曇天、虹色地平線 野望の王国 4 王者



足音を頼りに通路を走る。オーク共の、がしゃがしゃと触れ合う装備の音のおかげで難しい事ではない。だが攻撃に入るには、奴等が合流しない又は俺が挟みうちされない、オーク同士の距離感のタイミングを狙わなくてはならない。
一匹でも多く駆逐するには気付かれない内に効率よく倒すのが必要だ。仲間を呼ばれて沢山のオークに囲まれでもしたら、完全時の俺でも持つか分からない。しかも今は…。
暫く大人しくしていたからか、傷の痛みは今のところ収まっている。それもどれくらい持つだろうか。

略奪され荒らされた家の前を幾つか通った。そろそろ城壁の方、街の外縁に近いのだ。道に転がったものを跨ごうとして踏みとどまる。ぼろきれのようなそれは___人間。もう事切れている。おそらく重く鋭利な刃物__オークの持つ小斧か何か__による傷が致命傷だったのだろう。
側にあった布をその身体にかけようとして、彼の手に握り締められているものに気がついた。指の隙間から見えるのは小さな櫛。握っている本人の物ではないようだ。
「責任…とらしてやるからな。」
歯を食いしばり、年期の入った革の手袋をはめる。その甲の龍の印が心持ちぼやけて見えた。

金属の触れ合う耳障りな音が近付く。オークの一隊がこちらへ向かっているのだ。
布をかけるのは諦め、手近な建物の影に入り込む。すぐにオーク達を目で捉えられるようになった。三匹の小隊だ。怠げに話しながら、奴等はぶらぶら歩いて来る。
辺りを憚らず会話しているので僅かに聞き取れた。といってもオーク語だから詳しい事は分からないが。冒険者学校の、たるい授業がこんな所で役立つなんて思いもしなかった。
なんでも…奴等の司令官がまだ戻らないのだという。そのため侵攻は一時停止中なのだ。だから退屈しているらしい。

オークが小隊を組んでいる時点で薄々感づいていた。誰かが指揮をとっている。気にかかったのは、奴等が司令官に対して尊敬語を使った事だ。基本的に奴等は同朋には尊敬語を使わない。オーク語の敬語表現には謙譲語しかないからだ。
わざわざ外的造語を使い尊敬表現を示すのに何らかの意味を求めるのは勘ぐりすぎか?

考えていても始まらない。今は絶好のチャンスだ。
近い所には他のオークはいない。考えすぎてタイミングを逃し、失敗するつもりはない。音を立てないよう気をつけながら剣を抜いた。
秋風が吹き去って行く、それすら集中を乱す。緊迫した状況にも関わらず汗一つかかない。
最後尾のオークが、俺が隠れている鼻先を通っていく。息を殺して丁度いい間合いを待つ。
こういうのは何度やっても慣れないな。

待っていた瞬間は苦しいほどの沈黙の後訪れる。判断と同時に飛び出す。ぴったりな間合いだ。
身動きした音に振り返ろうとしたオークにまず一発。それを切り返し二匹目に叩き込む。最後の一匹はうろたえるばかりで何ら支障ある事はしない。流れるような動作のまま最後の一匹に迫る。
「……うくっ!」
不意に走った腹部の痛み。前に踏み出せず、かくんと思わず片膝をついた為、最後の剣撃はオークに届かない。
奴が胸元に下げていた角笛が響き渡った。
傷が開いたのだ。視界に白く靄がかかる。暴れすぎたのか?こんなタイミングで?

