曇天、虹色地平線 野望の王国 8 二夜



守るもの、戦うもの。誰もが身の内に戦場へ赴く理由を持っている。俺も例外では無い。
ラシュームが来ないのに安心した自分がいた。おそらく俺は、俺はイリスにも戦いに参加して欲しくないのだ。
これは今までの戦いとは違う。殺しを美徳とする異空間。そんなものの存在を、あんなに無垢な絵を描く少女に知って欲しくない。
だがこれも自分のエゴだと自分で知っていた。



城を出ると城門前に沢山の人達が集まっていた。それを見るなり私と一緒に歩いている人は空を仰いだ。
夕暮れオレンジのグラデーションは段々に暗さを増し、既に空の西側は満天の星空が現れている。うっすらと浮かぶ雲は黄金色の輝きを帯びていた。
「綺麗…。」
これから起きる事が想像できないくらいに。
「…そうだな。」

起きてから初めてレイさんが私に顔を向けた。視線と視線が絡む。
「イリス、お前も城にいろ。」
彼が切り出した台詞は想像した通りすぎて、あまり動揺せずに答えられた。
「そういうの無しですよ。」
「今までみたいに甘い戦いじゃないんだ。こんな世界をお前は知らなくていい。」
「前に言ってくれたじゃないですか。私が望むところ、どこだって連れてってくれるって。」
自分の魔法を食らったアッシュさんの悲鳴がまだ耳に残っている。思い出す度に手が震える。
斬る側も斬られる側も痛い。ならレイさんが傷つくのに私だけ守られるのは嫌。

置いてなんて行かせない。

レイさんは何も答えない。答えようが無いだろう。…レイさんは優しいから。
お互いに黙ってしまうと、周囲のざわめきが良く聞こえる。
「おーや、おや。意気地ないね。こんな可愛い娘ちゃん相手なのに。
お姉さんも混ぜてよ。」
いつの間にやら来ていたハールさんはレイさんの肩に後ろから手を回す。そのまま力一杯横に押し退けた。
「お、おま…っ!?」
よろめいて抗議するレイさんには一瞥すらせず、ハールさんはさり気なく私の肩に腕を回す。
「妬けるねぇ。イリスちゃん、あたしみたいなのは嫌い?」
「え、ええーと…」

彼女は打ち合わせを終え城の方から戻って来たらしい。
肩を引き寄せられる。悩ましげな切れ長の瞳のドアップに圧倒されてしまう。出来るだけ目を合わせないようにしたら、顎を掴まれそちらを向かされた。私の顎を撫でながら呟く。
「お肌綺麗だね。いいね若いって。」
「お前さぁ、セクハラだぞそれ!」
レイさんが割って入ってくれてやっと私は解放された。へたりこんでしまいそう。
文句を重ねようとしたレイさんを制して、ハールさんは赤い唇の前で人差し指を立てる。

「さて。此処からは真面目なお話。」
今朝になっても続けられていた話し合いの議題は、もちろん戦闘の作戦と…肝心の戦闘員の配置だ。
「あんたらは西区だね。なにしろ城壁の損傷が一番激しい上、街道に繋がってる。」
「そうか。南区か西区だろうとは思ってた。」
「?」
レイさんが同意する。街道?…分かるような分からないような。目をパチパチさせる私を見兼ねて、ハールさんは詳しく教えてくれた。

「ここ…都サリナスは森に囲まれている。森が途切れているのは街道と海岸だけ。恐らくモンスター達は森を利用してサリナスを包囲するつもりだよ。それだけの緩い攻撃で押し潰されるつもりはないけど、持久戦になったらもたないだろうね。」
「そう…なんですか?」
なんとなく分かった。来る途中に馬車の窓から見えた景色が浮かんだ。
空も見えない森林の小道を越えた途端。城郭都市の向こうに青い空と光を受けて煌めく水面が見えたっけ。そんな中、石造りのこの街はとても威風堂々として見えた。
なのに保たないんだ。

「城壁は都全体を囲んでる。中には一般住民もいるんだ。食料はじきに尽きる。」
補足したレイさんは此処までしか言わなかった。
…この戦いの結果はサリナスの住人全てに及ぼされる。負けは許されない。
「城壁が破壊された所を重点的に守るだけじゃいけない。街道が押さえられちゃ食料が補給できないからね。
あんたら西区主力、重大な役目だよ。」
「主力!?」
「あたぼうよ!」
どうやら私達は主力らしい。レイさんは分かるけど…私も?

