曇天、虹色地平線 野望の王国 5 一夜



角笛の音が聞こえる。何かが始まろうとしている。
「……」
「ここを離れた方がいいかも。」
ラシュームさんが言おうとしている事は、つまりこうだった。逃げる…街の中心の方へ。

「ラシュームさん。」
「うん?」
「私達は足手まといですか?」
「そんなことないと思う。僕もイリスちゃんも十二分に戦えてるはず!!」
「じゃあ…行きましょう。」
私が指差したのは、もちろん城の方ではない。レイさんの去った方向へだ。どんな形であれ、私のせいで起こっている事を放ってなんておけない。すぐにでも行きたい。

でも、ラシュームさんから返ってきたのは望んだ同意ではなかった。
「モンスター的には飛んで日に入る夏の虫じゃないかと思うんだけど。」
「…確かに、でも…」
ラシュームさんはもっともだ。だけど、分かってても行かなきゃいけない。
酷く直感的すぎるこの気持ちを論理的に説明出来ず、吃った。戸惑うような僅かな時間をあけて、底抜けに明るく彼は言う。
「まー、そうなったら僕がどうにかしたげる!!
何度も何度も、奴の手口を分かっていながら防げないなんて___いいかげん善神イゴス様に見捨てられちゃうもんね!!」
見返した所には彼の笑顔があった。レイさんと同じだ。相手や今の状況をちゃんと分かっていながら、それでも勝とうとする。
彼は、強い。



壊れた城壁の間から続々と溢れてくるオークの波。進軍は困難を極めた。最前線は冒険者達に任せ、俺達は真ん中よりやや後方にいた。
「司令官が返って来たようだね。」
「オークをダークストーカーの補助に徹底させてやがる。上手いやり方だ。」
モンスターとはいえオークは魔法能力が低い為、警戒しなくてはいけないのはダークストーカーのみだ。オークに比べ奴等は数が随分少ない。だが魔法は圧倒的な威力を誇る。ダークストーカーを攻撃に集中させることで、能力を最大限有効に使っているのだ。遠距離武器もサイクロプスが盾になってしまう。布陣や新手の追加も作為的だ。明らかに今までと違った。
これは上空の飛竜が帰って来てからだから、おそらく司令官はあの竜か?随分上空にいるので、この月明りではよく見えない。時折鳴き声が聞こえるのは指令かもしれない。
「だねえ。うちの頭脳プレーンに欲しいくらいだよ。」
ハールは冗談めいて頷く。どこまでか本気か分からない。だが冗談でもこの状況でそれを言うのは…。

「不謹慎な発言だ。」
彼女を注意したのは、返り血を浴びたように赤いマントの青年王だ。矛の一振りで周囲のオークを四匹ほどすっ飛ばし、わざわざ後方まで来て話に割り込んできた。
「ははっ。ごめんごめん。」
ハールは相手が王だと全く意識していない反応だ。青年王は顎に手をやり、むっつり見返す。眉と眉の間に皺が入ってるぞ。
彼は近くで見ると尚更若い。といっても幼くは無く、幾つも修羅場を超えて来ただろう風貌を備えている。それでもそう感じるのは、王族はおっちゃんおばちゃんだという先入観のせいかもしれない。

後ろへ固めた暗い茶の髪は左の前髪が前に残してある。これだけの数の敵を倒しておきながら髪型一つ乱れないのが、奴の強さは特殊能力だけでないと示している。勝手な事考えてると、ハールを見ていた視線が不意にこちらを向いた。その口許がにやりと笑う。
「ふん。お前が“龍牙”か。…いいだろう。強い奴は好きだ。」
「…?」
「戦列に加わる事を許可してやろう。」
さも有り難がるのが当然といった風に尊大に告げられる。脈絡がない。顔中で疑問を表す俺を置いて、彼はずかずかと戦場に戻って行った。

