曇天、虹色地平線 野望の王国 12 魔と人と



持っていた鍵で幾つ目かの扉を開ける。塔自体は簡単な作りの筈だが、あちこちに配置された鍵の付いた扉が迷い込んだ者に複雑だと思わせるのだ。
最後に飛び込んだ部屋には目的の人物が待っていた。

「コラト…」
自分の従者に対して申し訳ない気持ちが込み上げる。俺様が主体になった作戦を俺様が壊してしまったのだ。協力させてしまったコラトに後ろめたい思いを抱いてしまう。
俺様はコラトがモンスターと通じているなど信じていなかった。幼少の時から教育係として側にいたコラトの事はよく知っている。そんなことする筈がない。
いや、王にとって国民は皆同等だ。特別など作ってはいけない。それでも彼は俺様が王として守るべき国民の一人なのだ。
しかし確かに自分に時紡ぎの事を吹き込んだのはコラトだった。モンスターと癒着している者は放っとけない。自分はブールの王なのだから。
だが心の何処かで、そんな未来は有り得ないと確信していた。



「おやおや、ロディ様。
ハール殿にレイ殿も。何のご用事でしょうか。
それともこの娘へのご用事ですか?はたまた来もしない北門部隊の事ですかな?」
この部屋…何本も蝋燭が灯っているのに、どうしてこんなに暗いんだ?洞窟の中のように籠った明りだ。そう、まるで光源が何か大きなものに囲まれているような…。
例えば、大きな翼。 ゆったりとした爺さんの動きに夢想から覚めて反射的に肩が震えた。爺さんの示す方、部屋の隅でイリスが伏している。俯せで表情は見えない。力なく投げ出された身体に意識はないようだった。今まで自分を支配していた不気味さも何もかもが吹っ飛ぶ。

俺はまた仲間を失うのか?
そんなこと二度とさせない。そのはずなのに。

山でイリスがいなくなった時とは明らかに違う、胸が冷たくなるような感覚に平静なんて保てなかった。
敵意を込めて睨み付けた爺さんが、何気なく右小脇に抱えている物を目にして血の気が引く。

「それ……目録リストを奪ったのはあんたか?」
「いかにも。」
爺さんの返答は寒気がするほど落ち着いている。斜め前で立ち尽くす王さんに耳打ちした。
「王さん…。」
「どうしても必要だと言うんでな。…終われば返すつもりだった。」
分かってない。

「あの目録をナレークから奪ったのはモンスターだったんだぞ!」
「「な!?」」
ハールと王さんは顔を見合わせた。
「コラト、それの件はお前に任せたはずだぞ!?何があったんだ!」
「お考えの通りですよ。」
「な、何…!?」
何でもない事を告げるように爺さんは微笑んだ。

「私はモンスターなのです。」

想像を絶する告白に時が止まる。人間の中に潜伏しているだろうとは思ってた。だがこんなパターンは…。
「は、はは…。
面白い冗談だな、コラト。」
一際早く我に返ったのは王さんだ。いつも豪胆に笑う彼のこんなに空ろな笑いを見るのは初めてだった。
「ロディ様!」
彼の表情は絶望に彩られている。それでも無理に笑顔を作り笑い飛ばそうとしていた。ここで爺さんが“そう”だと言えば、こんな事は現実ではなくなるのだ。
だがそんな望みが叶うはずなどなく。
「冗談ではございません。」
「じゃあ、嘘だ。」
「私がロディ様に戯れに嘘などついたことがありましょうか?」
爺さんの注意が王さんに向けられているのを確認して、俺はイリスの元へ駆け付けた。

息をしている。見た所外傷もない。意識を失っているだけか。最悪の事態は免れたらしい。胸を撫で下ろすと同時に、今までの自分のうろたえきった行動が思い出されて頬が染まる。

震える声のまま王さんは遂に激昂した。我儘を言う子供をあやすような調子を崩さない爺さんが薄ら寒い。
「じゃあこの二十年間は一体何だったんだ!?」
「楽しい日々でしたな。よく覚えておりますよ。」

爺さんの姿が不気味に揺らめく。まるで蝋燭の火が揺れるように。
その揺らめきが治まった頃には、ローブ姿の中年男がそこに立っていた。丁度爺さんを二十ばかり若返らせたような。
人の姿などまやかしにすぎない。
見覚えがあるのだろう、王さんは凍えた犬みたいに体を震わせて、遂にへたりこんだ。頭を抱えて叫ぶ。
「し…信じない信じない信じない!」

イリスが目覚めるまでの時間が稼げて好都合だと思っていたが、どうして爺さんがこんなにペラペラ喋るのか分かった。ナレークの時と同じ。ブールの王を再起不能にする。
人間側の柱を折ってゆく。

王さんは顔をあげる。苦渋に満ちているかと思ったその瞳には表情がない。
「…信じたら私はお前と戦う事になる。」
魔に誑かされる原因となったのは、ブールの王家の宿願への思い。王であることにそれほど一生懸命な彼が、魔を狩るという王の役目を忘れる事など出来るのか?
「信じていただかなくても結構ですよ。どちらにしろ私のやるべき事は変わりませんので。」
若返った爺さん、コラトは無造作に左手を振るう。たちまち起こる竜巻。机に載せられていた書類が巻き込まれて行く。羽ばたくように左手が動くのをサインに、それはこちらへ襲ってくる。

