曇天、虹色地平線 野望の王国 9 揺れる心



「………っ!」
大柄のオークが振るった大斧を、鱗の付いた小手をしている冒険者の盾が受け止めた。
一瞬拮抗するが、すぐにオークは盾に押し返されてしまう。それは戦場において逆に目を引くほど普通に見える少女の力によるものだ。彼女はほとんど鎧も身に着けていない。弓使いの装備すら彼女には合わなかった。

視界に入る範囲、約三体のダークストーカーの挙動に目を配る。先程のオークは刃の部分を失った斧を棍棒の変りに使う事にしたようで、その攻撃を防ぎきれなかった一人の冒険者が打ち倒された。
黒衣の魔物は雄叫びをあげる。同時に自分の目が魔法の構成が網上がって行くのを“視る”。それだけでなく身体全体が共鳴していた。自分が魔法を発動してゆくのと同じ感覚。

私は人間側。
そう何度呟いたって、身体が自分に近しい存在を伝える。
それでも私は筆を取る。自分が守ると決めた存在の為に。ラシュームさんと同じ。その筈なのに割り切れない。
私は私だから、って言える程強くなれない。…なんで?

自分を誤魔化そうとがむしゃらに筆を振るった。ゆらりと黒髪が舞う。
筆の軌跡に合わせて、風の魔法は打ち払われた。今の今まで手にしていたはずの魔法の構成を失い戸惑い叫ぶダークストーカー。
白地の油絵に白を塗り重ねるような慣れ親しんだ動作は、疲れようのないくらいに簡単。
なのに精神だけが摩耗してゆく。

おそらく私がほんの少しこの世界キャンバスに重ね塗りするだけで、あのオークもダークストーカーも存在した事実すら消滅する。

怖い。使い道を誤れば生命すら弄ぶこの力。それではあのダークエルフと同じ。
私は永遠に間違えない事などできるんだろうか。今私がしているのは___魔を退けるのは___正しい。そのはずだ。
戦場で考え事をするなんて気が緩んでるとしか考えられない。そんなんだから私は、一匹のオークが死角から迫っているのに気付けなかった。

「危ない!」
ほんの僅か指先が動くだけで防げるだろう攻撃。近くにいた冒険者が叫ぶが、ただでさえ戦闘なれしていない私は固まってしまう。
彼は私の肩を引き、できた空間に刃を叩き込む。オークの小さな体が吹っ飛ぶくらいの勢いで切り倒した。
「大丈夫?」
冒険者は勝ち誇った笑顔で聞いた。答えるどころではない。口を押さえる。
もう目を逸らせなかった。オークの屍体に一度目を向けてしまえば、否応なしに辺りに転がるその他の者の事も意識してしまう。

血が___流れて。

助けて貰ったのに、なんて浅ましい、醜い行為としか感じられなかった。
殺す為の剣と守る為の剣は違う。私達は自分を、しいては街の人々を守る為に戦っているはずだ。でも皆が嬉々として殺戮を楽しんでいるこれが、本当に守る為の戦いなの?
涙が零れそうな顔を袖で荒く一拭きすると、袖が赤く染まった。乾いた笑いが漏れる。返り血を拭うのは初めての経験だった。レイさんはひょっとしてこんな所にも気を配ってくれてたのかもしれない。
ここにいるべきでない。それは私が魔に属する存在だからか?違う。この空間自体の存在が許されない。

“守られない、戦う”の本当の意味は、こんな事なの?


「イリスちゃん!」
知っている呼び声に顔をあげた。どこかに行っていたハールさんが戻って来たのだ。
「大丈夫?具合悪いの?」
「…大丈夫です。」
何かをハールさんが言おうとした時、上空を飛竜が飛び過ぎた。飛竜は耳鳴りに怯んだ冒険者達に空から火球を浴びせる。昨日は上空で見ていただけだったが、今日は低空飛行して攻撃してくる。あの蒼飛竜ではないようだった。
「ロディ様が呼びになってるよ。城の塔に昇って、上から攻撃して欲しいんだってさ。」
飛竜を無力化しろと言う事だろう。確かに空を自在に飛ぶ飛竜への決定打は今のところ無かった。
「わかりました。」
この場から離れられるなら、何だって良い。