冗談じゃない。

自分に向かって小斧が振り上げようとされるのが分かる。殺られてたまるか。
視界が霞もうが問題ない。身体は訓練のまま動く。
「くぉのっ…!」
振り下ろされる前に振り切った。斧を持ち上げ隙ができたオークを俺の剣はあっさり叩き斬る。
痛みの割りには俺の頭は冷静だった。すぐにここから離れなければ。だが腹に力が入らない。あまり動かすとまずい。
塞がりかけていた傷はアッシュの奴のせいで確実に酷くなってる。
剣を鞘に直し、辺りに聞き耳をたてた。イリス、ラシュームの所へ戻らなくては。



右へ、左へ、ジグザグに走る。息が上がって来た。服の上からも血が滲んでいる。自然と前屈みになり、壁に凭れて息を静める。わりとマズい。ここで大物と遭遇でもしたら目も当てられない。
俺らしくない弱気な思考に力なく微笑した。思ったより精神的にも肉体的にも参ってるみたいだ。
…一人で手傷を負って彷徨うなんて、あの時以来だ。あの洞窟の暗さが瞼の裏にありありと蘇る。
一瞬フリーズした頭は、脇道から何者かが現れたのに対応できない。
「うぁっ!?…舐めんじゃないよッ!」
「ぎゃあっ!?」
鉢合わせした人物に蹴倒された。しかも腹部を。反応しきれないのは仕方ないとはいえ、抵抗らしい抵抗もできず馬乗りされる。刃の輝きが吸い寄せられるように俺の喉を狙った。
…万事休すか?

「…あら?」
相手は長剣を今にも突き立てようとする姿勢のまま、間抜けな声をあげて動きを止めた。見た事のある切れ長の瞳が覗き込んでくる。
「お前さん…モンスターなのか?」
「違う。」
彼女は身軽に身を起こし俺を解放した。彼女の来た方向からばらばらと人が来る。性別、年齢、装備まちまちで、見るからに正規兵の集団ではない。どうやら彼女はそいつらのリーダーらしかった。

「マイルとザッカの隊は先行しな!」
人間味方側か。正味助かった。だが、こいつら角笛で呼ばれたにしては来るのが速すぎる。既にこの地区にいたのか?指示に合わせて数人の冒険者が俺の来た方、城壁の方向へ向かう。
「あんた、どうしてここに…。」
「あんたじゃなくてハール姐さんと呼びな。これがあたしらの仕事だからね。」
「……仕事?」

俺の質問に答えないまま、彼女は部下と思われる奴等に叫んだ。
「救護班!こいつを!」
「待て!?なんで…」
「さっきからグッタリ転がったままで、このハール姐さんの目を誤魔化せると思うのかい?」
あんたが蹴り入れたんじゃないか。まぁ怪我がなけりゃ多少蹴られたくらいなら大丈夫な訳だが。むくれて答える。
「誤魔化すつもりはねーよ。」
「なら怪我人は黙ってな。」

このままではこの地区から放り出されてしまう。見てるだけじゃ何も変わらない。モンスターに誰かが苦しめられるのが嫌なら、自分できるやつが動かなくちゃならない。アッシュだって最善を尽くしたじゃないか。それが最悪の選択だとしても。
腕を組み見下ろして来る相手に食い下がる。いや、実際はそれほどの体力すらなく、正確には憎まれ口を叩いただけになった。
「その怪我人の方があんたの部下よりも役に立つと思うぜ。」
「そりゃ確かにもっともだ。」
迷いのない同意だった。悲痛な叫びが周囲から上がる。
「将軍っ!?あんまりな言い方じゃないですか…!」

将軍と呼ばれたのは確実に目の前の彼女だ。
「あんた将軍なのか?…王国ここの?」
「そういう事さ。ここはあたしの顔を立てちゃくれないか。」
「…分かったよ。下がって守られとけって言われないならな。」
「ちっ。強情だね。」
ハールの手招きに、杖を持った女性が駆けて来た。装備した短いローブから考えても…こいつら皆冒険者か?
「お前さんこそどうしてここにいるんだ。」
「モンスターが襲撃にきたんだろ?」
「知っててかい。普通逃げるだろう。」

治癒魔術なんて気休めにしかならない。怪我人の治癒能力を高めるだけなので無理は利かない。分かっていたがお願いした。今傷口が塞がるだけでも十分だ。なんとかして痛みが引いてくれるなら、まだ戦える。
術師は杖を構えはしたがオロオロしている。俺がどこを怪我しているのか分かっていないようだ。返り血も浴びていないから、そんなもんか。
「前の傷が開いたんだ。このあたりなんだが。」
服をめくって包帯を見せるにも、剣を下げたベルトを外す必要がある。戦場でそんな悠長なことやってられっか。服の上から示す。その手を一瞥して術師は驚きの声を漏らした。
「うわ…!?貴方…“龍殺し”!?」
「何!?」
叫びを聞いた冒険者達が寄って来る。不思議そうな顔していた奴等は俺のグローブを見るなり歓声をあげる。珍獣のノリだ。一部憧れの視線も感じもするが、こういうのは苦手でならない。

