曇天、虹色地平線 野望の王国 15 時紡ぎ



「時紡ぎは…過去を規定する。時紡ぎが記録した過去が本当の過去になりまする。」

なにそれ。
もしかして想像以上に時紡ぎってどえらいモノなんじゃないだろうか。ラシュームさんの台詞が頭をよぎった。

“時紡ぎは、神だ。”

苦しげに一息ついてから龍の口調が変わった。自分が私達の忘れたくても忘れられない“敵”であることを強調するように。敵対する存在として終わろうとしているんだ。
けどやってることは、無知の方が御しやすいはずの私に教えてくれてるんじゃないか。
「イリスちゃん、基礎知識だよ。
人と魔の見る世界は違う。時紡ぎが人であるのは、世界が人間を主体に回るって事。
それが、モンスターが劣勢である理由…。

…時紡ぎを手に入れ、世界を___」
変える。

龍は沈黙した。
人は人としてしか世界を見れない。人という意識を保ったまま神と変質する。…人間ではなくなる。
それが私の未来。

“次代の”時紡ぎという肩書きはなんと重いのだろう。
事の重大さに気がついてから筆を持つ手の震えが止まらない。
勝利も敗北もなく戦いをなくせるのは私だけ。



やるべき事は全て終わった。あとは次代を担う若者達に任せるだけ。
ただ“本当に残念だ”。
私もそう思いますな。



緑の民の少年の能力は厄介ではあるが攻撃に欠ける。多くの同胞が絡めとられようと、それを実際倒すのは人間供だ。
時紡ぎの娘と比較するのは間違いとは思うが、目で判断してダークストーカーをなぎ倒し対応しても必殺技を防ぐには遅い。
古の源流を継ぐもの___古龍殿に迷惑をかける心配もない。楽勝だ。

思考は背上のエルフの動揺しきった叫びに妨げられる。
「…うぁ、あ___嘘だろ!?」
「どうしたんだ!?」
いつも飄々としている相手の様子は、どう考えてもただごとではない。

「…あいつが死んだ。魔力が弾けて消えて___。」
あいつ、というのは…。
意味を理解するまでに時間がかかった。エルフのように魔力を媒介にした精神感応を持たない飛龍じぶんには理解し難い。しかし相手が冗談でもそんな事言わないタイプであるくらいは分かっている。

意味が頭に浸透した途端、目の前が真っ暗になって危うく飛んでいるのも忘れた。ふらつく身体をどうにか立て直す。
「なら作戦は!?」
「失敗だ!当然だろ!」
やや長めの髪を掻きむしり叫び返すトゥーレ。そう、今回の鍵は時紡ぎを手中に収める事。
人間に化ける事が完璧にできるのが古龍殿だけだった関係上、古龍殿がやられてしまえば城内に関して打てる手がない。

冷や汗をかきながら考え込んだトゥーレはようやっと判断を下す。
「引くんだ。」
「ここまで来てか!?」
相手の思考に対応できない。
「そもそも存在しない“悪者”のイメージ戦略も、“人間の屍体”を人格を持ってるように操るのも、“人間を魔物に変質させる”なんて荒っぽいやり方も…普通じゃ不可能だ。
全てあいつの強大な魔力ありきだったんだぞ。」
確かにあの方でなければ不可能な事ばかりだった。自分とは次元が違うのだ。

しかし、これとそれでは話が違う。
「駄目だ…古龍殿の敵を取らなくてはならない!」
人間どもにやられたまま黙ってられるか。

いきり立つ自分の角を掴み揺さぶり青くなったトゥーレが叫ぶ。
「あいつもいないのに誰が僕の指示を聞く!?
もし負けたらお前が責任をとってくれんのか!?」
古龍殿の亡き今、指令をだせる立場にいるのは彼のみ。だが彼を頭にしてどれだけの同胞が言う事を聞くかは想像に難くなかった。