白髪に褐色の肌のダークエルフは蒼飛竜の背で欠伸をした。地上では陰惨な戦いが繰り広げられていると言うのに、その遥か上空で彼はのんびり告げる。
「時紡ぎが離れた。あとはあいつの出番だね。上手くやると思うけど。
こっちもそろそろ本気だしていこうか。」
片眼鏡スコープではここからでも城に向かい走る少女の後ろ姿を見る事が出来る。

「本気って…現状維持でいいじゃないか。」
「僕がなんでこんな退屈な任務引き受けたと思う?」
瞳を輝かせるトゥーレを宥めるが聞く耳を持たない。聞こえるように溜め息をついて見せても何の効果もなかった。
お前本当に羨ましい性格してるよ。
「許可は出てるんだ。後は精々僕の自由にさせて貰う。」



司令官が動いた。夜目にも高度を落としているのが分かる。やっと戦闘に参加か。
___待ってたぞ。
優先的に前線で戦っていたのも奴を討つ為。他の冒険者達を庇ってダークストーカーを狙っていたが、部分を潰しているだけ感は否めない。こんなパターンは頭を潰すのが手っ取り早いんだ。
新手のダークストーカーが藪から現れた。黒衣を閃かせる。視線がこちらを向いた気がした。ここにいる他の冒険者達は今いる二体で手が塞がっていた。項の毛が逆立つ。経験が告げる。
魔法が放たれる。俺はあっちに用があるってのに。

邪魔、だ。

『我は翔ける、瞬く間も与えぬ___跳躍ジャンプ!』
呪言に連動し自分の足下で風が渦を巻いた。上に跳べば垂直な壁の上にも飛び乗れる。もちろん横に跳べば___。
地を蹴る。瞬きをする間に自分は数メートルの距離を移動し、ダークストーカーの背後に現れた。
「遊んでやる時間はない。悪く思うな。」
狙い違わず銀の刃は黒衣を切り裂き、魔は悲鳴をあげて滅される。
一度目を離してしまった飛竜を探して首を巡らせると、随分近くから呼び声がする。

「ねぇ、レイでしょ?君。」
地に落ちる大きな影。見上げるまでもない。すぐ上にいるのだ。
ゆっくり舞い降りた飛竜は、地上十数メートルという所でホバリングした。なんて大きな飛竜だろう。その背には悪戯にを考えた子供のように瞳を輝かせる人影。
渦を巻く風の余波に、その白い髪が掻き乱される。拍子に長い耳が露になった。
「な………エルフ!?」
「実際会うのは初めてだねぇ。君だけ挨拶が遅くなってごめんね。」
イリスとラシュームが言っていた、飛竜に乗ったダークエルフ。屍体を操り人間を改造するあの悪魔モンスター。それが、こいつか。
「お前が…トゥーレか。見つけたぞ。」
「そゆこと。
もしかして僕を探してくれてたの?嬉しーなー。」
言葉の端々が精神を煽る。燐火を灯した様に銀の輝きが煌めく剣のグリップを握り直した。
まだ“跳躍”の呪力は生きてる。その満面の笑顔に叩き込んでやる。

「…ぶった切る!」
叫びと共に渦と成った呪言の力で身体が重力に反抗する。
ふわり。
竜の頭に飛び乗った。
「何ぃ!?」
足の下の声は無視だ。着地と同時の一撃を、相手は身を屈めて避けた。
「うわ。」
相手はそう声をあげながらも笑顔を崩さない。竜の背、この狭い空間で逃げ切れると思うな。
お前のやり方は人間を脅かす。ここで切っておかないといけない。

更なる一撃を加えようとしたが、急に足元がおぼつかなくなった。視界が回転する。
状況を悟った時には、既に空中へ放り出されていた。
「くっそ……死む…!」
俺に羽は無いんだぞ!
背筋にかかるGに抗い宙を蹴る。なんとか発動した“跳躍”のおかで不格好ではあるが無事に着陸できた。
心臓がバクバク言ってやがる。

見上げると竜は悠々と回転を終えた所だった。あの飛竜、背中に俺とトゥーレを乗せたまま宙返りしやがった。身を低くしていたトゥーレは飛竜の背に掴まったのだろう。振り落とされることなく飛竜の首の影から現れた奴は、ひらひら手を振る。
「惜しかったねぇ。
“修行が足りないぞ”?」
女と見紛うように調った顔から発されるその一言に、一瞬にして心が冷えた。
「…お前。」
死も死者も茶化していいようなものじゃない。

