曇天、虹色地平線 野望の王国 13 好き



「___コラト、お前は___。」

鈍い音に振り返ると、壁にしがみつくようにして立ち上がる王様。拳で壁を殴ったのだ。頬を光るものが一筋伝う。見てはいけないものを見てしまった気がした。よろめく彼をハールさんが支える。
「俺様をどう思ってきたんだ…?いずれ自分達を虐げる存在を二十年にも渡って育てたんだろ?」
「それはそれは忸怩たる心持ちでしたよ。」
王様は言葉を失った。顔をしかめてハールさんが尋ねた。
「……なら、どうして。」

龍は歌う。部屋の半分を占拠したその身体は金砂を撒いたように輝く。ただそこにいるだけなのに、とんでもない太古の力を宿しているのを感じて肌が粟だった。
「彼女に施したのは時紡ぎの継承の為の儀式。その最中、目録と筆に触れられるのは時紡ぎの後継者のみ。
しかしその枷も“魔法”なのです。
ブール家の血は代々“魔法無効”を継承しておりますからね。」

「始めから利用するつもりで…。」
ハールさんを掴み姿勢を保とうとしていた王様の腕の力がするりと抜ける。何とかハールさんが抱き留めるが、彼にはもう自分の体を支えるだけの気力が残っていなかった。



なんて悪趣味なんだ。
最悪の現実にもがく王さんに、師匠を前にした時の自分を思い出す。俺の場合あれは姿はそうでもけして師匠じゃなかった。
だが爺さんは本物なのだ。記憶の中の爺さんに縋る事もできない。

一つ疑問がある。
これは“憎しみ”なのか、爺さんの言う“必要悪”なのか?

俺もイリスに毒されて来たようだ。話し合いで解決できるならそうしたい。
爺さんの瞳が自分に似ているからかもしれなかった。
「モンスター全体はそうだろうさ。
だが、あんた自身はどうなんだ?
王に気に入られて参謀になって、人としてはこれ以上望むべくもない。
人として生きる選択肢はなかったのか?」

王さんやこの国に、愛着を持つ瞬間は無かったのか?

「真実の姿を偽り、こんな姿でしか生き延びる事ができなかった。人と同じ時間を生きない魔にも二十年は長いのです。」
「“こんな姿”を本当の姿にする事は本当に出来なかったのか?」
「失った可能性について語るほど無駄な事も無いですな。仲間を忘れてのうのうと平穏を得る?

貴方にはそれが出来たんですか?」
一瞬息をするのも忘れた。
「………無理だ。」

目的を失い大陸を巡るほどの気力も持てないくせ、冒険を捨てる事も“龍牙”の名を捨て皆を忘れる事も出来なかった。
ドラゴンキラーが取り返しがつかないくらい大切だったから。
爺さんと俺はこんなにも近しい。もっと早くに…こんな所で会ったのでなければ様々な事が話せたろう。未だ精神を悩ませる、ぽっかり空いた隙間を埋める事すら出来たかもしれない。

ハールはドラゴンに泣きそうに濡れた切れ長の目を向ける。力なく頭を前に垂れた王さんは結ばれた口許しか見えない。
「あたしらは爺さんに仲間だと思って貰えなかったんだね。」
異国の女は皮肉を発したのではない。その直球な台詞は渦巻いた感情により歪められることなく、窓から微かに聞こえる外の戦いの音を退け真直ぐ響いた。



夜目に映える白の髪のダークエルフの独り言は誰にも聞かれることのないまま風に消える。
「あいつ、上手く行ったかな。」
魔同士の交流は薄い。そんな中で、あいつなら命を預けられるといろんな奴等が集った。
使命に燃えたり憂いたり、僕よりもっとマシな奴等が沢山いた。なのにあいつは、憂さ晴らししか求めていない僕を重要なポストにつけたのだ。

左手を伸ばし地上の緑の少年までの距離を推測する。
「…分からない。」
あいつも緑の民の少年も、どうしてこんなに必死になるのだろうか。集団なんて保身の場でしかないのだ。だから集団の一員だという恩恵を受けようと、集団を守る為に何かしようって気にはなったことはない。

「苛つくなぁ。
全部吹き飛ばしちゃおうか。」
それはとてもいいアイデアだと思えた。



レイさんは心底疲れた溜め息をつき、無造作に剣を抜いた。その刃はすでに銀にぎらぎらと輝いている。
その輝きがこの状況においてのレイさんの答えなのだ。

「仕方がないな。
さて…馴れ合いはお終いだ。」
「葬られる前に聞きたい事はこれで全部ですかな?」
風車の羽を思わせる大きな翼を広げ、龍は目を細める。
今止めないと間に合わない。
「仕方ないって………レイさんは本当にこんなこと望んでるんですか!?」
私の必死の問いは龍から目を離さないままのレイさんのたった一言で打ち砕かれる。

「だってこいつらは俺らを喰うだろう?」

はっとした。
大自然の真理。これはどちらも退けない戦いなのだ。
反論した龍の口許から、ちろちろと炎が見える。
「私達の全てが人を食べるとは限りません。」
「俺らの全てがお前らを狩るとは限らない。」
見つめ合って二人はちょっと笑った。

本当に魔と人は共存できないのだろうか。___なら私はレイさんと別れる事になるの?
不意に湧いたその疑問。握っているだけで自分を傷つけてゆく硝子の欠片のようなそれに戸惑い、頭の中が真っ白になる。



