曇天、虹色地平線 緑の公国 11 断ち切られる絆、繋がれる絆 



ラシューのこの力を知っている。髪で弓を造り上げたのを見た事がある。
新緑の枝は青々と茂る樹木に生える。しごく当然の事だった。今や彼の面持ちは精巧な木の彫像を思わせる。

人間じゃない。

それはレイ自身にとって、即ち敵を意味していた。だというのにどこか不可侵なものを感じさせる。
その意味を見つけようとして、辺りへの注意が疎かになっていた。

剣が風を斬る音に振り返る。
「うぁ!?」
間一髪……むしろ一髪くらいアウトで反射的に避けた。
肩口に刻まれた赤い線に襲撃を受けたのを自覚する。

キーヴァ。

俺の剣を左手に構え、彼は手の暗器の攻撃範囲を補う。
使い慣れていない武器のはずだ。しかしその動きは素人の域を超えている。
リドミ王家の補佐役はレベルが高いじゃないか。
冷静かつ的確に打ち込まれる攻撃のたびに、右耳の耳飾りが揺れて光を放つ。

「とっとっと…」
俺は続撃を避けながら体勢を立て直した。
速い。
しかし俺ほどじゃない。

軽く地を蹴った。呪言を使うまでもない。
肉を断つように振られた右腕をかい潜り、懐に滑り込む。胸倉を掴んだ。
「せいっ!」
「…ぐふぅ!」
背負い投げを見事に食らってキーヴァは地面に叩き落とされる。一応受け身はしたようだが。
組み伏せ武器を奪おうとした所に、黒い張り手が繰り出される。

「…ちっ!」
避けることに行動を絞ると躱すのは簡単だった。そもそも動きが見えている。
余裕を持って悠々と地を蹴ると、その足元を根の拳が穿つ。タイミングすら見失わなければ捕まるはずが無いな。

「埒が明かぬ。」
マクスマレーンは何者かに祈るように腕を胸の前で組む。
この場の全員が目を奪われた。
組んだ腕がその指先から、ずぶずぶと黒く染まっていく。純白な紙が黒インクを吸うように致命的な不回帰さで色は段々と深みを増す。
「…なにこれ。」
ラシューが呆然と呟いた。“瞳”を持たない俺には何が起きているかはっきりは分からない。ただ相手から放たれるプレッシャーが同じ人物とは思えないほど段違いに強まったのを感じるのみ。
「叔父さんの上に、何か別の魔力が重なって…!!?」
そしてこのプレッシャーは俺の知るものと酷似していた。

マクスマレーンが微かに聞こえるか聞こえないかの声で笑い出す。それは妙な狂気に近い響きをもっていて、背筋に冷たいものが走る。
染色は肘の辺りまで来て、やっと止まった。
遠くから見れば長い黒手袋をはめた様だろう。

……近くで見れば、むしろ血を吸われて壊死した様な、と言う方が相応しいか。

ピシッ……ピシピシ…
老木にヒビが入るのを思わせる音を立て、彼の頬や露出した腕の甲などに流線形の傷の様な紋が浮かび上がる。
ただの傷ではない。まるで何かに締め付けられたような跡。
その腕を王は前にゆっくりと伸ばし握ったり開いたりした。人間相手としては異常なエネルギーが迸る。

彼は今限り無くモンスターに近い存在だ。それが奴の切望し続けて来たものあかし

「これが私の手に入れた力だ!
“私には”国を守る義務がある。その為にはお前の存在は困るのだよ。」
しかし同時に俺にはモンスターにやられた犠牲者そのものの姿に思えた。

「むん!」
気合い一閃、王の巨大な手は神殿の一本の柱を引き抜く。自分の背より高く振りかざした。
厄介な事に、確実に速さも力も増している!
「…ひっ!」
翼となった髪を羽ばたかせ、ぎりぎりラシューが飛び去った場所に丸太が躊躇無く振り下ろされる。
轟音と共に地面が震えた。
それでもマクスマレーンは執拗に柱を振り回す。ラシューは何とかその全てを避けてはいたが、そのたびに勢い余った攻撃は壁や天井を抉ってゆく。

「…くそっ、足場が定まらない!」
ラシューを援護するどころか立つ事もできない。衝撃でグラグラ揺れる地面にしがみついているのがやっとだ。
幾度目かの攻撃が天井を打った、その時。

「…天井が!」
臨界点を突破して天井が崩れ始めた。王の砕いた部分と天井に備え付けられた穴の間に大きな亀裂が生じる。その軌跡は不自然で、まるで一度崩れて劣化していた部分が崩壊するかのようだ。
その下に横たわっていたのは。

「クーヴァ!」
動いたのは兄の方が早かった。崩れゆく天井の下から弟を助け出そうと、まさに今瓦礫が落下する中へがむしゃらに駆け込む。
追いかけようとした俺の脇にも随分大きな破片が突き刺さった。
「くっ。」
崩壊が大きすぎる。
これでは自分の身さえも___!

