曇天、虹色地平線 緑の公国 1 賢者の告白



例えば、永遠に続く命は無い。

新しい時紡ぎが生まれるたび、“導き”と名のつく赤い宝石が生まれる。それはその名が表す役目を果たせばその生を終える。何度も何度も。
繰り返される魂が同じものかは知らないが、おそらくその性質せいかくは変わらないだろう。
ならばその命は、魔法は永遠に続いていると言えるのかもしれない。

終わらない魔法は呪いだ。
リドミの血脈に脈々と受け継がれる緑の民の血まほうも同じく…呪いでしかない。

エルフの青年は言った。
“お前と僕は似てる。どちらも人からも魔からも弾き出された存在としてだ。
お前が必死に戦うのも受け入れて貰いたいが為にすぎない。”
“なら求める居場所は「そこにんげんがわ」である必要はないじゃないか?”

彼もまた呪いを背負っているのか?

僕が本当に欲しい居場所は“人間側”なんて抽象的なものじゃない。リドミの王宮、叔父さんの隣。
遥か昔のあの居場所ポジションがまだ忘れられないでいる。



そこの角を曲がって新しい景色が開けたかのように眼前に光が満ちる。いつもの中庭だ。木々も花も咲き乱れ、青く澄んだ空から小鳥が舞い降りる。
その中心に備え付けられた枝をモチーフにした石細工の椅子に、僕と叔父さんは二人腰掛けていた。

そうだった。この夏、叔父さんは首都ウェーマレイから港町フィーコメヴィへ帰って来た。いや、遊びに来た。
昔、僕と叔父さんは暫く第二の首都とも言われるフィーコメヴィで暮らしていた。それこそ兄弟のように。両親がいない事に大きくなるまで気がつかないくらい、叔父さんは僕の大部分を占めていた。
そんなある日、王様メーコックが叔父さんを首都へ呼び戻したのだ。何でかは知らない。ただ、叔父さんの話で毎日勉強をさせられているらしい事が分かった。

叔父さんの話はいつも難しい。王者の義務とか王権の仕組みとか。でも僕は叔父さんが構ってくれるなら何だってよかった。
立派で堂々とした自慢の叔父が、僕みたいな子供と対等に話してくれるのが嬉しかった。
話して話して、話す事がなくなって沈黙した時、叔父さんは黙ったまま僕を見つめる。悲しいような羨むような表情。

その面持ちに強烈な既視感を感じ____気がつく。
これは夢だ。むしろ昔の記憶と言った方がいいかもしれない。
この先は知っている。記憶のまま叔父さんの唇が動く。

「もうこっちに住む事は出来ないかもしれない。」
心の何処かで知っていた。しかし面と向かって言われるとは思わなかった。
子供のことだ。その裏の意味を悟る事もないまま、泣きじゃくった。

何度も見た夢。時が過ぎるごとに意味は変わっていったが、初めて見るものではない。
なのに勝手に心が追体験する。
もう二度と叔父さんに会えない気がして、嫌だと伝えたいのに、止まらない嗚咽で言葉にする事が出来なかった。
でも知っている。記憶の中ではいつだって、この後そんな僕の頭に優しく手を置いてくれるのを。



ゆっくりと目を開く。次に身を起こす。足場を一歩一歩確かめるように、現実であることを確認する。
仄かに辺りを照らす焚き火の周りを囲むようにして、僕らは円くなっていたのだった。
火の番兼見張りをしていたレイがチラッと僕を見た。起き上がったからだろうか。

「どうした?」
「…何でもない。」

兄と慕った人物の豹変なんて、ごくありふれた悲劇だ。少なくともリドミの王家では。僕はもう子供じゃないし、両親になにが起きたのかも知ってる。
なんで今更になって幸せだった頃の記憶など夢で見るのか解せなかった。
無知は幸せな事なのか………それとも。

「少し夢見が悪かっただけ。安心してよね、僕に予知夢能力はないからさ!!」
「そうか。」
レイは焚き火に薪をくべた。弱まっていた炎がまた勢いを取り戻す。

あの後僕らはすぐに王国を出た。レイとイリスちゃんの行動は早い。むしろ長く滞在しすぎるとこれ以上の何か悪い事をもたらすと心配しているのかもしれない。
リドミまでの馬車は出ていないので歩くしかない。しかもリドミへの街道は春になると萌えいづる若葉が隠してしまうのでそもそも馬車には向かないのだ。
日が暮れるまでずっと歩きづめだったのだから疲れていて当然だが、どうにも眠る気になれない。
横になるのを諦めて座り直す。まだ夢心地だった。

リドミが近付いてる。それだけの事が僕をこんなに不安定にする。
僕はあの場所から逃げたのだ。自分に課せられた役目を認めるのを拒んで。
イリスちゃんも身を起こした。結局皆ちゃんと眠れてなかった訳だ。三人で焚き火を囲むが、誰もが旅の終わりを自覚していた。夜空を見上げるイリスちゃんの目は僕には見えない線を辿る。

空までもが彼女を導く。では、僕は?

