曇天、虹色地平線 魔術公国の鷹 3 夜闇の緑



『先の戦いで我が力は尽きてしまい、沈黙を守らざるを得なかったのじゃ。しかしこの部屋に満ちる気が我の力を蘇らせた。』

無駄に重々しい語りに突っ込みを入れる。イリスが涙目でこっちを見てるのが哀れだ。
「はぁ。つまりは充電式なんだな。」
『無礼者がー!そなたが今生きていられるのは誰のおかげじゃと思っておるのじゃ!』
「その誰かさんの力がもう少しあったなら痛い目見ないですんだんだがな。」
イリスから宝石をつまみ取り手のひらで転がす。喋り出した途端うるさい奴だ。確かにあの加護が他の風の刃から守ってくれていなければ、一撃でも致命傷となりうる傷をもう四・五撃は食らっていただろう。
仲間同士だからお互い様で礼は言わないものだとは言わないが、もしあの時そうだったらコニスティンの真実を知らずに安らかであれたろうか。
…無理だな。
「…ん___ありがとうな。」
『止めるのじゃ!無礼者!そんなじゃから…………っ!?』
小言を中断して漏らされたのは確実に驚きの声。それがむず痒いというか照れくさいというか…苛つく。この空気を打破った叫びは予想どうり奴のものだった。

「喋れる!!?喋れるの!!?うわああぁ初めましてっ!!」
危害を加えるような性質のものではないと分かったのか、宰相や兵士達は警戒を解く。だが突然のラシュームの絶叫に宰相は再び尻餅をついた。
『ま、まあそうじゃが…』
「凄ーい!!本当にイゴス様の石なんだ!!僕、ラシュームと申しますっ!!」
『うむ。そなたはそこの無礼者と違って道理を弁えておる!我が名は“導く赤”。』
「名前か?それ。」
『我が存在意義であり名でもある。』
「ふうん。」

俺の呟きは気に止めず、宝石は俺に掴まれたまま瞬いた。ラシュームが手の平を向けて来たのでそこに転がし入れてやる。瞬間、弾かれた用に取り落として彼は叫んだ。
「痛っ!!?」
「どうした!?」
「わかんない…!!」
広げられた手は赤くなっている。涙目の彼に宝石は鷹揚に頷いた。
『そなたは緑の民の血族か。人ならざる血が我を拒んだのじゃな。』
「…なんだそれ。」
『我が使命は時紡ぎを守ること。ゆえに我に触れた人ならざる存在は滅されるのじゃ。』
「便利じゃねーか。」
「残念…。」
『許せよ。我がそなたを嫌っているのではないんじゃ…!』
しょぼくれたラシュームにフォローしようと飛び回る宝石。ラシュームには随分優しいじゃねーか。むくれた子供の様だが別にそれほど傷ついているのではないらしいことが分かると、宝石は羽ばたきイリスに再び止まった。ラシュームの歓声が癇に触る。

『目録までたどり着いたのじゃな。幸先よいではないか、娘。じゃが“これ”ではいかん。』
「?」
『よいのじゃ。じきに分かる。』
これ以上追求は誰もしない。身体で感じ取るものである力について説明を求める意味はないし、するとしてもイリス以外にその権利がある訳もない。そのイリスが黙っているのだから、俺達は特に何も聞くことをしなかった。
宝石の言う相応しい時というのははそのうち訪れるだろう。伝説の都合なんて待ってられん。それよりも今重要なのはラシュームの用事…目録だ。
目録を震える手で開きながら、ラシュームはあるページを開く。見たこともない文字から知っている文字まで様々な字面がびっしりと並んでいる。知っている所から紐解くと全て名前の様だった。恐らく音順に並んでいる。
その規則性は不明だったが、彼は分かっているみたいだ。この狭い部屋は皆で頭を付き合わせて目録を読むには丁度いい。
「で、どうすんだ?」
「うん。僕の名前を探して!!」
「お前の?」

「これは?」
その時イリスが一点を指差した。そこに公用語で記されていた名前は、ラシューム…
「名字が違う…!!別人だ。」
では何処かこの近くに…。ラシュームの指が紙面を下になぞった。



夜は嫌いじゃない。一人になれるから。僕は割り当てられた部屋から出て、月明りに照らされる廊下を歩いていた。
焼造煉瓦造りの城は冷たい雰囲気を持っていて、外の赤みがかった町並みも異国を感じさせる。月の光だけが同じだ。リドミでも、ここでも。過去においても現在においても。
一際月明りに満ちた窓の側、そこに立つ影。それほど長身ではないが、シルエットになっているからか余計しなやかさと身軽さが際立っている。
「レイ。」
「…ラシュームか。」
こちらからは逆光だが、もちろん向こうからは僕がよく見えているのだろう。物憂げにこちらを見てすぐに僕と認めた彼は、特定の何かを眺めていたのでは無かった様だった。
壁にもたれたままこちらに目を据えてくる。しかし身体で窓が半分近く隠れている。影になった表情は見えない。何だかレイじゃない誰かがいるようでどきまぎした。腕を組んでいるようだが、闇が濃くて指先も見えない。

「…そうだ。聞きたかった事があった。」
「なに!!?」
「時紡ぎについてだよ。旅中のお前の話は伝説サーガばかりで具体的にはよくわからなかったんだが。」
「あれが僕の知る全てだよ。」
「お前…時紡ぎが何かを知ってるって言ったじゃないか。」
「時紡ぎノロク様についての伝承はある。けどそれは時紡ぎの特徴なのかノロク様だからなのか分からない所がほとんどなんだ。」
「んな…。」
驚いたのでなく呆れた声。怒られるのでないらしい事にホッとする気持ちの余裕もなく、僕は自嘲的に天を仰ぎ笑う。
「僕はズルい。分かってたけどどうしても付いて来たかった。」