俺とハールが戦線に参加してすぐに何故だかモンスター達は引き上げていった。
結果的にブールはモンスターを退けるのに成功する。しかも、あのエネルギーを食らったにしては戦闘員の被害も少なかった。

「なぜだか統率もむちゃくちゃだったな。」
「…」
小娘は何かを言いたげに俺様へ視線をおくる。
「気を使わなくていい。
コラトを倒した事が何らかの事態を引き起こしたんだろう。」

淡々と語る。
ほんの数時間で納得できない事もやりきれない事も沢山あった。だけど、あの最後の一言だけは確かに俺様のよく知るコラトだったのだ。それだけでいい。

「そう、ですね。」
困ったように小動物的な動きで小首を傾げる少女は、やはりとてもあんな力を秘めているようには見えない。
彼女の能力…時紡ぎの力を目の当たりにして沸いたのは欲望ではなくむしろ恐怖に近かった。
とてつもないエネルギーを何の代償も無く何もない空間から作り出した。
それこそ人の成せる技じゃない。
人が、もしかしたら魔すら触れてはならない力。

「僕としては、ほんとにラッキーだったよ。」
子供らしい所作で溜め息をつく緑の少年。ただの子供?とんでもない。
合流した時、随分消耗した様子の彼は絶望的な状況にも関わらず俺達を見て笑った。援軍に向けられた喜びではなく、俺達を見てこの戦いの勝敗を予測した…会心の笑み。阿鼻叫喚の戦場の中で自分を保っていたのだ。
彼が王になれば“大陸一の豪王”の名を奪われるかも知れない。そんな予徴を見た。
そして一人沈黙し、保護者よろしく二人を眺めている龍牙、レイ。

本当にとんでもないメンバーだな。
昨日のこの時間、この部屋でした作戦会議。あの時とは全てが変わってしまった。
あの会議のメンバーからコラトだけがいない。

気がつけば皆が心配そうな視線を俺様へ送っていた。この俺様がそんなに弱い存在だと思われているなら心外だ。
頬杖をついたまま微笑む。
「世話をかけたな。」
「あのロディ様がきちんと御礼を言うなんて…!」
感きわまるハールに苛立ちを込めた一瞥を送る。何が言いたい。
詫びは詫び、礼は礼だ。
「特に俺様の家臣が迷惑をかけた。詫びがしたいが。」
三人は顔を見合わせる。こそこそ相談し始めるが、会話内容は筒抜けだ。

「王族って“褒美をやろう”が多いってほんとだったんだね。」
「旅にいるもんを貰うべきだろ。路銀だ。
…重いし沢山は要らねーな。」
「特に欲しいものはないですね。言うなれば新しい絵の具?」
全く、庶民の価値観は分からない。金銀財宝でも何でも言えばいいのだ。
「速く決めないと自分で言い出しておきながら怒り出しそうだよね、あの人。
レイ、刀貰えば?」
「魔具じゃ呪言は使えないんだよ。」

緑の少年の一言に相談は激しさを増し、最終的に小娘が歩み出て来た。
「代表して言います。
目録(リスト)をきちんとナレークに返してください。それと、あちらの王族の方と仲良くしてくださること。」
それはとても褒美で求める程の事ではない。後半のはこの国を心配してるつもりなのか?

「それと、それ返してください。」
「ん?
あ、すまん。」
小娘に言われて思い出す。すっかり忘れていた。
マントに止めたままだった赤い宝石を手渡す。
思えばこの宝石、もといこの小娘に俺様は命を救われたんじゃないか。

「お終いです。」
「しょぼいな。このまま行かせちゃブール王家の名落ちだろう。」
「…」
他の二人ふくめ少女は困った顔をした。本当に他にないのか、お前ら。

今までしかめていた表情が自然に綻ぶ。仕方ないな。大きな借りだが借りたままにしといてやるよ。
「代わりっちゃあ何だが、いつだって力になろう。」
「いいねそれ。あたしも力になるよ。」
成り行きを見守っていたハールも指を鳴らして同意した。
大丈夫だ。この先も俺様は俺様らしくやっていける。



