曇天、虹色地平線 野望の王国 14 間違い



ドラゴンは狭い室内で立ち上がる。部屋の圧迫感が凄い。天井で頭でも打ってくれりゃいいんだがな。
軽く繰り出された爪を避けるが、引っ掛かれた虚空にたちまち竜巻が生じた。

「王さん、任せた!」
「よし。」
放っとくには強力すぎるが、魔法関係にはチートな王さんがいるので問題ない。
すぐさまドラゴンの羽辺りへ回り込む。
銀の刃は風すら切り裂く。ドラゴンの鱗に歯が立たないなんてあるもんか。
「食ら…え!?」
ドラゴンは明らかにそもそもこちらを見ていない。視線の先は…イリス?

予備動作なしに翼が羽ばたく。
「!!」
ドラゴンを中心に円に広がる衝撃派。全範囲攻撃か!?
「わ、わわっ!」
塔が軋んだ。砕けた礫がパラパラ天井から落ちる。
王さんは無事だが、避けきれなかったハールが悲鳴をあげた。イリスを庇ってくれたようだ。攻撃の特性上、王さんの能力ではカバーできない。

大気までもを渡る衝撃派で体勢の崩れた一撃はそれほど力を発揮出来なかった。
長引かせられないな。こんなの何度も食らえない。特にイリスには酷すぎる。
決定打に欠ける俺とハール、いつもの武器じゃない王さん。

生か死か___それでも短時間で決めるしかない。



「つっ…!」
「大丈夫ですか!?」
「足を捻っただけさ。」
実際動けなくなる程ではない。自分の腕を放そうとしない少女の手は震えている。それでも二本の足で立っていた。

どうしたものかね。
攻撃が通らなけりゃ倒すなど不可能。小細工で逃げてってくれるような玉でもない。
自分は酷く冷静だ。何となく浮かんだ言葉に違和感を持つ。本当に冷静なのだろうか?

ならどうして、いつものように前へ出ない。
ロディ様もあたしも防戦一手じゃないか!

それは驚愕だった。負けられない、負けてはいけない。あれはコラト爺さん…それでもだ。
「イリスちゃん。
…攻めるよ。」
少女の腕をほどいた。意外とあっさりと放してくる。場慣れしてるじゃないか。

「あたしゃ腐っても冒険者だからね。背中なんか見せられるかってんだ。」
自分の冒険の責任は自分でとる。いつだって誰にも強制されないで戦ってきたんだ。



王様は手に持ちはしたが武器を構えようとはしない。こっちへ向かおうとする龍へぽつりと告げる。
「やはり残念だ。」
「ふむ?」
精一杯感情を押し殺した調子。龍は一時足を止める。
人型だった時なら見たことがあったろう、相手の発言を促す所作。龍がやっても違和感しか感じないが。

「俺の隣にはお前だけしかおかないと思っていた。」
「光栄ですな。」
悪ぶれもなく龍は返す。
一瞬視線を逸らした隙にレイさんと王様がアイコンタクトしたのが見えた。
「“王には人民の為に身体を張る責任がある。”
目を背ける事だけは許されない。それが王の誇りだ___そう教えたのはお前だったじゃないか。」
「よく覚えてらっしゃいますな。鼻が高いですぞ。」

王様がどんなに真直ぐ話そうと、爺の立場を崩さない。
「王位継承者として自由に城内から出るのが許されない俺様の遊び相手もお前だった。」
「……」
「俺は…お前の厳しい所も優しい所も知ってる。」
「……」

「だからこそ俺はお前を倒す。」
過去のお前も現在のお前も否定しない。そのまま自分の立場を守る。お前が教えたように___。
「…立派になられましたな。」

心底嬉しそうなくせ何故か寂しそうな台詞を最後に龍の口の隙間から煙が吹き出た。
ブレスが来る。
龍から目を離さないまま、後ろ手に王様が私を掴まえる。

「今だ!」
龍の死角からレイさんとハールさんが飛び掛かった。
「そんな仕掛けが通用するとお思いですかな?」
ぐりん、と龍は身体を回した。読まれている。
「ブレイクショット!」
「竜牙斬!」
二人は同時に必殺技を繰り出す。混ざり合い力を増す二つの呪言。しかし…。
「ふんむ!」
気合い一閃。溜めていたブレスを龍は二人に放った。

これは大きな隙だ。
王様が掴んでいた手を離す。龍の背中へメイスならではの鋭く深い一撃を食らわせるべく単身躍りかかった。
私も戦う。いつも筆を入れていたポケットを探って青くなった。
…無い?