「危ない!!」
ひったくるように抱えられた。今の今まで自分目掛けて降って来ようとしていた破片が足下に見える。ラシューに引っ張り上げられたのだ。
下で行われる大規模すぎる崩落に言葉を失う。
「……とんでもねぇな…。」
「全くだよ…!!」
収まった頃には部屋の半分程が砕けた木材で埋まってしまっていた。天井も半ば落下しており、神殿の上階に有ったらしい樹々がその中に転がっている。
手前に比べて神殿の奥の部分の被害は比較的ましだったが、見ればそこにも“この季節なのに満々と緑の葉を湛えた木”が根に土を付けたまま鎮座していた。

人影は見えない。
しかし随分な量の土が落下し積もっている上に、不可思議な物があるのに気がついた。
それは漆黒の巨大な蕾___に見えた。
ゆるゆると蕾が開くと、親指姫よろしく内部からマクスマレーンが現れる。
「はぁ、神殿が…。
建て直せばいいだけの事であるか。」
両手で自分の身体を包み込んでいたのか。

無傷の彼は嘆息し、すぐに俺達に気付いた。巨大な手が瓦礫を掴む。
「うぎゃっ!!レイ、降りて!!」
「げほごほっ!」
ラシューは避けられたようだが、彼に抱えられたままの俺はマクスマレーンの投げたものの立てた土煙に見事に突っ込んで、下の地面に放り出される。
ラシューム…この野郎。
恨んでいる暇も無く、繰り出される王の追い討ちを転がり避けた。

「叔父さんはこっちを向いててよ!!」
ラシューは懸命に戦ってはいるが、その拳はなかなかマクスマレーン王に届かない。のらりくらりと避けられている。
今まで弓や魔法の後方支援方だったラシューが、いきなり前線で戦うのには無理がある。さらに悪い事に肉弾戦でである。
マクスマレーンは不慣れさを逆手にとって攻撃を受け流し、隙を待って手痛い攻撃をかますのだ。
「ぜえ…はぁ…」
ラシューは完全に息が上がってしまっていた。

参戦するにも武器が無い。剣も恐らく瓦礫の下だろう。
代用品を探して瓦礫の山に滑り降りた。



「…兄さん!兄さん!」
自分を呼ぶ声がどこかで聞こえる。
目を開いてみて弟の近さに驚いた。湖中より浮上した様な心地だった。
自分にしがみついた弟は顔面蒼白である。しかしほぼ怪我はないようだった。間に合ったのだ…。

良かった。

身体が動かない上に妙に怠い。目も霞んでいた。どれくらいの怪我なのかは分からなかったが、よろしくはないだろう。
その時耳は他の男の声を聞き分けた。
「どうした!?」
「崩壊から俺を守ってくれたんだ!俺はっ、兄さんに、武器を向けたのに。
血が…こんなに血が…。」
彼は取り乱し切った弟を宥めた。その手際はスムーズで、パニックに陥った人を落ち着かせるのに慣れているかのような印象を受ける。
「動かさない方がいい。
手当ては俺がしとくから、あんたはラシューを援護してきな。」
「………あ、ああ。任せたから。」

がらがらと木片を踏みしだく音が遠ざかる。弟の気配が去った後、感触で止血をされているらしい事が分かる。ぶっくさ呟きが聞こえた。
「文字通り身を挺して弟を庇ったってのか。全く。」
何とか彼に焦点を絞る。やっとその姿が知れた。
龍牙、レイ。
予想はしていたが少しばかり驚いた。

私の視線に気がついたのだろうが、顔もあげずに彼は言った。
「なんだ?」
「…私は、」
謀反人だ。ラシューム様をも手に掛けようとした。
何故、助ける?
言葉で言わずとも龍牙はそれを悟った。

「目の前の怪我人を助けるのに理由は要らん。
俺は俺のやりたい様にやるんだよ。…冒険者だからな。」
冒険者。
社会的地位も信用も無い。その代わりに、たしかに限り無く自由だ。リドミが始まってからうん百年、王家に縛り付けられて来たシーフレドの人間としては羨ましくもある。

傷の痛みに眉をしかめながらも、キーヴァは自分の表情が苦笑の形になったのを知った。
自分は死ぬのだろうか。
やはり神は許さないのだろうか。
それとも弟を見捨てられるかどうか試されたのだろうか。
しかし、本当に大切な者を見失わなかった。それだけで十分だ。

丁寧な手付きで手当をしていた龍牙は、ふとこちらへ顔を向ける。
「お前は王になりたいのか?」
「いや。」
「ふうん…?
自分が頭になりたい、とかじゃあ無いのか。」

自分の否定に龍牙は首をかしげた。
「…では何故だ?」
「私よりもふさわしい人間は星の数いらっしゃるでしょう。
それに新しい王が前の王を殺した者というのは…まずいでしょう?内部反発や外部干渉の引き金になりかねません。」
放伐には相応の大義名分が求められる。それが認められるほどにはマクスマレーン様は暴虐ではなかった。
「だから誰か他の者を王に?
言うわりに随分人任せなんだな。」
荒い息を誤魔化しながら答える。頭がぼんやりしてしまって、上手く言葉を纏められない。四肢にも力が入らなかった。

「黙って支配されているよりは………随分ましだと思いますが。」
相手は否定しなかった。同じ人任せでも全く違う。
絶対的支配者を取り除く。
支配者と被支配者の間の超える事ができない壁が取り払われる。
緑の民は“神”ではないが、私達と緑の民はイコールでもないのだ。

「そうか…少し休め。自分ではどう思ってんのか知らんが、酷い傷なんだぞ。」
そっと手の平で覆うように瞳を閉じられる。
再び開く気力も無い。それなのに口から零れ落ちる言葉は止まらない。もう自分が何を口走っているのか頭で分かっていなかった。

「そうすれば、シーフレド家の者が家命なんてものから解放される。」
半ばうわごとのそれは、もはや既に祈りのごとき囁きだ。
語尾が力無く途切れる。

「クーヴァ、お前には自由に生きて___」


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