「さて。次はどうしたい?」
「はい?」
城下町に出てすぐに話しかけられる。丁度今最後の買い物が終わった所だったから、何か買いに行きたいものがあるかという問いでないのは予想がついた。
「ここにもう少しとどまりたいか?次に行きたいところあるか?」
「あんまり長くいるのも何だもんね!!」
レイさんもラシュームさんも私に向かって聞いていた。動乱続きで行くか行かないかしか決めようがなかった今までとは違うのだ。

新しい局面。それでもこのトリオのまま旅が出来る。新鮮な喜びに胸が踊った。
「えっと、地図を見ましょう。ひとまず!」
「大陸地図なら僕持ってるよ!?
宿に戻って作戦会議だ!!」
ガッツポーズをするラシュームさんを見て、レイさんはいつもと同じように微笑む。いつもと変わらない光景。ふと心中に黒雲がわきあがってくる。

私はレイさんを怒鳴りつけてしまったんじゃなかったろうか。
私には“どうでもいい”と笑っておきながら、あくまでも魔と人を分けようとする矛盾をレイさんが持っているのが嫌…なんて子供じみた理由で。
嫌われた、かも。
いくらなんでも考え過ぎだろう。そんなことで怒る人じゃない。でもレイさんが相手というだけで、いてもたってもいられなくなってしまう。
宿へ向かうラシュームさんに付いて行くレイさんの上着の腕の辺りを引っ張った。
私の表情があまりにも真剣だったからか、振り向いた相手が変な顔をしたのに一層心が萎える。

「あの。
…怒鳴ってしまってすいません。」



「…?」
イリスは何をかしこまっているんだ?

少女は泣きそうな上目遣いで俺を見上げる。頭一つは違う身長差でこんなに近寄られると見下ろす事になった。
世の中には判断のつかないものが一杯だ。人間もその一種なのかもな。
木枯らしになぶられる髪もそのままに言葉を選ぶ。

「気にすんな。気にしてないから。
それよか俺はお前に感謝してるんだぞ。」
「どうしてですか?」

「お前は俺が分かっていたのに出せなかった答えを出した。」

おそらくイリスの答えは俺の知る中で限り無く正解に近い。俺がラシューをどう考えていいのか分からなかったのも、それが出せなかったからだ。
個人的な憎しみを種単位に広げてしまうのは間違ってる。
コラトを斬って俺に何が残った?憎しみの剣すら維持出来なかった。結局、復讐は何も生まない。斬って気持ちすら晴れなかったんだから尚更だ。
イリスがいなければ、この気持ちを持ちながらも理解できず同じ事を繰り返したかもしれない。

「確実に俺の世界は広がった。ありがとな。」
お前と旅が出来てよかった。

やっとイリスは笑った。俺が再び歩き出すと横に並んで付いて来る。何だか知らないが嬉しいらしい。
ラシューに引き離されてしまった。急ぐか。途中でついてきてないと気がつかれたらうるさい。

いつからだろうか。今までどこか非現実的にしか感じられなかったのに、この現在を掛け替えの無いものだと思い始めたのは。






宿の一室。出発まで王宮にとどまらないかという話もあったが、丁重に辞退した。俺もイリスもラシューまでも王宮特有のきらびやかさが性に合わなかったらしい。
大陸地図を机の上に広げながらも、皆何も言わずただぼうっとしていた。
手持ちぶさたで何となく指で木製の机の表面にリズムをとる。イリスは頬杖をついて申し訳程度に置いてある野の花をいけた花瓶を眺めるともなく眺めている。

