曇天、虹色地平線 緑の公国 8 決別



魔と人の境を超える薬。
それは暗い色をしていた。

これみどりいろをどうすればいいっていうの!?”

自分の髪が緑の民の様相を表し出してから何度そう思っただろう。
今まで候補者ですらなかったのに望まない政権抗争から脱退できない。
さらには自分に否応無しに干渉し、ついに失いたくないものまで失いそうになる…原因になった。
“失なわされた”とは表現しなかった。それを確かめる為に僕はここに立ったのだから。
たかが人と魔の差なんて些細なものでは、僕から何も失わせる事なんて出来ない。

「分かった。飲むよ。」

何の液体なのか、そもそも本当に薬なのかも分からないそれを受け取った僕を、叔父さんは凝視している。
彼の左手の中指には包帯が巻かれていた。昨日は気付かなかったが。
憑かれた様な目だ、とぼんやりと思いながら瓶の蓋に手を掛けた。

「………。」
使われる時を待っていたようにあっさりと蓋は外れる。
なぜか新しいもののように思えた。
それに唇が触れるか触れないかの数瞬前に___。

「“跳躍ジャンプ”!」
天井を破って飛び込んだ人影は、呪言効果の重力軽減で、ふわりと着地した。

驚きのあまり瓶を取り落としそうになる。
「クーヴァと…レイ!!?」

レイは抱えていたクーヴァを放り出し、何食わぬ顔で手を振る。
「おう。ラシュー。」
「おう、じゃないよ!!旅立ったんじゃなかったの!!?」
「ちょっと邪魔が入ってな。」

言うなり彼は僕と叔父さんの間に割って入る。その視線は叔父さんに向けられていた。
なんかちょっと…怒ってる?

「いやぁ、こんにちは王様。
お目にかかれて光栄ですよ。」
100%リップサービスの台詞を吐いたレイは、がらりと口調を変えて続ける。

「うちの連れに覚えがないか?
長い黒髪の娘なんだがな。」

黒髪の娘……イリスちゃん?
叔父さんはやや不機嫌そうな面持ちで尋ねた。
「どうして私に聞く?」
もっともだ。目眩がするのはあまりの乱入に緊張感が断たれたからに違いなかった。

「簡単な話だ。
このリドミ王宮の中で魔法が使えるのは二人だけ。
まぁ、モンスターが潜んで無かったらの話だけどな。」

話が見えない。今、イリスちゃんとレイが一緒に行動していないのだけが分かった。
確かに叔父さんは魔法が使える。
でもそれをレイに言った覚えはない。しかしリドミの王位継承条件が緑の民であり、つまり緑色の外見と魔法の行使である以上、緑色ではない叔父さんがもう一つの条件を満たしていると考えても不思議はなかった。

「…二人?」
叔父さんは何か聞き捨てならぬ事を聞いたように聞き返す。それはそれ以上に語気の強いクーヴァの台詞に掻き消されてしまった。

「リドミ王宮がモンスターの進入を許しているはずがありません!
王宮で魔法を使ったのはマクスマレーン様のみであります。」
リドミ王家を庇護したはずのクーヴァの台詞は、この場合レイの論理を補うことになった。

「じゃあ、決まりだ。
王さん。うちのイリスを返してくれよ。」
叔父さんは威厳を湛えたまなざしをレイに注ぐ。腕組みをしながら溜め息をついた。
「私を人攫い扱いするのかね?君は誰だ?」

答えてレイが自分の胸に指を添えた事で、手袋の甲が顕になる。
言葉で告げずともその龍の紋が彼の身分を証明する。
「俺は“龍殺し”の“龍牙”レイ。
戯れに人に罪をかぶせたりしないさ。」

固唾を飲んで見守る。もう薬の事など失念していた。
“龍殺し”の名を信用に値する証として使うなど相当の事だ。その相当な事を引き起こしているのは、どうやら叔父さんらしい。
叔父さんを信じたい。でも盲目的になるにはレイ達と過ごした時間が長すぎた。
「叔父さん、本当なの!!?
イリスちゃんをさらったなんて。」
「………。」
肯定も否定もせず、叔父さんはレイをじっと見つめた。

何を迷っているのか。彼が何かに迷っている事が肯定を表し、重大な裏切りである気がした。
後から思えば大きな分岐点だったに違いない。

「…ラシュー。何だそれ?」
レイの視線は僕が持ったままの小瓶に注がれていた。
「な、なんでもない。」
後ろめたいものでも何でもないはずなのに、反射的に後ろに隠してしまう。
でもレイは見逃してくれなかった。
それどころか、心配気なその様子は、この瓶の正体に気がついているのかも知れなかった。

「ちょっと見せてくれよ、それ。」

直後、叔父さんの沈黙を破ったのは、彼自身の唇より紡がれる力ある言葉の詠唱だった。
『深森の静けさよ、暗き岳に差し込む光よ、』
「…何を。」
叔父さんは軽く握った右手を左に高く掲げようとして、僅かに躊躇した。

