曇天、虹色地平線 野望の王国 3 白砂



襲撃は夜がいい。それは人外モンスターとしての習性か?
…否。闇は僕達を人間の目から覆い隠す。純粋かつ単純な…戦略。



そのまま西区で宿をとり、街を見て周っている内に日暮れは過ぎてしまった。どこへ行ってもモンスターと協力したり潜伏させたりしている気配は無かった。
城に近い中央区は人が多く屋台も出ている。ナレークの夜と違う華やかな騒々しさ。行き交う人々は話し笑い何かを食べて思い思いの過ごし方をしている。
ふと喧騒が途切れた。宵闇を切り裂くのは甲高い…悲鳴。それだけではない。角笛だ。
遅れて届いたのは相当な人数の雄叫び。そう、まるで鴇の声のような。西区の方から聞こえた。旅人を除く全ての人々が、始めから言い合わせていたかのように同じことを叫びだす。
「とうとう…!」
「…城に非難するんだ。」
「…ああ、襲撃が!」
「西区に家族がいるんだ!」

「レイ。」
夜店で買った棒付飴を咥えたまま僕は呟いた。
「これは…。」
「ああ。間違いないだろうな。モンスターが襲って来たんだ。」
低い地鳴りは断続的に届く。おそらく城壁を壊しているのだろう。そしてこの街をぐるりと周る城壁には東西南北各区に対応した門がある。その中でも西区を狙った理由、それは街道を押さえ他国の助けを呼ばせない為に違いない。
「…行くぞ。」
「私も行きます!」
レイが踵を返した途端、イリスちゃんは拳を握り追いすがる。レイはイリスちゃんに目をやりながらも止めない。なんだかんだ仲いいんだから。そして二人は僕の方は振り返らず、西区に向かって走り始める。
「ちょっ二人とも…!!?置いてかないで!!」
とにかく追いかけた。こんな所で一人放置されるのは堪らない。むしろ…恐ろしい。
分かってるのかないのか、レイは「全く…。」と言いたげにこちらを見た。そうしながらもこの時間のない中、僅かでも待ってくれるのは僕を仲間だと認めてくれてるからなのだろう。

出来るだけ早く到着しなくては。被害を出来るだけ押さえる為に。

逃げて来る人の波を掻き分けながら辿り着いた西区。人っ子一人いない、さまざまな物が散乱した路地を通った先。大勢が会話する声が聞こえて来る。聞いたことのない言語だ。
「オークか。…随分いやがるな。」
レイの舌打ちを聞かずとも、まずいのは分かっていた。肌で感じる。人が暮らす空間から一歩離れた非日常。それは戦場の荒廃した雰囲気から来るものなのかもしれなかった。
すぐ手前の街角を曲がる。他の街路と同じように石造りの道が伸びている。そこには子供ほどの背丈の影が二つ。
並んで歩いていた彼らはこちらを向いた。その大きな眼がぎょろりと動く。異形の姿に体が竦む。
明らかな…人外。
「…っ!」
その瞬間には動いていたレイは剣を抜いた勢いで一匹を切り倒し、返す刀でもう一匹を切り上げた。声も立てず倒れ伏す彼らに息を吐く。
「これで見つかった事はチャラだ。仲間を呼ばれると面倒だからな。」

レイは剣の血を払う。ちらっと僕の方を向いて眉をしかめた。
「ラシュー?顔色…」
「……なんでもないんだ。」
今度は困った顔をされた。僕はよほど蒼白なんだろう。
…分かってた。いつかこんな日が来るって。
無理に笑ってみる。僕が考えている事を教えたらきっと二人とも怒るだろうな。

「!…足音が!」
弾かれたようなイリスちゃんの注意に、レイの視線が側の通路に移る。少し…ほっとした。
「わりと多いな。
挟まれでもしたら庇い切れる気がしない。俺が注意を引きつけるからお前らはひとまず隠れててくれ。」
「……」
「無茶はしないでください。」
「んな顔すんなって。」

