曇天、虹色地平線 野望の王国 1 遭遇



窓を叩く音がする。一見小鳥がつついているかの様な音だが、違うのを自分は知っていた。
「お入り。」
待っていた。鍵をかけていない窓をソロリと開けて人間の右腕が現れる。指から手首、肘___。しかしその先にあるべきものは存在しなかった。体を切り落とされた右腕だけが独りでに動いているのだ。窓枠から滑り落ちた右手はゆっくりと地を歩み寄る。それにしっかりと握られている古びた本を見て自然と笑いが零れた。
「これで足りないパーツは後一つ。“時紡ぎ”だけだね。」
自分の使いを労い、机の皿に無造作に置いてあった物を投げて与える。肌色の爪のついたままの指だ。
「さて、人間どもを血に染めようか。___僕等の世界の幕開けだ。」



定期便の馬車に乗って行けば歩く三倍の速さで王国までいける。言葉ではいまいちピンと来なかったそれも、実際に乗ってみたら実感できた。後ろへ猛然と去ってゆく景色。手前にあった木が新緑の残像だけ残して過ぎ去る。わりと大きな上下の揺れも興奮のスパイスにしかならない。
「すごーい!速い!」
「揺れるぅ!!」
「そこの子供二人。危ないから膝立ちになるな。」

窓に齧り付いている私達を尻目に一人冷めているレイさん。
「でも…でも、凄いですよ!」
「はぁ。今時馬車くらいでこんなに喜ぶ奴等がいるなんてな…。」
『同感じゃ。』
「言っとくけど僕は子供じゃないんだからね!!?」
ニュアンスから悟ったラシュームさんが食い付く。馬車の中は私達三人(と宝石)のみ。誰も止める者はいなかった。
「あー知ってる。育ちのいいお坊ちゃんだよな。」
「坊っちゃん言うな!!」
この二人いつの間にこんなに仲良くなったんだろう。仲良くいがみあう二人は置いておいて、一人大人しく外の景色を見ることにした。

この馬車が走っている道は冒険者の町を通らずに王国へゆく。なぜなら王国内はそれほど道が整備されていないから馬車が通れる道が限られているらしい。さらに道中でモンスターに襲われる馬車も増えて、最近では魔術公国と王国の首都同士を結ぶ線しか運行されてない。私達の行き先を聞いた女王様がチケットをくれてから、レイさんを質問ぜめにして聞いたのは大体こんな話だ。
何度もレイさんは馬車に乗った事があるのだろう。___私の知らない冒険の途中で。
胸の痛みにはっとした。どうしてこんな風に考えてしまうんだろう。自分を持て余し、どうしていいかわからなくて結局俯く。きっと動乱続きで精神的にまいってるんだ。

目まぐるしく変わる眼前の光景ではなく、ゆっくりと動く遠くの山々を眺める。こんな気持ちこの旅に出るまでは感じたこと無かった。先に待っているだろうものが楽しみすぎて、移りゆくものがこんなに名残惜しいなんて知らなかった。無意識に慣れ親しんだ筆の感触を探して指を動かす。
一時たりとも忘れることのできない、私が描き創造した力が人を飲み込むあの瞬間が鮮やかに蘇る。身震いした。あまりにも強大すぎる力。誰も死んじゃいけない。でも私の力はあっさりと誰かを死なせる。
死んじゃったらもう取り返しがつかないんだよ。
それはとてつもなく恐ろしいことだ。そんな力の保持を許される時紡ぎって何なのだろう。そして。

私は何者なのだろう。

青ざめた少女の肩で、赤い宝石は鈍く光を放った。



「わーい!!食べていいよね?!!」
「いただきます。」
「おー、食べろ食べろ。」
イリスはともかくラシュームは何故両手にフォークを握っているのか。どうやって切るつもりなのか。
疑問は口に出さず、はしゃぐ二人に生返事をした。ここは王国城下町。着いたはいいがどこに行けばいいのか困った俺達は、取りあえず腹ごしらえしてから考えるということになったのだった。

「これ何のお肉ですか?」
皿の上の香草焼きをイリスはナイフで切りながら尋ねる。俺はメニューの今日のオススメの欄に目を走らせた。
「フォールのモモ肉だ。」
「……?」
「ここらに生息する小型のモンスターだな。鳥の亜種みたいなもんだ。」
一口頬張りながらも分かってない感じだったイリスの顔色が変わる。
「…モ!?」
ごふっごふっ、とむせながら目を白黒させているイリスにラシュームは水を入れたコップを渡した。
「あ、ありがとうござ…げほっ!」
「なぁイリス。言っとくが、案外普通な事だぞ?」
「でも…モンスターを食べるんですよ!?」
「タートス町でも食べてたじゃないか。」
「…!?」
心当たりがあったらしい。そういやイリスはブール語もナレーク語も読めなかったんだったか。盆地内ではどんな言語体系があるのか知らないが。俺達は事実上、大陸公用語で会話しているのである。
ぐるぐるしているイリスには、口にしたが調理されて原形がわからなくなっていた料理の数々が脳裏に浮かんでいるようだ。そこに口が食べ物で塞がっていたので黙って聞いていたラシュームが、フォークを振りながら言った。
「モンスターって言うのは人間以外のものをさす広義的な言葉さ。にゃんこだって尻尾が分かれればモンスターじゃん。」