沈黙する俺を眺め、にやり、とハールは笑った。
「そういうことかい。」
「まぁな。」
「とんでもない人材がいたもんだ。まさか“龍殺しでんせつ”とはね。」

「ハールさん!」
先行した奴等が血相を変えて引き返して来る。声が悲鳴じみて震えている。
「この先にダークストーカーがいます!魔法ぅっ……」

声がかき消された。数人が同時に叫んだような耳障りな鳴き声が発されたのだ。音源は街路の向こうから、ゆらり、と現れる。
身体の線がはっきりしないほどに長衣を身体に巻いた影。魔か人か不明瞭な姿なのにも関わらず、纏う不穏なプレッシャーがその属する所を語る。
魔術に長けた闇の申し子、ダークストーカーだ。モンスターの大きな武器は魔法。今まで見なかったのがおかしいくらいだ。だから、それほど驚かなかった。

ただただ…マズい。魔法を使える存在が一人いるだけで戦局はひっくり返る。分かってても戦わなきゃならない。この場の多くがそう自覚した。物陰に隠れるなんて小手先の回避が威力的に通用しない魔法に対し、こんな縦に狭い空間での戦闘は明らかに分が悪い。それにしても街角にダークストーカーが現れるなんて悪夢じみていて現実味がないな。
この場にいない、あの娘の名を自然と心中で呼んでいた。___イリス。

パパラパーー

この緊迫感にそぐわない軽く高らかな音に俺達だけでなくモンスターまでもが注意を引かれた。
進軍ラッパだ。後方から駆け足で続々と現れる揃った鎧の兵士達。王国の紋章をつけている。援軍か…?だが、奴等はすぐにモンスターと戦うのではなく列を作り始めた。
二列になった正規兵の、一番手前で向き合った二人は赤い国旗を交差させ掲げている。王国の紋章、赤地に長牙の虎だ。その道を勿体ぶってやってくるのは一人の男。
こんな登場のしかたをしたがる人種は他にいない。誰かが安堵の溜め息を漏らした。
「ロディ様!」
名前くらいは知っていた。ブール王国二十代目国王、ロディ・ホルツブルク。今の国王は武力を重んじるとは聞いていたが。
「…直々かよ。」


モンスター達の姿を見、赤いマントを斜めに肩に巻いた青年王は余裕の笑いを浮かべた。
なんて派手で豪華な男だろう。マントなんか派手すぎて他の奴が来たらちんちくりんになりそうだが、それまでが彼の特異さを引き立てる。これくらい着こなせないと王者の器とは言えないのかもしれない。

暗がりでもなお明るい暖色の髪の彼は、ダークストーカーにとってはよい的だった。詠唱も必要なく言葉でも発するように奴は魔法を放つ。闇を纏ったような黒い衣のはためきのみが、魔法の発動を物語る。
街路に沿った家の壁が壊れないほど微弱な余波しか放出しないというのに、強大な自然のエネルギーそのものの風の波は、そのまま並外れた大きさの刃となる。
青年王は避けない。そもそも避けるスペースもない訳だが___見下した素振りで眺めるだけだ。今にも自分を引き裂こうとするそれに、彼はたった一言喝を入れた。
「誰が王者の血を流す事を許可した!?」

バシュン!
彼に触れた途端、魔法は一瞬にして萎み自ら弾けて掻き消える。魔法がそこで行使されたという痕跡すら消滅した。
血継能力…魔法無効。
「直に手打ちにしてやる。有り難く思え。」
彼が背中から抜いた矛の刃は凍った湖のような透き通った輝きを帯びている。そこに閃くマントの赤が映って、冷えきった湖で洗われた血塗れの矛を夢想させた。


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