ハールさんは他の冒険者達に指示しに去ってしまった。
「今更組直せとか言えないしな。
___やるか。」
夕闇が迫る。その闇より底冷えする色したレイさんの瞳の奥に暗い業火が灯る。



祭り囃子にも似た進軍音を掻き鳴らしながら、森からモンスター達の列が現れる。闇を縫って近付くそれは姿がない影のようにすら見えた。その影が森の周囲を囲む。突然の鳴き声に見上げると飛竜の姿が微かに残った夕暮れに照らされている。
始まった。
夕暮れが過去ったとしてもまだ明るい。想定よりやや早い。ギリギリまで魔物の対策を学んでいた皆が担当区へ冷静に、しかし迅速に向かう。

爺さんはおっとり言った。
「さて。わしは西区にご一緒しましょうかな。」
「最前線にですか…!?」
ざわざわと兵士達が不安な声をあげる。後方支援系の魔術師であるうえ、達者と言えども爺さんだぞ。無謀だ。
皆がそう諭しても頑として首を縦に振らない。爺さんの答えを聞いていた俺には彼の気持ちが分かるような気もする。だがこれは別問題だぞ。

「コラト爺さんはここにいな。」
それほど大きな声でもなかったのに辺りの注目が集まった。ハールの一言に爺さんが不満を口にする。
「しかし…。」
「大丈夫。ロディ様はあたしが守る。あんたは後方でサポートしててくれ。
この街も、皆も、コラト爺さんあなたも、みんな好きだから…あたしは負けないよ。」
ハールは後腰に携えた大剣を後ろに回した手で抱えた。いつも姿勢がいいが、尚更背筋が伸びる。いつものへらへらした様子は微塵も感じられない。
彼女だけでなく、この場にいるほぼ全員が己の武器に手を触れた。覚悟、戦う意味を履き違えている者は__この段階では__誰もいない。
ただ肝心の王さんは精神統一の途中なのか何のアクションも起こさなかった。
肩に入っていた無駄な力を抜いたのだろう、爺さんの袖が衣擦れの音をたてる。

「___そうですな。どこで戦おうと同じ。
守るべき民は分かっておりますから。」
話す爺さんの口許で銀歯がかちりと光った。



「龍牙。話がある。」
ハールに手を引かれ西区に連れて行かれるイリス。彼女を俺みたいな前線切り込み組で戦わせるのは無理がある。離れて戦うのは心配だったが、ハールが面倒見てくれるなら問題ないか。自分の持ち場へ向かう俺を呼び止めたのは、意外な奴。
「王さん…?何だ?」
「作戦をお前に知らせておく。心して聞け。」
敬語じゃない俺に眉間の皺を深めながらも、威厳ある態度を崩さない。だが、その作戦に参加する事前提なのは相変わらずだった。

「現在、西門と南門、東門に兵を見てわかるように集中させている。」
北門は本来なら一番森に面している。幾度もあった戦いの結果、古びた対魔拠点が築かれていた。なので古代ほど森に拘る必要の無くなったモンスター達は、包囲はしているものの北門を避けて進軍していた。
東門も海から流れ込む支流に面し、貿易を行なっていたこともあり、わりと設備は調っている。その中で北門だけを空けるのは…。
「俺様が合図したらお前達は南よりに下がれ。なだれ込んで来たモンスターらを、北門に隠した兵とお前達で挟んで押し潰す。」
「分かった。」
全盛期の人口で築かれたこの街は、現在では街の大きさに比べて人が少ない。正攻法での籠城は難しい。これが成功すれば随分有利になるだろう。
慣れ親しんだ緊張感。ふと辺りで、いつものように声がした気がした。

(「お子様達、準備できたか?」)
(「そろそろ仕掛け始めるよ。」)
(「しょうがないわね。付き合ってあげる。」)

「さて、行くか。」
自分の声でかき消した、二度と聞くことのない幻聴(こえ)は、残酷なほど優しく戻らない日々を甦らせる。
これ以上考えるな。精神は肉体にまで影響する。武器が、鎧が…重い。
それでも戦うなら、みっともない所は見せられない。龍殺しの一員の名の為だけじゃなく自分の意思でだ。



今朝、王の間。
王座に腰掛ける事なく歩き回っていた部屋の主は、幼い頃の教育係であり現在では自らの参謀である翁に話し掛けた。
「方法の目安はついたか?」
「もちろんでございます。仰せのままに。」
自分の代ただ一度の好機。若王の顔色は日の光に青ざめて見える。

「時紡ぎの力さえ手に入れば、この大陸で俺様に敵う奴はいない。」

弾けるように口走る。もう耐えられない、笑うのを堪えていた子供といった風情だ。
「俺はこの国を今一度甦らせる。昔の…あるべき姿へ。」
いきなり微笑を浮かべたままの老人の方へ振り返る。かなり興奮していた。
「時紡ぎがあんな小娘だとはな。俺様の方が有効にあの力を使える。」
見開いた目は気力に満ちている。しかし、朝の光の中でなお暗いこの部屋では、憑かれたような瞳の輝きだけが際立っている。

「コラト。先祖の悲願は俺の代で叶えるぞ。“大陸の守護者”の名にふさわしい王者として、ブールを再生する。ホルツブルクの家名に誓って。」
「おっしゃる通りでございますな。ロディ様ならおできになるでしょう。」
影のように付き従う老参謀の表情もはっきりとは分からない。
「ブールの崩壊も力無きが故だ。力、力さえあれば大陸はひとつになれる。ひとつになりさえすれば___。」

この大陸はブールを頂点にして平和を取り戻す。


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