曇天、虹色地平線 野望の王国 7 何の為に



俺の突然の問いに目を丸くしたハールは答えに窮した。髪に手櫛をかけるのは無意識のうちらしい。
「何を言い出すんだい?
もう数か月前になるかな…あたしが来た時、モンスターがこの街を襲った。あたしが応戦したら腕を見込まれた。
そんだけの付き合いだよ。随分一緒にいる気がしてたんだけど、思えばそうでもないねぇ。」
訝しげにしながらも顎に手をやり語リ始めた彼女は、なんだか懐かしいような不思議そうなような複雑な顔をした。
冒険者だという彼女と王さん達の関係が俺にずっと違和感を感じさせていた。共に戦う事になったとはいえ、冒険者連中含め彼らの事をろくに知らないというのはある。味方の人間関係を押さえておくのは基本的な事だ。
だがそれ以上の気持ちがはあった。俺は雇主に対して彼女らのような関係になったことはない。

「最初は俺もそう思ってた。だが…冒険者は雇主を自分の冒険のためのスポンサーとしか思っていないが、あんたは違う。だからって傭兵という訳でもない。飼い犬と言うには、あんたは自由に動き過ぎだ。」
「ふふん。」
ハールは不意に目を細めて微笑む。
「……?」
「女の心は海より深く、ってね。」
「どういう…」

俺が尋ねるのを遮り、相手はおどけた動作で指を突き付けてくる。チラッとイリスの部屋の方に目配せした。
「まぁだ分かんないって感じだね。そんなんじゃ、あの娘にも嫌われちゃうよ。」
「…イリスはそんなんじゃない。」
彼女と俺の関係はそんな肉感的なものじゃない。自分がどんな表情をしたのか知らないが、ハールは口許を笑いの形にする。モノトーンな陽の光を浴びたハールの姿に、初めて彼女を武人以外として意識した。
急に彼女は踵を返す。僅かに俺から距離をとった。眼に残った残像が消える間も無く、その背中が言う。

「あたしゃあ、ロディ様に惚れて惚れて惚れ込んでるのさ。」

絶句した俺の返事を待たない彼女は、澱みなく語り続ける。
「あの方は本当にこの国と人民を愛してらっしゃる。しかもあの方が王であるのに、玉座という証明を必要となさらないんだ。
きっと、どえらい王になる。いつの間にか武人としてそれを支えたくなっちまった。」
彼自身が彼を王と見せる。玉座にいようと戦場にいようと誰もが彼に跪く。魂の底からの___王者。

「なんだ。惚れたってそういう意味か。」
「何だと思ったんだい。下衆な勘ぐりはやめとくれ。」
「…ああ、そうだな。」
彼女は突っ撥ねてから、自分がイリスについて言った事を思い出したのか、バツが悪そうに笑った。その姿に苦笑が漏れる。今誰かが来たら、顔を見合わせて笑っている俺達二人をどう思うだろう。
「今日は済まなかったね。
あの方は誰よりも真剣だから、あんな風にカッとなっちまう。勿体ないね。悪い人じゃないんだ。」
「ああ、多分な。」
それを確かめる術を俺は持たない。



何となく眠る気になれなかった。寝れる時に寝て、食える時に食う。その鉄則を破らせたのは恐らく、身の内の言い表せない不快感。どうにもじっとしていられなくて、ぶらり城内を歩いた。誰もが自分のすべきことに懸命なのだろう。誰ともすれ違わない。生活感があるのに人が居ない光景には覚えがあった。
思い出を乱して、衣擦れの音が届いた。ゆっくり来る音の主は予想がつく。

