曇天、虹色地平線 緑の公国 9 繰り返される悪夢



出来れば自分は血を流さず、王族同士が殺し合ってくれるのが望ましかった。しかし、ここまで来てしまえばもう同じだ。
肝心なのは上手くマクスマレーン様に踊ってもらうのみ。そして行き着く所まで行けば、あとは坂道を転がり落ちるように決着が着くだろう。

自分がお膳立てをせずともどちらかが死ぬ。
リドミ王家はそういった気質を元来に持っているのだから。

巨大な左手が素早く繰り出された。目にも止まらぬ早業に、ラシューム様は人形のように容易く掴み取られる。
若草色の蔓が絡み付き抵抗するが敵わない。
荒々しく握り締められ、吊り下げられた彼の足が虚しく宙を蹴るのが分かる。どんなに必死に蹴ろうがびくともしないだろう。
生身の彼が、堅い古木に敵う筈が無い。
根に段々力が籠っていく。少しずつ握る力が増していくのだ。

ふと、気になった。
マクスマレーン様はどんな表情をして実の甥を握りつぶされるのか。
彼の方を向いた途端に目が合った。声を出さないままの唇が動く。

_____やれ。

キーヴァは心中で嘆息した。
仕方がない。
ここでマクスマレーン様に不信感を抱かれてはならない。
彼にはまだ、“龍牙”を殺して貰わねばならんのだ。その名を一種驚きを持って自分は呼んだ。

「すいません、ラシューム様。御容赦を。」

身を低くし素早く左手に近寄る。袖口が捲れた拍子に左の袖口から光るものが覗く。
左手の親指に装着された龍の牙を模した短刀。
攻撃力は低いが、拘束された人間のとどめを指すくらいなら出来る。
近くまで寄れば、小振りな両手が黒い指を引き剥がそうと無駄な抵抗をしているのが見て取れた。喉元が剥きだしになっている。

身動きひとつままならない身体に一撃を食らわそうとした。
「止めろ!」
斜め後ろから向けられた力任せの重い攻撃。風を切る音からそのとてつもない重量が知れた。
「!?」
既に攻撃体制に入っていた自分は、ようやっと身を屈め避ける。その何かは無理な体勢の上を掠めていく。
黒い腕を半ば盾にするようにして背後に向き直った。それを構えている相手は勿論予想通り、紛れも無い自分の弟だ。

「クーヴァ!」
「頭を割られたく無いなら、そのまま下がってくれ。」
武器を持って来ていた自分と違い丸腰の筈の弟が持つそれは、鈍い輝きを放つ___イゴス様の柄杓。

「それはまずい!まずいぞそれは!一応国宝だぞそれ!」
あろう事か弟は国宝をぶん回している。
動揺を隠せない自分へ、クーヴァは暗く、ふふふと笑った。きっぱりと言い張る。
「この手にしっくり来る重量…滑らないグリップ…先と柄のバランス…。
これは初めからこの為に作られたに違いない!
だから大丈夫!」
「どうしてそうなる!」

その言葉に迷いは皆無だ。
兄は初めて弟に恐怖感を抱いた。

相手はハンマーを扱うように無造作に回転させる。確かにハンマーばりの威力はありそうだが、傷でも付けば代わりが利かない!
「壊れるから!壊れるから!」
静止などもろともせず、クーヴァは柄杓を大きく振りかざした。

「ちょびっと頭に食らって伸びろ!
神聖武器!柄杓アターック!」
「それ永眠の間違い!」

叫ぶなり自分が飛び退いた場所を、柄杓は容赦無く打ち砕く。地響き轟き粉塵が舞い上がる。
武闘派の弟と正面からやっても勝ち目は薄い。
ならば背後を襲うのみ。
「くっ!?何処だ!」
弟が柄杓を再び振りかぶるより速く、自分は彼の背後をとっていた。柄杓を持ち上げようとする屈んだ無防備な姿勢。体重を乗せた蹴りがその首筋に吸い込まれる。
お前に分かって貰おうとは思わない。しかしお前を傷つけるなど出来るはずがない。