風の刃か。師匠が使っていた呪言まがいものではなく本物の。
見当がついてしまった。こいつの本体は___。
王さんを庇い立ち塞がったハールは襲い来る魔法を弾き返す。大剣を振る彼女にもいつもの覇気がない。

「やっと本当の姿へ戻れる。長かった___。」
うっとりコラトは呟いた。とろとろとその姿は形を失って行く。水に帰したように見えたそれは、再結成し真の姿を表す。
大きな古龍ドラゴン
この状態であのメンバードラゴンキラーでもギリギリだった古龍種に勝てるのか。
無理だ。それこそ人知を超えた力でもない限り。

「…ううっ、いたた……」
呆けた自分の腕の中で、少女が身悶えする。
そう、イリスさえ目覚めれば、どう状況が転ぼうと__戦う事になろうとならなかろうと__何とかなる。
「あわわ、レイさん!?」
自分のおかれた状況に記憶が追い付いたらしい。イリスが俺から飛びすさって逃げ出す。
「大変なんですよ!…ってきゃああ、ドラゴン!?」
「あー、それより何か身体におかしな所ないか?」
「な、無いですよ…。」
あたふたしたイリスを宥めながら聞く。時紡ぎの力とやらを彼女から奪うってのは成功したのか?
彼女の返答からはそれらしい所はない。少なくとも爺さんのやりたいことが成功したとは思えなかった。

「どうだい爺さん、この瞬間の為に色々策をねって来たみたいだが、現状はあんたの狙ったままかい?」
「比較的上手く行ったと思いますよ。最善では貴方はここにいないはずでしたが。
トゥーレくんも頑張ってくれたようですし。」
なぜこのタイミングで奴の名が出て来る。いけしゃあしゃあと含み口調でドラゴンは指を立ててみせる。随分人間ナイズされた動作だ。
「貴方が考えていること、当てて差し上げましょう。
トゥーレくんは直接的にも間接的にもあなた方と初対面だった。」
思わず舌打ちした。
奴は囮で俺達を誤魔化す為にあいつの振りをしてたって訳だ。あいつを斬ろうと頭に血が昇ってなかったら、俺は果たしてイリスの側を離れただろうか。まんまと踊らされた。
確かに奴があいつだって根拠は、本人の名乗りに口調だけだったしな。
ドラゴンは笑う。いや、笑ったように見えた。

「あなた方が探していらっしゃったのは、私ですよ。」



龍の深い赤の瞳が言う。
“貴方が探していた冷血非道の敵は、私ですよ。”
話して解決できるなら一番いい。でもそれ以上に疑問だった。自分が不可侵だと思っていたものを平然と踏みにじる、目の前の相手の作った数々の悲しみが胸をよぎる。
なんであんなこと出来るの?
思い出した途端溢れそうになった涙を堪え、龍を見つめた。

「アッシュさんにも聞きました。だから貴方にも聞きます。
どうしてこんなこと、するんですか?」

これは一種の決意。“悪”を働く心中に何があるのか知りたい。
龍の答えは何らためらわれる事なく返された。質問の調子をそのまま引き継いだ返答は、どこか悲しそうな響きを帯びる。

「事実あなた方は私達を虐げてきた。だから、ですよ?」
「それは貴方達が…、って、ええ?」
龍の戦う理由は自分の戦う理由と本質的に同じ。どう受け止めていいのか分からず聞き返す私に、龍は寝物語でも語るように優しく告げる。
「多くの同胞が殺され申した。服、鎧、食事…。あなた方の生活は我が同胞の骨肉で出来ている。違いますかな?」
そうなのだ。心当たりがある。けどモンスターを材料にした物々が私達の側にあるのは、暴れるモンスターを倒し再利用したものだと思っていた。でもその前後関係が逆だとしたら?

「私達は何もしなくとも殺されます。ならば戦うしかない。
モンスターの未来の為に、殺されない為___守る為に。」

「どっちなんですか!?どっちが先なんですか!?」
聞かずにはいられなかった。隣にいたレイさんにすがりつく。苦々しい彼の表情から、自分が衝撃を受けた事を既に彼が分かっていたのが知れた。

「…そんなもの、今となっちゃ分からない。」

ずっと繰り返して来た報復のし合いの中で、初めに誰が始めたかなんて消失してしまった。それにここまで来てしまえば、それにどれ程の意味があるだろう。今更分かったとしても今までの苦しみも悲しみも憎しみも消えない。
今までの私の常識は酷く子供じみていた。
レイさんの上着を掴んでいた手を放す。彼はさっきから私を見ない。ただ窓の外の暗闇を見るとはなく眺めている。

「結局はどっちも悪だったんですね。」

なら私は、いったいどうしたらいいの?
「必要悪というものですな。」
龍は呟く。レイさんまでもが暗い微笑みを浮かべる。
「むしろ善悪で考える方が間違ってる。」
でも私はこんな歪んだ常識を共有したくない。“仕方がない”一言で済ませられるほど、した事もされた事も軽くない。
繰り返させちゃ駄目。

「そんな事ないです!
互いに気付いているのに、こんな憎しみの連鎖は間違ってる。
必要悪なんて言い訳じゃないですか。そんなもののために、命が、人生が犠牲にされていいはずありません。」
だからってどうやってこの場を収めればいいのか分からない。ずっと盆地の中で魔と人との戦いに距離をおいていたから言える事なのかもしれないとすら思う。

本当に間違ってるのは___何?


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