曇天、虹色地平線 魔術公国の鷹 8 壊れる公国


 
漠然と見えない綱か何かで繋がっているかのようなイメージがしていた。しかし本はあっさりと台座から外れ、簡単すぎて拍子抜けした。

「!」
突然左から飛び掛かって来る者がある。いや、まだ舞っている粉塵で霧から飛び出して来たような案配だったから見えなかっただけか。
黒い魔術師服に黒いフード。あの少女だ。
右手を振って突き飛ばす。ほとんど力は入れていないが、細い身体は吹っ飛んだ。相手は扉の端に体を打ち付けられる。彼女はあの筆がないと力が使えない様だから、無力な相手に酷い事をしたかもしれない。

しゃがんだままの相手に気持ちだけ謝罪した。答えが返ってくるとは思わなかった。
「覚悟してたとはいえ痛かったよー!!」
緑の閃光。瞬間、視界を奪われた。端から回復してゆく視力が蔓同士が絡み合い強靭さを増していくのを捉える。
ズレたローブから緑色の髪が現れた。やっと了解した。目の前にいるのは少女じゃなく緑の民の少年だ。入れ替わったのだ。
ではあの娘は?
筆(ぶき)を拾いに行ったとしか考えられない。
やはりあの娘には止どめをさしておくべきだったのだ。

「く…!」
蔓を鮮明に確認できるほど視力が戻る前に、自分の右腕が巻き付かれ繋ぎ止められたのがわかった。呪言でこれを砕くのは簡単だ。しかしその隙に魔法をぶつけられてはかなわない。腕が二本しかないように、出来る行動には限度がある。この蔓には即座に対処しなくてはならない程の破壊力はない。
なら。
右手はそのままに振り返った。魔術師服のさっきまで少年が被っていたローブを被った人影は、瓦礫で視界が悪い中でも確認出来た。
自分も城を壊してしまうがしかたがない。狙いがきちんとつけられない分、範囲が大きく重いものをぶつければいい。
「我らが鷹の旗の元、我が敵を薙ぎ倒せ。衝撃波動!」
体制も整わないまま左足で踏ん張って、弾と凝らせた精神派を押し出す。
瓦礫を砕きながら進んでも全く勢いを減らさないそれは少女にぶつかると思えた。痛いじゃすまないよ、本当にごめんね。

『今じゃ!』
光の帯が、純白の残像で少女を包み込む。獲物に触れることなく自分の放った攻撃は砕かれた。
魔法防壁。
散らされた攻撃は期せずして少女の周囲の瓦礫を一掃する。あらわになった為彼女の傍らに立つ人が見えた。青ざめた姫様と、彼女が包み込むように持った赤い宝石の燦然とした輝き。その赤が映る姫様の顔や胸元は血でべっとりと染まっているようだ。
…サラフィー様。
あの時のあの方と同じ表情で姫様は呟いた。もうやめましょう。刹那過去が蘇り、現在と解け合った気すらしたのは新鮮な驚きだった。

その時、少女の魔法は完成した。



今度は手加減なしだった。ただ炎の蛇に真正面から食われる人の最期の表情なんて見る物じゃない。
彼の表情が強張ったものから力の抜けた笑顔に変わったのだ。レイさんがコニスティンさんに斬られた時の事を思い出した。
死を受け入れ、全部許した。

なんで?

武人だから? 仮に今まで沢山の命を奪って来たからと言うならば、逆にもっと貪欲に生を求めるべきじゃないのか。わからないし、わかりたくもない。
一つ確かな事は、何の手も打てずアッシュさんが私の魔法を食らった事だけだった。
炎の余波を食らったラシュームさんは飛びすさり火の粉を払う。安堵にも似た沈黙がまた気に障る。
固まってしまい動けない私に歩み寄って来たレイさんは、まだ構えたままの筆を下ろさせた。
「ただフードを取り替えただけのちゃちな仕掛けにあいつを嵌めるには、視力を奪う必要があったってか。
大丈夫か?
一般人のお前に惨い事をさせちまったな。…すまん。」
「どうしてですか?…仕方なかったんです。仕方ないから、だから……。」

自分がどうしてこんなに苛立っているのかがわかった。私は話す事を諦めて戦いを選んだ自分を恥じている。だから最期にアッシュさんに私を憎む事を求めた。
誰も死ぬべきじゃない。
私は自分のこの力が怖い。あっさりと誰かを死に至らしめてしまう莫大なエネルギーが恐ろしい。

「ひっ…!!?」
『…!?』
ただならぬ気配に顔を上げる。皆が見つめる方向は一つ。アッシュが倒れた方向だ。信じられないものを見る事になる。
彼が、立ち上がった。
黒い煙がたつ体とは対照的に、手に持った目録は焦げすらしていない。コニスティンさんの時と勝るとも劣らない火力だったはずだ。それどころか彼は炭と化すこともなく自分の足で立ち上がっている。
「……目録、これで…達成。」
呪言を唱えることもなく、足元に生まれた光の輪。

「ラシュー!」
「うん!!あれ、魔法だよ!!」
叫ぶと同時に、転移し消えたアッシュさんを追いかけ、ラシュームさんは光の輪に滑り込む。
「アリかよ…!?どこに行ったかもわからんのに。」
「無茶な王子様ですね…。」
ほっとけるわけもない。私がもたもたしている間にレイさんも走り込んだ。
「…行くんですね。」
「俺もアッシュの奴をほっとけないからな。
来るなら速くしろよ、輪が消えちまう前に。」
来いと言わないのは気遣いか。尋ねれば、俺がほっとけないだけだからお前を巻き込む筋合いはないとか言われそうだ。そんなことを考えながらもすぐには動けなかったのは、レイさんの表情のせい。コニスティンさんの時と同様の、私には見せたことのない表情。それがどこから来るものなのか知りたくて。
おそらく私の知らないレイさんが過ごして来た年月が生むものなのだろう。そう考えればどこか悔しかった。私は“龍牙”であった時のレイさんのことを殆ど知らない。