「どうしたんだ?」
爺さんは俺の隣りまでしっかりした足取りで歩み寄った。探るように覗いてくる碧眼の瞳は深い。
「歳をとると疲れやすくなりましてな。若い方達が気を利かせてくれました。」
「感心じゃないか。」
休憩に来た爺さんは、俺の側の窓の横に腰掛ける。よくみればそこには小さな椅子が置かれてあった。
「さて…老人と話をするのはお嫌いですかな?」
「…いんや。退屈してたから丁度いい。」
爺さんは俺が寝ずにブラついていた事には触れない。それと口調から、彼が自分と話したがっているらしいと予想がついた。
「この歳になると色々考えてしまいましてな。一度伝説と呼ばれる方とお話がしてみたかったのですよ。」
適当に相槌を打つ。俺みたいなのと話したがる奴はどういうわけか案外いる。そういう族は断るより御座なりにでもあしらっといた方が楽だ。

「伝説の方々はモンスターから人々を守っておられますが、自ら挑みかかっている節もある。どうして戦うのです?」

大真面目に爺さんは聞いた。だがその口振りには、質問者独特の迷いが薄い。形だけの質問なのは明白だ。
「俺に聞かずとも…あんたなら分かってるだろ。」
自分の思いを口にするのを避け逆に聞き返した。爺さんは俺に顔を向け、ゆっくりと長い顎髭を撫でる。
「我々はどうしても排他的なのです。同じ生き物であろうと何らかのささいな同一点を元に集団化し、他の集団と差別化を図る。
人と魔は混ざり合う事の出来ない存在ですから、一緒に生きていく事はできません。」
しかし同じ世界に生きる以上、互いに生存権を奪い会わないと生きていけない。それが嫌ならエルフ勢のように…地や森に隔てられた世界に暮らす他ありません。

戦いは我らが生きる為の必要悪ですな。」

戦って来た年月が長い分、さすが年期が入った重い言葉だった。語ってる事に酔ってる奴等とは違う。素直に思った。
「爺さんは凄いな。俺みたいなのに聞く必要ないじゃないか。」
「貴方も割り切ってらっしゃると思っておりましたが。」
俺は自分の考えを長々と口にするのが好きじゃない。行動で示す。ここで頷いておけば、当たり障りなく会話が終わったろう。だが俺はそうしなかった。それは今思えば、爺さんが俺と同じ目をしていたからに違いなかった。
「…前までは分かっているつもりだった。俺は冒険者で、武力を持った人間。だからモンスターに苦しめられる人を助ける…モンスターを斬るべきだ。これ以上明確な事はないと思ってた。」
義務感だったのかもしれない。モンスターに何ら特別な感情を持つ事はなかった。哀れみも、殺意さえも。

俺が一人になったあの洞窟に至るまでは。

俺は思わず目を閉じる。爺さんと彼の背越しに見える景色が何でもない日常を主張し、伝説として振る舞うよう自分を縛っているのは自分自身にすぎないと自覚させるからだ。
「考えないようにしてただけだったのかもな。
…仲間が死んだ。それから、わかんなくなってきた。」
師匠、リィナ、マルコ。…アッシュの時も。ずっと共に戦って来た仲間が奴等に殺られた時、俺は底知れぬ恐怖を感じた。敵に対する恐怖ではない、もっと別の本能的なもの。
その裏返しは狂った殺意。
恐怖に身を任せるのは裏側の殺意に身を任せるのと同じ。そのたびに分からなくなっていく自分に劇的に気付く。

「自分は殺られない為に殺っているのか、殺る為に殺っているのか___。」

“剣を教えてくれ”そう言ったガキと目を合わせなかったのは、酷く昔の俺を思い起こさせたからだ。彼はその術を切に必要としていると判断しながら、教えない矛盾を自分に許した。
武人になれば、この修羅の道から逃れられない。一度踏み込んだら取り返しがつかない。
意味のないエゴだと分かってても、ガキは巻き込みたくなかった。戦で一番割りを食うのはガキだなんて間違ってる。
「…俺だけでいい。」
俺は迷ってばかりだ。それでも失いたくない一線はある。お前みたいに最善をつくそう。なぁ、アッシュ___。
我に返った時には既に独白になっていた。惜しむように爺さんが言った言葉の真意は分からない。
「貴方にはもう少し早く会いたかったですな。」