「本当はこちらが本命だったということですかな?」
私が筆を見つけられない間に、龍は首だけを回してこちらを見た。牙が硬く輝く。だが身体は向こうを向いている。爪も牙もこちらを捉えられない。
龍は翼で風をおこし、レイさんたちを吹き飛ばす。でも今から振り返っても遅い。
王様が今メイスを振り下ろす。
「!」
龍の尾が宙に先をもたげた。それは反動を利用しこちらへ振り下ろされる。
速い。ひうん、と鞭を思わせる音が鳴った。

「くうっ」
とっさに攻撃をやめ受け流そうとする王様。彼が武人でない王なら反応しきれなかったろう。尻尾は魔法攻撃ではない。まともにくらえば、いくら王様でも命がない。
尾の先が掠めただけなのにメイスはあっさり粉砕された。尻尾は勢い余って地を滑る。そのまま今度は反対側にしなり反動を作った。本体とは別の生き物みたいだ。
…有った。
外側のポケットから筆をようやく発見した。指に馴染んだ道具は快調に滑りだす。ただそれは少しばかり遅すぎた。
「来るぞ!」

間に合わない。
尾は全てを巻き込んで私と王様を薙払うだろう。逃げるにも反応できない。
こんな極限状態で何故か脳内に盆地の中の生まれ育った村が浮かんだ。レイさんと旅に出てから一度も思い出さなかったのに。
旅に出るんじゃなかった、のかな。
尻尾の起こす風をすぐ側に感じる。身を縮めた。言葉にならないのに確かな恐怖がそこにあった。

「止まるな!」
叱責に顔を上げる。尻尾の迫り来るその軌道に広い背中が見えた。
私を庇い、王様が身を呈して受け止めようとしているのだ。今にも尾はその命を刈り取ろうとする。

「…させない。」
“僕は、僕が守りたい人の為に戦う”
今まで描いていたものは頭から吹っ飛んでしまっていた。まだキャンバスは見えない。でも感覚が知っている。
自分の筆は願いに実体を持たせる為の道具にすぎない。筆が力を持っているのでは無く、自分の中にあるのだから。
この衝動はなんだろう。こんな視界さえ霞むような衝動は知らない。
殻を破りたくて堪らないんだ、と思い当たった。

私の絵はキャンバスを必要としない。そして恐らく、私に描けないモノは無い。
万物は絵なのか、それともキャンバスなのか?
そんなの絵の上に絵を描けばいいだけの事。



眩い光にイリスの魔法が炸裂したのを知る。だがこれは…炎じゃない。
では何なんだ?自然のエネルギーではない。光と闇が絡み合い深い陰影を作った。

それでもドラゴンの尾っぽは勢いを失わない。
それが王さんの命を奪う直前に、彼を中心として純白のオーラが放たれる。龍の尾が弾き飛ばされた。
イリスの赤い宝石か?
その白は確かに純白である。だが彼女の放つ光が、それは実は本物の白ではなかったことを悟らせる。

ホワイト

世界という絵の上に強引に修正を入れる。前みたいな空を重ね塗りしたのとは違い、無造作に白を塗り付けるのか。
光が消えた時、そこにはガクリと膝をつくドラゴンの姿があった。それでもその目はこっちを睨み付ける。
力が及ばなかったのではない。手加減したのだ。

ここまでだろう。お前は優しいから。
「上々だ。
『人の血に眠る龍よ。今、四肢が揃う。太古の眠りすら切り裂く牙___巌貫龍囓』」
片牙のあぎとは自らの獲物にかぶりつく。ドラゴンは真っ向からそれに牙を向く。

