体的に大変な話すぎてピンと来ない。なんだか私蚊帳の外じゃないかな…?内容が解らないのではないが、何か発言できる意見を持つほど分かってる訳でもない。
「お願いします。力を貸してください。」
頭を下げた銀髪の女性と、狼狽する宰相の声を耳で捉えながらも、なんだか現実味が持てずにいた。

「どうするよ。」
レイさんは答えず私を見る。突然ふられたものだから話は聞いていたのに思わず聞き返してしまった。
「はひ?」
「俺の行く所はお前が行く所だ。言ったろ?」
「僕もそれでいーよ!!」
レイさんの肩越しにラシュームさんも手を振る。
「その発言、重いんですけど。」
女王に限らず、私は誰かがさらわれたのに知らん気で旅を続けられるほど世慣れてない。だけどこのまま受ける気にはなれなかった。“戦い”は常に誰かの死の可能性を孕んでいる。自分の選択で誰かが死ぬなんて考えたくもない。
でも一つだけ引っ掛かる所があった。冒険者の町からずっと心の中に引っ掛かっていた事と同じ種類のもの。



俺の発言で決定権がイリスにあると知った途端、姫さんの視線がイリスに移る。必死なのは分かるが、あんまり露骨なのは止めた方がいいぜ?
ぼうっとしていたイリスが黙考し始める。どっちを選んでもいいんだ。俺はお前に思う存分振り回されると決めたのだから。ラシュームの奴には悪いが、おそらく奴も自分の思うままに決めるだろう。

「手を貸しましょう。しかし条件が二つあります。」
イリスはぽへっとしているようで、たまにこんな表情をする。真直ぐで力に満ちた、彼女に任せれば大丈夫だとおもわせる雰囲気。操られたように姫どころか宰相までもが頷いた。
「一つ目は、先に私達に目録を見せてくださる事。次に、私達が失敗して退いても責任を求めない事。」
「…!」
一つ目はラシュームの為だろう。そして二つ目はつまり…“逃げてもいい”。臆病ともとれるその発言は、イリスが発した途端聖人がのべたような調子を帯びた。
「イリスちゃん…!」
「その条件、のみましょう。」
感きわまったラシュームとは対照的に姫は冷静に返答する。

「宰相、この方達を国宝庫にご案内しなさい。」
けして彼女にとっては安心できる条件ではない。それでも姫は不安も安堵も覗かせず毅然な態度を貫いた。


扉が静かに閉まった後、宰相が案内する兵を呼びに行っているしばしの間、来客室の中は俺達だけになる。俺の方を向かないまま、イリスは呟いた。
「私には忠誠なんてよくわかりません。だけど…身を呈してまで守りたかった大切な人間をそう簡単に憎めるものなんですか?他者に操られる事なく、自分の意思で?」
アッシュの事だとわかった。俺は奴じゃないから分からない。実際奴はそんなことしなさそうに見えただけだ。それでも俺は自分と__瞼の裏に懐かしいあの赤毛の少女の姿を思い出した__リィナ、彼女の目を信じたい。
それだけじゃなく師匠の事が頭に浮かんだのだ。出来ないよ。それは今まで形作られた自分を壊す事だ。自分に背いてまで相手を斬る必要があるのか。皆を助ける為に踏みとどまる、って意識がなければ、おそらく俺も踏み出せなかった。

それだけの思いを言葉にする事は出来ず、ただ呟く。
「なぁ、イリス…。」
「私は死ぬのも死なれるのも嫌です。彼と話をしてみたいと思う。
でもそれよりも大切な事があります。二人とも…死なないでくださいね。」
早口で告げられる言葉。だが最後の一言だけが彼女の本当に言いたい事なのだろう。
「……」
「身勝手ですか?」
「いいや、しごくもっともだ。」
「うん。その言葉、ありがたく貰っとくよ!!」