レイは何の意見も述べない。変わりに困ったように頭を掻いた。
「何だ?元気ないじゃないか。」
「別に!!…そういう時もあるよ。」
「あの目録か?」
「……」
簡単なことだ。因果関係から考えれば直前の事が原因に決まっている。それでも言葉で表されるのには衝撃があった。
「お前は人じゃないんだから、あんなもの無くても魔法が使えるんじゃないのか?」
「僕は…ただ緑の民の血が濃く出ただけ!!あんな強大な存在じゃない。」
僕が使う術は魔術だ。ただのこけおどし。身の外の精霊達の力を借りる魔術は、魔法の様な身の内から湧き出づるものではないのだ。そして僕に切に必要なその力は永遠に手に入ることはないのだ。
「じゃあお前は純血じゃないのか。」
「まあね……伝説の紛い物だ。たかがそれだけの存在なんだよ。」

続けたい言葉を断ち切って僕は黙った。王位継承者として祭り上げられる理由、それはただ髪が緑色なだけだ。僕の実力でも人望でも何でもない。たったそれだけの理由で僕は“特別”になった。
レイに対峙するように壁にもたれた。服越しに感じる背中の壁が冷たい。止どめたはずの言葉、話すつもりのなかった思いが溢れ出る。黙ったままなら涙になってしまうだろうそれを、せめて明るい言葉にする方を僕は選んだ。
いつものようにリズムをつけ勢いよく喋る。今日はなんだかそれだけの事が難しい。

「僕ね、魔法が使える事を証明できなければ王位が継げないんだ。今までずっと叔父さんが治めてたからね!!そのうち叔父さんに即位候補者みどりのたみの証が現れるんだと漠然と思ってた。」
それはすぐに起きる。でも叔父さんにではなかった。
優しく立派な叔父。憧れだった。でもその関係は突然__それはもう天災のように崩れる。
「ある日突然僕は人間じゃなくなった。ほんの数ヶ月前までは僕は人間だったんだよ。緑の髪が生えて来たんだ。たったそれだけのことだった!!でもそれは大きな違いでもあった。
“化け物”になりゆく自分が___恐かった。」
そして僕が望む望まざるは関係なしに、僕は叔父さんの政敵になったんだ。

レイは黙ったままだが、彼の注意が僕に注がれているのが肌で感じられる。表情は相変わらず見えない。瞳だけが光りを持ってこっちを見つめている。それが余計に話しやすい。僕は二の腕を抱いた。寒い?…そうかもしれない。ここで話を止め立ち去る気は無かった。
なんだかわかった。僕はあの娘、イリスちゃんに惹かれたんじゃない。レイだったんだ。彼の瞳の奥には力がある。僕がずっと欲しかった強さ。そしてそれだけじゃない。傷ついた牙は月夜に銀の張り詰めた真直ぐな光を放つ。
相手がレイじゃなかったら、こんな気持ち誰にも言わず墓場まで持って行ったろう。
「どうして僕なんだって思ったよ!!王位なんて要らない。あのままでいられたらよかったのに!!僕が育ったのは宮殿じゃない。田舎で水辺の美しい街。今もそこにいれたかもしれなかった。叔父さんだって優しくて尊敬できる叔父のままでいられたかもしれない!!」
自分の戻るべきと感じている場所がリドミの宮殿ではないのは気付いていた。
壁の冷えが伝わって背中はこんなに冷たいのに、胸の奥は酷く熱い。言葉の一つ一つが喉を通るたびに焼け付く痛みを感じる。顔をあげ明るい表情をすることが段々難しくなるにつれ、自分の言葉に籠る感情が押し隠せなくなってゆく。
「それでも…隠し様のない緑の髪。選べる道は一つしかなかった。“本物”だと証明出来なければ僕の居場所はどこにも有り得ない!!」
これには何か意味がある。そう思わなければ、神の意思を信じなければ、この苦しみと戦っては来れなかった。皮肉にも自分にこんな運命を課した神を。
「魔法は使えない。だが人でもありえない!!属する世界が違う。
力が足りないってどういうことさ!!“これ”は僕からこんなに沢山のものを奪ったのに。」
僕が黙ったら沈黙が訪れた。途端頭が冷えるのを感じる。レイは今の話をどう思ったろう。


「これからお前はどうする。やめるって言っても止めないが。」
来たるべきアッシュとの戦いのことだろう。僕の用事はもう済んだ上、僕の戦う術である魔術も使えない。
「やめないよ。困ってる人を放っとくなんて善神イゴス様に顔向けできない!!」
言ってから気がついた。結局僕に振り向いてくれなかった神の為に戦うのか。そんな自分を嗤って、そんな形でも再び笑顔になれたことを内心喜んだ。
「…じゃあ、僕行くから。」
凍えた様に固まっていた自分の手を体から引きはがし、ひらひら手を振る。できるだけ陽気に見えてたらいいな。

レイが身動ぎしたのを感じて僕は顔を上げた。影になった位置が変わったせいで、相手の顔が半分見える。
鋭いくらい真直ぐにレイは言った。
「お前がどうしてももう無理だと思ったら言えよな。俺とイリスが行く所、どこだって付いて来ていいからさ。」


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