曇天、虹色地平線 魔術公国の鷹 4 強襲



「あれ?早いですね。」
朝食を用意してくれるというので部屋を出たところ、レイさんとすれ違った。
「いつもどおりだ。」
何でもないように答えられるが、どうやら大分前から起きていたようだ。もしかしたら寝てないのかもしれない。
「そうだ、イリス。」
「…何ですか?これ。」
手渡された黒い服に目をぱちくりさせる私に、レイさんはしごく真面目な顔で言った。
「作戦だ。」


「あのさ…!!」
「どうした?」
「イリスちゃんのあの格好は何!!?君達そういう方向に目覚めた訳!!?」
「何の話だ。」

私とすれ違った途端ダッシュでどこかへ走って行ってしまったラシュームさんは、レイさんに詰め寄っていた。二人の会話が漏れ聞こえる…とはいえ片方は叫んでいるので漏れどころではないのだけど。
『何じゃ騒々しい。』
「…そうですね。」
ラシュームさんはああいっているけど、別に変な服を着せられたのではない。私が手渡されたのはここの宮廷魔術師の女性用衣装。魔術兵ではないので武骨な鎧もなく、あくまでもシャープなラインを保つローブだ。あちこち段がとってあったり絞ってあったりして、むしろ可愛い。
こんな仕事着すらヒラヒラして可愛いのに私の普段着ってあまりにも…地味?絵を書くには袖が長かったりしたら邪魔だし、絵の具で汚れるのでそこまで良い服も着ない。過ごしやすいのが一番だって思うと自然とパンツスタイルが多くなる。下はよっぽどヒラヒラしなければスカートでもいいはずなのに考えたことも無かった。
だからって女の子した服に興味がなかったのではない。憧れはあった。でも、こんなの私に似合うのかな…?どんな顔して着ればいいのか分からないし、どこか変かも。

「あ…あの…。」
「おう。イリス、着れたか?___うおっ!?」
だらしなく椅子に座っていたレイさんは後方からかけられた声にのけ反ってこちらを見、短く呻いていきなり立ち上がった。
「……これは…。おいラシュー、俺の趣味じゃない!宰相の趣味だ!あのおっさん何を考えて…!?」
「略すなよ!!ラシューム、ムだから!!ム!!宰相さんにわざわざアレを貰いに行ったの??」
「他にも頼んだものがあったんだ!」
二人はわやわや言い始めた。ちらちらと私の方を伺って居心地が悪い。別にレイさんの目を楽しませる為に着たのではないからいいけど、面と向かって似合わないと言われるとちょっと悲しい。
着ろと言ったのは自分のくせに!泣きそうになりながらも恨めしげに見つめると、レイさんは目が合った瞬間顔を背けた。…いい加減落ち込むから!

「…そんなに似合ってませんか?」
「うわー、レイがイリスちゃん苛めてるー!!」
「うっ!?いや、じゃなくて…………上々。」
あくまでこちらを見ないで口の中で呟く彼。茶茶を入れたラシュームさんは睨み付けるのに。
『ほんに馬子にも衣裳とはこのことじゃな。』
「微妙に嬉しくないです。」
きちんとつけて来た宝石は軽く頷くように輝く。褒め言葉に聞こえない。飾りにしてはいたが別に何かを留めていたわけではない宝石は易々と飛び上がり、どこかそわそわするレイさんの眼前まで滑空した。
『ふふん、顔を真っ赤にしおって!』
「どういう意味だ…!?」
『額面どうりの意味じゃ。小娘が思いの外___むぐっ!』
「捻り潰してやる…!」
レイさんは電光石火の早技で宝石を鷲掴みにして続きの言葉を封じた。何を話そうとしたんだろう。それに彼はどうしてこんなに慌ててるんだろう。自分だけ蚊帳の外で腹だたしい。

