曇天、虹色地平線 緑の公国 12 覚醒



キーヴァの手当を済ましてから瓦礫の山を彷徨う。木造建築の悲しさで、使えそうな形の物はみんな木片ときている。
こんなんで太刀打ちできるのか?鋼の剣を弾く敵相手に、呪言も使えない棒っ切れで?

無理だ。
どう考えても返り討ちだ。

「ふっ!」
しばらく振り回していた柱を、その時何の前触れも無くマクスマレーンが投げた。フェイントだ。
虚を突かれた形で完全には避け切れず風圧に巻き込まれ、きりもみで落下したラシュー。瓦礫の山に沈むが悪い足場のせいで少し雪崩れ落ちた。

「…いたた…!!……っ!!」
「ラシューム様!」
ラシューは立上がりも出来ず防御姿勢をとる。クーヴァが駆け寄った。柄杓を持ってはいるが、王に対して武力を振るうには迷いがあるようで、未だに抵抗らしい抵抗は出来ずにいる。
ぎちぎちと巻き合う根が音をたてる。マクスマレーンの無慈悲な力一杯の張り手が今にもラシューに向けられた。クーヴァが庇い立ち塞がるが、危険に晒される命が二つに増えただけだった。

「くそ!」
そこにあった木切れを構えて割って入る。
正面から受け止めず、力を受け流すようにしてみるが、そんな小技が通用する相手では無い。
木切れはそれこそ木っ端微塵に打ち砕かれた。

それでも相手の勢いは止まらない。
「うぁ…!」
腕で身体を庇うが防御しきれるはずもなく、容易く吹き飛ばされ地に這った。
軋む骨を無視して歯を食いしばり立ち上がる。

畜生。
俺は一体何の為に戦いの術を学んで来たんだ?
あれだけ明白だった答えも、今では見失ってしまっていた。
負けられないのだけは確かだ。何とかするんだ。
でも、どうやって?
浮かんだ疑問も最早封じ込められず、狼狽して辺りを見回す。

剣、剣!
せめて武器が___。

「…あるじゃないか。」

部屋の奥まで吹き飛ばされていた自分の脇には剣がある。それは半ば巨岩に突き刺さっていて、その岩ごと安置されていた。
冷静に考えれば何かいわれを感じたかもしれない。しかし現実問題、今はそういう状況では無かった。
こんな所で殺られる訳にはいかない。
すかさず剣の柄を握る。思ったより堅い感触だ。がっちり刺さっている。

抜けないかもしれない。

ちらり、と頭にイリスとラシュームが浮かんだ。
ままよ。
皆を守れる可能性がこれしかないなら、賭けるまでだ。

ギュッと柄を握る。
腕に力を掛けた途端、抵抗が消失した。
するりと、いとも容易く剣は俺の右腕に収まる。
まるで俺を待っていたかのように。

「…抜け、た?」
初めて触れたのに手に馴染む。僅かな脈動を感じた。
何故だろう。確信が生まれる。

この剣なら、全てを守れるかもしれない。



「あれは…!」
叔父さんは僕そっちぬけで叫んだ。目の前の事実を理解できていないのだ。
こんな事は有り得ない。あの剣は抜ける筈がないのだから。

「凄いや、レイ。
ギルツ様の剣を本当に抜いちゃうなんて。」

そう___レイを除けば。

“霧の守護”ギルツ様が岩の怪物に突き刺した剣は二度と抜けなかったという。それが抜き放たれる世紀の瞬間を僕らは目にした。
レイは“霧の守護”として伝説の剣に認められたのだ。
しかしレイ自身にとっては、これは輝かしい歴史の一ページでも何でもないのだろう。
龍は牙を取り戻した。それが先の“霧の守護”の爪だった。ただそれだけの事だ。



長い長い間、眼中にその姿を隠されていた剣。レイは怖々とそれを光に透かしてみた。
白磁のように清らかで、白魚のように滑らかな刀身。
絵画のような一瞬。
その刀身から閃光が四方に飛び散る。