レイさん、私はもっとあなたの事が知りたいよ。

「イリスさん。これをお返しします。」
お姫様は宝石を差し出した。それを受け取り、決意する。
「…行きますよ。」



死んだと思った。
しかし自分の身体は不可思議なほど丈夫で、今すぐ死ぬわけではないようだ。ただ頭が重かった。無意識に荒い息をつく。相当ダメージを負ったようだが、確認する程の気力もない。自分の挙動の端々も思い出せなかった。身体を傾げながらも辿り着いた先、あの方の待つ部屋。
そういえば…どうしてあの方を連れて来た場所がここだったのだったか。
「アッシュ…貴方…!」
「ただいま戻りました。」

よろめきながらも部屋へ入るが、サラフィー様のお側へよることも出来ず座り込む。限界だった。ただ言葉にならない呟きを繰り返していたサラフィー様は、私の手と一緒に投げ出された目録に目をやり息を飲む。
「とうとうやってしまったのですね…。もう私の手でも取り返しがつきません…。」
サラフィー様の頬を透明な涙が伝う。それをどこか神々しい存在を見る気持ちで私は眺めた。その涙が王国でも自分でもなく、私の為に流されたことが分かったからだ。しかし私は疲れていた。何も考えられないくらいに。



「そこまでだよ!!」
「アッシュ…っ!」
転移魔法を辿った先はどこかしらの倉庫のようだった。誇り臭く雑多に物が積んである。目の前にあった扉が少し開いていたうえ、中から話し声が聞こえたものだから、先に着いたはいいがキョロキョロしていたラシュームに追いつき、追い越すくらいの勢いで部屋に飛び込む。
そこには身を起こしたアッシュと鎖で拘束された女王がいた。
「助けに来た。安心してくれ。」
短く女王へ告げる。彼女ははっとした面持ちで頷いた。目尻を拭う。それを見て思った。
年をとったな。俺が皆と共に戦っていたあの頃から、こんなにも沢山の事が変わってしまった。この国も、“龍殺し”も、女王も、アッシュも。

アッシュはじりじりと下がり、壁に立て掛けてあった剣を抜き構える。呪言を唱えようとしてイリスの声に引き戻された。
「女王様とアッシュさんの距離が近すぎます!」
こんな距離感、しかも室内で長物を振り回すのは危険すぎる。どうしたものか。ラシュームの力で引き離すのもアッシュの奴が許さないだろう。まだ戦えそうなアッシュの姿に僅かに頭に上りはしたが、イリスを置いて来た事を後悔はしなかった。
どうしても気にかかるんだ。だから最後まで付き合う。こんな厄介な事に彼女を付き合わせる気はない。
自分では気がついていなかった様だが泣きそうだった少女の固く筆を握った姿が蘇る。彼女の筆はあんなことに使われるべきでない。

「下がりなさい!」
鈴の鳴るような女性の声が後方から響く。結局追いかけて来たのか。振り返った。
って…姫さん!?まさかあんたも来たのか!?
輝かんばかりの銀の髪を振り乱し、イリスの隣りに立った姫さんは両手を掲げる。呪文詠唱は聞き逃すほど僅かだった。そうか、ここは結界の外だ。
「集え私の紋章の元に。私の騎士、水の化身___。」
大気中から凝り集まった水分はみるみる内に硬度を増し、長く鋭い針となる。銀の涼やかな輝きすら備え始めた。
「うわぁ…こんな凄い術、初めて見た!!」
ラシュームの叫びに頷く。“龍翼”リィナの力にも劣らない。とは言ってもこれは魔術にすぎず常に媒体や代償を必要としている点で、圧倒的にイリスの力に劣るはずだ。だがイリスよりずっと繊細でブレがない。

つい、としか表現しようのない優美な所作で、彼女は魔術を発動した。
「っ…、くっ!」
数発アッシュは切り落とす。だが一つ一つの針がランダムに向きを変え軌道を変える。それは宙で社交ダンスでも踊っているかのように見えた。姫さんは確実に一つ一つをコントロールしている。隙を狙い臨機応変に繰り出され、あらゆる方向から飛来する攻撃を、どうして剣士でもない人間が剣一本で防ぎきる事が出来るだろうか。

致命的とも思える量の針がアッシュに突き刺さった。針は獲物にダメージを与えた後に水に戻る。血の色をした水溜りが彼の足元に広がった。
だがまだ力を失わない奴の目が、逃げられないままの女王を捉えたのが見えた。数歩で距離をつめ、彼女の首に右手をかける。
「アッシュさん…!まさか…!」
「無理だイリス。アレだ。」
「まさか…コニスティンさん!?」
面影を残したまま壊れた騎士、失ったはずの身体のパーツの復元。師匠と似過ぎているどころか、全く同じだ。奴の目を見て唐突に理解した。おそらくこのままでは、本当に大切な者すらためらいなく壊すだろう。

奴はモンスターに操られてやがる。

「まずいぞ。一体どこまで本当のアッシュが残っているのか…分からない。」
「母様!」
姫さんが取り乱して悲鳴をあげる。再び構えようとした彼女を制してアッシュは告げた。
「動かないでください。」
彼の表情は不気味なくらい優しい笑みを取り戻していた。おそらくこいつは目録を持って…逃げるつもりだ。


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