モンスターと人間以外の生き物の境目なんて人間が勝手に決めたものだ。となるとどちらを食べても同じ。重要なのはそれが食べれるかどうかだ。こちらではモンスターがこれだけ食生活に食い込んでいるのに、盆地の中とはどんなに断絶的なんだろう。

一瞬灯りが弱まったように感じた。違う。揺れてるんだ。そう気がついた瞬間、それらは一気にきた。
悲鳴、地響き、何かが壊れる音。
これを俺はよく知ってる。小さな村ではわりとあることだ。だが…。
「こんな大きな町にも…。
ラシュー、イリス、行って来る。お前らはヤバそうだったら勝手に逃げてくれ。」
舌打ちと共に呟いた言葉を綺麗に言い切る事はせず、大事なことだけ短く伝える。待ち合わせとか決めている時間はない。
目を丸くするイリスと、口から食べ物を零しながら抗議するラシュームはほっぽいて建物から走り出た。

「やっぱりな。」
青い空に雲はない。木と石で簡単に作られた町並み。そこで派手な土煙をあげるずんぐりむっくりした人影。だが家の倍の背丈の人間なんて存在しない。
…サイクロプス。
そんなに遠くない所で暴れている巨人族のモンスターは石鎚を振り上げ、いかにも適当に振り下ろす。家屋がまた一つ崩壊した。
このままでは大惨事だ。慌てて走りよって初めて、よく通る声が届いた。

「高貴さ、強さ、意地、気合い、根性、そして何よりも!速さが足りないッ!それでこのハール姉さんに勝とうってのかい?この木偶の坊がッ!」
高らかに叫ぶ背の高い女性。一つ目巨人は彼女に攻撃しているのだ。しかし軽いステップで避ける彼女には届かない。それどころか危なげない動きで、彼女の大剣は奴が攻撃するたびに一撃を加えてゆく。慣れた戦いかただ。俺が参加してもいらんお節介か。
巨人が倒れるのも、後ほんの数撃かと思われた。その時ふと奴の大きな瞳が別のものを捉える。

視線の先を確認して思わず眉をしかめた。まずい。家々の瓦礫の間にガキが取り残されている。怪我してるのか恐怖からか尻餅をついて自力で逃げ切れそうではない。
やおらサイクロプスは振り上げた鎚を方向転換し、子供に振り下ろした。剣を携えた女が気付き助けようとするが、既に攻撃モーションに入っている彼女には間に合わない。猛烈な勢いでその凶器は子供との距離を詰めてゆく。あんなものに叩き潰されちゃそれこそミンチだ。絶対助からない。
だが肝心な事は、俺にとってもその攻撃は遅いことだった。

子供の首根っこを掴み片手に抱える。片牙であることが逆に便利だ。さすがに呪言を使う暇はないので、そのまま構える。
「いい位置だ。」
噛み砕かれろ。
新手に気がついているのかいないのか分からないが、巨人は減速も戸惑いもなく攻撃を続ける。迫り来る鎚が届くワンテンポ前に跳んだ。ガラ空きの手首へ一撃お見舞いする。会心の一撃だ。ただでさえ弱ったサイクロプスは鎚を取り落とした。
転がるようにその腕に飛び乗り、振り返る。サイクロプスに斬撃を食らわせていた女と目が合った。
「ほら!」
「あんた、何者…うわぁっ!」
「ひいぃい!」
ガキをぶん投げる。引きつった悲鳴が二つ重なって聞こえた気がしたが、ガキの方は叫べる元気があるなら問題ない。
彼女が受け止めるのを確認もせず、丸太みたいな腕を駈け登った。肩まで登れば急所に手が届く。

「…っ!」
虫を潰す要領で繰り出される平手。タイミングをずらし避けた。勢い余って歩調が乱れる。広い肩の肉の上で踏ん張るのは難しい。体勢が崩れる寸前、妙な弾力の皮膚を蹴り自ら跳ぶ。
「…届け。龍牙斬」
鋼の鈍い輝きから生まれる剣撃は仮そめの実態を得る。それは狙い違わずサイクロプスの見開かれた眼を切り裂いた。
地面に降り立った時には、巨人は顔を押さえて地響きのような悲鳴をあげている。ここで放り出したら更なる被害を生むだろう。

じゃあ詰めにしようか。呪言を唱え始める数瞬前に
「任せなッ!」
脇を駆け抜けて行った影。彼女は肩までの髪を閃かせ、大剣をぐるりと回転させた。凄い速さで回転させているからか残像が剣と繋がり、円形の刃になったように見える。
いや___本当に円形になったのだ。
奥義ブレイクショットぶっとべ!」
巨大な円形の手裏剣になったそれを彼女は身体の捻りを使って投げる。それは円盤投げのような弧を描いてサイクロプスに襲いかかる。
あの剣、魔具だ。
彼女が戻って来た剣を易々と受け止めた時、あっさりと巨体は地へ転がった。


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