咄嗟に何も言えなかった僕と心配そうなイリスちゃんに、レイは冗談めいた笑いを残し、通路の先に消える。この場にはイリスちゃんと僕だけになった。
満月の輝きが殺伐とした夜気に満ちている。人の気配のない街は、逆にどこか聖域じみた清廉な雰囲気すら纏っている。
「そっちの隅っこにでも座ろうか。」
「…ですね。」
見れば彼女の表情も陰っている。


「…今晩は。わくわくするような夜だね。」
不意にした男の声。闇から届くそれは妙に楽しそうなアクセントを帯びている。レイが去った一つ脇の通路から、闇を潜って呪術士風の男が現れたのだった。褐色の肌に白い髪。驚くほど美しい中性的な風貌。それは花や月というより、磨き抜かれた宝石の輝きに似ていた。
そして何よりも目を惹くのは、人間と言うには尖った耳___。
「ダークエルフ!!?」
「驚くには値しないさ。」
流暢な公用語で彼は素っ気なく言った。
いやいや、驚くに値するよ!!ライトエルフは森に、ダークエルフは地底に、住み分けがなされたのは昔話の時代のことだ。そのまま絶滅したのだと考える人すらいるほどで、少なくとも人間社会の中で見たことなんてない。

「どうしてこんな街中に…?」
「もしかして今何が起きているのか分かってなーい?」
話し振りに軽蔑が混じる。話の分からん奴等めと言いたげに舌打ちされた。
モンスターの襲撃の真っ直中に人外モンスターが現れる。その意味は一つだ。
敵、なのか?
「戦いますか!?…う、受けて立ちます!」
声を裏返らせながらもイリスちゃんが叫ぶ。レイがいないのだから、僕がイリスちゃんの盾にならないと。エルフはおそらく…魔法を使う。緊張が走った。しかし相手の発した言葉は意外なものだった。

「戦う?何故?」
「こっちこそ聞きたいよ!!君らは何で僕らを襲うんだ。」
「認識の相違だな。」
「……?」
「脳味噌は腐らない内に使いな。自分でも分かってるだろ。
君達はこっち側だ。」

“こっち”側。

相手の一言は深かった。撥ね除けるにも返すべき言葉が見つからない。だって僕はずっと痛いほど肌で感じて来た。
僕は“こっち人間”側じゃない、って。
人間に混じって日々を過ごす度に思う。僕は皆と、同じモノを同じように見る事ができない。でも人間同士だって完全に分かり合う事なんてできないんだ。感じる度そう思い、寂しさに気付かないふりをしてきた。
だけどそれは僕が自分を人間だと偽って来たからだ。この街の人間の前で、僕は人外モンスターだと知らせれば、僕はどうなるだろう。今みたいな扱いは望めないのは確か。
そう気がついて実感した。精神的にも肉体的にも、僕は“あっちモンスター”側なんだ。
分かってる。受け入れられないのは怖い。だけど、それは人間の中にいようとするから怖いんだ。モンスター側に行けば解消されるだろう。収まるべきところに収まったとすら思える。

左目にはめた片眼鏡スコープ越しに、ダークエルフの純白の瞳が暗く輝く。さもそのとおりにするのが当然のように、彼は言った。
「同朋同士が戦う意味はない。さぁさ、戻って。君達のいるべき場所へ___。」



私は人間だから、私のいるべき所は人間側だ。モンスターは沢山の物を踏みにじって、沢山の人を死なせる。悪だ。許さない。戦う。…そう誓った。
だけど目の前のエルフは“君達は”と言った。ラシュームさんだけでなく私も?

心中でざわめく何かを黙らせ、相手を睨み付ける。彼は聞き分けのない子供を見る目で笑った。
モンスターの卑劣な手はよく知ってる。誑かされるもんか!
同意を求めてラシュームさんの方に目をやり…その表情の暗さに愕然とした。

「やっと分かった?心配しないでいい。僕らは同胞を大切にするんだ。」
「僕は確かにそっち側だ。」
私は小さく声を漏らした。確かにラシュームさんは人外みどりのたみだ。けど、まさか___!?