呪言に身を任せ、粉塵を突き抜ける。好都合だった。
駆け抜けた後に短い悲鳴が聞こえた。
「…!」
兄か弟か。確認する暇も無い。

「『我が双銀の牙の糧となれ!』」
煙の外に出たのを見つけたマクスマレーン王が素早く根を遣わそうとする。背後から撒いた筈の右手の気配を感じた。
しかしその時には詠唱は完了している。
「『竜牙斬!』」
「…何っ!?」
レイは剣から放たれる銀の剣檄を王の足元に叩き込んだ。まき上がる粉塵の中に相手の姿はすぐに没する。
視界を失った途端、左右の黒い蜘蛛は標的を見失った。

このチャンスしかない。

前の呪言の反動が残る腕を何とか突き出し、声の限り叫ぶ。
まるであの洞窟で出来なかった事を今行う為かのように。
「噛み砕け!『巌貫龍囓っ!』」

呪言の発動を側で見たものがいたとすれば、そこに龍が生じるのを視ただろう。
そのあぎとは大きく開かれている。血塗れの牙が覗いた。
牙が___刃が、音を立てて震える。それとも自分の腕が震えているのか。
武器も身体も酷使しすぎだと自分で分かっている。
それでも片牙の龍は古木にむしゃぶりついた。自分が付けた中指の傷に狙いをつけて。
その牙は幹さえ食いちぎる。
そのはずだった。

「!?」

腕から剣がもっていかれる堪らない感覚。確かに感じていた質量を失い、前につんのめった。
何が起きたのか把握できないままラシューを掴む根を蹴った勢いで距離をとる。
……押し負けた。

耳障りな金属音を立てて床を転がった剣を、キーヴァが足で踏んで押さえる。
粉塵が晴れて来た。
血の滲む左手の包帯を押さえるマクスマレーン王に、軽く息を乱しているキーヴァ、地に伏すクーヴァ。
痙攣する腕を庇いながら絶望の訪れを否応無しに感じていた。経験からくる手応えが教える。

これは___斬れない。

「決着がついたようですね。」
キーヴァと王に見据えられ舌打ちせざるをえない。
丸腰ではない。だがあの剣で斬れない物を小さな懐刀で斬れるとは思えなかった。
入り口付近には王と従者。天井の入り口を守っているその右手。

待つしかない。隙が生じる瞬間を。

緊迫の一瞬が過ぎたのち、王は顎鬚を撫でた。部屋のあちらこちらに穴が開いている。それでも崩れないなんて驚愕の建築物だ。
「神殿を血に濡らすのはいかんな。
血色の宝石を守護する神が血を求めるか、はたまた緑の民の血が赤いのか、わしには分からん。」

大人しくしていたラシューが呟く。声を絞り出したといった風情だ。
「…どうして。」
「お前は何故そんなに無垢にわしを見るのだろうな。
それは___あの日を知らぬからに相違ない。」
王はラシューが落とした小瓶を拾いあげる。無傷な瓶を王が軽く揺らすと、たぷん、と中の液体が揺れた。

「____!?」
それを認めたキーヴァが顔色を失う。こんな状況でなければ滑稽さを感じるかもしれない程に顕著な変化だった。
マクスマレーン王は一種の満足すら漂わせて呟く。
「そうだ。
これはお前達の父親が飲んで化け物と化した…あの薬だ。」

忘れたい記憶を言い当てられた者のようにキーヴァは身を震わせた。
「…マクスマレーン様、それは。」
「止めるな。
私は人を疑うを知らぬ目のまま、この者が逝くなど耐えられぬのだ。」
「……」
ラシューが唇を噛み締めているのが分かる。
マクスマレーン王は語り始めた。悪夢を紡ぐがごとく、ゆっくりと。



神殿、と呼ばれる部屋で妹を待つ壮年の男性。
彼の名はメーコック・リドミリェーラス。歴史的にはこの直ぐ後にリドミ公国の王となる者だった。
しかしこの時点では彼自身、自らの運命を知る筈も無い。それどころか自分の望む運命をも定められていなかった。

彼は落ち着き無く指で椅子の肘置きを叩く。
自分は妹が疎いのか、それまでして王座が欲しいのか。
王となるのを当然として育った彼にはそれが分からない。
分からないまま、父王が死んだ。
選択の時が迫るのを知りながらも未だ彼は迷い続けている。