「…んなっ!?」
光は神殿内を乱反射し“常緑の樹”の元へ集まる。
まるで緑の火が灯ったようだった。
その緑の灯籠が部屋中を柔らかく照らす。心持ち緑がかった影が室内を踊った。

ぞくぞくと心中でざわめくものがある。これは、予感だ。
何かが始まった。

誰もがそれを感じていながら、少女の入れられたずだ袋がぴくりと脈動したのに気付いた者は未だいなかった。

レイは心中のざわめきに惑わず堅実に、妙にしっくり来る剣の感触を確かめる。
「龍牙斬。」
試して軽く振るのに合わせ生じた銀の刃は狙い違わず瓦礫に深い切れ目を入れる。そこから見間違える筈もない、自分の身体の一部のように慣れ親しんだ剣の柄が覗いた。

「させぬ…!」
先に剣を確保しようと、マクスマレーンは根により形成された巨大な左手を振う。場当たり的にラシューの方へ放たれた右手をクーヴァが弾いた。

焦る事は何一つ無い。

跳躍ジャンプ!」
地面を蹴り加速した自分は易々と王の腕を追い越す。
自分の左腕が剣を掴んだ。
引き抜いた反動でくるりと向き直り、呪言を唱える。

「『銀の輝き乱舞す。
___交叉龍牙斬。』」

失われて久しかった“いつもの感触”が背筋を這いのぼる。
あれだけ頭を占めていたモヤモヤは今や完成に払拭され、達観にも似た静かな心持ちが支配していた。

視界が開けた。
こんなに簡単な事がどうして今まで分からなかったんだろう。

冒険者の自由を満喫しようと、切り捨てられないものは存在する。立ち塞がる者は“龍であろうと”ぶった斬る___それが“龍殺し”だ。
理屈以上に行動で示せ!

クロスに放たれた銀の刃が正面から王の腕を捉えた。
「…うあ゛…あぁぁあぁっ!」
マクスマレーンの絶叫と共に、腕を形成していた根が解け落ちる。魔力が抜けたのだ。
その根はズルズルと地中に潜ってしまったが、血を滴らせたマクスマレーンの実の腕がそのダメージの程を伝える。溢れる血が彼の衣の袖を斑に染めていた。

「冒険者みたいな、ならず者を相手にする時に御自ら手を下すなんて迂闊だぞ。」
「…ぐっ!」
マクスマレーンは自分の身体の前に、残った片手を立ち塞がらせ防御した。
彼に防御以外の選択は残されていない。

終わったな。
剣はしまわず、変な気を起こせばすぐにも残りの腕も切ってやるつもりだと示す。
今すぐにイリスの所に駆け付けたい。だがそれが許される程に優位でもない。

ラシューが前へ進み出た。その緑の髪は治まっていて、既に戦う気がない事を表している。
彼が投げ掛けた声は、やけに真直ぐに心に響いた。
「叔父さん。考え直して。
僕は叔父さんとフィーコメヴィで過ごした日々を覚えてる。
こんな結末は嫌だ!!戦うなんておかしいよ!!」

こうなってもラシューはブレないらしい。あまりにも俺の知っているこいつらしすぎて、思わず苦笑した。
しかしマクスマレーン王の瞳の奥の戦意は失われない。深く暗く燃え続ける。

「出来ぬわ………私には王としての義務がある。兄上に任せられた譲れぬ義務がある!
もう遅い。馴れ合うには遅過ぎる!
私は王だ。お前は敵だ。
歳は投げられた。手遅れなのだ。
ゆえにお前を……!」

王はまくし立てる。顔色の悪さは緑の明かりのせいだけではない。
俯いたラシューが叔父に再び見せたのは、決意に満ちた目だった。
「そう。
あの薬を渡して。」

抵抗出来るはずもなく王は例の魔薬を甥へ手渡す。ラシューは瓶の中の液体をじっと見つめると口を開く。
告げられたのはあまりにも想定外の台詞だった。

「じゃあ僕はこれを飲む。今回の事は忘れて、魔法も得なかった事にする。
そうしたら止めにできないかな。」

続けて言葉を紡ごうとして、ラシューはわななく唇を閉ざした。言葉を飲み込みそうになる。何とかそれに堪え、今にも泣きそうな震える声がやっと喉の奥から絞り出される。
「王位なんか要らない。だからあの頃みたいに…仲良く一緒に暮らそう。」