人の牙と魔の牙の正面対決。共に戦ったのは、あいつらとは全く違う四人。
あの時からこんなにも、俺の世界は動いてる。



血塗れた片牙が龍に押し勝った。砕けた牙を飛び散らせ、龍は横倒しになる。
皆は肩で息をしながら黙った。龍の口からか細い息が漏れる音が聞こえる。

その中で王様だけが一歩を踏み出した。手にはハールさんから受け取った大剣を携えている。どうすればいいかわからない。けど彼のみが「王として」どうすべきかを自覚していた。
この痛々しさはアッシュさんの時と似ている。自ら幕引することで魔を滅するなんて最悪の選択と。

選ばせてはいけない。
だからってどうしたらいいのか分からない。

確固たる意思を示す彼の背中は、誰もに言葉すら掛けるのを拒否する。自分が何の感情を表すのも許されないといった風情で大剣は龍に突き付けられる。来たるべきその刹那の前___空気が変わった。
地響き。
戦場の鴇とは絶対に違う悲鳴。それは西側から響いた。
「…何だァ!?」
レイさんが部屋を飛び出す。まさか。
空を覆う魔法の網。あれを打開できる人間は下にはいない。

王様はレイさんと同じく部屋から走り出ようとした。入り口まで差し掛かった時、我に返ったのか足を止める。
扉と龍へ忙しなく交互に目をやった。

「何をしていらっしゃるのです?いるべき所はご存じでしょう。」

王様は目を見開く。龍から発された一言は彼の心を決めさせるのに十分。
すぐに彼は部屋を飛び出した。顔を背けた後は二度と参謀であった龍を見る事はなかった。
「行くぞハール。
俺様の居場所はいつだって人民の中だ。」
階段を急ぎ下る音が聞こえる。ハールさんは何度か振り返るようにして王様を追いかけた。

階下の足音が僅かに途切れ、覇気に満ちた叫びが届く。
「龍牙。小娘。後は任せる。」


擦れ違うように急ぎ足で入って来たレイさんは悪態を吐く。
「畜生。ラシューの奴は…!」
焦りで歪んだ表情。それで下でラシュームさんが戦っていることを知った。
無事だろうか。

鼓動が速くなる。でもこの場を去る事はできない。私はその理由へそっと歩み寄った。
近くで見なくても酷い傷なのは分かる。近くで見ると尚更この現実は重かった。砕けた牙に衝撃で剥がれ散らばる鱗。この傷ならわざわざ止どめをささなくとも…。

そんな状態なのに、彼は王様にああ言ったのだ。

いつの間にか零れていた涙。彼はアッシュさんにあんな結末を強いた本人なのだ。なのに涙が止まらない。
誰もが仕方がないと言う。でもやっぱり理不尽だ。

「私にはやっぱり納得できません。」
「その話は終わったはずだ。」
レイさんはなんてことない事のようにあっさりと言った。瞬時に血の上った頭で怒鳴りつける。

「魔と人にどんな違いがあるっていうんです!?
魔も人も同じように死ぬんですよ!」

びっくりしてフリーズするレイさんに注意を払う余裕はない。力なく垂らされた龍の頭を抱き締める。ゆっくり開いた深い瞳と目が合った。
魔は人に忌み嫌われる。だがラシュームさんも、トゥーレさんも、龍も皆…こんなにも美しい。
何が間違ってるかはっきりした。

「私がアッシュさんの苦しみに心を痛めるなら、貴方も同じくらい仲間の苦しみを耐えられなく思っている。
アッシュさんを、貴方を殺す正当な理由にするなら、貴方の非道も正当化されるんです。」
正当でなんかあるもんか!
本当に間違ってるのは世界を魔と人に分ける事だ。

「人だとか魔だとかの線引きなんて誰が決めたの!?」

繊細なカーブを描く髭を力なく地面に引きずり、いまわの際が近付くのを自覚しつつも、龍は囁く。夢物語しか信じない小娘に現実を教えるように。
「それは…時紡ぎですよ。」
魔を抱く乙女は凍り付いた。


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