ここは濃い血の臭いがした。
触れもしないのに、机上の瓶の中身が揺れる。
たぷん、たぷん。
溶け込んだ魂が助けを求めているかのごとく、と言えば非現実的すぎるだろうか。

魅入っているうちに扉が叩かれた。
待ち人来たる。
それがいいことなのも、彼には分からない。

現れたのは彼の実の妹と弟だ。
特筆すべきなのは、彼女の目が覚めるように明るい緑の髪。兄には、彼女はつい最近まで自分を慕い後を付いて歩いていたように思えて、女の年頃になる速さに改めて刮目した。
「兄様!遅くなりまして……!?」
彼女は神殿内を見渡して驚愕に言葉を失う。続いて中に入ろうとした弟は、足取り乱れた姉の背中にぶつかった。数言発された文句もその光景を目にするなり止まる。

縛られ座った状態で首を落とされた死体が所狭しと並んでいたのだ。

「こっ…これは…?」
「姪に従兄、叔父上、伯母上…」
揚げた名は親戚ばかり。むしろここにいる以外のリドミ王家の成人全てである。
頭のある状態を想像したのだろう、妹は必死で吐き気を堪えている様だった。

「兄上がなされたのですか?」
「ああ。」
すぐさま部屋から出ようとした彼女は入り口で新たな来訪者とかち合った。
男だ。その特徴的な茶色の瞳は彼がリドミ王家の者ではないと示している。リドミ王家の補佐役、現<緑の守>ブラスヴァ・シーフレド。彼の足には同じく茶の瞳の少年が纏わりついている。彼と死別した妻との間の息子だった。

「さて、揃ったようだな。」
無感情な調子でメーコックは告げる。状況を把握した男が絞り出した声も震えている。
「…なんという事を。」

「この薬を造るのに必要だった。」
平然と答えたはずのメーコックは、自分が首を刎ねさせた者達を一度も見なかった。
海になった血溜りはすでに半ば乾いてきている。飛び散った血液が壁に奇妙な波を描いていた。
それが海ならばここは船である。隔離された逃げられない環境という船。
皆がメーコックの部下がこの部屋へ続く廊下の一角を封鎖していたのを目にしている為、尚更だった。
誰もが戦慄しているこの空間の中で、メーコックだけが落ち着いていた。

「マクスマレーン。」
兄に名を呼ばれ、石のように黙りこくっていた弟は身を震わせる。
「お前には見届け役になって貰おう。」
「…………何の?」
メーコックは言葉で答えず瓶を示す。

他の多くの国にも増して排他的なリドミ王家。緑の民の血脈を大切にする結果、多くの血族間の結婚が行われた。しかし濃くなる血に王家の衰退が顕著になる。
ついには王家外から配偶者を迎える他無くなった。しかし血を薄める事を恐れた王族達は、妥協策を生み出す。
人を魔に変える薬。魔となった人間を新しい王家の一員として迎え入れる。

してその薬の材料は、人間の魂。

血族の魂を溶かし込んだそれを、メーコックはブラスヴァに手渡した。
「この儀式に成功すれば、リドミの王族として認められる。
そうなればフロールと結婚する支障は無くなるだろう。」
父王の補佐をしていたこの男は、その妻を失ってから妹と通じ合った。しかしよりにもよってシーフレドの人間など認められるはずがない。
もちろん“正式な手順ぎしき”をおったならば文句は付けようが無くなる。
「部下はすでに遠ざけてある。醜態を晒しても構わんようにな。」
それはブラスヴァに向けた言葉なのか、彼自身に向けたものだったのか。

「フロールを愛し、共に生きたいと思うなら飲みなさい。」
メーコックはその薬の持つ意味を愛の証明にすり替えた。リドミ王家の暗部を担うそれを男は受け取る。
フロールは怯える恋人の子供を、まるで実の子のように抱き締めた。立ちすくんだマクスマレーンは痛いほど瞳を見開いていて、意図せずしてその役割を果たしている。

ブラスヴァはそれに口を付ける前に微かに笑う。すぐさま一息に飲み干した。
その微笑みは優しすぎて、何故だか死にゆく人が自分を取り巻く世界の全てへ感謝したかのような印象を見る者に与えた。


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