ずっとずっとラシューが本当に言いたかった事はこれだったのだろう。
そのささやかな望みの代償は余りにも大きすぎる。しかしラシューの望む未来に繋がる選択は彼にはそれしかないのだ。

“自分が嫌だと思ったから、戦おうと努力する…その頑張りはかってあげなきゃ。”
かつてこいつが言った言葉が蘇った。
そうだな、ラシュー。お前は頑張った。
選ばざるを得ない選択肢が最悪だろうと、頑張ったのには変わりがないんだ。

だが____もう流石の俺も黙っておけない。

見守ると放っとくは違う。
俺はお前を仲間だと思っている。だからみすみすそんな選択させたくない。
たとえ王を斬ろうとも。
がしゃり、と鞘が鳴った。
しかしラシューの懸命な表情を見ていると、本当にそれがいいことなのか分からない。

マクスマレーン王は答えないままだ。僅かだけその頭が頷いたように見えた。ラシューの願望から来る錯覚というやつかもしれない。
「ラシューム様!」
「クーヴァ、ごめんね。
僕は王にはなれない。」
ラシューを止めようとしたクーヴァは、逆に返って来た静かだが確固たる謝罪に一瞬息を飲む。だがそれは迷いと表現するのが相応しくない程に僅かな時間だ。

「自分は、ラシューム様が緑の民で無くなられようとも、貴方様に御仕えする所存であります。」
「そっか。」
短い返答とは裏腹にラシューは本当に嬉しそうに笑った。
「これで終わりなんだ。
そしたら、こんな悪夢は…“呪い”は無くなるんだ。」

その時、部屋の奥で何かが蠢いた。
それは巨大な、影。

“常緑の樹”は今や幻灯機の役目を果たしていた。その影が巨大なのは樹の側にいるからだ。
ゆらゆらと緑の波がざわめく。
瓦礫の海に影が身を起こす。それは何かが殻を破って生まれる動作に酷似している。
そんな錯覚を振り払うように目を向けたそこには、身体全部を覆ってしまう程の袋から脱する、長い髪、華奢な少女の姿。

「イリスちゃん…!!?」
違う。
“それ”はイリスの姿をしながらも決して彼女ではなかった。

別物だ。

鼓動が速くなる。胸騒ぎがする。
何かしら異常な事が始まったと、本能が俺に知らせる。

『天盤よ、示し指せ。朕これを先導す。
地嶺よ、腕を開け。朕これを受容す。
子らよ、眼を開け。朕これを守護す。

朕ここに降臨せり。

朕は“虹の女神”。神と人を繋ぐ者なり。
世界の終焉にいだち、新たな世を導かん。』

彼女の輝く吐息がその唇から漏れる。側にいる者は、雨に濡れた草花のような、晴天を翔ける若燕のような、えも言われぬ心地になった。
光が姿を得たがごとき繊細な存在の微笑みは、見る者に畏敬の念すら抱かせる。
ラシューは、ほう、と息を吐いた。幾度か瞬きをする。

「___虹の、女神。」

『然り。

朕は時を紡ぐ子らの羅針盤。
朕は天地を結ぶ一筋の虹橋。
さだめの管理者であり守護者。
理を正す実行者であり維持者。』

彼女のしっとりと濡れたような髪が虹色の光輪を放った。
ゆったりとした衣の袖をかき抱くようにして立つ。
見た事の無い表情。全く別の存在。
“それ”はまさに人の身に降り立った“神”。

ならばあの娘はどこにいったんだ?

“虹の女神”。それはおそらく“時紡ぎ”の伝説の関係者。
俺はもっと知っておくべきだったのだ。

「ラシュー!
これはなんだ。どういうことだ。教えろ!
………お前は“賢者”なんだろ!?」

不意の胸騒ぎ。何の確信も無い不安。
どうかしてる。
浮かんだ言葉は考えるのですら許しがたい。

あの少女はもう返って来ないだなんて。


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