曇天、虹色地平線 魔術公国の鷹 10 真直ぐな槍



結局僕が使えた力は何だったのだろう。僕の名が目録にのってない時点で魔法ではないはずなのに。

騒乱の一日を終え、夕刻、僕達は王の間に呼ばれた。ゆったりと王座に座られたサラフィー陛下は優美に一礼する。
「あなた方が我が国の為にしてくださったこと、感謝しております。公式の場でないことにお気を悪くなさらなければよいのですが。」
「別に大丈夫さ。英雄になる気はないからな。」
非公式だからこそ陛下直々にお言葉を貰えているのが分かってるのかいないのか、レイの口調には遠慮がない。不躾すぎるよ!!

「変わりませんね。“龍牙”レイ殿。二度も助けていただいたのに、欲がありませんのですね。」
「なに、俺が欲しいものはここじゃ手に入らないからさ。」
「それでも私達に出来る最大の御礼をしたいと思っています。宜しければ貰ってください。」
陛下はゆったりと微笑まれる。聖母の笑みって感じだ。だからかやはり愛とか恋とかの対象って感じじゃない。結局、アッシュのあの言動は取り込まれ捩じ曲げられたからのものであり、実際は崇拝に近い気持ちだったのかもしれない。

彼女が宰相に目配せする。彼が持って来たのは見覚えがある槍だ。
「これは…!」
「折れた剣の代わりを探していると聞きました。剣ではないですが…これなら呪言にも耐えられるはずです。」
アッシュの槍は別に由緒がある訳ではない。だが名槍であるのは確かだ。彼という戦力を失った彼女がこれをレイにくれるというのは破格の礼だろう。
随分な戦力損失以上に、彼女自身も大きな精神ダメージを負った。しかしおそらくこの国は大丈夫だ。退魔騎士は最期まで主人を守り切ったのだから。彼女は折れない。ならば魔物が付け込む隙はない。
絶句するレイにそれを押し付ける。レイは難しい顔をしながらも受け取った。

「イリス殿も。感謝します。旅に必要な物があれば何でもおっしゃってください。」
「うっ…はっ、はい!光栄ですっ!?」
雰囲気に飲まれてしどろもどろのイリスちゃん。もっとしゃっきりしようよ。レイとイリスちゃんを足して二で割ったらちょうどいいんじゃないかな。

「ラシューム・ギテァナ・リドミリェーラス殿。」
「は、はい!!?」
まさかのフルネーム。
「この顛末は貴方の胸にしまってくださると聞きました。」
「はい。」
「それで…お気を悪くなさらなければよいのですが…。」

二回目の前置きに緊張する。女王様は言い出しづらそうに目を伏せる。
「幸運を祈って名を贈らせていただけますか?」
名前と言っても愛称のようなもので、ラシューム以下の家名の代りに呼称する。リドミとこの公国が王国から自治領と言う形の事実上の独立を達成した時、互いの親交を深めるために国王同士が名前を贈り合ったという伝承。もう二百年はなされていないはずだ。すでに忘れ去られていると思ってた。
「有り難くお受けします。」
僕は王様じゃないからお返しの名前を贈ることはできない。だけどこれは、王位継承争いにおいて大きな味方を得たも同然。
素直に好意だけ受け取れない打算的な自分にゲンナリしながらも、友好的な笑顔で返す。
「そうですね、では…。」
ほっとした様子の女王様が告げた名。それは目録に記されていた名字が違う“ラシューム”その名だった。



「寒くないか?」
冬の始まりはまだだとはいえ、十分風は冷たい。少女は高台の塀に腰掛けて絵を描いていた。

「…レイさん!?」
声を掛けた途端、少女はスケッチブック抱き締める。絵を隠された。
「…見ました?」
「そんなに慌てなくてもいいじゃないか。なんも見えなかったよ。」
安堵の溜め息をつく少女の髪を風がなぶってゆく。赤い街に映る夕焼けは、街自体がその英雄の死に悲しみの血を流しているように見えた。

「……あいつ、国葬には出来ないらしい。女王さんも頑張ってくれたんだが。」
伝えに来た事柄が口をついた。あれだけ大っぴらに反旗を翻させられていれば、今さら実は操られていたのだなんて言えるはずがない。魔物と戦う最前線であるという国家の威信にかけて。
俺にはそれはアッシュの望むところだったと思うが、イリスがどう感じるかはわからなかった。
「馬鹿な奴。あんなに女王さんに入れ込まなけりゃ…死なずにすんだろうに。」
魔族に利用されることも、自らを滅するなんて最悪の選択をすることもなかった。
「崇拝心だの忠誠心だのなんてろくなもんじゃない。」
一本気なあいつに届くのは女王の声だけだったのだろう。だからあんな形に“壊された”。
あいつはいい奴だった。だから俺は、おかしなことをしてたら止めなきゃならないと踏ん張った。

そうだ。…生きてて欲しかった。

泣こうかなと思った。いいやおそらく、イリスがいなけりゃ泣いてた。
絵描きの少女は誰よりも絵になる微笑みを浮かべる。憂いを含んだ瞳に映る世界は優しい。
「暗示をかけられていたからではなく、アッシュさんは本当に好きだったんですよ。だから最期まで女王様の騎士であることを望んだんです。」
「“退魔騎士”は最期に一つの魔を滅して死んだ、か。
ロマンチストなんだな。」
今となってはどうなのか誰にも分からないが。