夜が来てしまった。世界が光を失ってゆくにつれて大気が魔の匂いを強める。少女は自分に与えられた部屋の壁にもたれて、自分自身の気持ちを持て余していた。
気づいてしまった。
空を覆い尽くす魔法の絶望的な異質さと、自らの使う力の絶対的な強力さが同質なものだと。

どちらも人の域を脱している。

おそらく自分はあのエルフの言ったように・・・。
それでも自分のやるべきことは揺らいでいない。
傷つけるのも傷つけられるのも嫌。その迷いさえも今までと変わらないはずなのに、不安がぬぐえない。少女は身を固くする以外になすすべを持たなかった。
でももう、考えてる時間はない。



もう少し休んでいたかったけど、時間みたいだ。レイが呼びに来た。
身体はさっきまでより少しは楽だけどお世辞にも治ったとは言えない。世界が回ってる・・・。
ベッドから起き上がろうとしてすっ転んでしまった。
「ラシュー?どうした!」
視界がぼやけていても声はちゃんと聞こえるみたいだ。表情まで分かるかと思われる声の主の方へ笑いかけた。
「ちょっと疲れただけ…だと思う。」

「…そうか。分かってたんだ。
もっと気を使ってやるべきだった。すまん…。」
不調を見せないように振舞ってたつもりだったけど、悟られてたらしい。レイは縮こまってしまった。彼が責任を感じる必要はない。
「ちょっと休めば大丈夫だよ。後から行くから。」
「ああ…分かった。」
少し安心した素振りのレイに、目がほとんど見えてないのは黙ってた。今からレイ達が飛び込んでく事を考えると心配はかけたくない。
自分の体調が明らかに変なのは確かだ。しかし…心当たりが無い。あのダークエルフも僕に何か変な素振りは見せなかった。僕に近付きもしなかったし、触れられもしなかった。ふと奴のある動作が記憶の端を掠めてドキリとする。まさか……。
イリスちゃん?



光の守護が途切れた。人はまた闇におののく。
鬱蒼とした森の中、明かりひとつ無いのに、闇に適応した己の目は辺りの木々の葉の数さえ数えられる。この進化はダークエルフの長い穴蔵生活を物語っていた。
その夜目と引換えに退化した視力を片眼鏡は補う。眼鏡越しに視界は星空を捉えた。
今まで暮らして来た地中には本物の空は無い。
「空が高い…。」

「トゥーレ。起きたのか。」
のそのそと木々の奥から出て来た大柄の飛竜は欠伸を噛み殺す。全ての仲間が夜行性なのではない。
「食事は?」
「今済ませて来た。」
ラウスは口の回りを大きな舌で舐めとる。
「お前の分も捕って来ようと思ったが…ダークエルフって何を食べるんだ?ライトエルフみたいに木の実とかか?」
気をつかってくれているのだろう。ルウスは首をかしげた。同じ姿勢でいたから縮こまってしまっていた腰を伸ばしながら答える。
「…石。」
「そ、そうなのか!
…やっぱり花崗岩は旨いとかあるのか?」

動揺しながらも会話を繋ぐルウスが可愛らしくて、僕は思わず笑ってしまった。
「嘘だ。」
「…!
お前は…。」
目を見開いたと同時に尻尾が跳ね上がったルウスは怒ったのでなく呆れた様だ。
肩を落とし溜め息をついた姿は苦労人というか…。苦労をかけてるのは僕か。こいつ心配性すぎるんだ。何か言いたげなルウスの視線に返す。
「分かってるさ。役割は果たす。」
失敗はしない。それどころか望まれた以上の働きをしてやるよ。

何故だか無性に笑いが込み上げて来た。
「行こう。
…そろそろ効果も出てきただろうし。厄介な奴等は時紡ぎから引き離しちゃえばいい。」
身体に着いた草を払い起き上がった。月が綺麗な晩だ。

今宵僕らは時紡ぎを手に入れる。


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