確かに俺はモンスターが憎い。なのに知れば知るほどコラトと戦う気がうせてくる。
ただ止めたい。戦いたくない。
それでも、俺は自分の立ち位置を変えるつもりはないのだ。だから斬らないといけない。
これからも今までと変わらず、人の為に戦っていくから。

「___跳躍ジャンプ
ものの数秒で呪言の構成を編み終わる。一撃でも食らったら終わりなんだから、この狭い部屋で戦うにはこうするしかない。
鋭い踏み込みはそのまま鋭い斬撃となる。
空気の抵抗を押し退け、刃がドラゴンを捕らえようとしたその瞬間。ドラゴンが顎を持ち上げ息を吸い込んだ。

「…咆哮!?」
大気がビリビリ鳴る。鼓膜の振動はむしろ暴力的で、頭を殴り付けられたように視界がぶれた。堪らず震え崩れた膝は術の勢いを殺してしまう。
耳を庇った姿勢の自分に気がついた時には、背を冷たい汗が這っていった。
鮮やかに甦った記憶が教える。猛々しい雄叫びで獲物の動きを止めるのは、次に起こす必殺の攻撃を必ず当てる為。
頭を地に伏せながら横目で見上げる。ドラゴンの赤い口が裂け目のように開いた。

ドラゴン・ブレス。

目の前のもの全てを蒸発させる人の領域を超えた吐息。それは俺ではなく、後方のイリス達に向けられていた。後方といっても射程範囲を超えるほど下がってはいない。
「…くっ!」
地面へ腹ばいになった直後、とんでもない質量の風音が頭上を走り抜けた。



無駄だと分かっていたのに腕は勝手に顔を庇う。あの空を覆った魔法…それよりも数倍は強大なエネルギーだ。攻撃の軌道は見えているが、遠くになるほど円に広がったそれを避けられる場所はない。
死。
今まで何度も危機に陥った。その中でこのとき一番死を目前に意識した。怖いとか怖くないとかが生じる時間もない。それはただ厳正な事実として目の前に立ち塞がる。
そこへハールさんが躍り出た。

「ふん…ぬるいね!」
仰ぎ掲げる大剣がブレスを弾く。口では平気と言いながらも彼女の腕は震えている。重いのだ。何とか後ろから支えるのを手伝うが、あまり役に立ってるとは思えない。それでも滝の流れを塞き止めるように彼女の後ろに安全地帯ができた。
こんなものを受け止められるなんて魔術強化の賜物だろうか?
でも所詮魔術が魔法と力比べで勝てるはずがない。
ふつふつと玉の汗を浮かべ堪える彼女の手元で、硬いものがひび割れる音がした。
「…そんな。」
ブレスは未だ途切れる様子を見せようとしない。
「砕け__」

「どいてろ。」

聞こえた男の声と共に、長身の影が割り込む。彼はあろうことかハールさんを押し退けてブレスの前に立った。
「俺様の前に道は出来る。
こんなものでは王者を倒すなど出来ん。」
見えないオーラに弾かれ濁流のごときブレスが四散する。ふぁさ、とローブが舞った。軽く突き出された左手に斜めに立った姿勢はどうもかっこつけすぎだが、彼だからか様になっている。
「王様!」
ここにきて始めて彼は私を意識した様だった。
「ん、小娘。
…その節は悪かったな。」
がしがし頭をかき告げられる。困った様に上がった右眉が小さな子供みたいだ。

「ロディ様!」
「ハール。待たせたな。」
痺れた腕を擦る彼女に王様はにやりと笑ってみせた。その笑顔はやはりまだ立ち直っていないようで痛々しい。
克服したのでも憎しみを抱いたのでもない。龍に向けられた彼のまなざしは大切な者へ対するままだった。

「お前の言い分は分かった。
だから次は俺様の言い分を聞いてもらおうか。」
龍に向けて指を突き付け、壁に飾ってあった儀礼用のメイスを手に取る。
「家臣の不始末は王が決着をつけねばならん。」
信じてたから、大切な存在だから___自分自身で決着をつける。

これだけのブレスは龍にも負担なようで、終わるとすぐに龍は荒く息をつく。その隙に戻って来たレイさんが叫ぶ。
「イリス、もっと後から援護を頼む!」
まるで仲間に対するような台詞。
でも私は“魔”なのだ。彼が敵対する滅すべき存在。
彼の表情を見返す事ができない。萎えそうな心を奮い立たせ言葉を押し出す。
「…レイ、さん。」
「………どうした?」
今は龍が息を整えている間の僅かな時間。それどころではないと分かってるけど、言っておきたかった。

「私は魔ですよ。」
精一杯の勇気を総動員して見上げる。彼は心底呆れた顔をしていた。

「だから何なんだ?
守ってやるから下がってな。」

冗談めかした笑いを残してすぐに龍へ向き直ってしまう。
ただそれだけで、どうしても取り除けなかった不安が晴れてく。他の人間全てに魔と罵られようと、レイさん一人がそう言ってくれるなら大丈夫。

そうか。私はレイさんが好きなんだ。

何だか全てが分かった。彼が好きだから、旅を終わらせたくないから、レイさんにどう思われるかずっと不安だったんだ。
世界を見て回る為のはずが、いつの間にか一緒に旅をする事自体が目的になっていた。


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