彼女が腰掛ける塀に俺ももたれる。少女は抱えたままのスケッチブックに顎をもたげ、地平の彼方をぼんやりと見つめていた。
「アッシュさんの気持ちを利用して、果てには命すら弄ぶ。
絶望に…許せない。レイさん。私、戦います。」
驚いて見上げた。守るべき非力な少女というイメージしかなかったイリスから、こんな言葉を聞くなんて思わなかった。
「その時は仕方ないから一緒に戦ってやるよ。」
彼女がアッシュに会ったのは僅かな時間だし、しかも敵としてだ。裏切り者だのなんだのという議論から抜けてきた身としては、そんな彼女からこんな言葉を聞けて嬉しく思う。
ささくれた気持ちはどこかにいってしまった。気が紛れたのはこいつのお陰だが、照れくさいからそんなこと言わない。そういえばこいつ、師匠の時も側にいてくれたんだっけか___。

「二人ともっ!!大ニュース!!」
そこに駆けてきたのはラシュームだ。
「騒がしい奴だな。どうした?」
「目録の場所が分かった!!」
「は…!?」
ラシュームはにやっと笑う。指を左右に勿体ぶって振った。
「僕から二度も逃げられるとは思わないでよね。」
「かっこつけてもサマになんねーな。」

『同感じゃ。』
もう一人の声はイリスの方からする。高い位置に座っていたから気がつかなかったのか、彼女の上着の裾には赤い宝石が輝いていた。
「あれ、お前…いたのか?いつものうるさいお喋りがないから気がつかなかった。」
『ふん。小娘といい雰囲気じゃから気を利かせて…むぐっ!』
「ラシュー!いいから続けろ。」
イリスの上着の裾ごと握り込んで黙らせる。ちょっと驚いた様子の彼女は、俺の突発的な動きの方に驚いたようだった。彼女はほほ笑ましいものを見るように笑む。だがこりゃ会話の内容を分かってないな。鈍すぎる。

ラシュームは不満そうに「ムが…ムが…」とごにょごにょ言いながらも続ける。
「いくら末端を倒しても、本体を叩かないとああいうモンスターは倒せないよ。だから奴が逃げる時に追尾するためのものを巻き付けたんだ。」
奴の逃げしなに絡み付いたラシュームの蔓。すぐに振り払われてしまったあれは、奴が逃げるのを防ぐためのものではなかったのだ。
「お手柄じゃないか!
で、どこなんだ。」
「驚くと思うよ。
ルーブ王国さ。」
さらっとラシュームが言った国の名は一番相応しくない。ルーブはここと同じく魔物との戦いの前線だ。そこが魔物と手を組んだとは考えにくい。ならば潜伏しているのか。どっちでもいい。重要なのは、探し出してぶった切ることだ。
「行きましょう!」
「イリス…いいのか!?時紡ぎのお役目とかは…。」
「そんな場合ですか!?」
叫びながらもイリスは宝石に目をやる。宝石は溜め息をつくように光を反射する。
『まぁいいじゃろう。やむを得ん。魔物にこの大陸の覇権を握られでもしたら大事じゃ。』

「ラシューム、お前は?」
「へ?」
奴は王子だし、目的の力を手にいれた。まず間違いなくリドミの次の王さんだ。無駄に命の危険に晒される必要はないんじゃないのか。
「行かないなんて、言うと思う!!?来るななんて言わせないから。」
口早に告げたラシュームについて来ていいと言ったのは俺だし、そもそも止める気もなかった。



レイさんとラシュームさんが去って一人になっても、気持ちばかり急いて木炭は紙の上を無為に滑る。絵の中の一色の夕暮れの街は、照らしていた陽の光を失い今では暗く沈んで趣を変えていた。ほんのスケッチだからって筆を使わなかったのは間違いだったかもしれない。指に握った墨の感触にあの騎士の青年を思い出す。
彼が棺に入れられた時、彼の存在は永久にこの世界から切り離されてしまったのだと感じた。永久に広がり変化してゆく巨大な絵画から切り取られてしまったのだ。この世界の文脈から切り離され、新しい色を重ねられることのない棺という額縁の中の彼はもう永久になにも言わない。

…二度目のありがとうだった。

レイさんと、アッシュさん。私はなにも出来なかったのに、彼は救いの女神を見つけたように微笑んだ。レイさんに対しても私がしたことは喜ばしくも最善でもなかったのに。
もう誰にもこんな笑顔はさせたくない。だからは強くなる。強くなって奴等を倒す。
一枚ページをめくった。一つ前に描いた絵が現れる。傷ついた騎士を抱き抱える聖母の絵。その騎士の顔は描かれていない。
いつかはこの表情が描けるかもしれない。胸に焼き付いたあの笑顔ではなく。



空と海は青く、街は赤い。日差しが強いので、まだ冬めいた寒さは感じられなかった。
海と街が見下ろせる小高い丘の上にその無名の新しい石碑は立っている。そこに少し離れた所に生えている木の木陰が濃い影を作っていた。
「いい場所じゃねーか。」

懺悔や悼みの言葉は言わなかった。戦いの庭で生きる以上、どこにいようと何と戦おうと俺たちは戦友だ。昔こいつがそう言ったから。
また何も出来なかった。二度も奴の凶行を許した。やり方を分かっていたというのに。
許さないなんて口だけで。
奴等は“悪”。個人の憎しみを超えて斬るべき存在。ずっと感情を込めない剣で斬って来た。でも次に奴を前にした時、冷静になれる気がしない。

(「雪は滅多に降らないんですが、この町並みが真っ白に染まるんです。その日だけけこは青い街に変わるんですよ。」)
ふと蘇った底抜けにお人好しな笑顔。アッシュはこの街が大好きだった。
「雪、降るといいよな。」
立場上知られてはならないが、女王さんがせめてもと苦心して作った墓。でも、こんなに立派な墓標は俺達には要らないのにな。
携えて来た奴の槍を墓の傍らに突き立てる。快いほど真直ぐ立ったこれこそ、こいつの墓標に相応しい。

どこからか子供達のハミングが聞こえる。もうすぐ冬が来る。


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