曇天、虹色地平線 魔術公国の鷹 5 作戦



すぐにかかって来るだろうと考えていたアッシュは何故か特にそんな様子も見せない。姫を手放せば守るには不利だが、それでもこっちから行こうかと思ったぐらいに、やっと短く声をあげた。
「思い出した。キミは“龍殺し”の…。」
「それ、聞きたくなかった。」
「…何を?」
「偽者だと信じたかったよ。その方が気が楽だろ。」
吐き捨てるように告げると相手は黙った。この痛みを知っている。…師匠の時と同じ。

数年前、まだ“龍殺し”の皆四人でやっていた頃、この国に大きなモンスターの襲撃があった。その時たまたまここにいた俺達はその戦いに参加した。そこでアッシュと共に戦ったのだ。奴は“退魔騎士”の名をそこで授かった。魔物を退け国の存続を守る。珍しいほど真直ぐな奴だったのに。何がこいつをこうさせたんだ。
“今度会う時は君達とも手合わせしてみたいね。またおいで。”
奴の控え目な微笑みと別れ際の台詞をまだ思い出せる。
抱えた姫が小さく震えている。今度は恐怖ではない。では戦意なのか…そればっかりは俺にも分からない。

「レイ!!」
俺の名を呼ぶ声…ラシュームだ。駆けて来た奴の携えているのはいつもの弓。それと…。
「これ!宰相さんがレイにって!!」
「待ってたぞ。」
姫を放した手で飛来した剣を掴む。お国柄、魔具ではなく呪言の使用に耐えられる剣を用意するのは大変だっただろう。鞘を抜き放ち放り捨てる。
剣身にびっしり描かれている呪文は趣味じゃないが、ここまでしても呪言の発動に一回もつかどうかだ。下の上、だな。

「騎士さん…離れたげて!!」
鎧の腕の繋ぎ目を狙った的確な射撃でアッシュを後退させながら、ラシュームが走りよって来る。合流した奴の背中を賞賛を込めて叩く。
「げふ…!!痛…痛いよ!!」
もう扉を越えてしまっていたアッシュを部屋から離れさせたのは大きい。ラシュームの後からやってきた黒ずくめの少女の姿も見える。

「あれ。組む人を変えたの?」
「お前は知らなくていいことだよ。」
説明する気はなかった。仮にこいつが昔のまま俺達を出迎えたとしても。



「貴方がアッシュさんですね。」
「はい。どうしました? お嬢さん。」
女王様をさらったのだから一体どんな山賊みたいな人なのかと思えば、想像と全然違う。レイさんが対峙している騎士は物静かな雰囲気を纏い穏やかに答えた。槍を抜いてはいるが殺気はない。会話のキャッチボールが成り立つ。嬉しい展開だった。
彼自身の言葉で疑問の答えが聞けるかもしれないうえ、止めるよう説得できるかもしれない。
「私は貴方が女王様をさらったと聞きました。…どうしてなんですか。」
「二人の愛の為に。私はサラフィー様の望まれるまま動くのみ。」
あっさり告げられ絶句した。変わりに聞き返したのはレイさんだ。
「あんたの女王様とか!?ならどうしてこんな…!」
「二人が一緒になるにはいたしかたないこと。」
彼は国家ではなく女王様に忠誠を誓っていたのだろう。ならば彼は何にも背いたことにならない。それにこれじゃ話が違う!

「王女様!どういう事なんです!?まるで相思相愛の二人を引き裂こうとしているみたいな…。」
姫は騎士を睨み付ける。心底傷ついた目だった。
「黙りなさい…。母様がそんなことを望んだかのように偽るのは!」
どちらを信じればいいのか分からず立ちすくむ。あまりにも話が食い違っていて判断基準になる材料がない。

「なぁ。」
「うん?“龍牙”くん。どうしたんだい。」
妙に距離感のないレイさんの話し方に違和感を感じるより前に、アッシュさんの返答に愕然とした。犯人が彼という話を聞いた時のレイさんの過剰な反応も説明できる。この二人知り合いなんだ。レイさん…顔広すぎですよ。
でも当時と言えばそうかもしれない。彼が伝説と呼ばれるまでには“龍殺し”の一員としての沢山の冒険があったはずなのだから。
「あんたを信用したいが、その話無理があるよな。」
「…どこが。」
「その話が本当なら何故ここに女王がいない。誘拐犯がさらった本人もいないのに信用して貰えると思うか?」
アッシュさんは答えない。ただ無言で微笑んだ。どこか虚ろな笑みなのは気のせいだろうか。

「どこからが狂言だ。お前はあの女王さんを愛してるのか?」
「愛して…そうだ。私はあの方を愛している。」
鸚鵡返しのような口調はどこか不気味だ。続く言葉も何かを確認しているのかと思わせる。
「あの方がこちらを向いてくださるには…これが必要。」

聞き取れた呟きはそこまでで後は誰の耳に届く事もなく宙に消える。一際強く、アッシュは何かを唱えた。
刹那、陽の光を通さない煉瓦づくりの薄暗い廊下の闇がざわめく。目に見える黒い大気のごとく、それはゆらりと身を捩じらせた。その時には既に彼の姿は闇に溶けている。金属の触れ合うような硬質な音を立て、通路の両側に銀の幕が立ち上がった。
「消えた…!」
「呪言の力で身を隠しただけだ。それよりも閉じ込められた方が問題だ。ちっ…どこにいる!?」
レイさんの両手の剣に銀に輝く。だが相手の姿が見えないのに何が出来るだろう。戦うにも守るにも動きがとれない。もちろん隠れるにしても逃げるにしても。私を守っているのは“気にとめられていない”こと。そう思うと、変に動いたら注意を引いてしまいそうだなんて考えてしまいさらに動けなくなる。