何かを思い出しているのか、口数が少なかったレイは急に僕の方を向いた。真剣な瞳に決意にしかめられた眉。
まずい。今聞かれたら僕はもう___。

「なぁ、ラシュー。
“賢者”ってお前だろ?」

___いや、初めから黙っているのは不可能だったんだ。
出来るだけ話したくなかった。でも宝石はいなくなってしまった。イリスちゃんは未だ時紡ぎの本質を知らないのに。
緑の民が時紡ぎを導く。それは伝承通り決まってるのだとしても、緑の民としての定めを果たすのには抵抗があった。ただの人間でいたかった僕の精一杯の反抗。

知らないふりを続けていたら本当に知らないことになったら良かったのに。

「お前はイリスを世界をメンテナンスする存在だって言ったな。
実は時紡ぎについてもっと知ってるんじゃないか?」
知っている人間が黙っていれば、二人はそれを知る為に更なる苦労をするだろう。そんなの…見てられない。

「時紡ぎの後継者に出合った緑の民が僕だけなら、そうなんだろうね。」
「なんで黙って…」
レイの言葉を遮り低く告げる。

「僕の話を聞いたら二人とももう引き返せないと思う。
それでもいい!?」
よくないと言われるとは思わなかった。頼りない火の明りの元でこんな事言われたら不気味でしょうがないだろうな。
「いいですよ。
私はもうとっくに引き返せないんですから。」
「…そうだな。」
イリスちゃんは用意していたみたいに答えを出した。レイも静かに頷く。

生唾を飲み込む。炎を凝視してできるだけ周囲が視界に入らないようにした。今自分のいる状況を自覚しないでいいように。“言わなかった”伝説の重要な部分を口にするだけなのに、善神イゴス様の加護を祈らずにはいられなかった。
僕ももう引き返せない。

「“導く赤”が言ってたように、時紡ぎは時がきちんと運行しているかを管理する存在なんだ。
でもそれだけじゃない。」
彼女の魔法は管理を遂行する為にただ与えられた力なんてものではない。役目に基づくゆえ魔法の領域すら超えかけない力。時紡ぎは神そのものの力の一端を継いでいる。
「あの魔法か?」
レイも気がついたようだ。

「そう。その関係だよ。
時紡ぎは時間を…世界の記憶を保存する役割も持ってる。
時紡ぎは世界を描く。だが時に、時紡ぎの主観で描かれた世界はこの世界に干渉する。」
「つまり…“時紡ぎが記録した過去が本当の過去になる”のか?」

飲み込みの早さに驚いた。
しかし引用したような台詞は誰かに同じような話を聞いたからかもしれない。
イリスちゃんは身体に巻き付けた毛布の裾をじっと眺めている。だが身体全体で僕の話に注目していた。
「うん。彼女が描く世界は絶対的に本物なんだ。
だから彼女の筆は描いたものを具現化する。炎を描けば本物の炎が現れる。」
逃げる事もできず地に縫い止められたまま、炎に照らさた皆の影は揺らめき踊る。業火に焼かれる悪魔イワコのように。

馬鹿げてる。
なんだかごっこ遊びをしているようで、この場を支配する痛い程の沈黙が馬鹿らしくてならない。このおとぎ話の登場人物になったような気持ちは何だろう、と考えかけてこれこそ現実だったと気付いた。

「それこそ創造主の代理人だ。」
ならいっそ“賢者”を演ろうか。“あの頃の自分”を演るのと本質的には変わらない。

「…そう、なんですか。」
イリスちゃんの声は震えていた。
「うん。君はいい加減に自分は“特別”だと自覚しないと。」
この台詞を緑の民として何一つ自覚していない僕が言うのか。無性におかしくなった。

「“時紡ぎ”と“霧の守護”と“賢者”が連れ立って旅をする。
全く…伝説の通りじゃんか。」
難しい顔したレイは足を組み替え、身体をこっちへ向ける。
「その“霧の守護”って何だ?」
「時紡ぎの道中を守る剣なる者だよ。強大なためアンバランスな時紡ぎを支える。」
現行の時紡ぎは確実にレイをそれとしていた。

「俺が?
俺はそういうんじゃ無いぞ?今は結果的にそうなっているだけで…。」
「ふうん。」

自覚は無いらしい。それは幸せな事なのだろう。昔の“霧の守護”もそうだったのだろうか?
もしそうだとしたら代々の“霧の守護”は果てしなく可哀想で幸福だ。


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