国宝庫は宝物庫とは別に、王族の居住空間近くにあった。不意をついて女王様をさらったのだから、この距離なら健闘して国宝を守った事になるのだろうか。やっぱり女王様を守り切れてない時点でお粗末な気がする。
「何だか奥に行くにつれて暗くなって来た気が…。」
「建築上、採光窓が減ったからだな。封魔術の真っただ中じゃあ魔術の明かりもほいほい用意出来ないだろ。」

さっきも聞いた言葉だ。封魔術の結界。みんなが当然のように流すので聞きそびれていた。聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥だ。意を決し、知らずのうちに小声になっていた。数歩前を歩くレイさんへ尋ねる。
「封魔術って何…ですか?」
「はぁ!?」
「だから封魔…」
「悪かった。もいちど言うな。
そんなことラシュームに聞かせてやるなよ。またショボンとなるから。」
悲しそうに説明しだす姿を思い出した。ラシュームさんは時紡ぎの後継者だからって私に期待しすぎだと思う。
「簡単に言えば“中で魔術が使えない空間”を作る術だ。精霊がこちらへはいってこれなくするんだ。呪言と精霊、どちらか一つでも欠ければ魔術は使えなくなるんだからな。」
「へえぇ…。」
意図せず間の抜けた相槌をしていた私に諦めの一瞥を投げ掛け、レイさんは解説する。言わずともそれくらい分かれってことですね。…すいません。

「元は魔術師の反乱を押さえる為のものだろうが、裏をかかれたな。」
「それは逆にそのアッシュって人もそうなんですよね?」
「奴と同等だと思うな。奴は城にモンスターが進入した時の最後の防衛線。“闇翔ぶ猛禽”。この城を知り尽くしている。こちらが圧倒的に不利だ。」
レイさんは台詞ほど暗い表情はしていない。相手の力量を見極め強さを認め…勝つつもりだ。

等間隔に並ぶ小さな採光窓をいくつ通り過ぎたかは分からないが、狭い煉瓦づくりの回路のタペストリーが掛かっている所。その正面にある扉の中が国宝庫のようだ。
「こちらです。」
宰相が古びた鍵を懐から取り出した。何の変哲もないただの小さな鍵。魔具錠でないのは当然だけど。
内側に開いた扉の中から乾いた空気が流れ出て来る。
「これは…思ったより…。」
狭い。くすんだ石の台座にぽつんと無造作に置かれた一冊の本の他には壁しかない部屋である。四人入って精一杯なくらいだ。まだ一泊いくらの安宿の方が広かった。
「随分名前負けした部屋だな。」

一番に踏み込んだレイさんに続いたラシュームさんは、一歩中に入った途端立ち止まった。
「レイ…!!そんなことないよ。イリスちゃんも早く!!」
引っ張り込まれたが特に何も変わったことはない。外で見て思ったのと違い、埃がなくてこざっぱりしているのが分かったくらい?

カタカタカタカタ…!

すると肩に止めてあった赤い宝石が不気味に蠢きだしたではないか。
「何、何!?」
「おお!!?まさか善神イゴス様の光臨か!!?」
勝手な憶測と戸惑い恐れの声が飛び合う。生き生きしだしたラシュームさんとは対照的に宰相は腰を抜かし兵士は武器を構える。
冒険者の町のあの事件から後ずっと沈黙していた宝石。死んだのか普通の宝石になったのかと困ってたけど…!こんな注目集めるくらいなら一生動かないでくれたほうがよかった。酷いことを言っていると気付く間もなく、くぐもった声が聞こえて来る。
『力が満ち満ちる…助かった……』
さらに何か呻こうとしている宝石を思わずはたき黙らせる。
『むぎゅっ!』
「…で、…目録にどんな用があるんですか?」
悲鳴は黙殺し一際明るくラシュームさんへ話し掛けた。だが周囲の無言の視線が自分に突き刺さる。
「イリス…お前」
なかったことにはできなかった。


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