「危ない!!」
風をなぐ音より速くラシュームさんはレイさんを突き飛ばした。その背後を質量を持った斬撃が通り過ぎる。
「むぎゃあっ。痛い!!」
体勢を崩したラシュームさんをレイさんは受け止め抱えるようにして引っ張る。今まで彼がいた場所の煉瓦が見えない攻撃で砕け散った。アッシュさんはレイさん達と結構離れていたはずなのに。リーチの長さだけでは説明できない。
「槍圧で突いてやがる…。」
「何それ!!?」
ラシュームさんが叫んだ身振りに合せ血が飛び散るのが分かる。肩をかすめたのだろう。幸運なことにそれほど大きな傷ではない。ほっとした。

あの二人はまだ大丈夫だし、私も大丈夫。問題は___。
「ウィンディーネさん!これを放さないでください。」
『何をするつもりじゃ、小娘!?』
宝石を外してお姫様に握らせた。抵抗もできない宝石は何だかんだ言っていたようだが、渡されてしまうとしかたなく黙る。
コニスティンさんと戦った時のように仲間を守る為に戦う力すらない時とは違う。今回私は傍観者じゃなく、一緒に戦えるんだって事が私の心を落ち着けているのだ。
レイさんが半ばラシュームさんの体をぶら下げるように掴み叫ぶ。
「お前、奴がいる場所が分かるのか!」
「だって見えるもん!!あの人の右手…!!」
「教えろ!」
彼は数瞬周囲を見回し、ある一点を指差し叫んだ。
「上!!」
「おし!」
垂直な煉瓦の壁は頑張ればよじ登れなくもない。だとしてもアッシュさんの移動や攻撃は速すぎる。それがレイさんの言っていた“この城をよく知っている”って事なの?

レイさんは壁際に逃げていた王女様と私の位置を確認すると共に、目立たないように私へちらりと目をやった。
…合図?
もちろん聞き返す暇はない。次の瞬間にはもう彼の意識は私の方を向いていず、二剣を手の上で回転させ掴み直す。
「この感触…久し振りだな。これは効くと思うぞ。」
二本の牙を取り戻した龍は一層猛々しく咆哮をあげる。この二本の牙に一度捕らえられれば跪かない獲物はいないだろう。レイさんの足元で呪言の発動光が瞬いた。コニスティンさんが使ったのと同じだ。おそらく“跳躍ジャンプ”。
しだいに銀の牙が血色の光りを放つ様は、鎌首をもたげた龍がカアッとその口を開くのを彷彿とさせる。地を蹴る音と共に龍は獲物へ躍りかかった。
だがやはり見えない者を狙うのは無理があったのだろう。牙は何者も捕らえる事は出来ず、勢いのまま天井を抉った。いや、抉ったどころか。
「ひぃっ!?」
牙は天井を力任せに斜めにぶち抜いたものだから、壁だけでなく上階の一部までもが砕かれ青空が現れた。お城をこんなに思い切って壊しちゃっていいはずがないのは勿論だけど、問題は天井で瓦礫と化した大量の煉瓦はそのまま外に落ちていってくれたりはしない。大小様々な煉瓦の塊が頭上から私達に向かって落ちてくる!
「ひょえー!!?これは死ぬ!!死ぬから!!」
私は身に着けていたいつもの筆を構える。どうにかしなきゃ。でも、ここで魔法を使っちゃったら作戦が___!

「イリス!…今だ!」
上方からのレイさんの声。周りを見ると降り来る煉瓦の塊と同時に、降り注ぐ陽の光が城内の闇を払う。アッシュさんの姿が露になっていた。
「すいません…。痛いですよ!」
見えないキャンパスを見つけるには苦労しなかった。ひょっとしたら常に私の前にあるのかもしれない。このキャンパス越しに見た光景を、私は白いキャンパスに絵として描き写しているだけなのかも。握り締めたままの筆を滑らせる。一度描いたことがあるから今度は前より短い時間で描けた。一筆書きで宙に描かれた炎の本質。それは描く側から燃え盛る炎と化す。
威力は絶大だ。それを食らったコニスティンさんの身体が目の前で灰となって崩れてゆく姿を思い出して___一瞬躊躇した。

死、それに纏わるイメージ。座り込むレイさん。低く喉の奥が鳴る。こんなもの人間に向けて撃っていい訳がない。

顔を上げた時には、こちらがしようとしていることが何なのか分かったのか、アッシュさんが猛然と距離を詰めてきていた。
「イリスちゃん!!」
「…駄目!」
私はこんな所で死ねない。たん、と最後のハネを描ききる。術者の命令を待ち兼ねていた炎の蛇は騎士を喜々として迎えうった。炎が私の目の前に立ちはだかる人物を包み込む。今度は悲鳴が聞こえた。足が竦む。目を逸らしたいが逸らせない。炎から庇おうと顔を覆う両手____。


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