「これは一体どういう意味なんです?」
むくれて尋ねる。納得出来なかったら殴ってやるんだから!
「この格好なら、この場にいて違和感がなく、なおかつ警戒するに値しない存在に見えるだろ。重要な事は、たとえ封魔術の結界の中だろうがお前の魔法は使えるんだ。」
「………!」
レイさんの考えたアッシュに勝つ作戦。その肝は私なのだ。相手の不意をつく。
「一撃必殺。それしかない。」



「イリスちゃん、ああいうの似合うんだね…。お姫様みたい。」
「………宮廷のきらびやかさって恐ろしいな…。」

初め見て、黒いドレスかと思った。華奢さを強調するようなラインに黒一色にも関わらず華やかな造形。ただ黒といっても上質な生地を丁寧に染め上げたのは瞭然。その黒と、本人はどう思ったのか知らないがワンポイントに使われている宝石の赤が、彼女の色の白さを際立たせる。動くたびにふわりと広がる裾や髪が少女らしさを醸し出ていた。
黒いフードさえ色以外はラシュームの着けているやつと変わらないはずなのに、まるで違って見える。彼女がにっこりと微笑めばここ宮廷でも遜色ないんじゃないか。もとの造作が違うんだな。こんなに似合うなんて思わなかった。何と言えばいいのか…目のやり場に困る。
魔術師の衣装が欲しい、と宰相に言ったら用意してくれた物なのだから、城内で何度も同じものを着ている人を見かけた筈なのだ。そのわりに全く印象に残っていなかった。
自分の観察眼はそれほど悪くないと自負している。じゃあなぜだ…?ふと彼女の笑顔が頭に浮かんだ。
イリスだからか?
…馬鹿馬鹿しい。すぐに打ち消し、ラシュームには構わず歩み去った。


揺らぐ空間。
本来空間は人間にとって不可侵なものである。こじあけるには莫大なエネルギーが必要なうえ、その場の精霊のバランスを崩さずにはいられない。世界を動かしながら大気とともに緩やかに在る精霊の数がいきなり変化したなら、それはその近くで何らかの魔術が行われているからなのだ。
だがそれは何の脈絡もなく始まった。国宝庫の扉の前、唐草模様の入った煉瓦の上に、光の円が浮かび上がる。見えない指で描かれるように、新たな虹色の紋様が継ぎ足されてゆく。扉前の兵士がうわずった叫びをあげたのはこの時点でだった。
「ひィッ……敵襲!敵しゅ…!」
「うるさいよ。」
床で完成した魔方陣から出現した影。彼は降り積もる雪のように穏やかで、据え置きの暖炉のように温かく頼もしい声に似合わず、鋭い動きで兵士を黙らせた。

悲鳴を聞き付け近くの部屋を飛び出して来た剣士風の男が手刀にやられ床に沈む兵士を見て立ち止まった。
「アレ呪言じゃないぞ!呪言に転移系なんて聞かない…魔術か……!?」
見覚えがある相手に、騎士の鎧を身に着けた彼は自分の通った魔方陣の上に立ったまましばらく考える。



「キミを知っている気がするんだ。」
「だろうな。こっちは覚えてるぜ。」
内心動揺した。あまりにも記憶のままの奴がそこにいた。朝の光を浴びながら佇む彼はあの時同様この国の不可侵さの象徴であるように見えた。しばらく俺が名乗るのを待っているようだったが、そんなもの自分で思い出せばいいんだ。奴が思い出さなかったところで関係ない。俺が覚えているのは変わらない。
諦めたのか騎士鎧の男、退魔騎士アッシュは扉に目を向ける。一応鍵はかかってはいるが、こいつ相手に役に立つのか?記憶にはっきりと残る奴の戦姿が否だと告げていた。