「………戦列?」
「一緒に戦って欲しいならそう言やぁいいのに。かーいいねぇ!」
いやそんなニュアンスじゃなかったぞ。なんというか、意味もなく偉そうだ。俺に従うべきオーラは、基本的に誰の下にもつかない冒険野郎には受け入れがたかった。
「あんた、王さんが戦ってるのに行かなくていいのか?」
「あたしゃ武器を待ってるんだ。」
ハールは初め会った時に持っていた長剣ではなく、もっと細身の剣を身に着けていた。それは代用品なのか。

「ハール殿。」
虎の紋章を身に着けた兵士達に守られて、じいさんが歩いて来る。珍しい程年寄りだ。理知的な瞳を細め、後方の兵士に目で合図した。
「お待ちのものの調整が終わりましたぞ。」
「いやぁ仕事が速いねぇ!」
進み出た兵士がハールに渡した長剣は、もちろんあの時彼女が持っていたものだ。
「属性耐久力をあげもうしたので、近距離から魔法を受けようと大丈夫でしょう。」

ふんふんと頷き、一二度降ってみた満足気な彼女は、俺に爺を紹介する。
「こちらはコラト爺さん。ロディ様の知恵袋さ。」
「いやいや、しがない宮廷魔術師にすぎませぬわい。」
爺さんが頭を掻いた拍子に、長いが裾を引きずらない程度の長衣が衣擦れの音をたてた。ラシュームや魔術公国のとは違い腰辺りを絞っていない造形だ。魔術師服にもお国柄が出るのだろう。
この国は海上交易で他国と繋がっていたので、随分他大陸国の影響を受けている。もっとも今、その交易路は大量発生したモンスターのせいで廃れているが。

目礼だけして俺は意識を前線へ戻した。何と言っていいのかわからない。彼女らが仲間になると明言してもいない俺にこうも構うのは、俺が“龍爪”であるからに違いなかった。
戦況はこちらがだいぶ優勢である。戦い慣れた兵士や冒険者に、魔法無効の王さん。志気は最高。凄い勢いで内部へ侵攻しようとしていたモンスター達は、位置を微調整するように僅かに移動するだけになっていた。
脈絡なく発される魔法をまた王さんが打ち消す。魔法攻撃を無力化されたダークストーカーにオークならそれほど怖くない。押し返すのも時間の問題だ。



「…あの王、厄介だな。鉄壁というのも伊達じゃない。」
「結果を決めるのは戦略だ。ごり押しばかりだから勝てないんだよ。」
戦場の上を飛ぶと周囲がよく見える。思わず呟いた言葉に、律義に返ってきた返答は冷たい。
蒼鱗の飛竜は溜め息をついて横目で背中に跨がる相手を見た。彼はそんな竜に注意を払わない。下の状況に集中しているようだ。左の片眼鏡スコープが光る。

「…こんなもんかな。」
「準備できたのか?」
「配置完了。一撃で決めちゃうよ。」
「全く、お前の策士ぶりに期待してるよ。」
背中の褐色のエルフは鼻で笑った。
「ルウス。行くよ。
___作戦開始。」



武器の戦音だけでなく、空を時たま染める魔法の閃光からも、目指す場所に辿り着くのは難しくない。
「なんか大人数で戦ってるよ!!?レイ…いるのかな。」
「いなかったとしても、戦います。」
とってもシンプルだ。誓ったはず。強くなるって。もう誰も悲しませないって。どうしても止めないなら、私はモンスターを倒す。ためらっちゃいけない。
家々の廂がきれた。途端に飛び込んて来るのは空。その朝焼けの下で戦う人達。見て分かった。人間とモンスターだ。加戦する方は決まった。陽の光が血を振りまいたように人々を彩っている。筆に指を這わせ、ふと違和感に再び空を見上げる。

空が___赤い?

