曇天、虹色地平線 緑の公国 2 亀裂



「ふうん。」

ラシューは一言だけ言った。さり気なく流されたが見逃せなかった。また何か誤魔化そうとしているようで。
気の抜けた返事だが、瞳はあの夜___こいつが叔父について語った夜だ___と同じ色の光を放っている。いつもの喚くようなはしゃぐような調子も影へ潜んで、暗く澱んだ雰囲気を纏っていた。

「ふうん、じゃない。
ラシュー。もうだんまりは無しだ。」
「ふぇっ?
ちょ、心外だよ…!?」
ラシューはとてつもなく驚いた顔して手をブンブン振る。

「なら教えろよ。」
振った手を掴み引き寄せる。相手は観念したように目を逸らした。

「…結果的とかじゃないんだよ。限りなく作為的だ。」
「どういう意味だ?」
あの町で初めてイリスと出合った。そこに作為が絡む隙なんて有るはずない。

ラシューが重い口を開くのには時間がかかった。こちらの機嫌を伺うように怖々と話し始める。
「レイはイリスちゃんの絵のファンなんでしょ?彼女の絵を見て、彼女の力になりたくなった。」
「ああ。…そうだ。」

「イリスちゃんの絵を見た時には既に、レイは彼女に協力する以外無かったと思うよ。」

イリスは毛布の裾をパタパタさせながら呟いた。
「私の絵は見たままの風景画ばかりで、そんな要素はないはずなんですが…。」

そうだ。何かのメッセージが込められているようなタイプの絵ではない。ありふれた風景を切り取ったような鮮やかな絵。
見るたびに懐かしいような寂しいような不思議な心地に襲われた。

「絵の題材じゃないんだ。
恐らくイリスちゃんは、無意識のうちに自分の願いを絵に織り込んだ。絵に描き込まれた願望は見た人に伝わり、彼女の望みを叶える方向に世界は動く。
そして実際レイはイリスちゃんに協力する事になった。」
はっきりと話すラシューの目は、いつからか臆した伏せがちなものではなくなっていた。

望みひとつで世界を動かす力。

「それじゃまるで洗脳じゃないか。」
「…そうだね。」
言い淀んだラシューに、自分の台詞が随分人事だったと気付く。それもそのはずだ。自分に当てはめて考える事がまだ出来ていなかった。

俺は洗脳なんてされていない。

だが、あの時宝石は言った。俺がイリスを見捨てるなんて…“絶対にそれはない。絶対にじゃ。”
そもそも今になって考えると、彼女があの画家でなければ…彼女の絵が俺の心に残っていなければ、俺は護衛を頼まれた時点で間違いなく断っていた。

ならば彼女の絵に動かされたとしか言い様がないのではないか。

血の気が引いた。
「…違う…!俺は自分の意思で…!」
彼女に協力したいと思った気持ちが、自分を歪まされできたものの筈なんてあるはずない。
その土台が揺らぐだけで、今までの少女との旅が全て嘘になってしまいそうで必死で否定した。

そう、自分の意志で選んだ…としよう。
ではその理由は何だったろうか。

___“龍殺し”としての使命感では無かったか?

地味にショックだった。イリスは仲間だ。もうクライアントの関係じゃない。
だから利益づくな付き合いは嫌だったし、現にそうでないと信じていた。
どっちも最悪じゃないか。



私が無理矢理レイさんを私の望むまま動かした?
そんなこと信じられない。

けど心の何処かで“この力”ならあながち不可能な話ではないと思う。
レイさんが言ってくれたあの言葉すら、私が言わせたもの…なんて信じたくない。

「そんな事、してな…」
最後まで言い切る事は出来なかった。早鐘のように心臓が脈打つ。

本当に?

あの場所から連れ出してくれる頼れる存在を求めなかった事なんてあったろうか。
私が好きなレイさんも、私の求めた虚像に過ぎないのだとしたら…。
「私は…。」
「…俺は。」
声が重なり、私は思わず黙ってしまう。同じく一旦口を閉じたレイさんは気遣うようにこちらを一瞥する。視線を合わせる事も出来ずにいる私を確認し、彼はゆっくり刻んで話した。

「何がどうだろうとイリスと旅をする。そう決めた。
だから…。」
こんな事考えて何になる?
彼はそう言いたげに言葉を切ったが、一瞬その表情に不安が走ったのが見える。

いつもの強がりだ。

それだけで、もうどうしようもないくらい申し訳なくなってしまう。もう私には彼のいない旅なんて想像できない。
最悪の考えが頭をよぎった。

もしレイさんがいなくなってしまっても、自分は旅を続けなくてはならないのではないか?