まずい。奴と扉の位置が近すぎる。誰かを呼ぶ暇はない。切りかかるにしても間合いが遠すぎる。急いで呪言を唱え始める。
「今ちょっと時間がなくて。用事はすぐに終わるから、待っていてくれないかな。」
「…先に俺の相手をしてくれよ…!」
やるしかない。剣を抜きながら駆け寄る。剣は銀の輝きを未だ帯びていない。奴は武器を抜いてすらいないのに近寄りがたい。記憶が知っていた。奴の攻撃を一撃でも食らったらただじゃすまない。
アッシュは落ち着いて俺の方に目をやると、慣れた動作で右腕をあげ壁に手の平で触れる。
崩壊波動オーラ・クラッシュ
効果は予想を遥かに凌駕した。右腕を軸として発生した衝撃波は扉にヒビをいれるどころか、壁ごと粉砕し一部の天井の崩れたヶ所から上階が見えた。
嘘だろ…。人間技じゃない。
直後やっと届いた俺の刃を難なくかいくぐり、アッシュは国宝庫に踏み入る。俺は離れ際に軽く肩を押されただけでよろめいてしまった。完全に動きが読まれてやがる。

目録に手を伸ばそうとした彼を止めたのはその首元に突き付けられた細身の槍だった。
「これはこれは___姫様。」
「アッシュ…!下がりなさい。一体どういうつもりなのですか!」
部屋の中に隠れていたらしい銀の髪の姫は槍を握り締めながら聞いた。毅然としたいのだろうが、声が震えている。
「あんた…。」
なんでここにいる!?彼女は夜もそう遅くなる前に自分の部屋に戻ったはずだった。そう嘘をついてここに隠れてアッシュを待っていたのだ。
つまりは誰も信用していなかった訳だ。

守るべき女王の娘、自分の命を捧げても後悔しなかった王家の姫に武器を突き付けられてもアッシュは動じない。それどころか跪き尋ねた。
「どういったご用ですか?」
「…!?」
残酷なほどに日常の一コマめいた反応。姫は一瞬身を震わせる。
「め、命令です。…母様を返しなさい!」
騎士は柔らかく笑う。
「それは致しかねます。私のトップ・オーダーはサラフィー様のものだと決まっておりますので。
道を開けられよ____姫様。」
彼は槍に右手を掛けた。途端に蜘蛛の巣のような跡を広げながら穂先がひび割れてゆく。
「やはり…利き腕が!」
奴の利き腕は右手だ。姫さんの話では失ったはずだが、そんな風には見えない。目を見開き固まる姫に、アッシュは利き腕ではない左でベルトにさしていた槍を抜いた。有り得ない。そうだ、有り得ない。相手が姫であろうとなかろうと、こんなタイプの強引さは果てしなく奴らしくない。

「そこまでだ。下がりな!」
体制を立て直し二人の間に飛び込む。見るからに魔術師風の姫の細い身体にアッシュの攻撃は重すぎる。
「食らっとけ……巌貫龍囓ロッククラッシャー
呪言はそもそも精霊の加護を必要としない。封魔術の結界の中でも問題なく発動した。血色に輝く刃が龍のあぎととして力を得る。相手が騎士の鎧を着けていようと噛み砕くはずのそれは、片牙になって威力を減らしている。
それでも鎧の繋ぎ目を狙えばダメージは与えられるはずだ。それくらいの攻撃でないと奴が避ける素振りも見せないのは明確だった。
素早く繰り出す牙を察知したアッシュは槍を振う。獲物の抵抗を躱すなど慣れたもので、防御に回された槍を潜り抜け、片牙はアッシュを捕らえようとする。
…噛み砕かれてみるか?

だが牙が触れるより前に奴の右手が閃く。こっちへ飛んで来たのは銀色の___。突き立てるべく朱い軌跡を描いていた刃を放り出し、慌てて俺は彼女を受け止めた。赤い牙のズレた軌道を避けアッシュは距離を取る。
こいつ姫を盾に使いやがった。俺の知っているこいつは絶対にそんなことしない。それでいて、こいつは限り無く“アッシュ”だった。


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