曇天、虹色地平線 野望の王国 2 敵



女性は髪をかき上げ息を吐く。モンスターの外殻で補強された軽い革鎧を身に着けていた。大剣使いは大きな鎧を着けている場合も多いが、野山でモンスターを追いかけるには向かない。好戦的なタイプの冒険者によくある装備パターンだ。大剣を腰の後ろに斜めにさしながら彼女は笑った。

「ふん。他愛ないね。
そうとはいえ助かったよ。名は?」
ひらひらと俺は目の前で手を振る。売れすぎている自分の名を告げるつもりは無かった。
「通りすがりの冒険者だ。」
「ふははッ!面白い奴。」

彼女は腰に手をやり豪快に破顔する。
「お前さん。これから時間あるかい?会わせたいお方がいる。」
「いや。ツレが待ってるんだ。」
はっきり素っ気なく告げた。面倒な事に巻き込まれるのは嫌だ。随分残念そうなわりには続きを言おうとしない彼女に、おざなりに手を振り別れる。

王国首都までがモンスターの侵入に悩まされている。確実に奴等の力は増加しているのだ。この街がモンスター達に潰されたら一体何百人の死者が出るだろうか。仮に逃げ出すのに成功しようが、戦う術を知らない普通の人間が他の町まで徒歩で辿り着けるとは思わない。
俺達にんげんの世界は歪み始めている。



「将軍!無事ですか!」
「遅すぎるよ。あたしがあんなのに遅れをとると思うのかい。
それにそんな大それた呼び名は止めとくれ。あたしゃただの傭兵隊長さ。」
正規兵の鎧を部分的に身に着けた集団が走り寄って来る。しかし正規兵というには彼らは思い思いの装備武器を携えていた。屈託なくおどけてみせながらも、王国傭兵隊長ハール__実質は傭兵達を纏める将軍のような扱いを受けている__は先ほど去った男の身のこなしを思い出す。
「それに…なかなかの使い手が飛び入り協力してったんだよ。」
「そりゃ…我らに勧誘しなかったんですか?」
「フられちまった。そんな事に興味なさそうなツラだったよ。」

冗談のような口調にどう反応すればいいのか戸惑っていた配下の傭兵には、次の瞬間には真面目な報告を求める彼女は理解の範疇を超えているようだった。
「被害は?」
「南区は少なくとも三十の民家が倒壊。死傷者は不明です。城壁の復旧作業は三日程度で済みそうです。」
西区こっちは見ての通りさ。民家の被害は五軒ほど。問題は…城壁の破壊を防ぐのには間に合わなかった。」
「仕方がないです。将軍は南区からこちらまで走って来られたのですから。」
遠くに土煙が見えてから懸命に走った。無理だった。しかしそれは問題ではない。南区に出現したモンスターがそこに戦力を集中させる為の囮だと気付くべきだったのだ。自分は隊長なのだから。
砕かれた城壁は奴等の侵攻の恰好の的になるだろう。壁のない部分を守りながら戦い、モンスターの街への侵入を許さない。初めからギリギリだったその戦いは、もやはどの程度可能なのか分からない。
「巧妙になってきたね。きっと近いうちに仕掛けて来る。」

切れ長な瞳で東方的な顔立ちの彼女は舌打ちする。眉をしかめた姿に、逆にミステリアスな美貌が生まれていた。
「気たるべきモンスター共との戦いに一人でも多くの人材が必要です。」
「ふふ。勿体ないことしたね。
でもその気がない奴に無理には言えやしない。」
モンスターとの戦いは厳しさを増してゆく。素人でない冒険者であろうと完全には避けられない死の可能性は、段々と増加していっていた。覚悟を確かめないと無理に引き込めるもんか。
人間わたしたちが生き残るには、モンスターを早く駆除しなくては。もう一般人の犠牲者も幾人も出ている。

自分らの命は自分らで守らないと。

そういえば私の顔を知らないようだった彼は、もしかして旅人だったのではないか。こんな説明は全くしていなかった。話せば協力してくれたろうかね?過ぎた事はわからない。
彼女は呟いた。
「…そうと言っても、またどこかで会う気がするね。」



食堂の前は人だかりで、サイクロプスの死体を人々は思い思いの事を呟きながらも眺める。不安そうなまなざしだけが同一だった。
遠くて細かい事は分からない。レイさんは大丈夫だろうか。街を壊していたモンスターは倒されたのだから、やられてはいないだろう。でも…怪我とかしてないかな。
何故か凄く不安でたまらない。思えば今までレイさんはいつも私のそばで戦ってくれていた。だからこんな気持ちなんて知らなかった。
「この街はどうなっちゃうんだろう。」
「この間も南区でゴブリンが暴れたそうだ。お陰でうちの店のお客が随分減ってしまった。」
「うちなんてそれから、親戚と連絡がつかないんだよ。」
不安げにざわめく人々の漏れ聞こえる話し声は時に意味を帯び、時にただの音として海鳴りのように響く。