そんなの耐えられない。
気がついて泣きそうになった。たとえ時紡ぎだからレイさんに嫌われても、時紡ぎだから使命を全うしなくてはいけないのだ。
何故私が時紡ぎの後継者なのだろう。こんな力一度たりとも望んだことない。

旅人さんに聞かなくちゃいけない。彼が何を望み、私を選んだのか。



やはり奇跡としか言い様がない。“時紡ぎ”の奇跡なのか善神イゴス様の奇跡なのか分からないけど。
奇跡とはこんなにも脆い。そのくせこんなにも大きく人生を動かすのだ。

複雑そうな仲間に、緑の少年は尋ねた。
リドミに着けばもう“今までの僕”を保つ余裕はない。
「二人はさ、今まで見て来た僕が本当の僕じゃなかったら___ショックを受ける?」

ただ怖かった。僕の人生の転機が訪れつつある予感が。



沈黙の山脈に向かうにはリドミでの食料の補給と防寒の準備が必要だ。
紅葉の季節が終わり、緑の公国リドミには淡色の季節が訪れていた。

森の小道といった風情の道が現れた頃くらいから、既にリドミ領内らしい。そう教えてくれたラシュームさんは沈んだ様子では無くなっていたが不自然に明るく見えた。
「リドミの真骨頂を見るには季節が悪かったね。
ねぇ、レイ。」
「いや…俺もリドミは初めてだ。」
「そーなんだ!!?」

レイさんも何処か歯切れが悪い。あの夜からどうも皆ぎくしゃくしていた。
上り調子になっていた小道を抜け、平らな場所に着いた。樹々が疎らになった為に辺りの景色が開ける。
冷たい風が草原を揺らす。その丘からはリドミの首都の町並みが一望できた。

同時に遠くにそびえる白頭の山脈も。

思わず立ち尽くした。あそこに旅人さんがいるんだ。
「あれが…!」
「そうだよ。首都ウェーマレイから南西に上がれば沈黙の山脈に行けると思う!!
僕の育ったフィーコメヴィに案内出来ないのは残念だけどね。」

何となく山に手を伸ばしてみる。触れられないのは分かってる。だけど、もうすぐ手が届きそうな所に旅人さんがいると言う現実が信じがたくて、ぽかんと山を見上げる。
旅人さんに会ってから何年が経ったろう。思い出に浸るには遠過ぎる記憶___。

「イリス、聞きたい事がある。」
「何ですか?」
思考はレイさんによって中断された。振り返ると困ったような目と目が合う。
しかし彼は喉元まで来ているらしい言葉を押し出すのでなく、あろうことか飲み込んだ。
「いや…忘れてくれ。」
「ええっ?聞いてくださいよ。」
「いいんだ。」

自分で切り出しておきながら頑として口を開かない。そのかたくなな態度は彼には珍しく、こちらの言葉を促すようで、彼が何を考えているのか分からない私には戸惑いを感じさせるだけだった。
不可能と分かっていながらも彼の頭の中が知りたくてたまらない。その一片だけでも知れればこの不安が取り除かれる、とは限らないけど。

ラシュームさんが頭巾を取り、緑の髪を風になびかせる。左右に分けて低い位置で括っていたのも解き始めた。
軽く手櫛で整え溜め息を吐く。
「さて二人とも。これからウェーマレイに降りるけど、ひとつ約束して。」
人差し指をピンと立てラシュームさんは言う。リドミ特有のタブーか何かの話だろうか。宗教国のようなので、そんなのがあってもおかしくない。
「おう。」
「はい。」
ちょっと緊張した答えを返す。でも彼の言葉は想定外すぎた。

「とにかく僕から離れないで。話を振られたら取りあえず頷いて余計な事は話さないで。質問は後で受け付けるから。」

それじゃあ自由に買い物も出来ない。
「あぁ?何でだよ。」
「そうだね…臨戦開始って事だね。」

戦いに臨む?
自分の故郷に帰って来たんだろうに、どうしたんだろう。もっと突っ込むかと思ったレイさんはその返答ひとつで納得したように頷いた。
納得できない。何がって私だけ仲間外れなのが納得出来ない。


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