「マクスマレーン様。
“彼らは賊です”。何を迷われることがありましょう。」
「兄さん!?」

背後からの声に不意を突かれる。音も無く扉を開いていたキーヴァだ。いつからかいたのか知らないが、状況を全て把握しているようだった。彼は扉を内側から閉め、その背で封じた。
「…貴方様は、王ではありませんか。」
叔父さんの魔法の発動音がそれに答える。
「そうだな。
賊め___討ち滅ぼしてやろう!」
キーヴァのその台詞が、彼の心を決めさせた。

『深淵に蠢く者、今その姿を照らし出されん。』

右手が見えない何かを引っ張った、ように見えた。
瞬間、彼の周りをぐるっと囲むように黒く尖ったものが地面を突き破る。
木の根だ。
器用に木の根が絡まり合い、長く節くれ立った指を形作る。それはまるで地中から生えた巨大な手に見えた。
その左手の中指には切り付けられて出来たような傷がある。叔父さんの左手と全く同じに。

このままで戦いが始まる。
何で?

レイにも叔父さんにも傷ついて欲しくなかった。どちらかが倒れるなんて以ての外だ。
止めなくてはならない。
まさに今。

「二人とも、やめて!!」
僕の声は二人には届かない。
まず始めに仕掛けたのは叔父さんだ。叔父さんが指を動かすのに対応し、黒く鋭い脚は獲物に襲いかかる。掲げられた両手は楽器の鍵盤を叩くかのように動く。
レイはまだ剣を抜かない。
右手を柄に添えたままだ。抜くタイミングを計っているらしい。
彼の事だ。国王だとか僕の叔父だからとかの容赦は無い。また、そんな甘い事を言える相手でも無い。
恐らく居合いだ。

レイは迷わず叔父さんを斬るだろう。
叔父さんも迷わずレイを切り裂くだろう。

「…止めろって、言ってるじゃないか!!」
ぶわっ、と緑の風が吹き抜けた。よどみ無く充ち満ちるこの力の源泉を知ろうとして、胸元を握り締めた。自分の中心に並々と清水を溢れさせる泉があると言うのが近いかもしれない。
緑の血脈に生き、僕の命が尽きるまで湧き続ける泉。それが緑の民の魔法なのだ。
零れ出た水は地に滴り、花を咲かせる。地面に広がってゆく草原の中から緑の蔓が生じた。

強靱な蔦は素早く的確に、小山ほども大きさのある黒い根を押さえ動きを封じる。
「そうか、魔法か…。」
抵抗する素振りも見せず叔父さんはただ嘆じた。

「二人が戦う必要性がどこにあるのさ。
賊って何!!?誤魔化さないで。
叔父さんはイリスちゃんを本当にさらったの!?なら解放してよ!!」
諦めの溜め息と共に独りごちてから、叔父さんはやっと僕の方を向く。

「どちらにしろ…誤魔化しなど通用しなかったということか。
それは出来ぬ。」
「なんでさ。」
「お前が王位継承者として完成し、妥協の道が閉ざされたからだ。

ラシューム。私はお前を殺さなくてはならないようだな。」


殺さなくては“ならない”。
王位継承者であるラシュームが演じられたものだったのと同じように、ラシュームが信じていた叔父の姿もまやかしだったのだろうか。

しかし真実など存在するのかも分からず、出来る事は限られていた。
ただ戦うだけ。

無力感に背を向けたまま、自分はまた剣を振う。
余計な事を考える余裕はない。

この神殿と呼ばれる部屋はそこそこな広さがあるが、奥のウロの手前にある祭壇を始め、幾つかの段の上に様々な物が祭られている。神像の様なものも数多く安置されていた。色んな物が有りすぎて雑多な印象を感じさせる。
イリスはどこにいるのか。
本当にこいつ本人がさらったのだろうか。

しかしまたモンスター絡みだろう。
その根拠は相手の能力にありありと見て取れた。
悪く思うな。王さん、俺にはあんたが一枚噛んでる確信がある。
「行くぞ。」

ぶちぶちぶち。
力技でラシューの蔓を音を立てて引き千切り、闇色の両手は自由になる。まだ蔓の切れ端を巻き付けたまま猛然と襲いかかってきた。
抜刀せず柄に手を掛け呪文詠唱を開始する。

まだだ。

ギリギリまで引きつけてから勢いを付けて斬る。そうでもしないとダメージを与えられない。
居合いの射程に右手が飛び込んで来る寸前、その体躯によって視界が奪われる。

「「このタイミングを待っていた!」」

木こりよろしく横向きに、銀の光が叩き込まれる。深い一撃だ。
しかし根を切り落とすには及ばない。
「ちっ…。刃こぼれしちまう。」
数歩ステップを踏み下がる。だが視界が回復した時には既に遅し。

左手が…いない。
右手の甲越しに見えたのは、左手を先に走らせ俺の後方へ疾走するマクスマレーン王。
「囮…!?」
部屋の最奥で自分とマクスマレーン王は向き合っていたのだ。ならば当然後方には___。
「…ラシュー!」

鋭い指の攻撃を潜り抜け踵を返した。
もう遅い。その瞬間にはラシューはもう為す術も無く鷲掴みにされ吊り下げられていた。


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