「…だけどね。誰のために戦うかは分かってるつもりだよ!!
教えて欲しい。レイの師匠やアッシュに酷い事したのは君?」

今まで見た事の無いくらい強い意志を宿した瞳。緑の民の少年に迷いなど見られない。
「本当に分かってる?それとも、君らの言う“モンスター”なんかと一緒にされたくないのかな?」
褐色のエルフの答えの後半は、自嘲ではなく皮肉だった。鼻で笑った純白の瞳も揺るがない。
「ううん。僕はモンスター。否定はもうしない。
それでも僕は、僕が守りたい人の為に戦う。」
つまらなさそうに話を聞いていたエルフは、今度は私の方を向いた。

「そうだなぁ…“イリスちゃん”はどう?」
急に切り替わった、含みを利かせた粘着質な喋り方。どこか場に合わず面白がった調子に聞き覚えがある。心に刻み込まれた記憶が蘇り、一瞬呼吸すら忘れた。
「…だ、誰が!」
「僕達やっと会えたと思ったのだけど。」

___君の大切な人を傷つけていくよ。君が僕のものになる時が楽しみだ。___

「…ひっ…!?」
「本人なの…?!!」
彼は肩に巻いた長布の端を口付けするように口許へ持ってゆく。首回りの大きな石をつけた首飾りが硬い音を鳴らす。唇が笑みの形に吊り上がったのが見えた。
「思い出して貰えて嬉しいよ。
ついでに名前も覚えて貰えるともっと嬉しい。“白砂の”トゥーレと呼んで。」

彼はおどけた動作で恭しく礼をした。彼が舞うような手付きで放した長布、私が落下し閃く布の残像に注意を引かれている僅かの間。いつ間合いを詰めたのか、相手の姿を認めた時には腕を掴まれ引き寄せられる。
「…!!」
「君はまだ自分を人間だと思ってるの?」
耳元で囁く声は優しく甘くて、背筋が凍った。反射的に振り払う。

「イリスちゃん!!」
ラシュームさんの悲鳴が響いた時には既に、彼は数歩後ろに下がっている。残された私は立ちすくんだままだった。目を逸らしたら何をされるかわからない。相手の目を睨んだ。
「この侵攻も酷い事を皆にするのも___今すぐに止めて!」

「やっぱり忘れてる。二度同じ事を言うのは嫌いだぞっ。言っただろう?
これは全部君の為だ。僕が欲するのは君が僕のものになる事。他はその為の手段でしかない。
僕のものになるの嫌なんでしょ?じゃあ仕方ないよね。」
さわやかな口調とは裏腹の内容、つまり___これからの戦いは全部私のせいだっていうの?

戦いは罪悪だ。死は犠牲者とその人に関わる全ての未来を奪っていく。ふと赤い街の女王様が笑顔の合間に臥せた目の静けさが浮かぶ。
モンスターは許せない。でも、私一人が堪えれば戦いは起こらずに済むの?これ以上の苦しみが起こらなくていいの?

「身勝手な事言うな…!!」
敵意をむき出しにしたのはラシュームさんだった。ラシュームさんは私を庇い、私の固く握り締めていた両手に彼の手が重ねられる。やっと自分が震えていた事に気付いた。
「愚かだなぁ。だがそれも人間に混り生きるゆえか。
その気になったらおいで?いつでも見ているから。」

褐色のエルフは闇のベールを背にして、緑の髪を発動させようとする彼に向かい立つ。私は筆を腰に下げた小袋から取り出した。ふと、闇が揺らめいたのが見えた。
「トゥーレ、指揮にはいつ戻るつもりなんだ。」
そのベールを鼻先で潜り抜けて来たのは、大きな飛竜。それは喋りづらそうに竜の口を動かし、渋い男の声で話す。彼の鱗を青みがかった月光が滑った。
「今行くよ。厳しいなぁ。
お二方。すぐまた会おうね。」
前へ進み出て来た端整な飛竜の首に、たおやかな腕を絡めるエルフの姿が月明りに照らされる。夢幻の住人と呼ぶに相応しい美しさ。彼がウインクしたと同時の、一瞬の豪風に反射的に目をつぶってしまう。次に目を開けた時には既に飛竜は空を舞っていた。


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