憎い。
もしかするともっとずっと以前から知っていたのかもしれない。ただ認めたくなかっただけ。殺す為に戦っているのか、殺されない為に戦ってるのか___そんなのどうだっていい。この戦場が俺の居場所だ。きっと爺さんは俺以上に俺の本心に気付いていた。

「そんなものなの?ねぇそんなものなの?
師匠を、友達を汚されても?所詮ただの人間か。
……ああ。君の場合、仲間も奪われてるんだっけぇ?」
“跳躍”がギリギリ届かない程の高さを飛ぶ飛竜の背に立ち、トゥーレは吐き捨てる。俺は言い返して…むしろ罵ってやろうとするが、口から言葉が出ない。沸きあがった整理し切れない感情が我先に飛び出そうとして引っ掛かりあい、結局一つも発される事が出来ないんだ。

頭痛がする。その痛みが唯一俺を正気につなぎ止める。
「…降りて来い。逃げてんじゃねぇ。」
「嫌だね。そっちが登って来てよぉ。」
平然と告げ、竜はまた上昇する。舞い上がる衣、長く後ろで束ねられたまま乱れる白い髪。表情は伺えないが、刺し貫かれるような視線だけが届く。月光に照らされたその姿は見たものに特定の印象を与える。
破壊衝動に染まって平静さを失った頭に、ふと一瞬ある思いが走った。それを自分で受け止める前に。

ズドン!
大きな足音に驚いて、森のねぐらから鳥が飛び立った。森からサイクロプスが現れたのだ。
「今日は来ないとは…思わなかったよ。」
今日は始めて見た。数が少ないのだろうか。武器は持っていないが、脅威であるのに変わりはない。

「___作戦開始。」

思わず振り払った。至近距離から聞こえた呟きは紛れもなく上空に戻った筈のトゥーレの声だったからだ。
伝声呪言、というものがある。
遠く離れた相手と会話する術だ。だが呪具を持った相手同士でないとならないし、距離にも制限がある。
魔法にもその類いの術があってもおかしくない。随分高性能だが。この混戦状態ではっきりと奴の声が聞こえたのはそのせいだろう。

サイクロプスは僅か数歩で城壁近くまで接近している。矢を放っている奴もいるが、サイクロプスの厚い皮膚を貫通させる事すら出来そうにない。
だがそれも問題ない。どうせ投石機の射程に入るまでの命だ。
俺達切り込み部隊の後方、西区を守る前衛部隊。更にその後方で準備を整えた投石機。前衛部隊がその周りにモンスターを寄せ付けないよう頑張っているから、投石を妨げる可能性があるのは魔法のみ。
近くにいるダークストーカーは他の冒険者に動きを封じられている。
俺はサイクロプスの足元へ駆け寄る。仕上げは的を足止めするのみ。
一般人から集められた体格のいい奴等が、投石機の綱を引く。さすが綱の弾力で今にも石は打ち出されそうだ。石を支える木枠が軋む。くん、と揺れた。発射される___瞬間。

『おいで。天空の剣よ!』

空から真直ぐ光が墜ちて来る。
巨大な雷。魔法だ。
「………!?」
暗闇に強烈な閃光。一瞬にして視界が奪われる。勘で回避行動を取るしかできない。
思い思いの悲鳴が辺りから聞こえる。でも今は耐えるしかない。じわじわと視力が戻って来た。
無事みたいだ。
人もモンスターも何が起きたか分からないと言った様子で立ち尽くす中、ただ一所だけさっきと変化した所があった。落雷で投石機が消し飛んだのだ。
「なんつう威力だ…。」
こんなの俺が食らってたら…。唾を飲み込む。萎縮だけはしたくなかった。

再びサイクロプスが動き出す。惚けてる場合じゃない。投石機を失った今…このままだと街を壊される。
弱点を狙うにはよじ登らないといけない。とにかく俺に注意を向けさせなくては。一太刀浴びせようとした途端、相手は前方へ跳んだ。
「嘘だろ…………!?」
宙を舞うサイクロプス。こんなの誰にも止められない。サイクロプスの腹ダイブは城壁に命中した。


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