「…あれ、ラシュームさん?」
「なんでもないから。」
斜め後ろに立っていた彼はフードを目深に下ろした。黙ってレイさんの去った方を見つめる彼の瞳は鋭い。
「でも…」
『放っておいておやり。』
宝石に制止される。最近、気怠げで黙りがちな宝石は弱々しくも光瞬く。全てを見越して諭すような言い方に私は黙った。でもラシュームさんが暗いのは、どうも気になる。

待っていた人物は緊張感なくぶらりと現れた。こっちを認め、にへらと笑う。
「ん?どした。心配してたのか?」
「…心配どころじゃないですよ!」
「僕らも連れてってくれたらよかったじゃん!!」
非難の叫びはものともせず彼は気の抜けた欠伸をする。いつものレイさんだ。
「ぞろぞろ引き連れてけってか。ガキの遠足じゃねーか。」
すっ、と彼の瞳が厳しくなる。

「で、ガキ。何の用だ。」

その台詞は私達に向けられたのではない。彼は煽るように後方へ言葉を叩き付け、今まで来た道を振り返ったのだった。
「…!」
建物の影から出て来たのは小柄な少年。
「俺をつけて来た訳を教えてもらおうか。」
「……オレに。」
居心地悪そうに立ちすくむその子はなんとか口を開く。掠れて震える声。食らいつく気迫で叫んだ。
「オレに剣を教えてくれ!」

路地裏。この街に詳しい少年はここまで私達を連れて来て、促されては話を始めた。
「もう嫌なんだ。一方的に襲われるのは。
皆…皆、化け物達に殺された。戦わなきゃ…殺されるんだ!」

断片的に発するその子の言葉を要約すると、彼は元々はこの街の子ではなかったらしい。
故郷の町はモンスターに壊され、助けに現れた王国軍により一命を取り留めた。だが町はとてももう住めないほど壊され廃墟と化した。だから軍と共に首都へ登って来たのだ。そこで心機一転、新しい暮らしが始まる…はずだった。
ラシュームさんがまたフードを気にしているのが視界の端に映る。誰も何も言わない。少年は暗い憎念とでも呼ぶべき光を瞳に宿らせ続けた。

「一年くらい前、この街も化け物達の襲撃に合った。家族はオレだけしか生き残らなかった。
それで化け物に親を殺された子供の孤児院に引き取られた。」
それがさっきのモンスターに壊された内の一軒だった。助けが間に合ったお陰でみんな脱出でき、怪我人はいるが死人は出なかったらしい。
なのにこの子が一人で建物の側をうろついていた理由は。

「俺の手で倒したかった。憎くて堪らない。
なのに…怖かったんだ。」
怖い。自分ではとてもかなわない強大な敵が。

少年は俯き、表情が見えなくなった。身を縮こめ震わせているのが痛々しい。彼を支配しているのは、怒りや憎しみではなく恐怖。
その原始的なはずの気持ちがいまいち私には分らないのだ。人なら深層で理解できるだろうそれが。私が恐怖を感じるのは___。
それでも目を背ける事はできない。そういう意味で私はこの子と同じだった。

「絶対に引く訳にはいかない。お願いだから…。」
「駄目だ。」
レイさんは二の句が告げない程きっぱり告げる。
「死ぬのが分かってながら剣を教えるなんて御免だ。お前、冒険者に向かないよ。」
「なんで?殺られない為に強くなりたいんだ…!」
「相手の力量を見極めて、時に引く…逃げる事もできない奴が生き残れると思うか?」
少年は黙った。私は教えてあげていいと思う。レイさんは厳しい。そんなこと言ってる場合じゃない事分かってないはずがない。でも“死なせるのは嫌。”その気持ちだけは分かるので何も言わなかった。

「教えたげてよ。」
レイさんに反論したのは思いもよらない人物だ。ラシュームさんは顔をあげ、涙目の少年がびっくりした様子で見上げるのには答えずレイさんを見つめた。
「……お前。今の話聞いてたか?」
「それは直接の理由じゃないじゃんか。せめて真直ぐ向き合ったげるべきだよ。
レイは何か別にある理由を言いたくないんだ。そうでしょ!!?」
「………」
「レイがこの子の事心配してるのは分かる。けど、自分が嫌だと思ったから、戦おうと努力する…その頑張りはかってあげなきゃ。」
「…まーな。悪かった…。だが…教えられんのは変わらん。」
レイさんは目を合わせず短く同意した。伏せられた目は図星という感じがしたが、結局何を考えてるかは言ってくれなかった。私と違い、いつもにこにこしてるラシュームさんの真面目さへの戸惑いはない。だからか私にはレイさんの次の台詞の意味は分からなかった。

「ラシュー、お前は強いな。」
「そりゃ…善神イゴス様の御加護を見つけたからね!!」
ラシュームさんは見た事ないほど嬉しそうに笑った。


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