朝焼け空ではない。いや、朝焼けの赤も含まれているのだろう。それにしては赤すぎる。じっと眺めて実際空に色が付いているのではないらしい事に気がついた。まるで、あれだ。宝石の迷路の罠。
ラシュームさんも首を上に向けたまま固まった。でもはっきりとは見えて無いみたい。これだけ人がいるのに、この場で私達以外は誰も気がついていないらしい。

肌が感じる。これは___駄目。



「広大すぎる魔法範囲全てを魔法無効が補う事は出来ない。王一人残し全部消し飛ぶ。ほら、鉄壁が…崩れた。」



上から降って来る、まるで合図みたいな吠え声。オークに守られた黒ずくめの衣のモンスター達が一斉に魔力の渦を纏う。渦から立ち昇る魔力が空の赤さに溶け込んでいく。奴等が均等の距離をあけているのが見て取れた。
不意に空気が膨張する。その時になって戦っていた人達が気付き始めた。

網のように空を覆った赤い暴力は、捕らえた者を消滅させようと街半分を覆う。広がった網が引き絞られる様を今や全員が目にしていた。
「駄目…!」
筆を構える。防ぐもの___何を描けばいいの?岩、じゃ無理だ。広大すぎて強大すぎる力には、どんな盾も通用するとは思えなかった。太刀打ちできない。
モンスターってこういうものなんだ。圧倒的な力の差。人との隔たり。

悔しいより悲しかった。全力で誰かを傷つけるための…こんな魔法発動しなかったらよかったのに。
私は頭の中で“描いた”。こんな魔法が存在しない空を。
張り詰めた空気が和らいだ。身の内から囁く声がする。紛れもない、自分の声。何をすべきなのかが分かった。
塗るべきキャンバスが見えたのだ。それは、この空。
「…!!」
既にキャンバスに描かれた絵を上書きするように筆を動かす。空を撫でるはずの絵筆はやはり妙な手応えを返し、連動して空のキャンバスは彩りを変える。筆の動きが見えるようだった。筆が優しく撫でるにつれ空は明紺の絵の具で塗りつぶされる。
普通の見慣れた空に。

少女に目をやり戦いの手を止めた人々の中に、魔の力を打ち消す王の姿もあった。彼の呟く言葉は辺りの歓声にかき消され誰にも聞こえない。
「…これが時紡ぎ。」



「ああ、タイムリミットだね。時紡ぎイリスが来た。」
僕は息を吐く。勝ったと思ったのに。ルウスがぶっくさ言った。
「何だあの…化け物じみた力は。」
「無効どころか、存在自体を消された事にされてしまった。」
莫大な力だ。道理で彼女の存在が世界に大きな影響を与えもするはずだ。あの力が欲しくて堪らない。

黙り考える僕をどう思ったのか、ルウスは慰めるように言った。
「目的は果たした。よしとしようじゃないか。」
なんだその発言は。まるで僕の作戦が失敗したみたいじゃないか。
反論しようと思ったが、味方同士で揉めても仕方がない。何より空がもう明るくなって来た。魔法のせいでなく我々の姿は赤く照らされている。
「…まぁね。そろそろ陽が昇る。こっちのリミットもそろそろだし。」
炎のような赤に染まる景色に、戦乱の予調を見た気がした。



モンスター達が退却し出す。ダークストーカーは夜の闇の中でしか存在を保てない。オークや竜は大丈夫でも、主力を失うと不利になるから一旦下がるのだろう。引き際もあっさりしていてそつがない。
魔法を見てすぐに駆け付けたのだが、それに紛れてしまいイリス達を見失ってしまっていた。

「追いかけろ!一気に潰す!」
虎を思わせる覇気を纏い、王さんが叫んだ。承諾の叫びが一斉に上がる。求心力抜群だな。だがそれよりも鋭く響き渡ったのは、あのコラト爺さんの制止だ。

「なりませぬ!」

皆が反射的に爺さんの方を向く。結果的に爺さんから王さんまでの道が開かれた。
「じい。」
「これは、あわよくば我らを森の中へおびき寄せる作戦でありましょう。暗い森の中ではダークストーカーも力を取り戻すと聞きますぞ。」
「…戦いの場が森に変わると厄介か。
分かった。止めにしよう。」
頭に昇った血も降りて来るような、真っ当な理論。暫く考えた王さんは、不可解なほどあっさりと頷く。あの眉間の皺も爺さんの前では緩められているようだ。

一時闘気を無くしたように見えた彼は、力を抜いた冒険者達をぐるりと見回す。威圧的な猛々しい王者の目だった。
「皆、気を抜くな。
おそらく___決着は今晩だ。」


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