「その宝石、まだ喋らないよね。」
黙って飲み物をかき混ぜていたラシューの一言に、イリスは宝石へ視線を移した。小さく声を漏らしたかと思えば、服の端で汚れでも落とすようにごしごしこすり始める。何かが見えているらしいが、それくらいで解けるもんなのか?
「あ…。」
ラシューが声をあげたのにやや遅れて、閃光がイリスの手元から迸る。

「!」
「きゃ!?」
目を庇ったイリスは赤い宝石を取り落とした。
机上で一度バウンドし、床で小さな弧を描き転がる宝石は赤い光を放つ。今までの白ではない濃い霧のような赤。
その霧に投影されたように、ゆらりと人影が立ち上がった。揺らめく影からは詳しい風貌は窺い知れない。
体付きから男であることだけが分かる。
座ったまま剣の柄に手を掛けた。何が起こってる?

赤い人影は口を開いた。口元の霧が揺らめいたようにしか見えなかったが。
「…待っていました。
キミが正当な後継者になるのを。」

こちらを向く一際赤い瞳。しかも向こうからこちらが見えているらしかった。
赤い宝石を思わせるその両眼は、幼い者を見るように細められる。視線はイリスに注がれていた。
少女の一言に耳を疑う。

「旅人さん…!?」

「大きくなりましたね。」
その赤は夕日を思わせる神々しさと同時に、どこか不気味さを感じさせていた。
つまりこいつは現在の時紡ぎなのか?
イリスは胸の前で両手を握り締めている。目の前の事象に引き込まれているのだ。
「期が訪れたにもかかわらず石が動きを封じられたのには心配しました。
しかし___もう導きも必要ないでしょう。」
イリスの“旅人さん”への憧れの具現化したものを見るような、俺に対しては見せた事のない表情。何よりも自分が蚊帳の外なのが、なんだか面白くない。
赤い霧は優美にたたずまいを正す。身を乗り出してイリスの頬に指を添えた。

「沈黙の山脈でキミを待っています。自力で辿り着いてください。この力全てさしあげましょう。
それがキミの試練です。」

分からない中でも分かった事がある。時紡ぎの引き継ぎが迫っているのか。
「…あ、あのっ!」
イリスが何かを言おうとする。“旅人さん”はそれを静止した。
「積もる話は山脈でしましょうか。
それではご機嫌よろしゅう。次代の時紡ぎ、霧の守護、賢者の皆様___。」

優雅に一礼した。途端に蚊柱が四散するように霧散する。おそらくこれは姿を投射しただけにすぎず、本人はどこか遠く___おそらく沈黙の山脈付近___にいるに違いない。
すぐさま起きる耳障りな音。
蜘蛛の巣状に広がるヒビが赤い宝石を蝕みだしたのだ。

割れたら、どうなる?

「ま__待て待て待て!
お前、まだろくに役目をはたしてないじゃないか!」
こいつからは知らなくてはならないのに聞いてないことが多すぎる。
「我が役目は…賢者と小娘を引き合わせる事じゃ。“最後の地”を伝えた今、もうどんな役目が…」
生きた宝石は多くが製作者によって使命を帯びている。それが存在する意味でありエネルギーでもある。

役目を終えれば魔法は解ける。

「賢者!?誰だよそれ!
まだだ、もう少し…。」
このてんとう虫野郎が、もの言わぬ石ころになるなんて考えられない。

「レイ。無理だよ。」
緑の少年ははっとするほど冷めた声で告げる。
「石は石に戻るだけ。
解けない魔法なんてないんだ。」

一際乾いた音を最後に、宝石は色を失った。
後には白昼夢から覚めたような気怠さと空虚さが残された。
イリスは沈黙したまま石の欠片を拾う。その姿に問い詰めたい気持ちをぐっと堪えた。

“旅人さん”とは何者なんだ。お前とはどんな関係なんだ?

ラシュームが静かに台本でも読むように呟く。
「リドミに帰る日が来たみたいだね。」


inserted by FC2 system